14 聖女を助けるのは悪魔だけ

「聖女様、どうか助けてくださいっ」

「聖女様はご慈悲のある御方です」

「懺悔します。だから」


 男たちの腕がエリュシアにむかって、伸ばされた。救いに群がる手。それでも、エリュシアは指のない血に濡れた手を取ろうとした。


 銀の一線が、男たちのこめかみを貫通する。


 悲鳴もなく男たちが死に絶えた。聖女の奇蹟をもってしても、絶命したものを助けることはできない。


「なぜ」


「助けてやるつもりだったのか? そいつは悪かった。聖女様のご慈悲を踏みにじるようなことをしてしまったな」


 キリエはうす笑いを崩さずに心にもないことをつらつらとならべたてる。そうとうに苛だっている。背に冷たいものを感じたが、エリュシアは続けた。


「殺すことはなかったのではありませんか、彼らは頼まれただけで」


 刺客とは違って、たくさんのひとの命を奪ってきたわけでもない。ただのカネに飢えた貧しい男たちだ。


「それに」


 唇をかみ締めてから、ぽつりとこぼす。


「……彼らは私に「助けて」と」


「あァ、すがりついてきたな。散々傷つけて、踏みにじったキミに。聖女様の慈悲やらを都合よく持ちだして」


 真紅の眼が息絶えた男たちを睨みつけた。


「それでも、私は聖女ですから」


 助けなければならなかったのに。地に投げだされた男の手に視線を落として、エリュシアはかぶりを振る。


「ですが、イオアンナ様がこんなことを依頼したなんて」


「聖女候補かつ貴族令嬢か。報酬をはずめるだけの財もある。聖女暗殺を依頼してまわっているのもその令嬢か?」


「いえ、私は違うとおもいます」


 前までは疑っていた。

 だが、処女を奪えと依頼したということは命を奪うほどの覚悟はないということだ。聖女暗殺を依頼するとは考えられない。


「ひとつ、確認したいことがある」


 真紅の眼をめて、彼はいかけてきた。


「聖女にはほんとうに替わりがいないのか?」


 エリュシアは酷く動揺を滲ませた。「それは」と一拍、思考を経てから、続けた。


「そのように語られています。先期の聖女が薨去こうきょされてからすぐ新たな聖女として私が選ばれましたが、女神の祝福を授かるものが現れない危険もあったと。かけがえのない役割だからこそ聖女は民から愛されるのですから」


「愛、ね」


 キリエは馬鹿にするように微かに笑った。


 日がかげって、夜の帳がおりてきた。

 執務が残っている。教会に帰らないと。起きあがろうとしたエリュシアだったが、膝が崩れてへたりこんでしまった。


「あ、あれ?」


 脚が酷く強張っている。今さらになって細かな震えがこみあげてきて、からだが想うように動かせなかった。


「ご、ごめんなさい、すぐに落ちつきますから」


 自身のからだを抱き締めて懸命に押えこもうとしているとキリエが近寄ってきて、側で膝をついた。


「……哀れだねェ、キミは」


 肩を抱き寄せられ、震えを落ちつかせるように背をなでさすられる。

 嘲りにしては、その声はやさしすぎた。


「誰からも愛され信仰される聖女様のくせに、キミを助けるものは地獄からよみがえってきたアクマだけだ」


 髪を梳かれ、唇をなでられる。


「私は、……っ」


 言葉を発そうとしたのが先か、指が差しこまれた。細い指は舌の根をくすぐり、唾をかき混ぜて呼吸を絡めとる。


 契約の時の接吻くちづけを想いださせる動きに頬が燃えた。


「あげく、俺すら喚ばないとはね」


 契約の証がある舌をつまみだされた。

 これは飾りかとばかりに爪の先端で舌をひっかかれる。


「賭けだといっただろう? キミが死を望むまで、キミを害するものは俺が排除する。そういう契約だ。もっと俺をつかえよ」


 舌を離されて、あふれかけた唾をのむ。

 彼はよこしまなるものだ。路地に充満する血の臭いが、彼の誘いには乗るべきではないと教えている。この先に待ちうけるのは破滅だ。

 それが理解できないほど、彼女は愚かではなかった。

 それでもあの時、男たちに凌辱されるがままにしたほうが彼にとっては都合がよかったはずなのに、助けてくれた。首謀者を捜し、彼女が真に絶望するところがみたいという彼の娯楽に過ぎなかったとしても。 


「それ、なら、ひとつだけ、命令を」


 じんじんと痺れる舌を動かして、エリュシアはつぶやいた。


「あとちょっとだけ、抱き締めていてくれませんか?」


 男たちに触られた肌が酷く寒かった。

 キリエは苦笑ともため息ともつかない呼吸をひとつ経て、震え続ける彼女を抱き寄せてくれた。鼓動のない胸に額を押しつけ、身をゆだねる。だからエリュシアは彼の真紅の眼が瞋恚しんいに燃えていたことに気づかなかった。

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