第2話 依頼はモーニングコールと共に

駅前の安ホテルの一室で、冬夜は目を覚ました。

目をこすりながら、のっそり起き上がると、コートが敷布団と擦れて乾いた音を立てた。昨晩の一件が終わってすぐ、予めチェックインしていた部屋に戻り、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまったらしい。

我ながら不健康なことだと思いながら体を伸ばす。夜に動く事が多い仕事とはいえ、ここまで疲れたのは久しぶりだった。別に昨晩の仕事が格別にキツかったというわけではない。ここ最近働き詰めでロクな休みが取れていないことが問題だった。

寝ぼけ眼でベッドに備え付けられたデジタル時計を確認すると、時刻は朝6時、昨晩の仕事が片付いてから部屋に戻ったのが1時過ぎだったから睡眠時間は五時間に満たないといったところか。

疲れは未だ十分に取れてはいない。本来ならば昼近くまで寝込んでいるつもりだった。今日は久しぶりの休日で、仕事は入っていない。

それが何故こんな時間に目覚めてしまったのか。

ふと気になって、コートの胸の内ポケットから携帯電話を取り出す。時代遅れになりつつあるフィーチャーフォンを開いて確認すると、冬夜は目を剥いたまま固まった。

五件以上の不在着信、それもつい数分前までのものである。こんな時間に目を覚ました理由はこの着信音によるものだったらしい。

恐る恐る相手を確認してみて、彼は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。いっそこんなもの見なかったことにして寝直してしまおうと本気で考えた時、タイミング悪くもう一度着信が入った。響き渡る着信音と、画面に表示された名前。

たっぷり十秒間悩みぬいた末に通話ボタンにタッチする。


「……こんな時間に何のようだ、てめぇ」


ドスの効いた声で冬夜は電話口向かって話しかけた。


『あぁ、おはよう、津川くん。いきなりおだやかじゃない挨拶だね。いくら何でも上司相手に、てめぇ、はないだろう?』


対する電話の向こうの声は軽やかだった。男の声である。電話越しでは正確な年齢は分かりづらく、冬夜と同じ位の少年にも、一回り以上は上の成人男性にも思える。

上司と、そう名乗って注意した割に相手はあまり怒っているような様子も感じられず、むしろ冬夜の反応を楽しんでいる風でさえああった。


「あぁ、お前が仕事用の携帯にかけて来たんならそれ相応の対応してやるさ。プライベート用に、しかもこんな時間にかけてくるとはどんな了見だ」


『君の声が聞きたくなって』


「イタ電なら切るぞ!」


本当に通話をやめかねない勢いで冬夜は怒鳴りつける。

今の彼は、昨晩の彼とは全く違って感情的で、知らない者が見たのなら別人かあるいは多重人格を疑いたくなるほどの変わりようであった。

怒鳴りつけられた当の本人はその辺をよく知っているのか、こみ上げてくる笑いをこらえているかのような声で返答する。相手は冬夜の様子が面白くて仕方がないのだ。


『ごめんごめん、冗談はさておいて業務連絡なんだけど今大丈夫?』


「……少し待て」


手帳とペンを取り出し、部屋に備えられた机につく。すでに彼の眼光は鋭く、仕事時のそれになっていた。


「いいぞ、課長」


『それでは。まず、今回の仕事の件の報告を貰いたい』


相手に促され、冬夜は一度目を閉じて深く息を吸い込み、事の顛末を語り始めた。淡々としたそれに私情などは一切入っていない、どこまでも客観的な報告だった。


「……以上だ。相手は恐らく死肉喰の何かだ。細かい区分までは分からないがな」


『ふむ。承知した。屍食鬼とかその辺の気もするけど、もしかしたら地域特有のモノノ怪かもしれないし、正確な種類までは詳しい調査をしないと分からないね。まぁ、今回の依頼は墓場に出る化物をどうにかして欲しいってだけだから、これでこの案件は解決ってことで問題ないだろう』


そこまで言って、課長と呼ばれた男は黙り込んだ。電話の向こうで冬夜の報告を書き付けているらしかった。

屍食鬼、モノノ怪……耳慣れない言葉が電話を通じて二人の間で飛び交っていた。凡そ、常人が聞けば二人の正気を疑うような会話であるが、常軌を逸したそれこそが二人の仕事であった。


『この件はこれで終了。で、別件にうつる。確認だけど、君、まだ前の仕事の町にいる?』


「あぁ。駅前のホテルに泊まっている」


『それは良かった。次の仕事だ。今から指定する場所に向かって人と会って欲しい。何でも緊急で、しかも下請けじゃなくて、組織の者を指名ときてる』


告げられた住所と店の名前を手帳に書き記していく。このホテルからそう遠くない場所にある、どうやら喫茶店のようだった。そこまでをさらさらと帳面に写していき、しかし、約束の時間を聞いて、冬夜のペンの動きが止まった。


「待て。九時半? 今日のか?」


『今日の九時三十分、そう伝えたけど聞こえなかった?』


「ふざけんじゃねぇ」


静かに冬夜の口調が崩れた。


「今日はオフだ。前々からそう言っておいただろうが」


『素が出てるよ? いやー、申し訳ない。丁度いいところに君がいたもんだからさ、せっかくだし引き受けてくれ』


「ふざけんな! オレが今月どれだけ動いてると思ってんだ? 昨日で十五連勤目だぞ!? いい加減休ませろ」


『申し訳ない! 人手不足が深刻でさ、動けるのが君しかいないんだよ』


「休みのオレを動ける頭数にいれるんじゃねぇ!」


電話に向かって思い切り吠えた。

あまりの音量に耳障りなハウリングが起きて、寝不足の頭に鈍い痛みが生じた。


『ごめん! この案件片付いたら長期休暇約束するから勘弁して!』


さらに怒鳴りつけようとしていたが、課長の必死な声を聞いて冬夜は口をつぐんだ。相手の声に申し訳なさを感じ取ってのことである。思えば彼もこんな朝早くに仕事の電話をしてくる程度には忙しいのだ。そこまで考えると、どうにもこれ以上強く言う事は憚られてしまう。


「……承知した。仕事は仕事だ。せいぜい手早く片付ける」


心の中でため息をついて、冬夜は努めて冷静に承認した。

またしても十分な休息をとれないままに仕事に赴くハメになるのかと考えて、気分が一気に沈む。これもまた勤め人の宿命と言い聞かせて無理矢理に自分を納得させるより他に出来ることはなかった。


「仕事の連絡は業務用の携帯の方にしろ。プライベート用にわざわざかけてくるな」


『いや、だって君、休みの時業務用の電源切ってるだろ? よくないよ、そういうの』


「休みに電話してくるなと言っている」


通話終了後、折りたたんだ携帯をベッドの上に放り投げて、それでも怒りは収まらずに中指をたてる。そうでもしなければその辺に当たり散らしてしまいそうだった。

再び枕元の時計を確認し、冬夜は眠る事を諦めた。今から眠ってしまっては体力的に約束の時間に間に合わせるのは難しそうだった。もっとも、怒り狂った所為で眠気など当の昔にどこかに行ってしまっていたが。

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