22 愛は惜しみなく奪う

「司祭だけじゃない、キミも嘘をついていたな、エリュシア」


 息をのんで、振りむく。

 紅の眼が嗤いながら、真実をあばきだす。


「聖女はんだろう?」


 ああ、知られてしまったのか。

 エリュシアは項垂れて、ちからなく微苦笑した。胸をひと突きにされたような、瞬時に諦めるほかにないほどの衝撃があった。


「……そうです、聖女は消耗するたびに捨てるものですから」


 神聖アルカディアから聖女がいなくなることはない。死んだらすぐにつぎの聖女候補が祝福を授かるからだ。事実、先期の聖女が死んだその晩、エリュシアは女神の祝福を賜った。


 今から七年前のことだ。


 教会では聖女はもって一年と語られている。聖痕にたえきれずに逃亡してに遭ったり自害したりするからだ。

 だからエリュシアが聖女に選ばれた時も二年間は修道女たちにも公にされず、別の教会に移ったという扱いになった。

 これらは教会でも一部しか知らない秘密だ。

 知っているのは教皇、司祭、司教、あとは皇子くらいだ。


 もっともエリュシアが七年にわたって聖女をつとめてきたことで、これまでの聖女たちが脆弱だっただけで、聖女の使命というのもたいしたことはなかったのではないかという認識ができはじめているのも事実だ。


「その顔紗マスクは聖女が入れ替わっても気づかせないためのものかい?」


「そうです。聖女になると髪のいろと眼のいろが変わるのも女神のお取りはからいでしょうね」


 顔紗をつけ、髪と眼のいろが一緒ならば聖女が毎年別人になっていても気づかれることはない。アルカディアの聖女という機巧オートマタは嘘を重ね、廻り続けてきた。


 真実を語り終え、エリュシアは息をついた。


 だが、キリエは続ける。


「ここまでは前提だ。俺が指摘している嘘はこの続きだよ」


 エリュシアの表情が強張った。


「キミはあのとき、聖女の奇蹟を待っているものたちのために死ねないといったね? だが、キミが死んでもすぐに新たな聖女が現れ、そのものたちを救うとわかっていたわけだ。矛盾がある」


「っ」


 エリュシアが弾けるようにその身を捕える男の腕を振りほどいた。キリエは敢えて、彼女を解放する。瀕死のねずみを甚振る猫の余裕で。


「キミは、いくらでも替えのきくものとして死にたくなかったんだろう?」


 ぼろぼろになっていたこころが砕けた。


 言葉にされたことで彼女は理解してしまった。彼女は替わりのないものとして愛されたかった。

 愚かな欲。永遠をもとめるような。

 聖女として身を捧げれば愛されるはずだと疑わなかった。


 ともすれば、焼けた赤い靴で踊り続けるような苦難でも、彼女は微笑みを絶やさずに乗り越えてきた。

 だが、聖女として振る舞うほどに、彼女がもとめる愛は遠ざかっていった。婚約者には蛇蝎のごとく疎まれ、育ての母親には助けたことまで後悔されて――誰も残らなかった。


「キリエ」


 望みは永遠に絶たれた。


 舌の紋様が燃える。清らかな捧げものを想わせるさまで跪いて、エリュシアは懇願する。


「どうか、私を死なせてくださ――」


 最後まで言葉にすることはできなかった。

 接吻に声を奪われる。


「なん、で」


 息絶え絶えに訴える。


「これで、この賭けはあなたの勝利で終わるのに」


「賭け、ね。残念だが、俺は強欲でね。魂だけじゃなく、キミの命もその身も全部が欲しくなった」


 キリエは禁忌の果実のような眼をぎらつかせた。


「そもそもキミは愛されたかった。愛してくれるものがいれば、どんな地獄でも渡りきるつもりだったわけだ。いまだって、ほんとうは死にたくないんだろう?」


 諦めよう。

 なにもかも諦めるべきだと頭では考えていたが、震えるからだが死にたいする拒絶を訴えている。浅ましい身を抱き締め、エリュシアは悲鳴を洩らす。


「だったら」


 彼はなにもかもを破滅させるような妖艶な微笑をむけてきた。


「俺がキミを愛するよ」


 エリュシアは想わず、彼の頬をはたこうと腕を振りあげていた。馬鹿にしているにもほどがある。愛。理解できないと宣い、愛を欲して壊れた彼女のこころを知っていながら、まだそんな台詞で欺こうだなんて。


 だが、振りおろそうとした腕をつかまれ、エリュシアは絶叫じみた声をあげる。


「哀れんでいるんでしょう? だから、そんな嘘を」


「そうだよ、哀れんでいる。キミは強くて敏くて、惨めだ。だが、愛しているというのは嘘じゃない。そんなところを愛してるんだよ、エリュシア」


「そんなの」


 愛じゃない。


 そう喚きかけて、言葉が喉につまる。

 なにが愛か、愛じゃないか。エリュシアだって、知らなかった。かわりに唇からこぼれ落ちたのは嘘のない本心だ。


「そんなの、こわい……」


 エリュシアは頭を抱え、震える身を縮ませる。


「だって、私はあなたに愛されるようなことはなにひとつ、できていません。命を救ったわけでも役にたったわけでもなくて、ただ、命を奪ってしまっただけ。それなのに、愛されるなんて」


 頑張って、頑張って、やっとのことで愛されてきたのに。

 それでも愛されなかったのに。


 錯乱するエリュシアにたいして、キリエは嘲笑うように唇をゆがませた。


「救われたから好きになるのが、ほんとうに愛か?」


 見張られた黄金の眼から、ひとつ、またひとつと涙があふれだす。


「俺にはひとの語る愛なんか解らない。だから、俺なりの愛をキミにあげよう」


 彼は愛しむように微笑んでいる。


「エリュシア」


 ほんとうは理解っている。彼に絆されるべきではないと。


 彼の愛がどれほど致命的で、危険なものか。

 落ちるさきは地獄だとわかっていて、それでも心を絡めとられていく。


 だって、彼だけだ。彼だけが彼女を。


「なんで、あなたは私なんかを」

「キミがキミだからだ。ほかに理屈がいるのか?」


 手を延ばす。

 するりと指を絡められて、ひき寄せられた。

 教会というおりから連れだすような手つきで彼はエリュシアを抱きあげる。それでいて彼の身振りには隙がなかった。左腕だけで抱きかかえて、彼は竜に似た翼を拡げる。

 キリエが腕をかざすだけで窓が弾けて、崩れた。

 彼は翼を羽搏かせ、三階の窓から身を踊らせる。薔薇の香りを乗せた風が、金とも銀ともつかない娘の髪を舞いあげた。


 教会を振りかえったとき、胸が締めつけられた。


 あの豪奢なバロック建築の教会は錆びついた檻だ。聖女という身分に未練はない。だが今後、民はどうなるのか。教皇は怒るだろうか。


「……神託はどうなるんでしょう」


「不安なら、アルカディアを離れたらいい。この地にいないキミが禍をもたらすはずもないだろう?」


 彼の誘惑はいつだって、あまやかだ。そんなことは都合がよすぎるとわかっていながら、縋らずにはいられない。


「何処にいきたい? 海でもいいか、北のほうには妖精がいる島があるそうだよ」


神聖アルカディアここでないのならば、何処へでも」


 教会から視線を逸らす。

 もう、振りむかない。

 なにもかもがあとかたもなく壊れて、それでもいま、心は満ちたりている。罪ぶかいほど。


 なぜか、涙があふれてとまらなかった。

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