20 神託と婚約破棄

 星が落ちた。

 聖ロクス教会の塔にむかって垂直に落ちる星を仰ぎ、誰もが胸をざわつかせた。聖女候補の惨死事件が起きて、帰還はしたが聖女も一時失踪。ただでも神官や修道女たちの心が乱れている。

 神の導きを欲して、アルテミス司祭は祭壇で祈りを捧げていた。

 祭壇には女神像があり、きらびやかな燭火しょくかがともされている。風もないのに、火が緩やかに廻りだした。

 跪き、瞑想を続けていたアルテミス司祭が息をつめ、眼を見張る。


 神託がくだった。


「聖女エリュシアが神聖アルカディアを滅ぼす――」


 アルテミス司祭はたったいま、授かった神託を復唱する。戸惑いを経て、彼女は微かに唇の端を持ちあげた。


 これでなにもかもが思いどおりになると。



 

          ꕥ



 

「聖女エリュシア、貴女に婚約破棄を言い渡す」


 白い薔薇が舞う月夜の中庭で、ミュトス皇子はそう宣告した。

 エリュシアは凍りつきながらも努めて微笑を保ち、尋ねかける。


「なにか、私にいたらないところがございましたでしょうか? それであれば」


 謝罪しようとするエリュシアにたいして、ミュトス皇子は冷酷な眼差しで信じられないような言葉を続けた。


「昨晩、星が落ちた時に神託があった。貴女がこのアルカディアを滅ぼすと」


「そんな。誰がそのような神託を」


「神託を預かったのはアルテミス司祭だよ、残念ながらね」


 視界が暗くなって、エリュシアは地に崩れ落ちそうになった。微かに震える脚で懸命に踏みとどまる。


「貴女は完璧な聖女だったよ。私だってこんな神託、信じられない。信じたくなかったさ。だが、いまは疑うしかない」


「まっ、待ってください、私は聖女として」


 懸命に努めてきたつもりですと縋りつきかけた手を、ミュトス皇子は振り払った。


悪魔アクマの誘惑に落ちたな? 教会の中庭で妙な男と密通しているところをみた。言い逃れはできないよ」


 エリュシアが絶句する。


「でも、私は皇子として、聖女との婚約がきまっている身だ。公に婚約破棄などしては教会にきずがついてしまう。そもそも、こんな恐ろしい神託を民に聴かせるわけにもいかない――あとはわかるね?」


 諭すように語りかけられ、エリュシアはかたかたと細かく身を震わせた。腕に爪を喰いこませ、なんとか悲鳴をこらえる。


「命を絶てということですか」


 肯定のかわりにミュトス皇子が微笑む。


「……貴女は民を愛しているはずだ。神聖アルカディアにとって最良の選択をしてくれることを祈っているよ」


 そんな言葉を残して彼は背をむけ、遠ざかっていった。

 


  ………… Mythos part …………

 


 思いかえせば、逢った時から彼女の微笑がきらいだった。


 ミュトス皇子は考える。

 強かで、張りつめた微笑。聖女であることを誇るような。

 兵隊が続々と命を落としていても、彼女は微笑みを絶やさない。

 心がないのかと疑うほどだ。だがそんな彼女を、誰もが「聖女様」「聖女様」と賛美して有難がる。聖騎士と剣を振るい、最前線でたたかい続けている彼より聖女にたいする信仰は篤かった。


 いつからだろうか、彼は段々と彼女が目障りになってきた。

 だからこそ、彼は事あるごとに「完璧でないとね」と彼女を叱責した。彼女はすでに完璧な聖女だと理解しているからこそ。


 妻に迎えるのならば、可愛げのある娘がいい。

 例えば、そう、彼女のような。


「ミュトス皇子」


 噴水に腰かけたミュトス皇子の側におずおずと近寄ってきた娘がいた。ハルモニアだ。


「婚約破棄といわれて、お姉さまは悲しんでおられるご様子でしたか?」


「いいや、なみだひとつ、こぼさなかったよ。もとから愛のない婚約だったからね」


 ハルモニアは神託を知らない。「婚約はやはり、愛がないとね」と微笑みかければ、彼女はかんたんに納得した。政略結婚はそうそう覆せるものではないということも知らない無知な娘だ。けれども、そんなところが愛らしい。


「よかった。それでしたら、私と皇子様が愛しあっているのだと知っても、お姉さまはわたしをきらいになったりされませんよね?」


 細やかな嫉妬は抱いていただろうが、ハルモニアは心底エリュシアのことを敬愛している。エリュシアが命を絶ったら、彼女は落ちこむだろう。側で支えてあげなければ。


 彼女はエリュシアにつぐ聖女候補なのだから。


 女神の祝福を授かるかどうかは神託できまる。基準となるのは産まれもった魂の純度だが、白曜石の鏡に映すことで、先んじて適性をはかることができるのだという。ハルモニアの魂の純度は素晴らしかったとアルテミス司祭が教えてくれた。


 昨晩、アルテミス司祭の受けた神託はエリュシアに辟易していた彼にとって渡りに船だった。

 だからこそ、体調を崩している教皇には相談せず、速やかに事を進めた。教皇はエリュシアをやたらと褒めている。

 ともすれば、息子であるミュトス皇子以上に可愛がっているといってもいいほどだ。


 あんな、いくらだってを。


「きっと、愛するふたりを祝福してくれるよ。彼女は聖女様だからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る