第16話 願う日常
「いや、楽しかったな」
「……あぁ」
帰り道、大分西に傾きかけた日の光を浴びながら歩く二つの影。
笹部彬と津川冬夜。
ピクニックの後、冬夜は夕飯の買い出しの為にと桜達と別れたのだが、彬はそんな冬夜に同行を申し出たのだった。
「こういうのもたまには良いだろ?」
「あぁ」
語りかけてくる彬に対して、冬夜はさっきから素っ気なく頷いて返すだけである。無愛想で、ともすすれば会話を拒絶しているように取られても仕方がない反応だった。
だが、彬はそんな冬夜に嫌な顔一つ見せず、むしろ楽しそうでさえあった。
二人の過ごした時間は、一週間にすら満たない僅かな間に過ぎない。それでも彬は黒衣の少年の人と為りを十分に理解しているのだった。
「いいところだっただろ? 春の花見も綺麗だけど、秋になると紅葉が凄いんだぜ?」
「そうなのか? それは……」
見てみたいな、と、言おうとして、彼は言い淀んだ。どんなにこの一件が長引いたとて、彼がこの地で彼らと共にそれを目にすることはないのだ。
「花が咲いたらまたこようぜ。次も飯作ってくれよな?」
「……そうだな。また、来よう。今度はあんな手抜きじゃなくて、ちゃんと準備す
る」
「手抜き? いやいや、今日のサンドイッチも美味かったって!」
「それなら、良かったが。次は全員の好物でも作ってみるかな」
そんな事を言ってみせる。
あいも変わらずの無表情だったが、彬には、冬夜が薄く笑ったように見えた。
「お! いいな、それ!」
「何かリクエストはあるか?」
「そうだな……そう言われると困るんだが。そうだ、アップルパイとか作れたりするか?」
「アップルパイ……ふん。そんなんで良いのか?」
「あ、お前今、鼻で笑っただろ? いいだろー、別に。男が甘い物好きでも」
「別に悪いとは言ってないさ。オレだって甘い物は好物だ……一口サイズのアップルパイなんてのも良いな。カスタードクリームいっぱいいれて、シナモンもどっさり」
「おー! いいな!」
彬はその焼き菓子を想像したのか、口元を拭うような動作を見せて歓声をあげた。
他愛もない会話だった。
二人はどこにでもいる友人同士にしか見えない。冬夜さえもこのひと時の間、自分が何者なのかを忘れているようだった。否、思い出す事を自らやめているようでさえあった。
「なら、他の三人の好みは分かるか?」
「ん? あぁ、甘い物は三人とも好きだな。後、桜は和風の薄味の料理が好きで、逆に夢は洋風のお子様ランチみたいな料理が好きっぽい。京花姉さんは、んー……米、だな」
「は? 米?」
予想外の答えに冬夜は目を丸くして彬の顔を見つめた。
「あぁ。喫茶店なんかやってる割に朝昼晩は米食わないといられない性質らしい。いつだったか、緑茶とおにぎりが一番のご馳走だー、なんて騒いでた」
「なんだそりゃ」
「あ、後、好きな物じゃなくて苦手なものだけど……京花姉さん、ゆで卵が苦手なんだっけな」
「ゆで卵? 待て、今日の卵サンド食べてなかったか?」
思い返してみれば、京花はあの時食べた卵サンドは一個だけ。それ以降は他の物には手をつけつつも、卵だけは避けていたように思われた。
「別に嫌いってわけじゃないし、食べられないってわけでもないらしいんだけどな。好んでは食べないって話らしい」
「それは、悪いことしたな」
少し。ほんの少しだけ、そんな気持ちが心に浮かんできた。
「いや、別にお前は何も悪くないって。なんたって俺たち、合ったばっかりでお互いの好みも何も知らないんだしさ」
表情が陰ったのを目ざとく察して、彼は朗らかに笑いながらそんなフォローを入れる。
「これからおいおい知っていこうぜ? 何が好きで、何が嫌いなのか。今までにどんな事があって、これからどうしたいのか、どうして欲しいのか。お互いにさ」
とん、と。軽い音を立てて、彬は縁石の上に飛び乗って歩き出す。
「あのさ」
「なんだ?」
不意に、声音が変わったのを感じて、立ち止まる。
一歩先行して進んだ彬が振り返ってみせた。逆光で、彼がどんな表情を浮かべているのかは冬夜には伺い知ることは出来ない。
「冬夜がただの使用人じゃ無いことは、なんとなく気づいてるよ」
冬夜は思わず目元を釣り上げた。睨みつけるようなその目は、警戒の現れ。長きに渡り人ならざるモノと関わり続けて来た彼にとって、それは反射というよりも、最早本能とでも言うべきものだった。
そんな彼の視線を受けながら、彬は何事もなかったかのように振り返りなおすと、両手を広げてバランスを取りながら、縁石の上を歩き始めた。
「多分、桜も気づいてる。何となくだけど、さ」
彬のその行動に毒気を抜かれたのか、冬夜は小さく息を吐く。
薄氷の如く張りつめた警戒心を融解させて、冬夜は目尻を自分の意思で元に戻すと、はぐらかすかのように、
「さぁ、なんの事だかな」
「違うのか? でも何か、俺たちには分からない事情抱えてるってのは正解だろ?」
今度は、冬夜は答えなかった。近頃ではむしろ暑ささえ覚えるようになったコートのポケットに両手を突っ込んで、彬の一歩後を歩き出す。
「冬夜が何抱えてるかなんて、俺には分からない。付き合いだって短いからさ。さっきの話の通り、それもおいおい、お前が話す気になったら話してくれればいい」
「話すような大した事はねぇよ」
ぼそりと、そう返す冬夜の表情は鉄の如く堅い。決して、彼の抱える物は人に言えるものではないし、言ったところで信じてもらえるような物でもないのだ。
しかし、彬は仏頂面を崩さない少年の顔をちらりと横目で見て、
「でもさ。俺たちと過ごすのが嫌じゃなかったら。もし、お前の事情が解決するんなら、だけど。出来れば俺は、冬夜にこの町に残って欲しいんだ」
とん、とん、と。心地良いリズムを刻みながら、縁石の上を飛び跳ねる。
「俺も京花姉さんもそうだけど、特に桜と夢見はお前の事、随分気に入ってる。二人の為にも冬夜にはこの町に残って欲しいんだ」
黒衣に隠された胸の奥に小さな疼痛を感じ、冬夜は思わず心臓の真上に手を置いた。
だが、それは肉体的な痛みでは無いことは、彼自身が一番よく分かっていた。
「それが、俺が冬夜にして欲しい事。さて、今度は冬夜が言う番だぜ? 冬夜は俺たちにどうして欲しい?」
最後の方は半ばからかうような、冗談めいた口調だった。
「おい。さっき、気が向いたら話せば良いとか言ってたのはどの口だ?」
シリアスになりかけた空気を和ませるためのものなのだろうそれに、冬夜も軽口で答えて見せる。そうすることで、少しは気分が晴れるような気がした。
彬は思っていた以上に、人の心の機微に敏感なのかもしれない。
「そうだっけか? さっきの事はさっきの事。俺達は今を生きてるんだぜ?」
「格好いいこと言ってごまかそうとしてるみたいだが、全然格好ついてないぞ? むしろ、ダサいな」
「ダサ……!? 酷くね!?」
「酷くない。当然の感想だ」
目的地につくまで、他愛のない掛け合いは続く。傍から見れば友人同士のじゃれあい。恐らくは彬もそう思っているだろうそれは、冬夜にとっても不思議と落ち着くひと時ではあった。その一方で、酷く心のざわつくひと時だった。この時間を楽しいと感じれば感じるほどに、言い表し様のない不安が広がっていく。
自分が何のためにここにいるのかと、戒めるように自らに問いながら、それでも彼は心に思い浮かべずにはいられなかった。
願わくは、こんな日常が続かん事を、と。
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