21 嘘つきは誰

 こぽこぽと紅茶がそそがれた。

 エリュシアは神託を確かめるべく、アルテミス司祭の私室を訪ねた。扉をたたいたエリュシアが酷く青ざめているのをみて司祭は事情を察したのか、紅茶を淹れてくれた。


「まずは落ちつきなさい、話はそれからしましょう」


 アルテミス司祭の私室は書斎のように本棚がならんでいる。エリュシアはめったに入室したことはなかったが、本棚の端に都ではやりの娯楽小説がおかれていた。いつだったか、ハルモニアが読んでいたものだ。ハルモニアは司祭の私室に度々訪れているのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、紅茶を待つ。

 頭がふらふらとしていた。


「どうぞ」


「ありがとうございます、あの砂糖をいただいても構いませんか?」


 アルテミス司祭は砂糖瓶さとうびんを持ってきてくれた。

 角砂糖をふたつ落として、エリュシアは震えながら紅茶を飲む。アルテミス司祭も続いて、カップに唇をつけた。


「ミュトス殿下から聴きました。あの神託は真実なのですか?」


「残念ながら、真実です。貴女はこの神聖アルカディアを滅ぼす呪われた聖女であると神託がくだりました」


「なぜですか」


 神託だからといわれたらそれまでだ。


 だが、せめても訳を知りたかった。


 聖女暗殺の刺客が差しむけられた時もそうだ。死を望まれるのならば、捨てられるのならば理由を教えてほしかった。


「思いかえせば……っかは」


 唇をひらいたアルテミス司祭がせた。口もとを覆った指のあいだから、ぼたぼたと血潮があふれだす。


「やっぱり、毒を」


 エリュシアは椅子からたち、絶望の声を洩らした。

 アルテミス司祭の私室にむかう途中でキリエと逢った。彼は「司祭が紅茶を淹れてきたらカップを入れ替えろ」と警告してくれた。祈るような想いでエリュシアは紅茶をすり換えたが、最悪の結果になった。


「紅茶に毒を盛るほどに私の死を望んでおられるのですか、お母様」


 アルテミス司祭はテーブルの端につかまりながら、息も絶え絶えに声をしぼりだす。


「貴女が聖女となってから、不穏なことばかりが続いています……私はアルカディアの司祭として母親として、呪われた聖女を教会におき続けるわけには参りません。これが私からできる最後の母の愛だと」


 不穏なことばかり――魔物の増殖、戦争の激化か。


 いつだったか、騎士隊と一緒に敵軍に侵略されかけた町の民をまもったことがあった。エリュシアは懸命に奇蹟を施したが、間にあわず助けられなかったものがいた。残されたものたちは聖女を呪った。

 家族や愛するひとが死んだのはおまえのせいだと。

 それもまた、聖女の役割だ。


「この国を、民を想うのならば、命を絶ってください」


 絶望の涙がひとつ、落ちる。


「私が命を絶てば救われるのですね?」


 毒入りの紅茶に視線を落とす。震える指でカップを持ちあげ、飲もうとした時、後ろから抱き寄せられた。

 ティーカップが落ちて、こなごなに砕ける。


「神託は嘘だよ。アルテミス司祭の捏造だ」


 背後からキリエが囁きかけてきた。

 アルテミス司祭は突如として現れた男に凍りついている。


「神託がくだるまえから聖女暗殺は始まっていただろう? そう、わかるよな? 聖女の死を望んでいたのは――――」


 キリエは後ろから腕を伸ばし、アルテミス司祭を指差した。


「……お母様、だったのですか?」


 考えてみれば、なにもかもが理にかなっていた。

 手紙から香った振り香炉は司祭が日頃からつかうもので、巨額の報酬も教会の資金を横領すれば調達できる。疑いたくはなかったが、服の入れ替えも最もかんたんにできるのは司祭だ。


 ほんとうはわかっていた。

 それでも疑いたくなかった。


「なぜですか、なぜ! 私はあなたの娘として懸命に」

「娘、ですか」


 アルテミス司祭は笑いだした。


「私のほんとうの娘は貴女ではありませんから」


 アルテミス司祭は血と一緒に喀き捨てるようにつぶやいた。

 エリュシアは頬を強張らせる。まるで、実の娘がいるような口振りではないか。だがそんなことはあり得ない。


 女神の身許につかえるものは貞淑であれというのが聖ロクス教会の教えだ。

 操を破ることは許されず、死ぬまで未婚を通す。


 だが、ハルモニアが失踪した時のアルテミス司祭の取り乱しようは実の娘を案じる母親の涙ではなかったか。


「ハルモニアはアルテミス司祭の実の娘なのですね?」


 死をさとっているからか、彼女はためらいなく肯定する。


「もとは無理やりに孕まされた赤ん坊でした。ですが、胎のなかで育つほどに愛しくなって。幸い、私は妊娠してもあまり腹が膨れませんでした。教会に隠れて産み、捨てられた赤ん坊として育てることにしたのですよ」


 司祭はよくハルモニアを叱っていたが、それもまた、実の娘だからこその愛の鞭だったのか。想えば、エリュシアは司祭に叱られたことはなかった。


「白曜石の鏡に映したあのの魂は、女神の祝福を授かるにふさわしいものでした。エリュシア――おまえさえいなければ、あのが聖女になっていたのに」


 アルテミス司祭は憎々しげにエリュシアを睨みつけた。

 愛されているとおもっていた。義理の母親からの怨嗟の眼差しに身を竦ませながら、エリュシアは頭を振る。


「理解できません。聖女がいかに苛酷な務めか、アルテミス司祭は知っておられるはずです。実の娘にこのような重荷を背負わせようだなんて」


「ふ、おまえには……解らないでしょうね。愛する娘に母親だと名乗ることもできない身が……どれほどつらいものか。聖女を産んだとなれば、処女懐胎として公にすることもできると……私は……それだけを夢みて」


 アルテミス司祭がまた、酷くせた。眼はもう焦点を結んでいなかった。段々と声もか細くなる。


「最後にひとつ」


 司祭は呪いを残す。


「神託は真実ですよ。おまえはいつか、かならず、神聖アルカディアを滅ぼす……ああ、貴女なんか拾わなければ」


 椅子から崩れるように落ちて、アルテミス司祭が息絶えた。


「お母様……お母様っ」


 エリュシアは咄嗟にアルテミス司祭のもとにかけ寄ろうとした。だが、背後から抱きすくめられ、身動きがとれなくなる。


「司祭だけじゃない、キミも嘘をついていたな、エリュシア」

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