第4話 一色家にて

門司の運転する車で、喫茶店から十数分かけてたどり着いたのは郊外にある屋敷だった。

昔ながらの外門を構えた、見事な建物である。外からみただけでも屋敷そのものだけでも一般家屋と比べて大きい事が分かる。庭も含めれば相当な規模になるだろう。


「こちらにどうぞ」


門司に勧められるままに門をくぐり、しかし冬夜は一度振り返る。彼の五感が微かに違和感を捉えたのだった。

元より鋭い目を更に細めて、門を睨みつけるように視る。

霊視などと呼ばれるものに近い技術だった。昨晩の怪異の気配を嗅覚の異常として体が認識したのと同じような原理である。今度はこの世ならざるモノの気配を視覚の異常として、しかも今度は自分から意図的に起こさせようとしているのだった。


「これか」


門と、その周辺を睨みつけていた冬夜はやがて、門の柱に近づいてその表面をなぞった。


「津川さん?」


不審げに尋ねる門司に一別もくれることなく、冬夜はその表面を爪で軽く引っ掻いた。塗装が禿げて木材が露出する中に、何か人の手で付けられたような印が見て取れた。


「何か、ございましたか?」


「いや、何でもない」


なおも不思議そうな門司だったが、冬夜はそれ以上何も言う事はなかった。

今は、主は外出中との事で、門司が鍵を開けた先の玄関に足を踏み入れる。と、同時に痛痒にも似た不快感が冬夜の背中を駆け上がった。決して我慢出来ない物ではない。だが、あまりいい気分ではない。冬夜は苦々しげに踏み入れたばかりの足を引き戻し、門司に向かって、


「すまない。家に入らせていただいても良いか?」


「はい、もちろんですとも」


門司はにっこりと微笑んで冬夜の申し出を快諾した。冬夜が気を使って尋ねたのだと思ったのだろう。しかし、冬夜の問いかけの真意はそんなところにはなかった。門に入るやいなや感じた不快感の原因は、部外者避けの結界の影響によるものだった。簡易的な結界、そしてそれは大した威力のものではないが、それでもこの場所に居たくない、早く帰りたいと一般人に思わせ、弱い妖物程度を退けるのには十分な効力を持っていた。


「邪魔をする」


再び玄関に踏み入る。今度は何も感じることなく、スムーズに進むことが出来た。

招かれざる者を拒むという性質柄、この手の術は家に属する者の承諾を得てしまえば無力化されるのだ。

靴を脱ぎ、門司の案内の下屋敷の中を歩く。外から見た以上に中は広く、いくつもの部屋を通り過ぎた。道中、車の中で門司に聞いた話では、ここに暮らしているのはたった三人だけだという。一人は家令として三代に渡り一色家に努め続けた門司である。そして残る二人は一色家の現当主の女性とその妹とのことだった。屋敷の部屋の多くも今はもうあまり使われてはいないのだろう。だが、歩きながら見た限り、廊下は綺麗に掃除が行き届いており、チリ一つ見当たらない。家令である門司の仕事か、あるいは当主とその妹がこまめに手入れをしている証だろう。


「少々お待ちください」


通された先で、冬夜を椅子に座らせて、門司は茶でも淹れにいったのか席を外した。その間も冬夜の感覚は研ぎ澄まされ、屋敷の中の気配を探り続けている。仕事を受けるか受けないかはともかくとしても、この仕事において現地では常に気を抜いてはならいないのが鉄則だった。此度の一件がどの程度のものかはまだ分からないが、こうして屋敷に踏み入ってしまった時点で彼とこの屋敷には確かに縁が出来てしまっている。僅かでも関わりを持っただけで牙を剥くようなタチの悪い呪いや祟りとて世の中には存在する以上、自己防衛は払い屋にとっての基本である。


「お待たせしました。粗茶でございますが」


間もなく戻ってきた門司が、茶を二つテーブルの上において、冬夜の正面に座った。

そして、近くの棚の中から大事そうに包を取り出して、テーブルに置く。


「今回の異変なのですが……まず、こちらをご覧いただきたいのです」


そう言って、彼はテーブルに置かれたそれを覆う風呂敷を丁寧に開いていく。やがて中から姿を現した物を見て、冬夜は眉間に皺を寄せた。


「これは……」


それは、一枚の札のように見えた。

ように見えた、というのは、それが黒く焼け焦げたかのように変色し、書かれていたであろう文字もくすんで見えなくなってしまっていたからである。


「私がお仕えするよりも前の当主様が……まだ、一色家が占いや祈祷などを現役でなされていた頃に作り上げた、魔除けの御札でございます。先々代様より先代様、そして現在の当主様に至るまで、一色家の守護のためにと置かれていたものです」


一言断りをいれて、冬夜はその札に触れた。こうなってしまっても力の残滓を感じるのは、以前の当主が余程優れた能力を持っていた証左だろう。

それがこうして腐れてしまうとなれば、それは余程の呪いかそれに準ずる何か以外にはありえない。そんな物がこの家に降りかかっているのであれば、こうして外部から払い屋が呼ばれた事にも一応の納得は出来る。


「……他に、何か変事はあったのか?」


「まだ、これ以上の異変はこの家では起きてはおりません。ですが、一色家に凶兆がある時、この御札に変事があると、言い伝えられております」


「凶兆……」


「それに、この御札がこのようになってしまったのと時を同じくして、町で妙な噂がたち始めました」


「妙な、噂?」


「夜な夜な街を徘徊する人でない何かを見た、墓場が荒らされた、飼っていた犬猫が首輪を残してどこかに消えた……一つ一つは大したものではなく、ただの噂と思っておりましたが……こうして時期が重なると不気味なものです。関係がないと、思いすごしだと言われればそれまでなのですが」


門司の言うとおり、それらを結びつけて考えるのは些か強引な考え方だった。むしろ、それらを考えるのであれば、一色家の異変とは別物と考えるのが本来だ。街をうろつく者も、墓を荒らした者も、ペットが消えた理由も、ただの異常者、生身の犯罪者が成したことと考える方がしっくりくる。しかし……


「確かに、な」


手にとった札の表面を指先で撫でながら、冬夜は小さく呟いた。

残念ながら、墓を荒らすモノとは昨晩一戦交えている。相手が此岸の住人ではないことは、ほかの誰よりも冬夜自身が知っていた。

それを踏まえた上で考えるのであれば、話は違ってくる。正体不明の化物に、一色家に向けられた何かの呪い、それらの原因が同じだと断定し、思い込むのは危険な考え方ではある。が、結びつけて考えるのは筋違いとも言い切れない。


「おおまかな所は承知した。では、今後の予定の話に入らせていただく」


「依頼を、受けていただけるのですか?」


「無論だ」


門司が語る異変の全てがつながっているかどうかはさておいても、この家に何かしらの霊的な存在がちょっかいをかけてきているのは確かなことである。それも、魔除けの札をこうまでボロボロにするような強力な相手である。放っておけばどうなるか分からない。

根が深そうな案件ではあるが、それ故に、事が大きくなる前に早急に手を打たなければならないと思っての決断だった。


「護衛という話だが、そうなるとオレはこの町から動けなくなる。期間がどうなるか知らないが……拘束時間が長くなる以上、費用は高くつく」


「依頼のお電話をしました時にお聞きしております」


「それなら、良い。次に、護衛の期間中だが……あまりこの家から離れてはオレでは対処しきれるとは限らない。近くに丁度いい仮住まいがあれば良いが……」


「それに関しましても、当方でご用意は進んでおります。この度、津川さんには、住み込みでのお仕事をしていただこうかと」


「は? 住み込み? オレが?」


思わぬ提案に、冬夜が目を丸くした。思わず出た素を隠すべく、何度か咳払いをして、


「こほん……失礼した。住み込みだと? オレは構わないが、そちらは良いのか?」


住み込みとなれば仕事をする上では都合が良い。急な事態にもすぐに対応出来、何より状況を当事者として知ることが出来る。

だが、実際に一般家庭を相手にする場合ではそうはいかない事が多い。例え相手が業者でも、普通の人間は外部の人間が同じ家の中で生活することを嫌うのが普通だ。


「はい。お嬢様には既にお話を通してあります。津川様は私の遠い親類で、訳あって一色家で私の手伝いをすることになった、と」


「手伝い? オレがか?」


思わず眉をひそめた冬夜を見て、門司は慌てて両手を振って、


「もちろん、それは建前です。私が上手く立ち回りますので、津川さんはお仕事に集中なさってください」


「……ならば、良いが」


門司は改まって、冬夜の目を真っ直ぐに見据え、


「この一件に関しまして、お嬢様達に、あなたがこういった業界のものだとは知らせないでいただきたいのです」


「何?」


「一色家が家業をやめてもう随分と立ちます。お嬢様も、元がそう言った家であることは承知しておりますが、今更不安を煽るようなことはしたくないのです」


門司の言わんとする事は冬夜にも理解出来た。それは額面通りのことだけではなかった。

もとより魔術や呪術と言った事柄は血生臭く、陰鬱な歴史がつきものだ。それが嫌で家業を取りやめた家や集団も多くある。まして、先にも述べた通り、科学が万能とされるこの世の中で呪いや咒いなどを家業としてきたなどと言えば世間では白眼視されよう。

挙句、今更そんな事を気にして得体の知れない男を雇ったとなれば目も当てられない。

なればこそ密かに裏で事態の収束を図りたいと考えるのは当然のことなのだろう。


「ただいまー!」


冬夜が考え込んでいた時だった。不意に玄関から元気に溢れた声が聞こえてきた。

甲高く、少々舌っ足らずな、幼子のような声だった。


「お帰りなさいませ……失礼します、津川さん。お嬢様がお帰りになったようです」


「お嬢様?」


冬夜の眉間に皺が寄った。

”お嬢様”と、確かに門司は言った。ならば、今の声の主がそうなのだろうか?


「ただいま!もんじぃー!」


門司が席を立つよりも早く、客間に飛び込んでくるものがあった。

それは、少女というにもまだ幼すぎる小さな女の子だった。椅子に腰掛けたままの冬夜と同じくらいの背しかない彼女は、ヒマワリのような明るい笑みを満面に浮かべて、


「あのね、あのね!きょう、さっちゃんがね!」


早口で話すそれは、幼稚園であった出来事のようだった。

黒衣の少年には気がついていないのか、うれしそうに語る彼女をみて、門司は優しい微笑みを浮かべながら相槌をうっている。

そんな二人の様子を、冬夜は黙って微動だにすることなく見続けるばかりだった。それは気を使ってのことではない。その証拠に、彼の眉間には未だ深い皺が刻まれたままだった。


「でね・・・・・・え?」


不意に体を動かした女の子が固まった。

動いた拍子にその姿が視界に入ったのだろう。彼女の目線は冬夜に釘付けになったままそこで固定されていた。


「ぇ、」


「む?」


息を吸い込みながら発したかのような声を女の子があげた。

続いて彼女の両目が潤み、今まで浮かんでいたヒマワリのような笑顔が枯れていく。


「えぇぇぇぇん!!」


泣き出した女の子を前にして、冬夜が目を丸く見開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る