ととせはたとせ

ぐすたふ

ととせはたとせ

 祖父母の家を訪れた、最後の年のことである。降り続ける秋雨の冷たい寂しさがぴっとりと寄り添って離れない日だった。

 僕は玄関を入ってすぐの居間でじっと耳を澄ましていた。昼食を片付けて落ち着いた祖父母の長屋には、薄い屋根の上を雨粒の転がる音が聞こえてくるばかりだった。祖父母に見守られてちゃぶ台の上で絵を描きながら、僕は膝のお皿がむずむずするようなじれったい気持ちを燻ぶらせていた。

 するとその内、ひんやりと湿った秋の空気が微かに震えはじめた。地鳴りがして、腹の底に重い太鼓の音が響く。

「だんじり来た!」

 僕は紙や色鉛筆を放り出して、飛び付くように玄関に向かった。運動靴をべりべりやって古い引き戸を開けると、家の中までは届かなかった高い笛の音や、ソーリャ、ソーリャ、と綱を曳くかけ声が聞こえてくる。

「スバル。あんた、傘さして行き」

 祖母の声を背に、僕は我慢できずに駆けだした。長屋の前の砂利道を抜けると、向こうの通りを行く大きな地車だんじりが見えた。僕は地車の鳴り物を聞くと、胸から肩から身体が勝手に揺れ動くような感じがして、居ても立ってもいられなくなる。地車には前後にそれぞれ大屋根と小屋根がついていて、特に大屋根で舞う大工方の姿は、空高くの電線よりもさらに高いところにあった。まるでお城がそのまま道路の上を動いているようだ。

「せーの、ほい!」

 狭い路地に合わせて地車が動くたび、コマと呼ばれる木の車輪のこすれた跡が、アスファルトの地面に白く浮かび上がった。祭りの間、そこかしこに残ったコマの跡から立ち昇る木の香りが、地車の町の雰囲気を静かに作り上げていた。

 やっと追い付いた祖母が、僕にこども用の透明傘を渡してくれた。僕は祖母と一緒に、ちょこちょことだんじりの後ろを付いて行った。


   *


 真彩まあやは埃ひとつ無いリクルートスーツ姿で、マネキンのように玄関の前に立ち尽くしていた。

「あの、どうぞ」

「ありがと、お邪魔します」

 扉を閉めると、行き場を失った梅雨の湿気が嗅ぎなれない真彩の甘い匂いと混ざって、二人の間にむっとこもった。スニーカーばかりが並んだ僕の家の狭い玄関で、良く磨かれた真彩の黒いパンプスが、鈍い輝きを放っている。

「お母さんに挨拶するわ」

 僕はただ黙って真彩をリビングに案内した。真彩は極めて堂々として、肩をそばだたせながら僕の後ろをついてきた。

「いらっしゃい、まーやちゃん? 久しぶりぃ」

 母はほとんど無頓着とも言える明るさで真彩を出迎えた。人見知りの飼い猫が冷蔵庫の上にのぼってしまって、宇宙人でも見物するように目をぱちくり見開いている。

「お久しぶりです。これ、どうぞ。ケーキなんですけど」

「えー、良いのに。うちには遠慮せんと手ぶらで来てなあ。おばちゃん世話も何もできひんし」おばちゃん、というのが、僕の友人に話しかける時の母の一人称だった。「まーやちゃん今日は、ビシッとしてるなあ」

 母が真彩のスーツ姿のことを言う。それまで淀みなく笑顔で話していた真彩に一瞬の沈黙があった。

「この後ちょっと、用事があるんです」

「そうなん? ゆっくりしていってなあ」

 真彩は母に愛想良く頭を下げて礼を言うと、僕の部屋にやって来た。

「今日はいきなり、どうしたんですか?」

「昔は敬語なんか使ってなかったやん」

 真彩は僕の反応を半ば面白がるように皮肉っぽく笑って、質問には答えようとしなかった。部屋に入るなり真っ黒のジャケットを手荒く脱ぎ捨てようとするので、僕は驚いて近くにあったハンガーを差し出した。真彩曰く「いいよ」だそうだが、良いわけない気がしたので軽くシワを伸ばして洋服掛けにかけておいた。

 真彩はマスクも取ってしまって、窓から機嫌良さそうに顔を出したり、僕の本棚に並んだ文庫本や文学全集を眺めたりしている。あまりに唐突な真彩の姿から受ける印象は、思考の読み取れない小動物のそれに近いものがあった。もっとも小動物だろうが人間だろうが、本当の所は何を考えているのかなど解らないのが真実だ、という気もする。


 真彩と幼少期ぶりに再会したのは二〇一九年の秋の終わり、もう半年以上前のことだ。僕は大学一年生で、流行りの新型肺炎の話はまだ影も形も無かった頃である。

「ハルト君のお母さんと会ってくるわあ」

 そう言って出かけていった母から、夕方近くになって電話がかかってきた。お茶をして話して買い物をしていたら、思ったより大きな荷物になってしまったので迎えに来てほしい、ということである。僕は簡単に髪を整え、コートを羽織って大阪駅に向かった。

「上のとこにおる」という曖昧な指示を受けた僕は、何となく見当をつけて連絡橋改札を出た。大きな跨線橋の上にある改札口から、ずらりと並んだホームが見下ろせる。寒さに研ぎ澄まされた西日が列車に反射して、駅全体がきらきらと輝いていた。足元でいったいどれほどの人々が列車に乗り、降り、あるいは動かし、それらすべての人生がこの駅で一瞬の内に交わっては離れていくのかと思うと、僕は涙が出そうになった。スマホが鳴り、母から今いる場所の写真が送られてくる。切ない胸にそっと蓋をして、僕は日常に戻った。

 写真を頼りに歩いていくと、コンコースのベンチに、母とハルト君のお母さんと、それから見覚えのある二人の女性の姿があった。

「憶えてる? まーやちゃん。シオリさん(というのは、ハルト君のお母さんのことである)と買い物してたら偶然会ってん」と母が紹介した。

 肩の辺りまで伸ばした外巻きの髪型が昔とそう変わっていないのと、貫くような眼差しに面影があるのとで、すぐに真彩だと判った。真彩の隣に居たのは真彩の母だった。

 僕はシオリさんはもちろん、十年以上ぶりに会った真彩や真彩の母に挨拶をした。真彩の母は誰から聞いたのか、僕が文学部に進み小説を書いていることなどを大変褒めてくれた。「昔から絵描いたり、何か作ったりするの得意やったもんね」と懐かしそうに話す真彩の母に、僕は恐縮しながら頭を下げた。真彩の手前そう大げさに褒められるのは恥ずかしかった。

 それから真彩と、久しぶり、元気だった? などと通り一遍の会話をした。真彩は僕のひとつ上の大学二年生で、来年からの就活に備えて必要なものを買いに来たらしかった。大人びた真彩はいくらか丸くなったとでも言うべきか、十年前には見せなかった温和な笑みを浮かべていた。

 僕も真彩と同じように二、三年後に就活を控えてはいたが、実感は湧かなかった。文学の研究者でも目指すのか、それとも全然関係のない公務員か何かになるのか。小説では食っていけないだろうことだけは今の僕にもよく分かる。大学生活はまだ長い、ゆったり構えて考えれば良いと、漠然と思っていた。僕の母は基本的に放任主義で、将来のことも勉強のことも何も言わなかった。死んだらあかん。母が言うのはそれだけだ。

 真彩とは話の流れでLINEだけ交換した。大阪駅で真彩や真彩の母と別れ、僕たちは三人で荷物を抱えて阪急電車で帰ることになった。

 帰り道にシオリさんからハルト君の近況を聞いた。ハルト君は僕の幼稚園時代からの同級生だ。彼は工業高校を卒業して、今は地元の工場で立派に働いているらしい。

「あいつアホやったやろ、ぜんぜん大学なんか行かれへんかったわ」

 豪快に笑いながらシオリさんは話した。辛辣だが愛のこもった説明だった。


 そんな風に再会を果たした僕と真彩だったが、取り立ててLINEで話すようなことも無く、じきに新型コロナウイルスと呼ばれるようになった肺炎が列島を襲い、音沙汰無く半年が過ぎ去ったのだった。

 であるから、今朝唐突に届いた「今日そっち行っていい?」という連絡は青天の霹靂だった。特に断らなければならない理由もなかったが、真彩からは何の説明も無く、僕の方にもやはり何の納得も決心も無かった。

 僕は部屋でくつろぐ真彩を見ながらしばらくは呆気に取られていたが、今日が平日であったことを思い出し、とりあえずパソコンを起動して、二限目の遠隔授業の教室にだけは入っておくことにした。ひと通り僕の部屋に置いてあるものを観察し終わった真彩は、満足しているのか何なのか分からない表情で、僕が用意したクッションに居心地良さそうに座っている。黒髪を後ろでくくった真彩の肩が、薄く華奢な割れもののように見えた。

 さっきまで人見知りしていた飼い猫が、時折怖いもの見たさで部屋の前を通りかかっては、真彩と目が合うたびに飛ぶように走り出す遊びを繰り返していた。真彩の黒いスカートはすでに猫の毛がもけもけと付いている。後でコロコロを貸してあげないといけない。

「ねこ、何て言うん?」

「さっき見に来てた白黒ちゃんが、くーちゃんです」

 家には猫が二匹いた。白黒のくーちゃんと、茶トラのりーちゃん。何年も一緒に暮らしていると、二匹を思わず「二人」などと言ってしまうのだった。

「くーちゃん」

 僕は諦めというか、とにかくすべてに観念する気持ちでただ真彩を見守っていた。

「似顔絵、描いてーや」

 真彩は出しぬけにそう言ってにんまりと笑った。僕は真彩の顔を見つめる。真彩もじっとこちらを見ていた。真彩の瞳の奥の感情が上手く読み取れない。楽しんでいるようにも、怒っているようにも、寂しがっているようにも、見える。なぜだか、目を逸らしたら負けだという気がした。

「わかった」

 僕は答えた。断れば、真彩や、真彩の何か大事なものが壊れてしまうのではないかという恐ろしさを、本能的な部分で感じたのだった。

 僕は適当なルーズリーフを取り出しながら、簡単に光の加減や構図のことを考えた。窓の外は梅雨曇りだったが、窓からの光ができる限りきれいに当たる場所に椅子を置いて、真彩に座ってもらった。鉛筆を寝かせてアタリを取り始める。

 真彩はどこかシニカルな微笑みを浮かべながら、まなざしは半ばこの世のものではないような調子で、ぼんやりと僕の方を見つめている。僕は真彩の、危うく、不安定で、焦点はどこか遠く、浮世離れした、目の前に座っているのに決して手の届かないその感じを、一片たりとも逃さぬように心がけた。

 なかなか納得のいく出来にはならず、僕は二枚三枚とルーズリーフのページをめくっていった。丸みを帯びた頬。口角は割り合いくっきりとしているが、上唇は薄く消え入るような印象がある。二重のまぶた。ふわりと厚みを持った涙袋。鳥の翼のように鋭さと丸みを同居させたその角度を、寸分狂わぬように描き込まなければならなかった。

 時折休憩を挟みながら、僕は一心不乱に真彩の絵を描き続けた。あらゆる疑問や不安が吹き飛んで、僕はただ目の前の真彩だけに集中している。お互いに何を話すこともなければ聞くこともなかった。僕たち二人は鉛筆とルーズリーフが触れる一点だけを通して繋がっていた。

「ぼちぼち帰るわあ」

 昼を過ぎて少しした頃、真彩は突然そう言い出した。

 絵は未完成だったが、今日中に仕上がりそうな様子でもなかったし、真彩を拒む理由が無いのと同じように、真彩を引き留める理由も僕の中には存在しなかった。

 ジャケットを取って着せてやると、真彩は唯一無二のモデルから、地に足を着けて歩く人間に戻ったのだという気がした。僕が猫毛用のコロコロを取ってくると、真彩はくるりと小さな背中を向ける。真彩の手の届かないところにコロコロをかけていると、なだらかな起伏から、真彩の身体の柔らかみが手のひらに伝わってくるのがわかった。

 絵は、今度真彩が来るまでに仕上げておくということになった。もっとも真彩が再びここに来るのかは定かではなかった。

 真彩はビジネスバッグを拾い上げて、リビングの母に挨拶をすると、僕には「ありがと。じゃあね」とだけ言い残して帰っていった。

 僕は真彩を玄関先で見送った。扉を閉めてから、自分が何年かぶりに描くことを「楽しい」と感じていたことに気が付いた。僕は何か意味のある物事を成し遂げた時のような満足感と同時に、自分が末恐ろしい場所に足を踏み入れているのではないかという不安にも包まれていた。


   *


 真彩との初対面は、僕が幼稚園の年長だった時のことだ。

 幼稚園が昼までで終わってしまうと、園庭や隣の公園で皆が遊ぶ時間になった。園庭の隅を見ると、僕を迎えに来た母と僕の妹のユメ、シオリさん(当時はもっぱら「ハルト君のお母さん」と呼んでいたが)と、もう一人、知らない大人の女性が話しているのが見えた。女性はきりっと整った表情をしていて、母やシオリさんよりもひと回り背が高い。

 それから女性の隣で、物静かに佇む女の子がいた。その女の子の姿は、周りの幼稚園生とは比べものにならないほど大人びていた。僕たち幼稚園生が体操服みたいな短パンの制服を着ている中で、淡いベージュのワンピースを着たその子には、浮かび上がるような存在感があった。どこか尖ったところのある目つきの中には、自分たち幼稚園生には絶対に追い付けない明晰さみたいなものが宿っていた。

 僕はその時、ハルト君といつものように砂場遊びをしていた。砂場の砂をふるいにかけて、サラサラした砂にして友人たちに配るのが、当時の僕の立ち位置であり役割であった。泥団子のコーティングに使える上、触っているだけでも気持ちの良いサラサラの砂は、砂場の中で高い価値を持っていた。

 けれどもその女の子と目が合った瞬間、僕は途端に、それまである種の誇りすら感じていたサラサラの砂づくりを、子どもらしく恥ずかしい遊びのように感じた。僕は原色みたいな赤色のふるいを置いて、砂場の縁に座ってしまった。ハルト君や他の友人たちはしきりにサラサラの砂をつくってくれとねだったが、僕ははっきりした理由も言えないままに、その日の砂場遊びはそれまでにしてしまった。

 僕が母のところに戻ると、早速母らの隣にいた知らない女性に挨拶をされた。

「スバル君はじめまして。おばちゃんね、ハルト君のお母さんのともだちなの。真彩も、ごあいさつして?」

「こんにちは」

 真彩と呼ばれた女の子は、ちょこんと頭を下げた。さっきの鋭い視線から想像したものより、いくらか素直で温かみのある声色だった。

「こんにちは、スバルです」

 女性は真彩の母親だった。彼女は真彩と僕らを交互に見ながら「この子ちょっと人見知りなんですよ」と言って苦笑していた。

 幼稚園の園庭が閉まる時間になると、僕らは三家族でハルト君の家に遊びに行くことになった。行き道、ハルト君が発売されたばかりのRPGゲームのことなどを話すのに応じながら、その実僕は真彩のことが気になって仕方がなかった。真彩は母たちからの問いかけに時々返事をしながら、口数少なく歩いていた。しかし僕の妹の無邪気な声には、いくらか快活に答えていた。

「まーやちゃん、ウルトラセブン、しってる?」

「ウルトラマン?」

「こうやるねん!」

 妹が腕を九十度に交差させて必殺技の真似をすると、真彩は「ユメちゃん上手やね」と笑った。僕は何気ない風を装いながら、本当は心の底から妹を羨ましく思っていた。

 ハルト君の家では、ハルト君が持っていた流行りのゲーム機を皆で囲んで遊んだ。そのゲームを一番面白がったのは僕の妹だった。ハルト君はまるでお兄さんになったように、妹に色々ゲームを見せたり教えてやったりしていた。二人を見ていると、僕はいつも妹とつまらない喧嘩ばかりしている自分を思い出し、だんだん情けない気持ちになってきた。

 真彩は母らと一緒にダイニングテーブルの方でお茶を飲んでいた。僕らの輪の中に入って来てもあまりゲームには熱中せずに、脇から僕らを遠巻きに眺めていることが多かった。

「スバル、毎朝コーヒー牛乳飲んでから幼稚園行ってるわあ」

 真彩たちがお茶を飲んでいる方から、母の声が聞こえてきた。

「もうコーヒー飲むの!」

 真彩の母が小さく驚きの声を上げるのを聞いて、僕は得意なような恥ずかしいような何とも言えない感情になりながら、テーブルの方を振りかえった。すると今まで何でもないことのように話を聞いていた真彩が、いきなり僕の考えを読み取ったかのようにこちらを向いた。僕はぎくりとして、ゲーム機を囲む輪の中に戻るとわざとらしくゲームに興奮して見せたりした。

 しばらくしてゲームに飽きてしまった僕は、シオリさんに頼んで紙と鉛筆を貸してもらい、絵を描くことにした。僕の家には毎日のように絵を描く僕のためにA4の用紙や色鉛筆が常備されていたが、ハルト君はそんなに絵を描くわけではないらしく、シオリさんが「うち全然きれいな紙とかないわ、ごめんな」とか「ハルトあいつもゲームばっかりしてんで、こういう趣味を持ってくれたらええねんけどなあ」とか言いながら、お絵かき道具を用意してくれた。幼稚園の夏休みコンクール用に絵の具セットがあるからそれを出そうかとまで言ってくれたが、それは僕も僕の母も遠慮した。

 僕は絵さえ描ければどこでも良かったため床で絵を描こうとしたが、シオリさんはしきりにテーブルで描くことを勧めてくれた。僕は半分は遠慮して、またもう半分では本気でそう考えて「大丈夫大丈夫」と言っていたが、フローリングの溝に鉛筆が引っかかってしまうことだけがどうしても不便で、結局テーブルを使わせてもらうことにした。

 シオリさんが席を譲ってくれて、僕は母の隣に座った。テーブルの奥のキッチンに向かったシオリさんが、新しく僕の分の麦茶を入れてくれた。ハルト君の家で飲む麦茶は、自分の家のそれとはまた違った味がする。口に含むと、舌の上に丸い輪郭を感じるような不思議な風味がした。

 僕の正面に真彩の母が、その隣、僕のはす向かいに真彩が座っていた。手元の鉛筆や紙を取り囲む視線がむず痒いような気もしたが、僕の中ではそれ以上に、自分の絵を色んな人に、ことに真彩に見せたい気持ちの方が大きかった。

 僕はさっそく、家で父に教わったばかりの二点透視図法を使った描き方を披露し、近くを走っている阪急電車などの絵を描き始めた。真彩の母は、僕が斜めから見た形の直方体を描き始めた辺りで、もう僕の絵を褒めだした。

「すごい上手! もしかしてこの前幼稚園に飾ってあった絵もスバル君の?」

 普段母やシオリさんや幼稚園の先生に褒められるのとはまた違った形をした言葉で褒められることが、僕にとっては新鮮な喜びだった。真彩は大人しかったが、目線は僕の描く絵に静かな興味を示していた。

「ね、真彩。スバル君の絵、上手ね」

 真彩の母が言うと、真彩は「うん、上手」と感心したように応じた。真彩の言葉と声色は、僕の心のどこかに引っかかった。不自然とまでは思わなかったが、さっき砂場から真彩を見た時に感じたある種の鋭利さが、今の真彩からは失われている気がした。手を止めている僕に、真彩の母は「どうしたの?」と問いかけた。

「ううん。今から描くとこは、ちょっと難しいねん」

 僕はできるだけわざとらしくならないように、それまで描いていたところをやめにして、電車の屋根の上にある複雑な形をしたパンタグラフを描き始めた。

 しばらくすると真彩の母が、真彩はこれから塾があるから帰らなければならないと言った。いつも十六時か十七時くらいまで遊ぶ僕たちだったが、真彩は十五時半から塾だということだった。僕の母やシオリさんは、小学一年生から塾に行くなんて立派だと真彩をしきりに褒めた。真彩の母は荷物をまとめ、こちらが恐縮したくなるくらい丁寧な挨拶をし、真彩は小さくお辞儀をして、ハルト君の家から帰っていった。

「おいハルト、お前いつまでゲームやってるねん」

 その内シオリさんが、ゲームをしているハルト君を叱り始めた。

「いつも寝るまでゲームばっかりしてるやろ、ユメちゃんにやらせたったらええやん」

「さっきからやらせてあげてる!」

 ハルト君は全くひるむことなく、甲高い声でシオリさんに反論した。飛び交う言葉は僕の家よりも幾分か激しかったが、この応酬はハルト君の家にはいつものことで、別段不穏な雰囲気にもならない、からりと風通しの良いものだった。しばらくしてその日はお開きになった。


   *


 その小さな模型店があるのは、高速道路とJRの高架に挟まれたガード下だった。街灯に薄明るく照らされたガード下の駐輪場は、霧のような小雨を融かした空気に満たされていた。

 僕は幼稚園の年長の頃から、父に連れられてこの模型店を訪れるようになった。最初は父の自転車の後ろに乗って、小学校に上がってからは親子で二台の自転車を連ねるようになった。父は店を訪れるたび、鉄道模型をひとつ買ってくれた。

 店に並ぶ鉄道模型の多くは中古品で、精細に再現された配管や手すりなどの部品が欠けていたり、窓ガラス部分のプラスチックが曇ったり黄ばんだりしていることもしばしばだった。外箱の無い模型は透明のビニルで包装され、「¥1200」とか「¥800部品欠」とか書かれた、小指の先くらいののシールを貼られていた。

 僕は月に二度ほど店へ連れて行ってもらうたびに、ショーケースやカゴに陳列された模型に目を輝かせながら、しかしどうしても遠慮を捨てきることはできなかった。似たような模型をいくつか見つければ、僕は必ず値の安い方を手に取って父に差し出した。

 父は僕が模型を差し出すと、アクリルの陳列棚を見回して「こっちにも似てるのがあるで。こっちの方が上等ちゃうんか」などと提案したりした。そのたび僕は手元の模型を指して、こっちの方が欲しいと答えた。僕は本当にこっちの方が欲しいと何度でも答えた。多少部品が欠けていようとも、時々取り出してきてぼんやりと眺める分には変わらないという考えも僕の中に確かにあった。が、何より、その中身がどんなものであろうが、父の愛は僕のよろこびだった。

「いつか父さんと一緒にジオラマ作って、これも走らせような」

 父は毎回、購入した車両の模型を手にしてそう言った。

 父が僕に絵を教えてくれたのもその頃のことである。

 僕は毎日飽きずに、当時住んでいた一軒家の二階にあるリビングで、列車の絵などを描いていた。幼稚園の終わった午後、リビングには南向きのベランダから陽の光が差し込んで来る。その光の優しい暖かさは、毎晩眠りに落ちる前に頭を撫ぜてくれた母の手の温もりに似ていた。人生の最も穏やかな時間を挙げるとするならば、僕は迷いなくこのリビングに絵を描いた日々を選ぼうと思う。

 そこへ仕事から帰った父がやって来た。父は大阪の中央卸売市場で仕事をしており、朝は日が昇る前の二時か三時に家を出て、夕方前の十五時過ぎくらいに帰ってくる。父は毎週のように市場でもらった魚を持って帰って来ては、僕に競りで使う指の合図などを教えてくれるのだった。

「スバル、なに描いてるん?」父は僕の隣へ腰かけた。

「これが六三〇〇系で、これが七〇〇〇系!」

 僕がそれまでに描いていた何枚かの絵を見せると、父はしきりに僕を褒め立てた。

「スバルは将来は画家か漫画家やな」

 そう言って父は僕をがしがしと抱き寄せた。将来は画家や漫画家などというのはちょっと大げさすぎると、僕は子どもながらに何となく理解していた。父はどこまで本気でこうした言葉を言い、僕を信じていたのだろう。しかし少なくとも父の喜びは本当であるように思えて、僕は嬉しかった。

「遠近法使ったら、もっと良くなるで」

 父は僕が渡した絵の隅っこに小さく、二点透視図法を使ったサイコロを描いた。ただ近くのものを大きく、遠くのものを小さく描くだけのことなのだが、それでも長方形をした列車の側面図ばかりを描いていたその頃の僕にとって、このサイコロの描き方は一大発見だった。

 僕はさっそく父を真似て、父の描いたサイコロの隣に自分のサイコロを描いてみた。恐る恐る動かした鉛筆からはなかなか思い通りの線が伸びず、僕のサイコロは崩れかけの寒天みたいに不格好なものになった。

 それでもやはり父は、僕のサイコロを嬉しそうに褒め立てた。


   *


 真彩は二、三週間おきに思い出したように連絡を寄越し、唐突に僕の家にやってきた。決まってリクルートスーツに身を包み、何度も大丈夫だと伝えているはずの手土産を律儀に引っ提げてくるのだった。

「まーやちゃんいらっしゃい、今日もスーツ?」

 母は毎度、真彩が来るとリビングから飛んできて、能天気な挨拶をするのだった。

「……はい、そうなんです」

「あれ、おばちゃんまたいらんこと聞いた?」母は手をぶんぶん振って笑った。「ユメにもすぐ怒られるねん、『母さんすぐ友達にいらんこと聞く』って」

「ユメ──あ、妹さん。元気ですか?」

「うん元気よ、専門学校行きたいって言って勉強頑張ってるわあ」

 ユメは僕の二つ下で、今は高校三年だった。デザイン系の専門学校に進みたいらしい。

「すごいな。兄妹揃って」

 真彩は僕の部屋に来ると、僕たち兄妹のことを言った。もっとも真彩の言葉がどこまで本気の称賛なのかはわからない。

「もう絵は妹の方が上手いですよ」

「そうなん」

「絵、しばらく描いてなかったですから」

 真彩は椅子に座って足を組むと、僕のルーズリーフをぱらぱらとめくった。こうして佇んでいると真彩は画になる人物だった。

「似顔絵、全然できてないやん」

「納得いかないんです」

「楽しみにしてるのに」

 ルーズリーフは一冊全部が未完成の真彩でいっぱいになってしまった。

「今日からは、こっちに描きますよ」

 僕は用意していた新しいキャンバスと絵の具を出してきた。真彩がいつ来ても良いように、キャンバスにはジェッソという白い絵の具の親玉みたいなパッケージで売られていた下地剤を塗って準備をしておいた。

「わざわざ買ってきたん」

「一回キャンバスで描いてみたかったんです」

 ルーズリーフを繰る真彩を、僕はそのまま写しはじめた。

 鉛筆をはしらせると、キャンパスの織り目の凹凸が想像以上に引っかかるのに驚いた。もっと分厚く下地を作っておくべきだったかもしれない。伏し目がちな真彩のまぶたの厚みやまつ毛の向きは特に繊細に写したかった。あとで絵の具を何層も塗り重ねることになるので、鉛筆の跡が多少濃く残っても平気な点だけは気楽だった。

「大学、行ってるん?」

「授業は出てますよ、一応」

 僕の背後のパソコンの中で、教授が喋っているはずだった。

「ちゃんと勉強しなあかんで」

「いつもこんなじゃないですよ、真彩が押しかけて来た時だけです」

「ごめん」

 真彩の真っ直ぐな言葉に僕は驚いた。別に謝るほどのことじゃないだろうと思ったが、そういう意味の言葉をすぐに返せなかった。

 大体の下書きができて、絵の具でざっくりとした陰影をつける下塗りに入る。僕はちょっと腹をくくるような気持ちで絵の具を多めに出した。絵に限らず、すぐ細かい所が気になって、大局的に作業を進められないのは僕の悪い癖だった。

「真彩こそ。学校、行ってるんですか?」

 下塗りの色は黄土色っぽいローアンバーなどの絵の具にしようかと思っていたのだが、いざ真彩を目の前にしてみると、その落ち着いた色の雰囲気が真彩にはそぐわない気がしてくる。僕はマゼンタのような赤から紫にかけての鮮やかな絵の具を選んでパレットに出した。

「友達は? みんな元気なん」

 真彩は僕の質問には答えようとしなかった。

「知りません」

「知らんじゃ、困るやろ」

「別に困りません」

 真彩はスケッチブックから視線を上げて、ふうんと息を吐きながら小さく考えた。

「確かに。困らんかもな」

「このまま人生全部遠隔になっても平気です」

「SFみたい」

「あんなところ行って、べらべら喋って、何になるんかわかりません」

 真彩と会話をしていると時々、自分でも驚くほど素直にとめどなく、考えや思いが溢れ出てくることがあった。

「言うやん。なんかあったん」

 僕は言ってみれば、大学という場所に、過度な、あるいは歪んだ幻想を抱いていたのだった。中学高校までとは違う、学部には同じ好きなものを持ち寄った人間がたくさんいて、理不尽な理由でつまはじきにされることも、足の引っ張り合いをすることもない、理知的な世界が広がっていると信じていた。

「大学って結局、でっかい高校みたいなとこでしかないじゃないですか」

「そうかもな」

「文学サークルに行ったんです。それでみんな、小説書くのは楽しいとか、言うんですよ」

「そら、楽しいんちゃうん」

 真彩は困惑して首を傾げた。

「僕には、全然わかりません。作るのは、辛いし、しんどいですよ」

 創作は常に、心の、人生の、世界の、ぱっくりと開いた傷口を埋めるためのものだった。満たされない心を、不全を起こした人生を、最も美しい瞬間には決して手の届かない自分の世界を、埋め合わせるためには作り続けるよりほかになかった。深く醜いその傷を、奥底まで見つめて、痛みに耐えながらすみずみにまで触れて、そっくりの形をしたものをそこに刺し込んでやらなければならなかった。

「作るのが楽しいとか、それで誰かを喜ばせたいとか言っている人間のこと、僕は信用しません」

 サークルでは一年ほど活動したが、日々の活動に嫌気がさして、仁義を通すために約束していた分の原稿を上げた後、二回生になってからはさっぱり行かなくなってしまった。多分、まだ籍だけは残っているはずである。

「スバルにとって創作は、救いなんやな」

 僕は思わず画筆を落としそうになった。真彩はルーズリーフを閉じてしまって、相変わらず感情の読み取れない瞳で僕を見据えていた。

「呪いですよ」


   *


 小学校に入り、僕は真彩を朝の通学路で見かけるようになった。

 真彩とは別の登校班だったが、それでも幼稚園に居た頃に比べて真彩と顔を合わせる機会はいくらか増えた。真彩は登校班では、友人らの真ん中後ろ辺りに居ることが多いようだった。羽目を外したりすることは無く、少し話をしては、友人たちが大笑いするところを、クールな、あるいは時にシニカルさを帯びた微笑みで見守っていた。真彩と僕は目が合っても、特に声をかけ合うでもなく、手を振るでもなく、ただ互いを軽く意識してすれ違うばかりだった。

 小学三年生に上がった頃、僕は母の勧めでそろばん教室に行くようになった。

 初めて教室に行った日、同級生たちは僕を面白く迎え入れてくれた。教室は転校生が来た時のような盛り上がりだった。僕は簡単なそろばんのルールを塾長に教えてもらった後、十級か何かの、そろばんの使い方を覚えるためだけに作られたような問題を解いていった。暗算した方が早いような問題ばかりだったが、ここで良い加減に済ましてしまうと後で苦労すると何人もの友人が教えてくれた。特に熱心に教えてくれた同級生はコウ君といって、面長な顔つきは西洋風に整っていて、頭も切れ、いつもクラスの中心にいる少年だった。

 真彩もまた同じそろばん塾に通っていた。そのことも、僕がそろばんを習いに行くと決意する理由として小さくないものだった。僕は教室の中にすぐに真彩の姿も見つけた。真彩は周囲と馴れ合うこともなく、一人か、話をしていたとしても二、三人の友人の間で冷ややかな笑みを浮かべているのだった。

 僕は塾長やコウ君たち同級生に大変基礎的な手ほどきを受け、それを有難く思いながら、一方で真彩の目が常に気になった。こんな簡単なことを一所懸命にやっている自分の姿は、真彩の目にどのように映っているのだろう。

 それでも僕のそろばんはまずまずのスピードで上達した。月に一、二度ある昇級試験も落とすことなく通過し、僕は四級になった。昇級すると塾長から「珠算検定何級」と書かれた楕円形のシールがもらえた。貰ったシールは自分のそろばんの側面にぺたぺたと並べて貼っていくのだ。

 僕が新しい四級のシールをもらった日、そろばん塾にはコウ君たち同級生も、真彩の友人もおらず、もちろん教室には他の生徒が何人もいたにはいたが、珍しく真彩とゆっくりと話すような機会ができたのだった。

 真彩は僕の様子を見に来て「三級からはな、むずかしなるで」と言った。どうもその辺りに最初の大きな壁があるらしい。今まで滞りなく試験に合格してきた自信があった僕は半信半疑だったが、しかし真彩の言葉には不思議な真実味を感じずにはいられなかった。真彩は既に段位で、次のテストに挑戦するための勉強をしていた。

 真彩はそのまま長い時間、僕の隣の席に座っていた。柔軟剤か何かの匂いが、綿菓子のように真彩の周りを包み込んでいる。真彩の横顔をこんなに近くから眺めるのは初めてだった。長いまつ毛の奥の瞳に、数えきれない種類の感情がうごめいているように見える。そこに指一本触れられない不甲斐なさばかりが僕の胸で膨らんだ。

 真彩が段位のテキストを見せてくれた。僕の解いている問題よりずいぶん桁数の多い、本当に解けるのかどうか怪しみたくなる問題ばかりが並んでいる。すらすらとテキストをこなしていく真彩が、他の同級生たちと比べてもあまりにも遠い存在に思えた。

「私も妹ほしいわ」

 真彩がぽつりと言った。いつもは私語を注意する塾長も、今日の僕たちのことは咎めなかった。同級生たちのように騒いだりはしない二人だったから、大目に見ていたのかもしれない。

「楽しいやろ?」

 しかし僕は、一人っ子の真彩が羨ましかった。

「全然、喧嘩ばっかり、半分こばっかり」

 お兄ちゃんなんだから良く居なさい、優しくしなさい。兄としての義務や責任をなぜ自分が負っているのか解らないという気持ちが、僕の心の奥底にはずっとあった。何かと妹が大事にされ、褒めそやされているような気がした。そういう不本意が、一人っ子には存在しないのではないかという期待を僕は抱いていた。

 けれども真彩の答えは違っていた。

「ママ、全部私にやらせようとするねん。いやなことも、楽しいことも、全部」

 僕は真彩にどんな言葉をかければ良いのか判らなかった。無いものねだりという言葉もやはり無責任だろうと思った。

 授業時間が終わると、真彩は「私も半分こ、してみたい」と言い残して、次の習い事に行ってしまった。


   *


 酒に酔ってバランスを崩した父が、おもちゃの入った棚を巻き込みながら尻もちをついた。父のがっしりと大きな腰の骨と床がぶつかり、地震のように家が重く揺れた。下敷きになったおもちゃの中には、僕が算数の授業の時に方眼紙で作った立方体も含まれていた。

 駆けつけた母の手を借りながら父が立ち上がると、見る影もなくへしゃげた厚紙の塊が姿をあらわした。僕は心をぼろ雑巾のように絞られたようなひどく哀れな気持ちになったが、目頭で握りつぶすように涙をこらえながら、母と一緒に転んだ父の心配をした。

 父が家で過ごす時間が増えていったのは、ちょうど僕がそろばんを習い始めた頃のことだ。鎖骨を骨折したとかで、父はしばらく病院に通っていた。僕は骨折は全て手術をしないと治らないと思っていたので、軽い通院の治療で治る骨折もあるのだという点には感心した。この怪我をきっかけに父は中央市場の仕事も辞めてしまったらしく、以前のように朝早くに出かけることも、帰りに店の魚をもらってくることもなくなった。

 父の活力が失われていくのに反比例して、増えていったのが酒の量だった。父は昼も夜も関係なく酒を飲むようになり、傷跡のように赤みがかった父の顔色が僕らの日常になった。最初は冗談半分に言っていた「父さん口お酒くさい」という言葉も、段々笑いごとではなくなっていった。

 それでもせっかく時間ができたように見えた父に、僕は鉄道模型のジオラマ制作を頼みに行った。

「ジオラマは難しいから、スバルが四年生になったらやろう」

 それが父の答えだった。実際には僕が四年生になっても、四年生の部分が五年生に変わるだけのことだった。父の助けさえあればジオラマなど何歳からでも作り始められるはずであったが、何をどう願ってもひらりひらりと僕をかわす父を説得することはできなかった。

 ほんの少し前のように、模型店でショーケースを眺めたい。発泡スチロールの箱でやって来る新鮮な魚を一緒に料理したい。隣に座って絵を描きたい。僕の願いに対する父の答えはいつでも「明日になったら」「来週になったら」「四年生になったら」であり、そうして僕に父との明日は永遠に訪れなかった。


   *


「そんなこと、絶対言ったらあかんで!」

 母は跪き、僕の両肩を掴んで、いつになく感情的に僕を叱った。

「わかった? 絶対言ったらあかん!」

 僕はわかった、わかったと言ったが、何度そう答えても、怒りではない、強い悲しみの感情を向け続ける母に圧倒されて、最後にはわけがわからないままに号泣してしまった。

 きっかけは妹との喧嘩だった。大した理由があったわけではなかったはずだ。おもちゃがどうの、おやつがどうの、そういう種類の喧嘩だった。

「生まれてこなければ良かった」

 僕は妹との喧嘩を母に咎められ、何かの拍子に口走ったのだった。その瞬間、母の目の奥が裏返ったような変な感じがした。母は取り乱したように、縋るように、ほとんど泣きそうになりながら何度も僕を説得した。

 僕は、単なるセンチメンタリズムでこういう言葉を吐いたわけではなかった。僕はもちろんなぜ自分が生まれてきたのかも、なぜ自分が兄の役割を背負っているのかも知らなかった。お菓子は半分ずつで、おもちゃは交代々々で、妹は僕に気を遣わなければならない。喧嘩になれば自分も妹も母も疲れる。誰も幸せにはならないという気がした。幼いながらに、この仕組みがひどく非合理に思えた。

 それならば自分が居ない方が全てが丸く収まるのではないか、というのは、僕なりに導き出したひとつの論理の帰結でしかなかった。善悪とか、尊厳とか、そんな大層な話がこの先に待ち受けているとは、幼い僕はつゆにも思わなかったのである。

 僕は母が何をそこまで激して言う必要があるのか、すぐには納得できなかった。ただ、とにかく言ってはいけないのだということだけは理解することにした。


   *


「お前、もっと頭下げて謝らんかい!」

「……すみませんでした」

「聞こえへんわボケ!」

 べちん。と、頭皮をはたく音が、喧騒の中で意外なほどはっきりと響く。

「お前、自分が何したんか、はっきり言うてみろや!」

「ぶつかってしまって、すみませんでした」

 大柄な男の坊主頭が、小学生の僕の目の前にまで垂れ下がっている。つるりとした脳天を眺めている時間は十分にも二十分にも感じられた。やっと頭を上げた男の顔は、痣だらけで全体が赤く腫れあがっていた。

「スバルも、ええんやったら、もういいですって言うんや」

 酒を飲んでいるのか、血がのぼっているのか、その両方か、男の横に立つ父の顔も、男と同じくらいに赤くなっていた。

「もう、いいです」

 僕はやっとのことでそう言うと、俯いて唇を噛み締めた。

 気付けば僕らの周りには人だかりができている。浴衣姿で肩を寄せ合うカップル。虹色に光るプラスチックの剣を持った子ども。アサヒの缶ビールを片手に握ったじいさん。野次馬に出てきた前掛け姿の焼きそば屋台のあんちゃん。その日は地域の夏祭りだった。スピーカーからは大音量で流行りのポップミュージックが流れている。異様な熱気の中、大の男二人がそれぞれ違った理由で顔を真っ赤にして、僕がただ一人彼らと向き合っている。すべてがシュールででたらめに狂った見世物のように見えて、僕は込み上げてくるどうしようもない笑いを必死でこらえていた。

 話がついたのか、男の姿が見えなくなってから、僕は父と一緒に母と妹のところへ戻った。僕は母らと合流するまでの間、顔を上げることもできずに肩を震わせ続けた。

「もう泣かんでいい」

 父は僕の背中を優しく叩いた。こんな時に何も考えずにわんわん泣ける子どもだったらどんなに良かっただろうと僕は思った。

「あの喧嘩、お父さんやったん?」

 母は怪訝そうに尋ねた。騒ぎのことはすでに会場全体にうっすらと伝わっているらしかった。

「大学生やったわ。ふざけやって」

「ちょっと、スバル、そんなにぶつかられたん?」

 母は僕の顔を見て訊いたが、僕が答えるより先に父が答えてしまった。

「わーって、こんなんなってたで」

 父は繋いでいた僕の手が衝撃で後ろに引っ張られる様子を、大きく何度も再現した。父の表情は、自分の説明に煮え切らない様子を見せる家族をちょっと理解しかねるという風だった。


   *


 父が市場での仕事をやめて以降、家の一階の部屋が父のギターの工房になった。

 父がギターを弄りだしてから、部屋は徐々に散らかり始めた。ギターやベースやバンジョー、そしてそれらの楽器を加工するための工具が壁から床から所狭しと並び、いつしか「部屋には父さんがおらん時には入ったらあかん」という決まりが出来た。中古の楽器を買い取って来てカスタムし、ネットオークションなどで売って生計を立てるというのが父の算段らしい。もちろんそんな仕事で簡単に儲けなど出るはずもなく、工房はいつでも赤字だった。

 父はギター工房以外にも外に仕事を持とうとしていたが、どれも体調が悪いとか出先で揉めたとかで長続きはしなかった。ある時期には家族で行きつけにしている個人経営の居酒屋で雇ってもらってもいたが、日常生活で酒量が増えるにつれ、やはりそこでも上手く働けなくなったらしかった。

 居酒屋はそばなどの沖縄料理が名物の店で、家からは自転車でJRの貨物線の踏切を越えて十分ほどのところにあった。踏切の手前で自転車を止めてもらって、母や妹と一緒に二、三本列車を見送るのが、僕と家族の日常だった。

「日本海!」

 家族四人でその居酒屋に向かう途中、僕は踏切の手前で、真っ直ぐ続く線路の向こうから、回送の寝台列車がじわじわとこちらに近付いてくるのを見止めた。

「まだ来うへんわ、行こう」

 しかし父は、以前と異なってなかなか自転車を止めようとはしてくれなかった。

「また今度見よう」

「でも」

「スバル、お父さん疲れてるから、今日ははよ行こう」

 僕は諦めて踏切を越え、父らの自転車に追い付いた。背後ですぐに鳴り始めた踏切の音がどんどん小さくなって耳の奥で死んでいく。砂粒のようなほんの少しの時間すら僕から奪ってしまえる力を持つアルコールとは、いったい何者なのだろう。僕は酒を憎み、父を哀れに思った。けれどもそんな父と一年も過ごす内に、僕は次第にむしろ酒の方を哀れに思うようになった。

 僕は一度だけ、父の居ない隙に一階のギター部屋に忍び込んだことがあった。床に転がったペンチやスイッチ、金属製のワイヤーみたいな楽器の弦を爪先で避けながら、足音を立てないように部屋の中を進んだ。立てかけられたギターの目の前まで来ると、僕は張られた六本の弦の内の一番細い一本を人差し指で引っ張った。ぴー、と頼りない音が鳴り、残響が去ると部屋は静まり返った。

 ぼんやり立ち尽くしていると、帰ってきた父が部屋の前のガレージに自転車を止めるのが見えた。数秒後、玄関から鍵穴を回す音が聞こえる。僕は急いで部屋から出ようとしたが、足元の楽器たちに阻まれて、身動きが取れなくなってしまった。

「スバル、何で入ってるん」

 父はギター部屋に僕を見つけると、足元の道具を区別なくがしゃがしゃと全部かき分けて僕のもとに駆け付け、すぐに僕を抱き上げた。

「大丈夫か。けがしてないか。危ないやろ」

 父は思いの外優しく僕を諭した。僕は呆気にとられながら、大丈夫、大丈夫と繰り返した。


   *


 その日も真彩はリクルートスーツで僕の家にやって来た。既に梅雨は明けていて、空の青色の層が、夏に向けて少しずつ濃く深く重なっていく感じがした。真彩は相変わらず手土産を持って、もうだいぶん蒸し暑いだろうに、僕の部屋に入れば脱ぎ捨てるだけのジャケットまで羽織って来るのだった。

 僕の部屋には、不完全な真彩の描かれたキャンバスが二、三転がっていた。今日の絵には、描きかけのキャンバスのひとつに、上からもう一度真っ白な下地剤を塗ってしまったものを再利用するつもりだった。

「もったいなくない?」

「こんな微妙な作品、あっても無くても一緒ですよ」

 真彩は薄い上唇を尖らせて、暗に似顔絵の完成しないことへの不満を表明していた。普段から感情的な浮き沈みが見えにくいだけに、こうした真彩の小さなサインは、どこか見逃しがたい切実さを伴って僕のところまで届いてくるのだった。

「真彩は、なんでいつもリクルートスーツで来るんですか?」

 真彩はクッションの上で胡坐をかいていた。そろそろ真彩に慣れてきた白黒の方のくーちゃんが、真彩のぱりっとしたスーツの布を嗅ぎに来ていた。真彩が「くーちゃん」と呼ぶと、黒い尻尾の先がぴくりと跳ねた。

「永久就職?」

「僕のところに?」

 真彩がうなずくでもなく鼻息こぼすと、匂いの確認に満足いったのか、くーちゃんは気怠そうに僕の部屋を出ていった。

「やめた方が良いです」

「なんで?」

「僕は誰も愛せない」

「嘘は良くないで」

 真彩は目尻だけで器用に笑った。どの辺が嘘なのか、問いただしても答えてくれそうにはない。

 一体どのようにすれば他人に興味を持ったり、あまつさえ愛したりすることができるのか、本当のところが解らない。単に人間が人間として存在し、生きていたり、死んでいったりしているそれだけのことに、何を真剣になる必要があるのかが解らなかった。

「空気になりたいって思ったこと、ありません?」

「ちっちゃい頃、シャボン玉になりたいって思ったことはあるで。その場合中の空気は含まれるん」

 僕は白いキャンバスに、胡坐をかいた真彩のアタリを取っていった。最初は簡単な鉛筆デッサンで顔だけを描こうとしていたのが、いつしか画材がキャンバスと絵の具に変わり、胸像画になり、最近では真彩の全体像を描くようになった。絵具や下地を何度も塗り重ねたキャンバスはずいぶん平滑になり、下書きの線も引きやすくなっていた。

「空気って。消えたいん?」

「世界になりたい。の方が近いかもしれないです。何か作ってる時に、作ってる自分が邪魔なんです」

「自分おらんと絵描かれへんやん」

「それが嫌なんです。もっと純粋な目で真彩を見たい」

「世界になったら、綺麗な物だけじゃなくて、汚いものも見なあかんかもしらんで」

 僕はキャンバスに真彩の瞳を描き込んでいく。笑っているようにも、怒っているようにも、怯えているようにも見える真彩の瞳を。

「人間は、見たいもんしか見いひん」

 僕は、ともすれば自分の考えを一番深くまで理解してくれるのは、真彩かもしれないと思うことが度々ある。そこを肯定されたり、落胆させられたり、真彩との対話は、常にこそばゆいところをくすぐられて、仕返しも出来ないような掴みどころの無さがあった。

 僕は真彩の反応に一喜一憂するたび、真彩に人間的な理解を求めている自分の存在を感じて、後ろ暗いような、嫌悪と絶望に満ちた気持ちになった。不純だ、と思う。真彩の美に対する純粋な目線を持つことだけが、僕の使命であるはずだった。それ以外の、ないしはそれ以上の何かを求める行為は、僕にはとてつもなく恐ろしいものに思えた。

「僕は真彩のことを、ただ芸術のモチーフとしてしか見ていない」

「嬉しいけどな」

 何が嬉しいのか解らなかった。真彩が嬉しいと言う以上、僕は黙って真彩を描けば良いだけの話であるはずだ。しかし僕の胸の内には、明らかに矛盾した感情もうごめいていた。

「僕の中の真彩がからっぽでも良いんですか」

「シャボン玉みたいに?」

 真彩はシャボン玉を吹く真似をして、にっと笑った。

「僕は真彩に、逃げてるだけなんです」

「逃げてる。私も」

 真彩はそう言ってから窓の外に目をやると、声を殺して「にげてるー」と口先だけを動かした。

 沈黙が訪れた。時々、服のこすれる音と画筆や鉛筆がキャンバスを滑る音がぽつりぽつりと生まれては、部屋の底に澱のように溜まっていった。

「調べたことあるねん。真空でシャボン玉作ったら、木っ端微塵になるらしいで」


   *


 幼い頃、父は僕を何度も抱きしめてくれた。時には僕を天井近くまで高く掲げたり、肩車をしてくれたりもした。しかし、僕が父を本気で抱きしめたのは、たった一度だけだったという気がする。

「なんでそうやって俺の邪魔をするんや!」

「何が邪魔なんや! 家のローンも、子どもらもおるのに、あんなギターなんかで何とかなるわけないやろ」

 母と父は、ほとんど掴みかかりそうになりながら怒号をぶつけ合っていた。一瞬後には刺し違えていてもおかしくないほど切迫した空気が、無彩色の照明に照らされた夜半のリビングをどろどろと満たしている。呼吸をしようにも、上手く息を吸うことはできなかった。

 妹がリビングの母と父の居るのとは反対側の端で、いやああ、やめてええ、と叫び声を上げ、意味もわからないままに泣き続けている。僕だって涙を流していたはずだ。しかしその光景は冷静に冷酷に、僕の中に記憶されていた。

「これからや、売れるようになるんや。俺には俺の考えがある」

「なにが、ろくに仕事もせんと、酒ばっかり飲んでる人間の、なにが考えやねん!」

「うるさいんじゃ!」

 父はリビングの隅の机に並べられていた母の内職の道具をなぎ払った。それは母が、「これから」ではなく今日を生きるために始めた、流行りの西洋人形のパーツを作る仕事だった。ばらばらになった人形の部品が、火花の散るような音を上げて散らばる。部品の大半は樹脂でできた人形の瞳だった。床中に落ちた数々のパーツは、瓦礫か、もしくは死体のように見えた。

「うるさい! こんな内職が何になるんや!」

 父は暴走した動物のように、そこいら中の机やテーブルの上にあるものを手当たり次第になぶり落とそうとした。

「やめて! もうやめて!」

 僕は父の腰のあたりを抱きしめていた。しがみついたと言う方が正確かもしれない。もちろん僕一人の力では、父を止めることなど到底できなかった。それでも僕は、右へ左へ動く父の身体にしがみついて叫び続けた。僕には後にも先にも、こんなに強く他人を抱きしめた記憶は他にない。

 僕は声を枯らし、父の力に従って揺れ動きながら、しかし一方ではこの事態をあまりにも落ち着いて観察しているもう一人の自分がいることに気付き始めた。子どもが親に、涙ながらに抱きついて訴える。劇的だ。テレビみたいだ。そんな考えが頭を過ぎる。現実から遊離した思考の存在が気持ち悪かった。

 ひと通りの癇癪が収まると、父は叱られた子供のように、煮え切らないばつの悪そうな顔をした。同じ流れが、この数か月の間何度も繰り返されていた。母と父は床に散乱した人形のパーツを拾い始めた。

「これでええんか」

 父が並べ終わったパーツの位置を母に確認した。いかにも不本意な声色で、息は焼酎みたいに酒臭かった。ただ父は、僕たち子どもに手を上げることだけはしなかった。


   *


 癇癪を起すようになったのは父だけではなかった。

 小学四年生になった僕は、学校で些細なことに頻繁に怒りだし、暴力的に泣き叫ぶようになった。それは僕にとっての日常だった。人間は時々、地震みたいに感情を爆発させるもので、それは仕方のないことなのだと本気で思っていた。何とも無かったと言えば嘘になるが、何とも思っていなかったというのは本当だ。

 今にして思えば、何がそんなに癇に障ったのかもわからないような、小さな出来事ばかりがきっかけだった。僕は叫び声を上げながら、教室中の机や椅子を引きずり回し、ドラム缶みたいなゴミ箱や黒板消しなどの備品を、手当たり次第に教室の前にある先生の机に投げつけた。

 そんな僕を必ず囃し立てて来るのが、そろばん塾でも学校でも同じクラスのコウ君だった。さすがはクラスの中心人物とでも言うべきで、その囃し立て方には見事なところがあった。僕をそそのかす同級生は教室の中に何人も居たが、コウ君だけは単に僕を面白がっている風ではなく、その怒りは当然先生や学校にぶつけられて然るべきだ、という雰囲気を醸し出すのがずば抜けて上手かった。コウ君は巧みに、不穏な緊張とその発散という流れをクラスの中につくり出していた。その年、僕らの学年は学級崩壊に近い状況だった。

 荒んだ学校生活の中で、教室を離れて図工室で行われる図工の授業だけが、僕の安らぎの時間だった。

 毎年、四年生は図工の授業で学校の風景画を描くことになっていた。運動場でも講堂でも自分のクラスの教室でも、どこをどの角度から描くかは好きに選ぶことができた。僕は図工室から、池のある中庭と向かいの校舎が見える景色を描くことに決めた。台に斜めに立てかけた木の板に四つ切りの画用紙を置くと、普段机で絵を描くのとは違って、自分が本当の画家になったような気持ちがして愉快だった。

 図工の時間は二限分連続で取られている。真彩が図工室にあらわれたのは、その間の十分休みのことだった。友人二、三人と一緒で、日直か何かの係で次の授業の用意を聞きに来ているらしい。

 しばらく図工の先生や友人と話していた真彩だったが、不意に一人で僕が絵を描いている窓際にやって来た。僕は真彩が近付いて来ることに、嬉しい気持ちとあまり有難くない気持ちの半々だった。真彩の一つ下の僕の学年が、ことに僕が教室でたびたび問題を起こしていることは、真彩の耳にも入っているはずだ。真彩がそんな自分をどう捉えているのかと考えると、僕はこれから降りかかる真彩の言葉に対して身構えてしまった。

「うまいな」

 余りにも素朴な一言に、僕は驚き、上手く言葉を返すことができなかった。「ハルトの家でも絵描いてたもんな」などと言われ、僕は一言「うん」と答えるのが精一杯だった。

「誰に習ってるん?」

 これは僕には不思議な質問だった。絵など誰に教わっているわけでもなく、ただ描きたいものを描いているだけのことだ。けれども真彩の質問にはなるたけ誠実に答えなければならない気がして、僕は考え考え「父さんが」と答えた。今の校舎の絵にも、父に教わった遠近法である二点透視図法を使っていた。真彩は「ふうん」と、感心したようなそうでもないような顔をしながら僕の絵を見回し、

「似顔絵、描いてーや」

 唐突にそう言ったのだった。

 僕は思わず真彩の顔を見つめた。真彩の視線は貫くように僕を射止めながら、実際にはもっとずっと遠く、僕の手の届かない、星空のような場所を向いているようにも見えた。真彩の瞳の色は、僕に期待を寄せているようにも、僕を見くびって嘲笑しているようにも見えた。

 しかし僕は人物画が得意ではなかった。校舎を描くという今の課題でも、他の子が走ったり遊んだりしている児童や先生をたくさん画面の中に登場させている中で、僕の絵には、四階建ての校舎が、窓が、柱が、梁が、手すりが、雨どいが、非常階段が、机が、椅子が、扉が、消火栓が、レンガ塀が、描かれているだけだった。図工の先生も、僕の絵をコンクールで賞が獲れると褒めてはくれたが、一方で「人間をもっと入れると良くなるよ」と付け足すことを忘れなかった。僕は先生の助言に困った顔をしながら「わかりました、がんばります」と言ったきり、いつまでたっても絵の中に人間を登場させる気分にはなれなかった。

 似顔絵にしても、人の顔の特徴を掴むのは僕にとってそう簡単なことではなかった。誰をモデルにしても、線画こそ整ってはいたが、目や鼻や口の形はいつも同じものになってしまった。必死に髪型や服装を観察して絵の中に反映し、何とか個人の識別ができる程度の絵に仕上げることが僕の限界だった。僕には、楕円形の真ん中に黒目の浮かんだ魚みたいな目ん玉や、楔形の鼻や、すきっ歯の並んだ自由気ままな形の口を、何の躊躇いもなく描ける同級生が羨ましかった。

「似顔絵は、描かれへんねん」僕は答えた。

「でも絵上手いやん」

 僕は、同じ絵でも、勝手な形をした人間を描くことと四角い建物や乗り物を描くことは、全然別なのだと説明した。真彩は眉間に困惑を浮かべ、難しい法律上の定義でも教えられたような顔をしていたが、僕の話を聞き終わると、何でもないことのように「そうなん」とだけ言った。

 真彩はもうしばらく僕の絵を眺めた後「じゃあね」と挨拶とも言えない挨拶をして、友人たちとともに図工室を去っていった。


   *


 僕が階段から下を見下ろすと、玄関先が真っ赤に光っていた。それは母が呼んできた警察のパトカーの光だった。

 母が喧嘩の末に父に投げ飛ばされ、そのまま家を出て行ったのは夕方頃のことだ。三階建ての家のリビングは、父と妹と僕の三人になった。父は僕たち二人を抱き寄せた。妹のユメは、酒臭い父の顔が近付いてくると、いやと言ってと泣き叫んだ。主張というよりはただ純粋な拒絶の叫びだった。

「母さんはあかんわ。逃げた」

「いやあああ」

「よその男のとこに行ったかもしらん。もう帰ってけえへん」

「いやや、母さんがいい」

「大丈夫や」

「いやああああ」

「泣かんでええ。父さんがギター売って何とかしたる」

「いやああああああ」

 僕はずっと黙っていた。何を言っても無駄だとも思ったし、酒臭い息を吸いたくないとも思った。それでも涙と鼻水をしゃくりあげると、酒がそのまま溶けたような父の甘いような苦いような呼気を嫌でも吸い込むことになった。ギター工房では住んでいる家も三人の暮らしもどうにもならないことは、子どもの目でも判った。

 三人の時間がどれほど続いたかわからない。一時間だったか二時間だったかの後、風に乗って届いていたサイレンの音が段々大きくなり、大音響はついに僕らの家の前で止まった。

「スバル! ユメ! 降りておいで!」

 怒気を孕んだ母の声が辺りに響いた。恥も外聞もないその声は、どこまでも真っ直ぐで、恐ろしく、強く、美しかった。

「あかん。降りたらあかん」

「いやああああ」

「父さんらを捕まえに来たんや」

「いやああ、母さんがいい!」

 玄関の扉が開く音がした。

「母さん、母さん!」

「ユメ! あかん! 降りたら誘拐される」

 妹はするりと父の腕から抜け出すと、リビングを出て階段に向かって駆けだした。僕は、妹のように強い意志を持てなかった。引力に従って果物が転がるように、僕はつらつらと階段の方に歩いて行った。

「スバル!」

 僕は振り返った。父は怒ってはいなかった。ただひどく怯えるように、上気した顔に絶望的な表情を浮かべていた。

「ユメ! スバル! 二人とも降りておいで!」

 階下には、疲弊も、体面も、諦観も、思案も、すべてを吹き飛ばしてしまった剥き出しの目をした母と、その後ろに二、三人の警官が見えた。

「子どもは? ──二人おる、うん。二人とも、降りてきてもらえるー?」

 慣れているのか、警官の声は張り上げられたものでありながら低く落ち着いて冷徹で、有無を言わせぬ調子があった。「あかん! 降りるな、つかまって刑務所に入れられる」「二人とも、母さんのとこまで降りておいで!」「だまれ! お前、ふざけるな、降りたらあかん」「とりあえず、一旦みんな降りてきてくれるー?」「スバル! ユメ!」「あかん! 降りるな、父さんを見捨てるんか」方々から降りろとか降りるなとか、色んな声が飛んできた。

 僕と妹は様子を伺いながらじりじりと階段を下っていたが、我慢できなくなった妹が玄関のほうに飛んでいった。

 瞬間僕は、自分の身体がふわりと宙に浮いていることに気付いた。

「スバル!」

 母が声を上げる。僕の身体は父の腕に縛り上げられていた。

「帰れ! スバルは俺の子どもや! なあ、スバル。父さんと一緒がいいやろ?」

「父さんも母さんもユメも、一緒がいい。四人一緒がいい」

 父は信じられないという顔をした。

「下まで行こう、父さん」

 僕も父と同じ顔をしていたはずである。自分の口から、こんな言葉が出て来るとは思ってもみなかった。

「あれ捕まえられないんですか!」

「いや奥さん、警察は令状ないと家の中は入れないんですよ」

 僕の言葉を聞いて玄関の手前まで降りてきた父に、母は驚くほどの剣幕で罵声を浴びせた。

「おい! 出てこい、へたれ! 何びびってるねん! いつもあんだけ威張り散らして、警察にはびびってるんか。お前みたいなな、ろくに仕事もしてない飲んだくれのボケが、何を偉そうなことを言ってんねん! だいたい帰れって、家賃払ってるの私やろうが!」

「スバルも、父さんがいいって言ってるんじゃ」

「父さんじゃなくて、四人がいいって──」

「そんなわけないやろ! このキチガイが。耳も聞こえへんくなったんか! お前みたいなアホが、どうやって子どもを育てるんや! いっつもいっつも、これからや、俺には俺の考えがあるとか、ふざけたこと言うて、酒ばっかり飲んで、くそダサいギターなんかいじくり回して、お前なんかな、親じゃない、人間じゃない、クズが、はやく死んだらええって、スバルもユメもみんなそう思ってるんや!」

「黙れ!」

 僕の下半身に、急ブレーキがかかった時のような衝撃が走った。父は僕を捕まえたまま、妹を抱いた母を蹴り飛ばそうとしたのだった。

 待機していた数名の警官が駆け寄ってきて父を羽交い絞めにし、僕は父から引き離された。僕は「みんな一緒がいい。四人一緒がいい」と、心根ではひとつもそんな風には思っていないことを言いながら泣き続けた。僕らが父と一刻も早く離れた方が良いことは、誰の目にも、僕自身にも明らかだった。

 僕ら三人は警察に保護され、避難先の親戚の家まで送り届けられることになった。パトカーの窓の外はすっかり暗く、街灯の光がぼんやりと涙に霞んで、綿毛のように見えた。

「お兄ちゃん、よう頑張ったな」

 パトカーを降りると、一番歳の若い一人の警官が僕に声をかけてくれた。

「これからはお兄ちゃんが、お母さんを守ってあげるんやで」

 警官はぽんぽんと僕の頭を撫でてくれた。僕は黙って何度も頷いた。


   *


 僕がトイレから出てきて、手を洗い部屋に戻ろうとすると、母が僕の部屋の入口に立って真彩と話していた。

「あ、スバル。邪魔したらあかんかった?」

「ううん、珍しいなと思って」

「たまにはおばちゃんも若い子と喋りたいや~ん」

 母が真彩に向かって機嫌良さそうに身体をうねらせていると、今度はユメが自室から出てきて僕の部屋の前を通りかかった。

「母さんあんまりいらんこと聞いたらあかんで」

「え~、いらんことしてないで、まーやちゃん色々話してくれるもん。なあ?」

 真彩は苦笑して「はい」と答える。

「そんなん、まーやちゃんは『はい』って言うしかないやん」

 妹は申し訳なさそうに真彩に笑いかけながら、リビングへ去っていった。

「まーやちゃん、就活大変やねんて。スバル、聞いてる?」

「や、全然しらん」

 リクルートスーツは名前通り就活で使うものだろうからおおよその察しはついていたが、僕は真彩について詳しいことを何も知らなかった。

「まだ大学三年やのに。おばちゃん大学行ってないから全然わからんわあ」

「みんな三回生になったら就活始めるんです。説明会とか、セミナーとか、インターンとか行って。四回になったら大きい所はもうすぐに本採用に入るんですよ」

「へ~そう。おばちゃん高校出てすぐ事務なってん、建築会社の。就活なんか全然なかったわ。まーやちゃん、えらいなあ」

「全然、えらくないです」真彩は照れたように笑った。「逃げてばっかりです。今日もほんまはセミナーやったんですけど」

「えらいよ~。しんどい時はちょっとくらい逃げたらええわ。うちなんかいつでも来たらいいし。三年から就活やったら、大学生半分くらい就活やん。スバルも来年そんなんなるん」

「どうやろ。なってるかも」

 僕は人差し指でぽりぽり頬を掻いた。仮に三回生から就活を始めるなら、僕に残された時間は一年も無い。少なくとも創作に関連することを仕事にしたいとは思えなかった。自分の紡いだ言葉や描いた絵を、細切れにして金に換えていく所を想像すると、とても自分には耐えられない気がした。

「親御さん、厳しいん?」

「どうかな……」真彩は適切な言葉を選ぶように首を傾げた。「厳しいって言うほどじゃないかも知れないですけど、色々、言いますね。就職、ちゃんとしなさいとか。勉強とか、習い事とかも、色々、言われましたし」

「厳しいなあ」

「厳しいですかね……厳しいですね」

 母のざっくばらんな喋りに、真彩は観念したように笑った。

「おばちゃんも色々言ってくる親でな、もう家おるのめっちゃいややってん。早く家出たいーって思って、それで男つくって同棲したりな。でもそういう出会い方したらやっぱり上手くいかんな」母はあっけらかんとして愉快そうに話した。「だいだいそんな言われても、子どもは嫌になるだけやん。だからおばちゃん何も言わんようにしてるねん」

 真彩は「それが良いと思います」と肯った。

「あかんおばちゃんまた長いこと話して邪魔してもうたわ」母は口元に手を当てながらリビングの方を見て、ユメに怒られると茶化して言った。「いつも二人で何してるん?」

 僕はぎくりとした。背骨から肩に電撃が上ってくるような感じがする。

「スバル君に絵、描いてもらってるんです」

 真彩は後ろのキャンバスを振り返りながら言った。

「そうやったん、スバル全然見せてくれへんから。おばちゃんも別に聞かへんし。おばちゃん最初、二人付き合いだしたんかと思っててんで」

「全然、そんな感じじゃないですよ」

「でもええなあ。スバル昔はよう絵描いてたもんな。おばちゃんも昔、油絵やっててんで」

 母は何でもないことのように真彩に向かって話し続けた。僕は今すぐにでも部屋のキャンバスや絵の具をどこかに隠して埋めてしまうか、そうでなければ叩き壊して燃やしてしまいたい衝動に駆られていた。


   *


 小学五年生になってすぐの五月、警察を呼んだ事件の後、僕と妹はもちろん母方についていくことになった。母の親戚を頼りに、ほとんど着の身着のままで逃げるように兵庫県に引っ越した。四年生の時に僕が描いた校舎の絵はコンクールで銀賞か何かを獲ったらしかったが、離婚と転居と転校のいざこざでうやむやになり、授賞式に出られないばかりか絵そのものも行方不明になってしまった。

 僕らは初めの一か月ほどを親戚の家に居候させてもらい、ある程度生活の目途が立ったところでマンションの一室に引っ越した。初めてのマンション暮らしや、転校生として学校で過ごすことや、何より両親の喧嘩も酒の匂いも無い平穏な日常は、僕にとって静かな楽しみだった。

 母は大阪以来の人形づくりの内職を続けながら、福祉の専門学校などにも通うようになり、確実に女手一つで子どもを育てるための準備を進めていた。また一方では、親権を寄越せと主張する父との離婚調停のために、裁判所や弁護士事務所を行き来もしていた。

「スバル、ユメ、隣の部屋に行っといてくれる? 母さんちょっと向こうのお祖母さんに電話しなあかんから」

 向こう、というのはつまり父方のことだった。僕と妹は六畳の洋室に入り、リビングで話す母の声に耳をそばだてていた。ただの電話ではない気がした。知らない──そうですか。子どもはうちで育てます。断片的な言葉がいくつか聞こえてきた後、電話を切った母は、静かにしていた僕たちを褒めた。母の笑顔は、何か試験に落ちた人が精一杯に見せるそれに近いものがあった。

 母曰く、父方の祖父母の言い分は、私たちはこの離婚問題には良くも悪くも一切口出ししない、子供の面倒を見るようなことはできない、親権は母が持つべきだと考えている、といったものだという。要はうちは知らないの一点張りらしかった。

 母はちょっと無責任ちゃうかなと吐き捨てた後、あんまりスバルやユメの声聞かせたくないやろ、と僕たちを別室に入れた理由を説明した。僕はずいぶんきっぱりしているなあと感心しただけで、祖父母のことを特に無責任だとは思わなかった。


   *


「ほんならなんや、私はあいつの面倒をあのまま見続けなあかんかったんか!」

 中学二年生の春先のことである。母は激高して僕を怒鳴った。突き刺すように僕を見つめる母の瞳の中に、僕の知る母の姿は無く、そこには自分を蔑ろにするものへの怒りと苛立ちが満たされていた。

 父の居ない平和な日々の訪れたのも束の間、僕は少しずつ学校に馴染めなくなっていった。特に中学校に入ってからそれは顕著だった。興味のない他人と馴れ合うことも、また理念でも理屈でもなく、そうしたどうしようもない馴れ合いによって回っているクラスや学校や社会の中で生きることも、当時の僕には何もかもが苦痛だった。どんなに正しく生きようとしたところで、僕は不快な異物として存在することしかできなかった。

「学校なんかもともと楽しい場所じゃないやろ」

 それが母の言い分だった。母は気持ちの持ちようが悪いだけの問題だと断じ、調停を続けながら専門学校に通い子どもの世話までをこなした自分の苦労の大きさを主張し、最後には、自分は心身を持ち崩したのだと主張していた父を引き合いに出した。

「そんなん、お前の父親と同じやないか!」

 ヒステリックな母の声色には、怒りの中に、自分の息子は父親とは違うはずだという期待が、あるいは違っていてくれなければ困るという切望が、含まれているように聞こえた。

「なんでそうなるねん」

 話にならないと思った。けれども、では自分と父親はどこが違っているのだろうと考え始めると、上手い答えが出てこなかった。

 僕は、その日家出をし、それから学校を休んだ。

 何より僕は絵を描くのをやめた。美術部を退部し、絵の具も筆も、パレットもバケツも雑巾も色鉛筆も、過去に自分が絵を描いた紙も、スケッチブックもクロッキー帳も、机の奥に眠っていたクレパスやマスキングテープまで、僕の絵に少しでも関係するものは全部処分した。たとえどんなに小さい物事だったとしても、母の前に父の残り香を醸すことが、僕には恐ろしかった。代わりに僕は、人目を忍びながら小説を書くようになった。


   *


 流れ続ける汗を拭きながら、長屋の表札を一軒一軒確かめていった。一歩踏み出すたびに、足元の砂利道が無邪気な音を立てる。僕が足を止めると、辺りは蝉の声が遠くに響く以外には静寂に包まれた。夏の盛りは過ぎたが、まだまだ暑い九月だった。

 三軒目、ポストの所の小さな表札に「中島」と書かれていた。中島は、僕の旧姓である。やはり僕の記憶は間違っていなかった。

 なぜ今日ここに来ようと思ったのか、僕はいったい何を求めているのか、自分でも解らなかった。ここに来るまで列車を乗り継ぎ、駅からは炎天下を歩き、僕の中で拡散していた十余年前の記憶が少しずつ結晶していくのを感じながら、道すがら常に頭を過ぎるのは、未完成な真彩の似顔絵の数々だった。

 玄関の隣には旧式の、小さいボタンだけのインターホンがあった。白くて丸いボタンは、世界にぽっかり開いた穴のように見える。このボタンを、押すべきか。

 引き返すなら今だ。そもそも在宅かも分からない。それで耳をすましてみると、中から微かにテレビの音が聞こえてきた。心臓が高鳴る。全身がどくどくと拍を打って、血液が喉元を駆け上がって来るのがわかった。これではまともに喋れるものも喋れないと思い、深く息を吐いて、吸って、三十秒か一分くらい身体を落ち着かせた。それでもまだ二、三回躊躇して、伸ばしたり伸ばさなかったりした指で、僕はやっとインターホンを押した。ピンポンではない。キンコンと、鐘の音が鳴った。

 テレビの音が途切れる。「誰やろう」という声が聞こえ、足音がゆっくりと近付いてきた。何を話すべきか、考えようとしたが大してまとまらない。すぐにがらがらと玄関の引き戸が開いて、老齢の男性が出てくる。淡い水色の縦線が入った、パジャマのような服を着ていた。すぐには判断がつかなかったが、祖父だと、僕の記憶は告げていた。

「こんにちは」

 何かを取りこぼすように言う僕に、祖父は怪訝そうに顎で小さく挨拶をした。祖父は僕が孫であるとは気付いていないらしく、ただ出しぬけな来客に驚いていた。

「あの、スバルです」

 はい? と聞き返された。何をどう伝えれば良いのかが全く分からなくなった。頭のあらゆる引き出しが真っ白く凍っている。

「中島スバルを、おぼえていますか?」

 祖父は目を見開いた。

「うん、憶えてる」

 それからすぐに「スバルか?」と僕に聞いた。僕はただ、そうですと答えた。祖父は死人が動いているのを目の前にしたように固まっていたが、大きく息をつくと、

「そうか、とにかく上がり」

 残りの息を全部使いきるようにゆっくりと言って、僕を居間に招き入れてくれた。僕が玄関で靴を脱いでいると、祖母が「誰やー?」と祖父に聞きながら奥の台所から出てきた。

「スバルや、スバル」

「は?」

 祖母は何を意味の分からんことをとでも言いたげだったが、僕の姿を見ると大きく口を開け、しばらく祖父と同じように固まった後「ははあ、スバルか」と嘆息するように言った。

 祖母は客用の座布団を持ってきて勧めてくれ、すぐに台所に引っ込んでいった。僕は礼を言って居間のちゃぶ台の前に座り、ひとまず祖父母が僕を憶えていて、今の僕を受け容れてくれたことに安心しながら、長屋の中を見回した。僕から見て正面奥には和室があって、縁側にかかった簾の隙間から、木漏れ日のように日光が差し込んでいる。息を吸うと、鼻の奥が温かくなるような畳の匂いがした。もっとも、僕に昔を懐かしむような余裕はなかった。

 右手の台所から出てきた祖母が、正座の僕に「崩し、崩し」と何度も言いながらグラスに麦茶を入れてくれた。僕がなるたけ遠慮しないように気を回してくれているらしかった。祖父も祖母も、僕の記憶より腰も曲がり、皺も増え、何より目尻が下がり穏やかさの増した目つきに十年分の歳月を湛えながら、しかし面影はそのままだった。

「どうやって来たん、覚えてた?」

 台所から出てきた祖母が座布団に座り、改めて驚いたという風に尋ねる。祖父は身体が悪いのか、向かいのリクライニング椅子に腰かけていた。僕は地図アプリを見たとかの難しい説明は省いて、何となく道は覚えてましたからと答えた。それをきっかけに少しずつ祖母が話し始めた。祖父はあまり喋る方ではなかった。

 とにかく元気で良かったというのが最初の話題だった。お母さんは元気してる? 妹のユメは、母方のおじいさんおばあさんはと聞かれ、僕はみんな元気にしていると伝えた。僕は母や妹はともかく、母方の親戚の名前まで祖母の口からすらすらと出てきたことに驚いた。十年の隔たりを越えて、祖母が僕らとの繋がりを今も大切に持っている、本当の部分に触れたという気がした。

 祖父母は二人揃って「元気ならそれが一番ええ」と言い、あたしらの身体は悪なるばかりやと付け加えた。特に祖父は脳梗塞で二度、倒れているらしい。右半身が不随で、今はゆっくりとなら何とか歩けるようになったがそれも奇跡に近い回復なのだという。祖父の口数が幼い頃の記憶と比べて少ないのも、この脳梗塞の後遺症らしかった。

 僕はやはり今日来て良かったと思った。ことによれば祖父は、既にこの世の人ではなかったかもしれない。

「お父ちゃんとは行き来はあるの?」

 僕が一瞬きょとんとすると「永吾とは」と祖母が補った。

 永吾──中島永吾は、僕の父だ。僕は十年の間に、自分の中の父親という概念も、父である永吾の姿も、ずいぶん揺らいでしまっていることに気付いて悲しくなった。僕は離婚調停のときに一度だけ顔を合わせて以来、永吾とは全く関わりがなかった。

「父さんとは、もうずっと会ってないです」

 父さん、と久々に出した言葉の形が、自分の口にぴったり合っていかない感じがした。

「そうか──あたしらも、もう永吾とは全然行き来は無いねん」

 そう言って祖母は、離婚後の永吾の顚末を語り始めた。両親の離婚後、祖父母はまず第一に「みっちゃん(これは祖父母が僕の母を呼ぶ時のあだ名だった)や子どもらには絶対ちょっかいかけるなよ」と、永吾に念を押したそうである。

「それから福祉受け言うたんや。あんたこのままじゃ死ぬでって。福祉貰って、それで一人で自立して、真っ当に生きなさいって」祖母は生活保護のことを福祉と言うらしかった。

 その後祖父母は、永吾がアパートを借りるのにどうしても必要な保証人だけは引き受けた。

「親やから、それくらいの事はな」

 それから永吾は誰か年上の女性と一緒になったが、その女性は不幸にも身体を悪くして亡くなってしまったらしい。今は独り身で、一昨年の大阪府北部地震の時に「大丈夫か」と電話があって以来、連絡を取り合うこともないのだという。

「永吾、あんな感じやけどな、スバルやみっちゃんの側が思ってるほど、悪い子やないんよ。みっちゃんに手かけたなんか聞いた時は、あたしらえらい驚いた。それくらい、性格はええ子やねん。ただ酒よう飲むのと、自分の思い通りにならんかったらカーッとなるのと、そこがあかんかったなあ」祖母は茶飲みを手に目を細めて言った。

 永吾は勉強もできて、真面目で、性格も優しい子だったという。中学では生徒会長をやり、外で悪さをするようなことも無かった。「家でひとりで大人しく何か作ったりする子どもでな。今で言うあれやな、お父さんあれ何て言うの、あの──引きこもり。引きこもりみたいな子どもやったわ」

 祖母の話を聞きながら、僕はいつしか心の中で永吾と自分を重ねていた。

「あたしらの頃はそんな名前付いてなくてな、なんでこの子ずっと家におるんやろうって、解らんかったんよ。でもそれで甘やかしたのが悪かったか分からんな。あたしらの育て方も悪かったんやきっと」

「そうやなあ。みっちゃんも、君も、あの時は、往生したしなあ」おもむろに口を開いた祖父は、脳梗塞のせいか、言葉を一つひとつどこかから取り出してくるようにゆっくりと喋った。

「なあ、お父さん。でも、みっちゃんはほんまにええ子やからな。それで子どもまでこんなに立派に育って──」

 祖母は最後まで言い切る前に両手で顔を覆ってしまうと、おうおうと嗚咽を上げた。自分の姿を見て涙を流す人がいるとは思っていなかった僕は少し面食らってしまったが、涙を拭う祖母の話をじっと聞いていた。


   *


「スバル、ぼちぼちだんじり見に行こか」

 祖母の言葉を聞いて、僕は飛び上がるほど喜んだ。

「ダイエーの所でやり回し見れるわ」

「スバルはだんじり好っきゃなあ」祖父が目も口も糸のように細めながら笑った。

 僕たちは家族で鳳の祖父母の家に来ていた。父と祖父が家に残ることになり、母と祖母と妹と、四人で地車見物に出かけることになった。いくらか雲が出ていたが、人肌の風が心地よい秋晴れの日だった。

 僕たちは一度鳳駅前に出てから、熊野街道の踏切を渡って、町を阪和線の反対側に向かった。町中が熱を帯びて、祭り一色に染まっていた。そこかしこに各々の町の法被を着た男たちがたむろし、紅白の幕が張られ、地車が駆け抜けるメインストリートとなる熊野街道には無数の白い提灯が途切れることなく掲げられていた。

 踏切の横では臨時のテントが張られ、背中に「連合」と書かれた緑の法被の男たちが、警備の赤棒を持ったJRの職員と連絡を取り合っている。

「だんじりが通れるか、電車が通れるか、タイミング次第でどっちが勝つか変わるねん」

 祖母がまるで地車と電車が怪獣同士で戦っているかのように解説するのが面白かった。

 鳳だんじり祭りは十月初めの金土日に三日間かけて催され、十台の地車が参加する大規模なものだった。期間中は各町の地車が町の至るところで、角を猛スピードで曲がるやり回しを披露する。

 僕たちが到着すると、交差点にはもう人だかりができていた。妹があまり人混みに行きたがらなかったので、僕は祖母と二人で前方へと進んだ。交差点の真ん中には既に、地車の足跡とも言える木屑の筋が何本も残っている。

「続いて野田区だんじり、交差点内入ります」

「野田や! ばあちゃん、野田きたで」

 野田区(鳳連合では、それぞれの町を「区」と言い表す慣習があった)は、祖父母の家のある鳳駅の西側一帯の地域だ。曳き手たちの服装は、白い股引に上半身が黒で、法被の腕と腰の辺りには太い真っ赤なラインが入っている。白黒紅のバランスが良く格好良いデザインだった。また地車の方は「昭和の名地車」と呼ばれていた。屋根の破風にある獅子噛と呼ばれる彫り物が特に立派で、念入りに彫り込まれた獅子の毛並みが炎のように力強く靡いている。野田の地車は、僕らにとって一番身近で、応援したくなる存在だった。

 地車は交差点の手前でブレーキをかけて停止する。百メートル以上ある綱を手にした何百人の曳き手たちが、地車が通るはずの道に合わせて曲線を形作った。鳴り物のリズムが最も遅いものになり、沿道で盛り上がっていた観衆も静まって、やり回しに臨む地車の姿を今か今かと見守るようになる。地車の左右に座った篠笛が狼煙を上げるように甲高い笛の音を鳴らしだすと、観衆の期待は一気に高まった。

「張れ! 張れ張れ張れ!」

 追い役と呼ばれる男が団扇をはたきながら発破をかけると、曳き手が一斉に綱を張る。みなぎった力が限界まで達した時、青年団長が高く団扇を掲げた。

 地車が発進し交差点に飛び込んだ。交差点内にはソーリャソーリャ、行け行け、走れと色んな声が響き渡る。鳴り物が加速し、大太鼓が畳みかけるようにリズムを刻んだ。カーブの内側では、タカリと呼ばれる男たちが迫り来る遠心力に備え、地車にしがみ付いている。

 屋根の大工方が大きく跳ねて団扇を叩き合図を出すと、地車後方の男たちが肩を組み、雄叫びを上げながら後ろ梃子をカーブの外側へ振り回すようにして舵を取った。男たちの何人かは僕たちのいる歩道の方へ投げ出され、めちゃめちゃに転がる男たちを待機していた追い役が全身で受け止めた。

 華麗なやり回しは、しかし時として事故に繋がることもある危険な技だった。曳きが足りなかったり、後ろ梃子の息がずれたりすると、途端に地車はあらぬ方向に突進した。大きな事故にはならずとも、足元の狂った曳き手が転んで、綱を掴んだまま腹ばいになってアスファルトの上を引きずられていく光景などは茶飯事だった。見ているだけで痛々しいが、手を離せば待っているのは数百の足の裏と重さ四トンの地車である。死んでも綱は離すなというのが、地車っ子が九九より先に叩き込まれる鉄則だった。

 人っ子一人ではびくともしないものを、何百人の力の渦の中で曳きまわすのが地車祭りだ。あの中に飛び込んだとして、自分はいったいどれくらいの役割を果たせるだろうか。何もかもが思い通りにはならない中で、それでも我を忘れ全力を振り絞る人々の力によって、地車は前に進んでいくのだった。

 全速力の野田の地車は、時間にして十秒も無いほどの間に見事にカーブを曲がりきり交差点を出た。やり回しが決まり、観衆と曳き手たちの爆発的な喜びが辺りを満たした。

「よっしゃ! キレイに決まったなあ、スバル」

 祖母が冷めきらない興奮を見せながら僕に言う。僕は言葉にならない声を上げながら、走り去っていく野田の地車をその姿が見えなくなるまで見送り続けた。


   *


「あんたには全部、全部話すわ」

 涙の落ち着いた祖母は、僕に永吾の歩んできた人生について話してくれた。まず聞かされたのは、母との結婚は、永吾にとって初めての結婚ではなかったということだ。

「知ってるか? やっぱり知らんか」

 そういう話を聞いたというはっきりとした記憶は無かった。

 母と結婚するまでに、永吾は二度結婚し、離婚していたらしい。家庭も、仕事も、なかなか長続きはしなかった。とにかく自分の思い通りにならないことをすぐに言ってしまう性格が良くなかったのだろうと祖母は考えを話した。

「一回目の結婚が、Aちゃんやな。同じ高校の。その子もいきなり連れて来よってな。結婚したい言うて。その時に、日本の人と結婚するので、帰化することになってん。あたしら韓国籍やったから。永吾が『帰化したいねん』言うから、永吾が言うなら、あたしらそれは賛成やってん。な、お父さん」「うん、そうや」「これでいつ子どもできても安心やなぁ言うててんけど、結局Aちゃんと子供はできんでな。それからなんやえらい喧嘩して、そのまま別れてもうたわ。でも手えかけたりは絶対せんかった。そんなんみっちゃんの時が初めてで、あたしらほんまにびっくりした」

 永吾は三度目に母と結婚して、やっと初めての子である僕が生まれた。その時は仕事も比較的上手くいっていて、やっと腰が据わったかと安心していたのが、結局こうなってしまった。というのが、祖母の話だった。僕は、僕が生まれた時の父の喜びを静かに想像した。

「魚屋に勤めてたやろ。あれは上手くいくと思っててんけどな」

「あそこの、親方と仲良くなって、これなら大丈夫や思ってんな」と祖父が補った。

「ほんでみっちゃんに手かけたやろ。こんなん癖付いたら大変やと思てな、自分の思い通りにならんで、カーッとなる子やったけど、そんなもん人に手えかけたなんか言うたら、お前豚箱行きになってもなんも文句は言えんぞって、あたしその時はほんまに怒ったんや」

 祖母は顔を赤らめて、もう一度永吾を叱るように話した。

 それから今度は祖父が口を開いた。

「離婚して、裁判やったやろ。親権が欲しい言うて、永吾が。そんなもん、何考えてるんやって怒ってな。お前が子供なんか、育てられるわけないやろて。みっちゃんが育てる言うたやろ。そうするべきや、言うてな」祖父は顔の横で手を動かしながら、自分の記憶と言葉をひとつずつ確認するように喋った。

 祖父のあとを祖母が引き継いだ。「それで離婚する時もあたしらは、よう考えなさいって言ってん。あんたら二人離婚して、別れるのはええけど子供らはどうするつもりや言って。あたしらは生活も苦しいし、スバルら育てられる自信なんか無かったから、あたしらで引き取ることはできひん。それで永吾はあんなんやろ。せやから永吾のとこに子供やるわけにはいかへん。永吾に、親権をな、やるくらいなら、この子らは施設に入れたる方が良い言うてな」祖母はまた涙ぐんだ。情けなさと申し訳なさの混ざった、切ない声を震わせていた。「そしたらみっちゃんは『私が育てる』って。それが正解。『私、子供だけは絶対に手放せん』って言うたんや。それが、正解や。ほんまにみっちゃんはええ子でな。それであんたもこんなに立派に育って……」祖母は再びこらえきれない熱い涙を流した。「みっちゃんにはほんまに、感謝や……」

 僕も涙をこらえながら祖母の話を聞いていた。母という存在の美しさと、抱いた子どもへの強い想いに、僕は初めて生身で向き合った気持ちがした。

 また離婚の時の祖父母の対応が、単なる無責任によるものではなく、明確な祖父母の方針によるものだと判ったことも、僕にとっては幸いだった。父と再会して執着されるような事態になっては、僕だけでなく家族にも迷惑がかかる。きっぱりした祖父母なら、会いに行っても大丈夫だろうと考えて、今日は来たのだった。

 話は永吾の昔のことに移った。永吾は、兄弟にも疎まれている節があったのだという。

「永吾は、何にでも首突っ込みよるやろ。ほんでなんやかんや言いよるからな。兄弟とも仲悪かったんや。一番上が永一って言うてな、永一も中学で生徒会長やったな。ほんでええ大学行きよったんやけど、あたしらが兄ちゃんばっかり大事に構うのが、気に入らんかったんやな。永吾がえらい怒りよって。せやからあたしらは『あんたも行きたいところあるんやったら行き、兄ちゃんだけやない、あんたにもちゃんと学資は出したる』言うてな。それでモード学園行って、服飾やったんやな。二年も行って、兄ちゃんよりも学費高くついたんや。せやけどそれは構わん。ほんで服飾の仕事行ったけど、すぐ辞めてもうてな。どうしたって訊いたら、自分の思う人間関係やない言うんや。せやからあたし『あのな、あんたの思うような人間関係なんてな、無いで』言うて。そんなんやから仕事も続かんかってんけど、みっちゃんと結婚して、あんたも生まれて魚屋に行ってたやろ。あたしらこれでやっと落ち着いたと思ってな。スバルが産まれた時には、あたしらほんまに嬉しかってんで」

 僕は祖母の話にちょっと恐縮した。まるで歴史上のできごとを聞いているようで、自分の誕生がそれほど誰かに喜ばれ祝われていたとは、なかなか実感が湧かなかった。

「せやけどあたしらのその、行きたいとこ行かせて、学資さえちゃんと出したればええって思ってたところがあったけど、あれは良くなかったんか分からんな。永吾もあないなってもうてな」祖母はちゃぶ台に目を落としながら後悔を語った。

「ごめんな、長いこと話してもうたな。スバル、コーヒーでも飲むか? お父さんも」

 僕がコーヒーを頂くことにし、祖父もうんと頷いたので、祖母は三人分のコーヒーを台所に入れに行った。

「せやけど永吾は、手先なんか器用やな。あんたも絵とか描くやろ。そういうところは永吾に似たんかわからんな」祖母は台所から背中越しに話した。僕は両親の良いところをそれぞれ受け継いだかもしれないと祖母は続けた。「みっちゃんはええ子やろ。あんたは大人しいし、性格はみっちゃんに似たんかわからんな。ほんまに、永吾に似んで良かったわ、あの性格だけはほんまに」

 僕は性格の面でも、特にこだわりの強さなどには父の影を感じることがよくあった。けれども今はそれは黙っていることにした。

「よう白い紙出してきて、だんじりやら、何やら、よう描いとったやろ。あれもなかなか上手かったでな」

 祖父が思い出すように言った。幼い頃、僕はこの長屋の居間で、A4のコピー用紙を何枚も横に繋げて、長い長い曳き手の行列とだんじりを飽きることなく何度も描いた。

「最近は絵はそんなになんですけど、大学で小説書いてます」

「そうかあ。小説やったら、色んな人に、読んでもらわなな。出版社か? 断られても、なんべんでも持って行ってな。スバルはちっちゃいころから、頭も良かったやろ。そういう力は持ってるはずやからな、これからも頑張っていけば、きっとすごい人になるわ」

 祖父は自信を持って何度も頷いた。祖父は瞳の中の僕に、遥か未来を見ているようだった。

「十月なってだんじり通る度に、お父さんと、スバルも見に来てたのになあて言うてたんや。それが今日こんな風になるやろ。な、お父さん、長生きしてたら、ええこともあるやろ」

 祖父はうんうんと頷いた。

「スバルもこうして育って、会いに来てくれて。わしは、嬉しいよ。みっちゃんに、よろしく言っといてな。わしら二人とも、ほんまに感謝してる言うて」

 話題がいくらか落ち着いた後、祖母は僕に菓子やら今晩食べるつもりで作っていたおでんやらを振舞ってくれた。こんな機会で緊張しっぱなしでお腹が空くどころの話ではなかったが、朝から何も食べていなかった上に話詰めだったので、ひとくち食べると箸は進んだ。祖母はしきりに薄味を気にしたが、あっさりして美味しいおでんだった。

 都合三時間ほど祖父母と話して、僕は長屋を後にすることにした。

「またな、気が向いたらおいでな。ほんまに、無理して来たりせんでええで。もう、一回おばあちゃんらに会うて、それで満足やからもうええわと思ったらそれでええしな。また来たいと思ったら、こっちはいつでも来てくれたらええけどもな」

「まただんじりの頃に来ます」

「それがええな、今年はコロナで無くなってもうたけども。今日ばあちゃんらに会うたって、お母さんにはしばらく内緒にしときな。色々思い出して気が動顚するようなことがあったらいかん。ほんならな。元気でな」

「おじいちゃんおばあちゃんも、元気してくださいね」

 僕は狭い玄関でちょっと苦労して靴を履いてから外へ出た。祖父母は僕の姿が見えなくなるまで、玄関先で僕を見送ってくれた。


   *


「今日病院行ってきたから、駅前で美味しいパン買ってきたわあ」

 母が買い物袋を僕の目の前のテーブルに置きながら言った。母が通っているのは、駅の向こう側にある心療内科である。通院のついでに毎回、行きつけのパン屋に寄って帰って来るのだった。

「まーやちゃん元気?」

 母の物言いはあけすけで、話題は山の天気のようにきまぐれに変わった。

「元気ちゃうん。忙しそうやけど」

「忙しいか、うちで良かったら息抜きしてくれたらええわあ。母さんも楽しいし。スバルも絵なんか描くん久しぶりちゃうん」

 総菜パンと菓子パンを別の袋に分けながら、機嫌良さそうに母は言った。

 僕はいれたてのコーヒーを一口勢いよく飲んで、努めて何でもないように話した。

「うん。今までそんな、描きたい気分にもならんかったから」「そうなん」「昔よく、ほら。父さんと描いてたやん。やから、あんまりな」

 僕は父を何と呼ぶか迷った。永吾と呼んだ方が良いかと思ったが、結局父さんと言うことにした。母はちょっと真面目な顔をして、パンの袋をよけると僕の向かいに腰かけた。

「そやったん。まあ、あんな人やけど、スバルは父さんの良い所を受け継いでると思うで。今は楽しく描いてるん?」

「まあ、うん」

「やったら母さんそれが一番嬉しいわあ」

 いざ話してみると何でもないことだと思った。懐かしむように笑う母を見て、僕はじんわり泣きそうになった。僕は母が父を悪い方向だけに評価していないことが意外だった。

「そら、結婚するくらいやから。最初から変な所ばっかりやったわけじゃないで。ただ気が小さいとこがあったなあ。自分の理想とかプライドが高いのに、追い付けんかったんちゃう。ギターやるとか言ってたやろ」「言うてた」「あれももっと売れるはずや。自分はできるはずや。って、焦ってるとこがあった」母はいつになく分析的に話した。

 母はそのまま父の仕事について話を聞かせてくれた。父は市場の魚屋で働いていたのだが、もっと上の卸売業者からの引き抜きがあったのだそうだ。人の懐に入るのが上手い性格で店の人間には気に入られていたが、一方でその期待は父に重責となってのしかかった。と言うより、父はかけられた期待を自分の中で重責に変えてしまっていた。

「骨折したあと休職して、戻ろうとしたけど、プレッシャーに負けたみたいな感じであかんくなったなあ」

「そろばんとか行ってた頃やんな」

「行っとったなあそろばん。あんな家にスバルら居らせたくなくて、色々行かせててん。ずっと喧嘩して酒ばっかりやったやしなあ」

 もちろん母は酒をやめるよう父を何度も説得しようとしたが、努力も虚しく父のアルコール依存は悪化するばかりだった。母が酒を隠すと、父はキッチンの料理酒にも手を伸ばし、あらゆる方法で酒を手に入れようとした。

「スバルらの貯金箱からお金取ってまで酒買いに行っとったわ。母さんもうその頃財布枕の下に入れて寝ててん。そしたらわざわざ起こしに来て、酒じゃなくて『タバコ買いに行く』って言うねん。タバコはそこにあるって何回言っても、金渡すまで聞かへんかった。そんなんやったしそろばんとか、シオリさんの所行かせてもらったりとかな、あれシオリさんにも申し訳なかったわあ」

 当時、片親になるのは子どものために良くないと考えていた母は、僕らの高校卒業までは辛抱するつもりだったのだそうだ。「いま思ったら、あんなとこに高校までおったらえらいことやったな」と母は苦笑して付け加えた。

「もう一回戻れたら、もうちょっと上手くやるんやけどなあ」

 母は頬杖をついて菓子パンをつまみながら言った。もっと早くに父と別れるとか、もっと子どもを構ってやるとかできたのにと、後悔というよりはただ昔を振りかえるような表情で言った。

「引っ越してからも、裁判行ったり介護の学校行ったり、ほったらかしやったもんなあ」

 僕には特にほったらかされていたような記憶は無かったのでそれを伝えた。母は僕らのための家事を欠かすことなくこなしながら、社会福祉士の資格を取り働きだし、その傍ら人形作りの内職も続けていた。母が心身の調子を崩して心療内科に通い始めたのは、僕が中学を卒業する少し前のことだった。以来、母は社会福祉士の方の仕事は辞め、人形作りの仕事だけを生業にしている。

「もっと色々してあげれてたらなあ。何か今からでもして欲しいこととか、ある?」

 母は優しく首をかしげた。

「ううん。母さんには、感謝してる」

 僕は何度も頷いた。泉が湧き出るように頬から自然な笑みがこぼれた。心が鋼のように強く熱を持って、生き返ろうとしているのがわかった。


   *


「七時間も八時間も電車に乗るだけですよ?」

「良いやん。連れてってーや」

 真彩のあまりに思い切りの良い答えに、僕は圧倒されていた。

 きっかけは真彩の就活の話だった。真彩はいつも通り絵のモデルをやりながら「この前、東京行ってきてん」と投げ出すように言った。それを聞いて僕は、真彩が本当はずっと遠く手の届かないところに居るような、忘れかけていた冷たい感覚に襲われた。ひたすら真彩を描き続ける日々も永遠ではないことを改めて思い出すと、自分が日常の円環から切り離されて零れ落ちていくような恐ろしい心持ちがした。

 僕の複雑な表情を憧憬のようなものと受け取ったのか、真彩は「夜行バスやけどな」と付け足した。夜遅くに大阪を発って、朝の六時くらいには東京駅のはずれの駐車場に降ろされるのだという。バスの駐車場について、そこだけ焼け野原みたいな広場だと真彩は言った。

 それで僕も、フリー切符で普通列車に乗って八時間かけて東京まで行ったことがあると話したのだった。真彩は列車の旅に俄然食い付いてきた。

「海! 海の街に行きたい」

「須磨じゃだめなんですか」

「もっと遠くが良い」

 真彩たっての希望で、僕たちは列車に乗りひたすら西を目指すことになった。

 蒸し暑かったが、台風が近いらしく風が吹くと涼しい日だった。僕が最寄り駅まで迎えに行くと、真彩は改札口の前で僕を待っていた。淡い花柄の白いワンピースに、黒いキャップを被っている。思えば学生になってから真彩の私服姿を見るのは初めてだった。

「素敵じゃないですか。私服も」

「ほんま? ありがとう」

 真彩が長いワンピースの裾をひらひらとなびかせる。揺れる薄い布が、窓際に吹き込む夏風を思わせて涼しげだった。

「電車の旅って何がそんなに良いん」

 新快速で隣の席に座った真彩が口を開く。列車は須磨の海岸をかすめながら快走していた。窓から見える景色はうっすらと曇っていて、砂浜の波打ち際で白波が立っている。

「許されてる感じがします」

「誰から?」

「世界」

 列車に乗って、他に何が無くとも移動という使命を帯びている時間が好きだった。あてもなく列車に乗り続けている間だけは、日常のあらゆる瑣事から解き放たれたような気持ちになれる。すべてが自由で、自分自身の存在そのものを謳歌できるという気がした。

「真彩の絵を描いてる時と一緒です」

 僕たちは姫路、相生、岡山とどんどん列車を乗り継いだ。姫路から先は、大阪では見ることの無い昭和生まれの車両になって、僕と真彩は羊羹みたいな色をした直角のボックスシートに向かい合わせに座った。古い列車のバネが、ぐりんぐりんと軸を持った揺れ方をする。狭い椅子で、ちょっと油断すると真彩の小さな膝頭にぶつかりそうになった。

「糸崎行き──何県なん糸崎って」

 真彩は乗り換えのたびに目を覚ましつつ、列車の時間のほとんどを窓枠に頬杖をついて眠って過ごした。恐らく連日の就活やらで疲れ果てていたのだろう。僕はなるべく真彩を起こさないように、子どものように遠慮なくうたた寝を続ける真彩の顔をぼんやりと眺めていた。

 僕たちは昼過ぎにやっと尾道に着いた。駅を出るとロータリーのすぐ向こうがもう海で、頻繁に行き交う船や、それぞれ好きな方向に腕を伸ばす造船所のクレーンのシルエットが、生き物のように豊かに見えた。ぬるい潮風が耳の周りにまとわりついて波の音を運んでくる。

「海! 海やん」

 真彩は上機嫌だった。足取りにはさすがに長旅の気怠さがあったが、表情はすっかり晴れていた。

 僕たちは気が済むまで海沿いを歩いた後、辺りを見渡せる展望台を目指すことに決めた。山陽本線の線路の裏手に、千光寺山という小高い山がある。僕たちは踏切を渡って、緩やかな石畳の階段を登っていった。

 尾道は坂の町だった。海辺まで差し迫った山に、風情のある瓦屋根が段々になってへばり付いている。階段の途中で後ろを振り返ると、漆喰や木の建物の間から、光の粒を撒いたように眩しくきらめく瀬戸内の海が見えた。

 長い坂道で余すことなく陽光を浴びた背中からは滝のように汗が流れた。真彩も僕ほどではないものの頬に汗を流しながら、しかし伸び伸びと足を踏み出し、気丈に坂道を登っていた。

 山道に入ると何とか木陰で涼めるようになった。文学のこみちといって、つづら折りになった道の脇に、志賀直哉や十返舎一九などの文学碑が並んでいる。

「松尾芭蕉おるで」知り合いでも見つけたように真彩は言った。

 芭蕉の碑には『うきわれを寂しがらせよ閑古鳥』と詠まれていた。

「うきわれって何」

「憂き我でしょう」

「どういう意味なん」

「泣きたい時に思いっきり泣けたらいいのになあとか、そんな感じじゃないですか」

 真彩はふうんと息をついて、しばらく石碑の前にしゃがんでいた。

 僕たちは高台に登って尾道を一望した。夏の高い空の下に、尾道海峡と瀬戸内の小島の群れが遥か遠くまで繋がって続いている。山と海の隙間を埋めるように広がる尾道の街が、箱庭のように見渡せた。真彩はキャップ帽を抑えながら、ほのかに磯の香りを含んだ山頂の風を心地よさそうに浴びていた。

 下山にはロープウェーを使った。山を下りた僕たちは、ニス塗りの木材の匂いがしてきそうな古風な商店街を歩き、片道たった六十円の向島への渡し船に乗り、三時間ほど尾道でくつろいで帰途についた。滞在時間の倍以上は列車に乗っている一日だった。

 帰りの列車で、真彩は窓を上げてしまって、黒い髪が乱れるのも気にせずに潮風を浴びながら車窓を眺めていた。

「私な、ほんまはスバルが羨ましかってん」

 真彩はひとり言のように呟いた。傾いた太陽が尾道の町を、海を、造船所のドックを、向島の山を、黄金色に照らしている。

「初めて会った時から、絵描いてたやん。別に誰に言われたわけじゃなくても、やりたい事があって。自分を持ってるって感じが羨ましかった」

 開いた窓から列車の轟音が押し寄せる中で、真彩の声は僕の耳に驚くほどクリアに響いた。僕は口を挟むようなことはせず、黙って真彩の話を聞いていた。

「お母さんも、基本何も言わん人やん。それも羨ましい──羨ましいだけじゃなくて、ありがたかってん。しんどい時に何も言わずに迎え入れて、ほっといてそのまま居させてくれるのが」

 居場所だった、と真彩は言った。僕はじっと真彩の横顔を見ていた。車窓を向いた真彩の視線に今までのような鋭く尖ったところは無く、瞳は輝く海の波々を映していた。

 真彩の母は、真彩を想って色々な習い事をさせ、勉強にも遊びにも付きっきりで真彩の面倒を見た。仕事の忙しい父も、それくらいしかできないからと言いながら、糸目をつけずに真彩にはお金を出してくれた。色々な場所に旅行し、行く先々でお菓子箱のように様々な予定を詰めて、たくさんの写真を撮った。「それで私、作り笑い上手なってんで」と真彩は寂しそうに苦笑した。

 真彩の母は、勉強もでき、教養もあり、手先も器用だった。今日真彩が着ているワンピースも真彩の母が縫ったものだという。僕は感心したが、真彩は、ほんまはあんまり着たくないねんけどな、と吐き捨てるように言った。

 真彩の母は、真彩のやりたい事なら、何でもやらせてあげたいと言った。

「でも私、空っぽやってん」

 自分が何をしたいのか、わからなかった。今もそうだ。リクルートスーツを着て、靴擦れができるまでパンプスであちこち駆け回り汗だくになりながら、本当は目指したい自分の姿なんて少しも見えなかった。ただ何となく生きていくためだけに、高いハードルをいくつも飛び越えさせられた。

「だから私、スバルが純粋に私を見ようとしてくれるのが、嬉しかった」

 真彩は話しだしてから初めて、僕を真っ直ぐな視線を向けた。僕は決して目を逸らさなかった。

「帰ったら、真面目に自分のやるべきこと、探すわ」

 真彩は自嘲するように口から息を漏らすと視線を落とした。手元のスマホで今日撮った写真をスクロールしている。

「僕はずっと、逃げてたんです」

「私にやろ? それで良いよ」真彩は顔を上げずに答えた。

「違う。僕は逃げてた。現実から逃げて、夢から逃げて、過去からも未来からも、傷付くことからも傷付けられることからも、愛することからも愛されることからも逃げて、父さんから逃げて、母さんから逃げて、自分から逃げて。真彩からも、逃げてた。それに気付けたのは、真彩のおかげ」

 僕はほとんど夢中で話した。真彩はいつの間にか僕を見ていた。

「ありがとう、真彩。僕はもう逃げません。だから一緒に、探しに行こう。面白いものもつまらないものも、綺麗なものもそうじゃないものも、全部」

 真彩は仕方なさそうに、あるいは満ち足りたように、僕に微笑んだ。

 僕は網棚に上げていたカバンを下ろしてきて、中から手帳を取り出した。その内の一ページを、破れないようにできるだけ綺麗にちぎって真彩に手渡す。

「プレゼントです」

 それは真彩の似顔絵だった。

 行き道、眠る真彩の姿を、前後左右にめちゃめちゃに揺れる古い列車の中で苦労して写した。机も無いので、手帳を持った腕をできる限り動かさないようにして必死に描いた。線は震えに震えて、濃淡もおかしなところが無数にある。マスクで隠れて見えない所は、僕が勝手に想像して描いた。口元には、鉛筆が逃げるようにずれてしまったのを良いことに、無邪気なよだれを垂らしておいた。でも我ながら、特徴は掴んでいるんじゃないかと思う。

 僕の絵を見た途端に、真彩は人目もはばからず、けたけたと笑いだした。おかしくて堪らないらしかった。真彩の笑い声が、ビー玉のように列車中に転がっていく。

「似てない! 全然似てない!」

 笑い続ける真彩を見ていると、僕までおかしな気持ちになってきた。東へ走る列車の中で、僕らは大声でけたけたと笑い続けた。

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ととせはたとせ ぐすたふ @kappa_suibotsu

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