人生

@smilemaker

第1話

雨の降る中、大樹の下で私は女性と待っている。

なぜここにいる? 何を?

女性の方をちらりと見る。

寒さで冷えた白い肌と赤らむ頬。

絹のクロスネックに胸元が映える。

足元の籠には/光のために/とある。

どうして名を知っている?

彼女がこちらに目を合わせる前に視線を逸らす。

その先の水溜まりに大学生の自分が写る。

溺れるほどの才もなく、文章とネットに浸かる日々

好きだった趣味は時が経って塵となり

課題も惰性に従うのみ。

誰も見てくれない教室に、入る意義はなかった。


隣から声がして意識を取り戻す。

「あの…寒い…ですよね。…もっと近くなら、暖かいと思って…」

私はこくりと肯定して、うずくまって体を互いに近づける。

ぽたぽたと雨垂れが衣服を濡らし、体を冷やす。

華奢な腿から薄衣を介して体温が伝わる。

小さな吐息が雨音に混じって聞こえる。

長髪が肩にかかり、椿が香る。

顔を上げれば、水溜まりの向こう岸に小学生の自分がいた。

小さな井戸の中で、何も思わず授業をこなす。

周囲の猿が巻き起こす騒音に常に辟易する。

時折自分だけ授業が変わり、静かに先生と一対一で受け答えする。

テストの成績の意味も知らず、図鑑と本を読んで、日々を受け流す。

なんで 今 なぜ過去を思い出す?

肩の感触がなくなる。横を見ると

りんごを齧る彼女が見えた。

気付いて差し出すが、私は遠慮した。

底のない引き込まれる瞳に、果汁で潤う唇。

私は目を逸らす為に、奥の木々に目をやると、

高校生の私が、私を見つめていた。

受験で志望校を落として、初めての敗北を味わった。

中学の時できた演技で周囲の人々に笑顔を見せていた。

ワンランク下の学校で一番ですらないのは

とても苦しかった。共感する本がただ救いだった。

そして私は、またも失敗して、ツギハギの心を直せなかった。

わからない。なぜわからない。

私は天才だ、絶対できる。どこだ、私は何だ。

もういいか。諦めよう。いやだ。でも出来ない。

なぜ。

私は雷鳴で今を思い出す。

無垢な目がこちらを見つめている。

穢れのない豊満な体が私の心を、体を温める。

彼女の肩を掴み、ゆったりと押し倒す。

抵抗はしない。なら、

左手を肩から胸へとなぞり、服の上から乳房を包む。

くぐもった声。柔らかい触感に乳首が立っているのがわかる。

そのまま手で愛撫しつつ、右手でズボンを下ろそうと四苦八苦する。

女が口元に妖しい笑みを浮かべる。パンツも下ろして視線を合わせると、

表情とは裏腹にその目は景色を拒絶し、私を映し出す。

思い出した。

勝利も賭けもない、穏やかで愛しい世界よ。

私は何も知らないままでいたかった。

今のままでは苦しいと分かっている。

それでも変わりたくない。もう十分に変わってしまった。

これ以上変われば、私は人の道を踏み外すだろう。

これ以上変わらなければ、私は辛酸の味に溺れ死ぬだろう。

恋をしていた。過去の自分に憧憬を見ていた。

だから、こんな境目で、私はまどろんでいるのだろう。

目を覚ませば、誰かが心配している。

そして、浮世の中、不調和を生み出す。

ここで交われば、雨は晴れ、ここで幸福を得る。

彼女は憂れしそうな、悲しそうな、そんな顔をしてこちらを見る。

まだ寒いのだろう。私を抱きしめている。

ここが何なのか、彼女が誰か、私は知らない。

選択肢が残っているかも知らない。

私は、どうすれば良いだろう。

少しずつ体が濡れる。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人生 @smilemaker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る