第6話 津川冬夜という少年

少年がキッチンにこもってから十数分、甘く香ばしい匂いが客間で待つ三人のもとまで届いてくる。

やがて、オーブンが焼き上がりを告げる、金属質の短い音が響いた。


「お待たせしました。本日のおやつです」


白い大皿と湯気を立てるカップの乗ったお盆をそれぞれ両手に乗せて、冬夜がキッチンから客間へとやってくる。


「津川、さん? それは……」


桜が冬夜と皿を見比べながら問いかける。


「特製、という程のものではないですが、マドレーヌです。お近づきの印と、オレの腕の披露ということで」


テーブルの上に皿を置き、それぞれの前にカップをおいていく。カップの中に注がれた濃い琥珀色の液体はどうやらいれたての紅茶のようだった。立ち上るダージリンとマドレーヌの香りが、その場にいるも全員が口の中に唾が沸いてくるのを感じていた。


「おいしそう!いただきまーす」


最初に皿に手を出したのは夢見だった。こんがりときつね色に焼けたマドレーヌを手に取り一口、


「んー! おいしい!」


途端に彼女は目を輝かせる。


「おねぇちゃんも、もんじぃもたべて! すごくおいしいよ!」


「え?」


興奮した夢見が差し出したマドレーヌを一つつまんで、桜も恐る恐るといった風に口をつけると、やはり彼女も途端に目を輝かせた。


「美味しい……!」


顔をほころばせて菓子をほおばる様子は、姉妹というだけあってよく似ていた。


「紅茶もなかなか巧くいれてありますな。津川さん、どこかで勉強なされたのですか?」


門司までもが唸るようにそう言う。


「いや、まぁ、その、ね」


対する冬夜は曖昧に返す。家事手伝いという言い訳は門司が考えた設定のはずなのに、その質問はキラーパスもいいところだった。


「おじさん、りょうりうまいね!」


マドレーヌを両手に持って、夢見が無邪気な笑みを冬夜に向けた。

料理の腕を誉められるのはまんざらではないのだが、おじさん呼ばわりみは閉口するものがあるのか冬夜は顔をこわばらせた。

二十代前半という触れ込みで仕事に来たが、本来の年齢は十代後半にさしかかったばかりなのだ。自分はそんなに老けて見えるのかと、冬夜は自分の頬にそっと触れてみる。


「津川さんは、お料理得意なんですか?」


冬夜の様子には気づくことなく、今度は桜が問いかける。


「え、あぁ、まぁ。料理は趣味ではありますよ。お菓子に限らず、ね」


「そーなの? じゃあ、ゆうごはん、おじさんがつくって!!」


夢見がきらきらした羨望の目で冬夜を見て、突然そんなことを言い出した。


「え、オレが、ですか?」


ちらりと門司の方に目を向ける。ここは当然、門司が何か良い言い訳を出して断ってくれるはずだと期待を込めての視線だった。

本来ならば家事手伝いの仕事は設定上のことだけという話である。あくまで冬夜の仕事は退治屋としての業務だけなのだ。

だが、立場上、直々に”お嬢様”にそう言われてしまっては冬夜といえども断りづらい。


「や。津川さんも今日は長旅でお疲れです。今晩は……」


「えー! もんじぃのごはんあきた! おさかなとか、にものじゃないのがたべたい!!」


冬夜の思惑通り、門司が断りをいれてくれたが、夢見は予想以上に食い下がる。

そして、門司は困ったように冬夜の方に目を向けた。


―いや、何故オレを見る


思わず口に出しそうになった一言をすんでのところで飲み込むと、夢見が冬夜の足下まで寄ってきてじっと彼の顔を見つめてくる。


「だめなの?」


「いや、オレは、その」


本業の事を考えれば、些事に構っている時間はあまりない。だが、家事手伝いという役で潜入している手前、強く断れば不審に思われてしまう。匙加減が難しいところだった。


「こら。あんまり津川さんを困らせちゃだめでしょ?」


おたおたする冬夜と門司を見かねてか、桜が助け船をだしてくれるが、しかしそれでも夢見は自分の意見を曲げることはなかった。

どころか、目元に涙まで溜めて今にも泣きそうな様子で、


「つくって、くれないの?」


「っ! 分かりました。夕ご飯はオレが作りますよ」


歴戦の退治屋も、幼子の涙には勝てるはずもなかった。

思わず頷いてしまってから後悔するが今や遅し、


「ほんとうに!? やった!」


心の底から嬉しそうにはしゃぐ夢見を見ていたら、一度承諾してしまった手前撤回するのはどうしてもはばかられた。

この男、思いの外に甘いところがある。


「……では、申し訳ありませんが、津川さん。よろしくお願いします」


誰のせいだと、門司にそう言ってやりたかったが、結局のところきちんと断らなかった自分に非があるのは瞭然だったため何も言えずに黙り込むより他に術はなかった。


「津川さん、改めてよろしくお願いします」


喜ぶ夢見を見て、桜が冬夜に笑みを向けて頭を下げた。それを真似して、夢見まで頭を下げ始める始末。仕事の事を考えると非常に頭の痛くなる状況だったが、あえて冬夜はそれ以上深く考えるのを放棄した。考えるだけ頭が痛くなる事は必至なのだ。

今はひとまず、家主の信頼を僅かとはいえ勝ち得たことをプラスと考えることにした。

それから……桜と夢見、二人の姉妹の笑顔を見ることが出来ただけでも良しとしよう、などと柄にも無いことを考えていた。

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