第3話 払い屋

数時間後、冬夜は指定された喫茶店で窓際の席に腰掛けていた。

あれからは一睡もしなかったせいであまり機嫌は宜しくない。目頭を指先でつまむように押して、彼は注文したコーヒーを一口すすった。

時刻は朝の九時。指定の刻限までにはまだ十分に時間がある。時間に余裕を持っての行動は仕事をする上で重要な事ではあるが、それにしても些か早く来すぎてしまったかと思いながら、彼はここに来るまでに立ち寄ったコンビニで買った新聞を広げた。

政治やら芸能やら、ケバケバしい見出しが視界で躍る。これといって感想も何も浮かばないが、所詮は依頼人がくるまでの暇つぶしである。活字が読めればそれで良かった。

時事や今時の流行などまるで分からないが、興味がまるでないわけではない。その内容ではなく、それを読んで一喜一憂している尋常の人の生活に、である。物心ついた時から普通とはかけ離れた生活を続け、裏稼業で食う身となった彼からしてみれば、常人の暮らしはどこか遠い国の人々の営みを見るような気分だった。自分と同じ年代の人間が何を考え、何を思って生きているのかは分からない。分からないが、想像することは自由だ。いくら考えを巡らせたからと言って何か得るものがある訳でもないが。

ぱらぱらと新聞をめくりながら、彼は咥えたタバコに火を点ける。丁度その時だった。


「津川さん、ですか?」


不意に掛けられた声に顔を上げてみれば、冬夜の横には初老の男性が立っていた。

白髪混じりの頭に、丸メガネ。人あたりの良さそうな顔立ち。アイロンがけをされたシャツに、手入れの行き届いたスラックス。老紳士という言葉が似合いそうな男性である。


「あぁ。あんたが依頼人の門司もんじさん……か?」


老紳士は頷くと、冬夜にすすめられるままに彼の前に腰掛ける。それを見ながら、冬夜は新たにコーヒーを一つ注文した。


一色家いっしきけの家令、門司もんじ蓮三郎れんざぶろうでございます。この度は急なご連絡にも関わらず、こうして来ていただいてありがとうございます」


「これも仕事だ」


嫌味や高慢さの全くない門司の態度に、冬夜は少なからず好感を覚えたが、それをお首にも出すことはない。対照的に冷淡で、ともすれば無礼ともとれるような様だった。

仕事に私情ははさまない。

それが、少年が自らに課したルールである。ひたすら機械的に、情を挟まずに成すべきを成す。その為に彼は相手が何者であっても同じ態度を崩さない。


「さっそくだが、仕事の話に移らせていただく。依頼内容は……」


新聞をどけ、その下に置いてあったバインダーを開く。今朝方メールで送られてきた添付書類の内容は頭に入っているが、もう一度、プリントアウトしたその内容を確認して、


「一色家の警護、であっているか?」


「はい、間違いございません」


門司の元にコーヒーが届くのを見届けて、冬夜は自分のぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。顔をしかめたのは苦味のためか、それとも別の要因か。


「念のため聞いておくが、オレの……オレ達の仕事がなんであるのかは知っているな?」


答えようとした門司が息を飲んだ。

冬夜の鋭い双眸が、彼の顔を真っ直ぐに見つめていた。


「……はい。払い屋、とお聞きしております」


冷たく、そして深い瞳による無言の圧力によって息を詰まらせながら、門司は呻くようにその一言をようやく口に出した。

冬夜は無言のまま頷いて、灰皿に置いたままのタバコをつまんで煙を吸い込む。

払い屋。

人によって拝み屋、祟られ屋、咒い師など、様々な呼び方をされることもある。だがどんな呼び方であれ、仕事内容に大した違いはない。常識の埒外の事柄をどうにかするのが仕事、要は、幽霊や妖怪、祟りや呪いの類に対抗する専門家の総称である。

今時、そんな非科学的な職が成り立つのか。それは是である。いつの世であっても闇を恐れ、理解出来ない物、分からない物に、どうにか理屈付けて安心を得ようとするのが人間の常なのだ。

とは言え、科学が万能のものとなったこのご時勢、そういった生業につく人間が減ったのも事実ではある。昔は―それこそ数十年前まではどの町にも一人や二人はいた拝み屋も今ではほとんど見られなくなってしまった。そんな職を喧伝しようものなら、それこそ人々の嫌悪の対象となり、狂人扱いされるのがオチだ。

だから、彼らは徒党を組んだ。

冬夜がオレ達と言ったように、今時の拝み屋は完全な個人営業ではない。

その始まりがいつだったのかは冬夜にも正確には分からない。だが、明治の頃にはその前身となる物はあったと聞く。

それは、元はごく限られた者達の集まりだったらしい。名のある陰陽師の一派が始祖とも、仏門の団体や修験道の一団がそうとも言われている。科学の発展と共に排斥され、消えていく技を憂いた者が集った事が、今の団体が始まりであったとされる。それらが、地方の拝み屋や退治屋、時には宗教団体まで、ありとあらゆる魔に属するもの達を取り込み、提携を結び、時には敵対を繰り返した末に、それは出来上がった。

その団体に名前はない。名とは物事を縛る最も古く、そして強い呪いである。それを悪用されるのを嫌ってのことだった。それに、名はなくともやるべきことが明確に決まっているのであれば何も問題はない。

団体の主な仕事は、各地の拝み屋達と提携を結び、仕事を斡旋する事である。そして仲介料を得る、あるいは直接顧客と契約を結ぶことで財を築き上げ、冬夜の属する“組織”は瞬く間に大きくなっていった。


「お若い方とお聞きしておりましたので、お声をかけさせていただきましたが……その」


冬夜の姿を不思議そうに見つめて門司は言いよどんだ。

どこからどう見ても冬夜は十代後半、贔屓目に見ても二十代前半といったところだ。


「若く見られるのは悪くはないが……安心しろ、とっくに成人済みだ。十年以上この仕事をしてきている」


「あ、いえ。申し訳ございません」


門司が何かを言う前に、冬夜が釘を刺す。

半分は嘘だ。冬夜はまだ十七になったばかりの若者だ。だが、もう半分は真実であった。


「ともかくとして、下請けの払い屋達ではなく、“組織”直属の者に依頼をするとはな」


紫煙を吐き出して、訝しむかのように冬夜は呟いた。通常の依頼であれば“組織”が下請けに回す形で解決する事になっている。昨晩の件のように、動ける者がいなければ直属の者が動くが、こうして最初から直接冬夜達に依頼が回される事は稀だ。まして、人目につかないところで動いている職業である。“組織”の事を知っている者自体が珍しい。

そこまで考えて、冬夜は再び書類に目を向けた。

一色家は古くから続く名家。恐らく、これまでにも魔とは無縁ではない道を歩んできたのであろう。それを考えれば、 “組織”に伝手を持っているのも分からない話ではない。


「はい。少々込み入った事情がございまして……ご存知かとは思うのですが、一色家は古くから続く家。かつては財界の方々を相手に占いのような仕事をしておりました」


「同業者というわけか。それが何故?」


冬夜が尋ねる。そのような仕事をしていたともなれば自衛の手段はあってしかるべきものだ。よほど大事でもなければ家の警護など外部に頼む必要はない。しかし、門司は大げさとも思える仕草で手を振って、


「いえ、滅相もございません。かつてはそのような仕事をしておりましたが、今はもう、魔道を離れて長くなります。当時の術を今に伝える者など最早おりません」


時代の流れによって滅び、あるいは商売を退いていった家は数多い。一色家というのもその口なのだろう。

そこまで聞いて、冬夜にはこの仕事の骨子が見えてきていた。


「仮にも魔道に属していた身の上。財界相手の商売ともなれば思わぬ恨みを買っている……という所か?」


「お恥ずかしながら、その通りでございます。人の恨みとは誠に恐ろしいもので、どこで何が原因となったのか、こちらには検討を付け兼ねるものでございます。そしてそれは何年経とうと消えることなく残り続け、思わぬ時に牙を剥くのです」


いつ何時、どこで買ったとも知れぬ恨み。それがどこからともなく因縁となって襲いかかってくる。そうなってしまっては、安心はできないだろう。一色家は魔道を退き、向けられる呪詛はおろか、単純な実力行使にすら抗う力はないのだ。

だからこそ、出処の確実な、それでいて実力も折り紙付きとされる“組織”の直属の者を選んだのだろう。


「大体のところは分かった。……警護というのは理解したが、そもそも既に何か変事は生じているのか?」


恨みを持つ何者かから家を守る。そこまでは分かったが、それでは内容が漠然としすぎている。こうして頼んできている以上、何かしらの異常があったということなのだろうか。


「……明確にそうと決まった訳ではないのですが」


「む?」


「ともかく、一度、家に来て頂きたいのです……」


門司はうつむき、その一言を絞り出した。

それを聞き届けた冬夜はしかし、顔色一つ変えずにもう一度コーヒーを口にする。注文してから長らく経ってしまったそれはもう冷え切って苦いばかりだった。

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