第13話 春が近づく
翌日の昼下がり、冬夜は一人、食堂で熱心に資料を読みふけっていた。
何か料理でもしていたのだろうか、厨房から食堂に甘く、暖かな香りが漂ってきている。
昨晩は夢見を寝かしつけ、桜と夢見が寝静まった後、初日にしたのと同じく屋敷内を探って見たがこれといって何か発見があることもなく終わった。家の周囲に貼った探査用の結界にも反応はなく、念のため明け方近くまで家の外を出歩いてみたが化物の気配すら感じ取る事は出来なかった。
先日、叩きのめされたのが効いているのだろうか。もしそうだとするならば少なくとも相手は最低でも獣と同等程度の学習能力があることになる。それはそれで厄介だ。
京花から借りた資料のページをめくりながら、冬夜は小さく舌打ちをした。よくよく考えて見ればこのノートにしたって、彼女がやらかしてくれた事を考えれば対価を支払う必要などなかったのではないかとさえ思えてくる。つくづく高い買い物だった。
だが、高い対価を払った甲斐もあってか彼女のノートは資料としては有用なものなのは間違いない。ここ最近、この町の付近であった事件や事故に関しての新聞の切り抜きと、それに関して彼女が自力で集めたと思われる情報、それに関する覚書きまでが分かりやすくまとめられている。
それは地元で根を張る者だからこそ気がつくことが出来る情報も多い。一方で、中には外部の人間である冬夜から見ればまるで関係のない、京花の考えすぎとしか思えない事柄も含まれている。その選別が思ったよりも大変な作業だった。
とはいえ、昨日から何度もノートの隅から隅まで目を通し、情報を吟味し続けた結果、ようやく今になって、情報をある程度絞ることが出来てきたのだが。
「ふぅ……」
溜息を一つ。疲れた目を閉じて目頭を指でつまんで軽く揉む。
流石にデスクワークを一日続けるのは堪えるものがあった。
マグカップを傾け、まだ湯気をあげているコーヒーに口をつける。香ばしい苦味が、疲れてきていた頭に心地良い。
今、屋敷には冬夜を除き誰もいない。
桜は学校に行き、夢見も幼稚園、門司も用事があるとの事で留守にしている。一応使用人扱いとはいえ、部外者である冬夜を家に独りにするというのはどうなのかと思わないでもなかったが、おかげで本職の方を進める事が出来た。
後はやることとすれば、町の中の気になる場所の調査くらいのものだが、こうして屋敷の留守を預かっている以上、下手に家を空けるわけにもいかない。
最早今日の仕事は終わりばかりに冬夜は椅子の背もたれに体を預けて伸びを一つ、ポケットから取り出したタバコを口に咥えた。
今までは桜たちに遠慮して屋敷の中での喫煙は控えてきたのだが、今屋敷にいるのは自分一人、気にかけるべき相手はいないと、タバコの先端に火を点け……ようとして、彼は思いとどまった。
いくらなんでも、喫煙者のいない家で煙草はまずい。
代わりに気分を変えようと、窓を開く。一息ついて椅子に座り直すと、全開にした窓から吹き込む風が頬を撫でた。
思いのほか暖かい風だった。思っていたよりも、春はずっと近くまで来ているらしい。
窓の外、庭先に植えられた梅の蕾がほころび始めているのが目に映る。窓の下にはおあつらえ向きに縁台が置かれていた。縁台に腰掛けて、満開の花を、いや庭の景色を日がな一日眺めていたらどれだけ心地がいいだろうか。
吸わないまでも煙草を口に咥える。微かな香りを口にして、思考が仕事用のものからプライベートの物に変わっていくのが分かる。
天井を見上げる。この屋敷に来て数日、片手で数えられる日にちしか過ごしてはいないが、大分見慣れてきた天井である。
ぼんやりと考えるのは、今日の夕飯の献立の事。仕事に必要な事とは言え、この屋敷に家政婦もどきとして潜り込む事になった時は流石に驚いたが、今では大分余裕も出てきた。もともと、料理も含めて家事は趣味のようなものであり、想像以上に仮初の仕事は苦にならない。いや、苦にならないどころか、本音を言えば楽しいとさえ思っている。
「ただいま帰りました」
「む」
玄関の開く音に続いて、凛と澄んだ女性の声が聞こえた。
どうやら桜が帰ってきたらしい。
咥えたままの煙草をケースに戻す。
「ただいま、冬夜くん」
「お帰り。……妙に早くないか?」
腕時計を確認すると、短針は僅かに3の文字を超えたばかり。学校が終わったにしては些か早いような気がして首を傾げる。
「今日は学校行事で下校が早いんだ」
「なるほど……」
さりげなくノートをポケットにしまいこんで、立ち上がるとそのままキッチンへと足を進めていく。
やがて彼は、金属製のフードカバーのかかった大皿とお茶のセットを持って桜の前に姿を現した。
「では、お茶にいたしましょう、お嬢様?」
わざとらしくそう言って、冬夜はテーブルの上に持ってきたものを並べていく。
言葉遣いは彼なりの冗談なのだろうが、いかんせん表情がほとんど無いに近しいおかげで反応に困る。
だが、桜は一瞬きょとんとしただけで、すぐに冗談と気づいたのか、
「はい料理長。今日のおやつは何ですか?」
椅子に腰掛けてフードカバーに手を伸ばす。
「待て。まずは手を洗ってこい」
「……時々、冬夜くんが分からなくなるよ」
困った顔をしながらも桜は彼に従って洗面所に向かっていった。
彼女が帰って来たとき、テーブルの上に置かれていたのは湯気を立てる熱い紅茶と、それから小ぶりな丸いケーキだった。
「わ! ケーキ?」
思わず、彼女の口から感嘆の声が上がった。
テーブルに一歩近づくだけで鼻をくすぐる、焦がした砂糖の甘い香り。カットされたリンゴが焦げ茶色に炒められ、砂糖でキラキラとコーティングされ、薄い生地の上に規則正しく、まるで花のように並べられていた。
テーブルの上に、大輪の花が咲いたかのようだった。
「タルトタタン。ちょうどよく今焼きあがったところだ。熱々のうちに一つどうぞ」
少年によって、花は切り分けられる。
小皿に取り分けられたそれを受け取って、桜はリンゴの花びらの一枚をフォークでそっと口に運んだ。
広がるカラメルの甘味。柔らかなリンゴを噛み締めると、様々な味が彼女の口の中で爆発した。果実の甘さ、バターの塩気、シナモンの香り。
素材それぞれが存在をアピールしながらも、それらは完全な調和を見せていた。
気がつけば、そのひと切れは口内から溶けるように消えていた。
余韻を楽しみながら、紅茶を一口。
今日の紅茶はダージリン。その苦味が甘いタルトタタンにはぴったりで、口の中に残った甘さをほどよくリセットしてくれる。
「はぁ……凄く美味しい」
美味しいと、月並みな表現しかすることが出来なかった。気の利いた感想を言おうにも、どう表現していいのか分からずに彼女は代わりに満面の笑みを向ける。
対する冬夜は仏頂面で顔を背ける。
別に機嫌を害したわけではない。単純に照れているだけだった。
「……美味そうでなによりだ」
窓から見える庭先に視線を向けて、少年は呟く。その口元が嬉しそうにつり上がっていたのを桜は見逃さなかった。
「きっと、夢も大喜びすると思う」
ここにいない、幼い少女の名前を聞いて、冬夜は視線をそっと桜に戻す。
彼が何かを尋ねる前に、桜はすでにそれを知っていたかのように話し始めた。
「昨日の事だよね? ごめんね、夢が迷惑かけちゃって」
「いや、別に……」
お気に入りのシャツを鼻水と涙でぐちゃぐちゃにされた事や、結局彼女が眠くなるまで解放してもらえなかった事、確かに少し困りはしたが、迷惑というほどではない。
迷惑というほどではないが、しかし……
眉を寄せて悶々とする冬夜をしみじみと見つめて桜は吹き出す。
「冬夜くん、嘘つくの苦手でしょ?」
「……別に」
再び、そっぽを向いてしまった彼の様子をどこか楽しそうに眺めながら、
「それでね。夢のことだけど、びっくりしたよね? 急にあんなふうになるなんて」
「まぁ、な。驚いたといえば驚いたが、何か事情があるんだろう?」
「うん」
桜は聞かれずとも、冬夜に語るつもりでいたようだった。
紅茶をもう一口、口に含んで目を閉じる。
それは何かを、それも辛いことを思い出そうとしているように見えた。
「私達の両親はね……」
深く息を吸い込むと、目を閉じて彼女は語り始めた。
「四年前に、死んじゃってるんだ」
「……いきなり重い話だな」
「そう、かな?」
「少なくとも、新人使用人のオレにする話じゃないな」
自分も紅茶をカップに注いで一口飲むと、彼は腕を組んで黙り込んだ。
どうやら彼女に続きを話すように促しているらしい。
「うん。……それでね、夢はすごくちっちゃかったから、お父さんの事も、お母さんの事も覚えてないの」
「それは、」
冬夜はその先を続けることが出来なかった。
それはきっと、不幸な事なのだろう。彼女は自分の両親から受けるべき愛を知らず、顔さえも思い出せずにこれからを生きていくのだから。
だが、むしろ何も覚えていないというのならば、それは逆に救いなのかも知れないとも思えた。何も覚えていないのならば、悲しみは少なくてすむ。
「だから、夢にとって、家族は姉の私と、それからお母さん達が死んじゃってからもずっと仕え続けてくれている門司さんだけ」
そこまで言って、彼女は深く息を吸い込んだ。何か、重要な事を打ち明ける決心をつけたかのようだった。
「去年、私ね。ちょっと事故に遭っちゃって」
「事故?」
「うん。あ、そんなに大きな事故じゃないよ? ただの……っていうと変だけど、交通事故。その時、ちょっと大怪我しちゃって、何日も家に帰れない日があったの」
ちょっと、などとは言うが、語る彼女の体は僅かに震えていた。
それは桜にとっては余程怖い記憶なのだろう。
「どうにか家に帰れるようになったのは、一ヶ月半くらいしてからかな?」
帰宅した彼女を真っ先に出迎えたのは、今にも泣き出しそうな顔をした夢見だった。
駆け出した夢見は桜の胸に飛び込むや否や、大声を上げて泣き始めたという。どこにもいかないでと、何度も何度もくり返しそう言って。
「それから、夢は私や門司さんが怪我とかするのを見ると大泣きするようになっちゃったんだよね。どこにも行かないで、って」
よっぽど、私が大怪我した時ショックを受けたんだろうね。
桜はそう締めくくって、フォークで切った菓子をひと切れ口にした。
「それで、オレの怪我を見て……いや、待て。何で泣き出した?」
納得仕掛しかけて、しかし可笑しな事に気がついた彼は首を傾げる。
彼はまだこの屋敷に来てから数日しか経っていない。そんなどこの誰とも知れない男の為に涙を流すのは、不思議な事に思えた。
「それは……ふふ。夢、冬夜くんのこと気に入ったみたい。夜寝る前も明日はもっと、りょーりちょーと話すんだ、とか、料理を教えてもらいたいとかずっと言ってるんだよ?」
「随分と気に入られたもんだ」
桜とは対照的に、無表情で彼は紅茶を飲み干した。
彼女の話を聞いても、まだ夢見が自分のような男に懐く理由はよく分からない。だが、それは不思議なことではあるが、それ以上は考えても仕方のない事だと納得することにした。
人の心は分からないもの。ましてや幼い子供の事ともなれば、冬夜が考えたところで分かるはずもない。そもそもにして感情や心に端を発する物を理性で理解しようなどと言うのは間違いなのだと、彼は考えている。
事実、今まさに思わず顔が綻びそうになったのだから。
人から好かれるというのは、照れくさくもあるが悪いものではない。仕事中だからと、そう言い聞かせたところで、胸の内に湧いてくる暖かいものを止めること等出来はしないのだ。
「……オレも、似たようなものか」
「え?」
ふと思ったことが、不意に口をついて出てしまっていた。
適当に言葉を濁して逃れようかとも思ったが、興味深そうな目を向けてくる桜を見ていたら、それは失礼な気がしてきて、何とはなしに話してみようという気になった。
あるいはそれは、夢見や桜の境遇を聞いておいて、自分のことを話さないのは不公平だと思ったからなのかもしれない。
何にせよ、ただの気まぐれだ。
そう自己完結して、彼は小さく溜息をつく。
「オレには、物心ついた頃から両親なんていなくてな」
夢見がどうして自分になんか興味を持つのかは分からない。
だが、大切な人に傷ついて欲しくない、どこかに行って欲しくないという思いは、彼にも痛いほど分かるものだった。
何故ならそれは、彼が通った道なのだから・
「両親の事なんて、記憶の片隅にも残っちゃいない。だが、それを悲しいと思ったことはないし、寂しいと思ったこともない。何でかわかるか?」
桜が首を振ると、彼は懐かしむように、
「家族が、いたからさ。……家族って言っても、血のつながりなんてあるわけじゃない。路頭に迷ってたオレを引き取って、育ててくれた人。オレにとっては実の親よりも親らしい事をしてくれた人。……どうやって生きていくかを教えてくれた人が、いたんだ」
それは夢見に、桜や門司がいたように。
足元もおぼつかない自分を導いてくれる人がいて、その人のことが大好きで、何よりも大切だった。
失いたくない、人たちだった。
「冬夜くんも……」
感慨深そうに頷くと、彼女はうつむいたままそれ以上何も言わなかった。
彼女は今どんな表情をしているのか。
同情か、哀れみか。それとも別の何かなのか。
冬夜にしてみれば、そんな事はどうでも良い事だった。別に誰がどう思おうと、それが自分の根っこであることに変わりはないのだから。
そもそも、彼が伝えたい事は別にある。
「……まぁ、何が言いたいかって言うとだな。頑張れよ、お姉ちゃん」
驚きのあまり彼女は顔を上げて、まん丸の目で冬夜の顔を見つめる。
彼の声が暖かかったから。
彼の微笑みがどこまでも優しかったから。
錆びた冷たい声ではない。凍えた無表情でもない。
目の前の彼は別人なのではないかと疑ってしまうほどの変わりよう。
しかし、そこにいる者は確かに津川冬夜その人だった。むしろ、彼こそが津川冬夜という青年だった。どれほど冷たいふりをしてみても、ぶっきらぼうに振舞ってみても、その本質は変わってはいないのだ。
頑張れ、と。
言うだけならば誰でも出来る、簡単で他人事のような言葉。
だが、冬夜の言うその言葉には確かに血が通っているのが桜には分かった。決して真面目ぶる訳ではなく、むしろ日常会話のひとコマのように自然に発せられた言葉。
それなのに、彼が心の底から彼女を案じ、応援しているのだと、そう分かる一言だった。
かつて支えられ導かれた者から、これから支え導くべき者へ。
「そんなら、お兄ちゃんも頑張んなきゃな」
「ん? うおッ!?」
開け放したままの窓から突然声がかけられた。あまりにとっさの事に、冬夜は思わず妙な声をあげてしまう。
「入っていいか?」
「あぁ、まぁ……」
冬夜が目を白黒させながら答えると、少年は珍しいものを見ることが出来たとばかりに、嬉しそうな表情で窓から部屋に上がり込んでくる。
「おまっ、彬!? 何してんだ!?」
「いや、何って? 遊びに来たんだが?」
「そんなら普通に玄関からこい不法侵入者」
「んー? いやいや俺はちゃんと桜に許可とっているし? なぁ?」
「……本当か?」
二人の少年に見つめられた桜は、まさか自分に矛先が向くとは思っていなかったのかびくんと体を震わせて、
「え?その……許可というか、彬くん、昔からこっちから入ってて」
「ほら見ろ」
「む……いや、許可したわけではないような口ぶりだったが? それにいくら幼馴染とはいえアポなし訪問は失礼じゃないのか?」
「幼馴染特権ってやつだよ。それより、随分真面目な話してたみたいじゃん?」
途端、冬夜の眉間に深いシワが刻まれた。
「盗み聞きは、失礼じゃないのか? ……どこから聞いていた?」
「ちょッ!? 待て待て落ち着け、そんな怖い顔すんなよ! 聞いちまったことは悪かったけど、不可抗力だって!」
冬夜の表情が変わったことに気がついて、彬が焦りはじめた。
「本当は今日、ここに遊びに来るって話になってたんだ。桜から聞いてないか? 学校終わったし、荷物おろしてからってことで。そんでうちから出て、こっちに来てみたら、冬夜と桜が妙にシリアスに話し込んでるじゃん? 悪いとは思ったんだけど、登場のタイミング逃しちゃってさ」
「……」
「だからその顔怖いってば!」
本気で怯える彬を見て、冬夜ははっとしたようにつり上がっていた目尻を下げ、
「……そんなに、オレの顔は怖いか?」
「気づいてないのかよ!?」
不機嫌そのものの表情を浮かべたまま片手で自分の頬をつねって見せる冬夜に、彬の全力のツッコミが入った。
「うん……たまに冬夜くん、人殺しみたいな顔してることあるよね」
桜の何気なく心無い一言に些か傷つきながらも、気を取り直して、
「ともかくだ。桜、こいつが言ってるのは本当か? 本当に遊びにくる予定だったのか」
「うん。ごめんね、すっかり忘れてた」
両手をそっと合わせて、彼女はすまなさそうに目を細めた。
それを見て、冬夜は拍子抜けしてしまう。一体、今までの無駄な掛け合いはなんだったのかと、そう問いただしたいような気もしたが、余計に無駄な時間を使うだけと気づいて既のところで思いとどまった。
「そいつは失礼した。お客様、ってわけか」
「ほら見ろー! さぁ、お客様をもてなせ、料理長!」
「……図に、乗るなよ?」
「いや! だからその顔やめろって!」
調子づく彬を無視し、冬夜は能面のような無表情を顔に貼り付けて彼に背を向けると、厨房に向かいティーカップと受け皿、取り分け用の小皿を追加する。
「大変失礼しました。どうぞお召し上がりくださいませ、笹部様」
感情の抑揚が全く感じられない、むしろ機械音声の方がいくらか人間味を感じさせかねないような声で言って、彼の前のテーブルに切り分けた洋菓子と紅茶を差し出した。
「すまん、調子乗りました……おい、やめろよ、無言でナイフとケーキ持つの! 怖ぇって! 分かった、食うから! 食うってば!」
無言、無表情による圧力に耐え兼ねて、彬はおっかなびっくり席に着くと、恐る恐るタルトタタンをフォークで切って口にした。
「……うまっ! なにこれ、めっちゃ美味い!」
目を丸くして、叫ぶように言うと、明は物凄い勢いでタルトタタンを食べ始めた。
「でしょ? 冬夜くんの作るお菓子、凄く美味しいんだよ」
「あぁ、桜の言うとおりだ! 冬夜、お前、料理人で十分通じるぞ! ……お代わり!」
「いや、オレ、本当に料理人やってんだが」
褒められたのは嬉しかったのか、口元を少しだけ緩ませて、冬夜は新たにタルトタタンを切り分けて彬の皿に乗せた。
「それに冬夜くん、ご飯も美味しいんだよ。昨日の夜作ってくれた白菜と大根のシチューなんて本当に頬っぺたが落ちそうだったなぁ……」
「白菜と大根? シチューに合うのか、それ?」
怪訝そうに首を傾げる彬を見て、冬夜は今度こそ口元を歪めて見せた。
「人参、玉ねぎ、じゃがいも……それに白菜、大根。和風に煮込めば全部一緒でも美味しくなるだろう?」
「いや、白菜と大根は洋風の味付けは合わないんじゃないか?」
「そんなことはない。細かいところを調整してやればどんな野菜でもある程度の味付けの応用は効くのさ。例えば今回は……味噌だな」
「味噌?」
「あぁ。今回の具材である野菜に共通してマッチする調味料だ。それに何より、日本人の舌には馴染みが深い。加えて、味噌……というより、日本の発酵食品は基本的に乳製品と相性が良いんだ。味噌に野菜とシチューの仲立ちをしてもらうことにより、味の一体感を増していく……それが今回のシチューのコツさ」
「へぇ……」
いつになく多弁な冬夜に面食らいながらも、彼の熱い説明に彬は頷いた。
冬夜の説明を聞きながらうっとりと、おそらくは昨晩の夕食を思い出しているのであろう桜を見ていたら、彬も嫌が応でも納得せざるを得なかった。
「冬夜くん、今日の晩御飯は何?」
「そうだな……まだ昨日の余りがあるから、大根と白菜のコンソメスープなんてどうだ?カツオ出汁使って和風よりにしてみよう。それにオニオンソースたっぷりのチキンステーキ、ポテトサラダ……ご飯は麦ご飯にしよう」
虚空を睨みながら献立を諳んじる冬夜。最早本職は何であったのかを、本人さえ忘れている様子さえあった。
彬はごくりと生唾を飲み込むと、
「……桜、今晩、俺も夕食に招いてくれない?」
「もちろん! 夢もその方が喜ぶよ!」
美味しそうなご飯の誘惑に負けた彬に、桜は間髪いれずに二つ返事で許可を出す。
そうなる事を見越していたのか、冬夜もそれを予想していたのか肩を軽くすくめて、
「一人前、追加か。それなら、二人には悪いが、そろそろ夕食の準備にかからせてもらうとしよう」
「お願い、冬夜くん。腕によりをかけてね!」
「当たり前だ」
自分の分のティーカップを片付けて、冬夜は厨房へと足を踏み出す。
と、その背中に彬が声をかけた。
「冬夜、さっきの話だけどさ」
「……どの話だ?」
首だけで振り返った冬夜に、彬は真面目な顔で、
「夢見は俺にとっても妹みたいなもんなんだ。なんてったって、幼馴染だしな。だから、俺もお兄ちゃんとして頑張るよ。だから……冬夜も、頑張れよ。色々あんだろうけど、さ」
「……あぁ。ありがとな」
前に向き直った彼の表情は二人には見えない。だが、その返事には言葉面だけではない、心からの感謝が込められているのが二人には分かった。
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