第5話 お嬢様
「うぇぇぇん!!おうちに、へんなひとがいるぅぃぅぅぅぅ!おねぇちゃあぁぁん!」
「お嬢様!
あわてて門司が止めようと立ち上がるよりも早く、女の子は駆けだしてしまう。
「へんな、人……」
呟いて、冬夜は何ともいえない表情を浮かべた。困り顔を素直に浮かべかけて、しかし仕事用の仏頂面を無理に取り繕おうとした末の表情だった。
「おねえちゃん!」
駆けていった足音がもう一度戻ってくるのが聞こえた。今度は先ほどとは違って、走ってはいない。代わりに足音は二つに増えていた。
やがて、扉の向こうから一人の少女が顔をのぞかせた。
「
門司が立ち上がり一礼をする。
またしてもお嬢様と呼ばれる人物が現れたのを見て、冬夜はあぁと納得をした。
そう言われてみればこの家にはお嬢様とその妹が暮らしていると聞いている。おそらく先ほどの女の子……夢見は妹、そして今顔を見せた桜と呼ばれた少女こそが現当主なのだろう。
思っていたよりもずいぶん若い。まだ、十代の半ばから後半と言ったところだろうか。冬夜とも歳は近い。雪のように白い肌に、長い黒髪がよく映える。優しげな目元が印象的だった。”お嬢様”と、そう呼ばれるのがよく似合う、美しい少女だった。
「門司さん、こちらの方は?」
不審そうに冬夜に一瞥を与えて、彼女は門司に問いかけた。
「はい、以前お話いたしました、私の親戚の津川さんです。」
「あぁ、そういえば今日来るって言ってましたっけ」
得心がいったらしく、彼女は冬夜に目を向ける。いくらか警戒を解いてくれてはいてもで、まだどこか冬夜に対する不信感が拭えていな様子でもあった。
「ご紹介にあがりました、津川冬夜です。この度、一色家にお邪魔することとなりました。短い間ですが、何とぞよろしくお願いいたします」
立ち上がり、一礼。新たに作り上げた新人使用人としての仮面を被る。礼儀作法の類は苦手だが、出来うる限りに丁寧に所作を心がけた。
「はい。私が、一色家の当主を努めさせていただいております、
桜は自らの名を告げると、足下にしがみついて陰に隠れる女の子に、挨拶をするように促した。女の子はまだ冬夜の事が怖いのか、涙目で彼の顔をにらむように見つめ、やがて勇気を振り絞ったかのように前にでると、
「
おずおずと、そう名乗った。
冬夜は黙って、夢見に近づく。おびえて再び姉の後ろに隠れようとする彼女の前まで来て、おもむろに腰をかがめ、目線を彼女に合わせると、
「冬夜だ。よろしくな、夢見ちゃん」
相も変わらずの無表情である。しかし、声音は平時よりも幾分優しい。聞くものに安心感を与える、低くて響く声だった。
そうして冬夜はポケットから取り出した小さな包みを彼女に差し出した。
飴玉である。夢見は冬夜の顔と飴を不思議そうに見て、次に姉の顔を伺うと、冬夜の手からそれをそっと受け取った。
「……ありがと」
「どういたしまして」
そっけなくそう言うと、冬夜は再び立ち上がって姿勢を正すと、桜に向き直る。
「それでは、よろしくお願いします。何かご入り用でしたらお声がけください」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね、冬夜さん」
門司の親戚という話に加え、今し方夢見に見せた不器用だが穏やかな態度が功をそうしたのだろう。先ほどまでの固い表情は陰を潜め現当主の顔には、優しげで美しい微笑みが浮かんでいた。
「ねぇねぇもんじぃ! 今日のおやつは?」
しばらく冬夜と姉のやりとりを見ていたが、飽きたのか夢見は門司の上着の裾を引っ張りながら尋ねる。
「あ! 申し訳ございません! ばたばたしていてすっかりご用意するのを忘れておりました」
「えー! おやつないの? もんじぃ!!」
「こら、夢見。さっき冬夜さんにもらった飴があるでしょ?」
「でも、でも! おーやーつー!」
桜に諫められても夢見は得心がいかない様子で頬を膨らませて抗議する。
門司と桜が困ったように顔を合わせた時だった。
「失礼。門司さん、キッチンをお借りしてもよろしいか?」
ぱさり、と。まとっていたコートを脱いで丸めて椅子の上に置くと、冬夜は返事を聞くよりも早くキッチンのあるであろう方向に一歩踏み出していた。
「は、はぁ……構いませんが、何を?」
「……本当なら、手土産の一つも持ってくるのが筋だった。しばしお待ちを」
小さく、そう呟くと冬夜は呆気にとられる門司と桜を後目にキッチンの中へと踏みいる
キッチンに入るなり、冬夜はあたりを値踏みでもするかのように見回した。
旧家の屋敷というだけあって、調理器具も古くはあるが良い物を使っている。
「津川さん?」
冬夜が食器棚を物色している最中、門司がキッチンに顔を覗かせた。
「小麦粉と砂糖は?」
「はぁ、それでしたら後ろの棚の中に……何を、なさっているのですか?」
棚を開け、中を探しながら彼は門司に背を向けたまま、
「オレは家事手伝いのはずだろう。それらしい事をするだけだ」
「いえ、しかしそれはただの方便で、」
ゆっくりと少年が振り返り、門司はそこで続く言葉を飲み込んだ。
少年の黒い瞳からは相変わらず感情は伺い知ることは出来ない。
「方便でも信憑性があった方がいい。ただでさえ無理のある設定だ。お嬢様達に信用されるためならこのくらいはする」
鉄面皮を通したまま、しかし彼の両手には小麦粉と砂糖の袋が摘まれ、それがシュールでどこか滑稽だった。
「さて、卵はある……無塩バターはない。普通のバターで代用しよう。少し、向こうで待っていろ。そう時間はかからないはずだ」
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