エピローグ 家路 3
どこまでも晴れ渡った、高く、遠く、青い空が広がっていた。
辛うじて道に見える部分を駆け抜けてきた黒色の車が、心なしか端に寄せて停まった。
ぱたん、と車のドアを閉める。助手席から出てきたエリスが、苦い顔をして。
「もう絶対にアスタの運転する車には乗らないからね…!」
「安全運転だっただろ?」
「全部跳ね飛ばしちゃえば安全だよね運転は、安全運転じゃないんだよ?」
心外だなと言わんばかりの表情で、アスタが肩を竦める。
「帰りは僕が運転するからね」
「お前免許持っているのか」
「持ってないけど君より安全に運転できる気がする」
そんなことを言い合いながら、二人の青年は足を進める。
コルチカム。二人の故郷であり、瘴気に呑まれて崩壊した町。再建を前にしてトレイトから特別に足を踏み入れる許可が下りたのだ。
表向きトレイト達の功績にしたことで、功労者として報いることができなくなった二人への、せめてもの褒賞だった。功績なんて要らないとぶん投げてしまった手前、褒賞を受け取れるわけがないと固辞し続けた結果ともいう。
車でいけるのは町の入口まで。ここから先は徒歩での移動となる。
あれからずいぶん時間が経った。誰もいない町を、名前を変えたかつての子どもたちが並んで歩く。
記憶を辿りながら、辛うじて形を残す建物の間を歩く。見覚えがあるような、ないような。
「——アスタ、家の場所覚えてる?」
「覚えて……る、たぶん…」
「頼りないなぁ」
エリスがゆるゆると笑う。そういう彼は、たぶん家の場所なんて覚えていないのだろう。
——だけどもし、彼があの子だというのなら。
ふるふると頭を振った。あれから元の名前についてエリスとは話していない。話すも話さないも、彼の意思で、彼の自由だ。
とりあえず、アスタの朧げな記憶を頼りに歩みを進める。コルチカムは広いが、アスタの家は町の端っこにあったから、すぐに辿り着けると考えていた。
だけど。
どうしよう。わからない。
迷子のような気持ちで、立ち尽くし、辺りを見回す。
そのとき。
——にゃぁ。
小さな声が聞こえた。鋭く息を飲んだエリスが弾かれたように振り返る。
つられるように振り返った先。小さな白い生き物がいた気がしたけれど。
確かに声は聞こえたのに、そこにはなにもいない。ただ淡い色の花が光を弾いて舞っている。
顔を見合わせた。そして、二人は呼ばれた方向へと足を進める。それは、どこか導かれるような心持ちだった。
どれだけ歩いただろうか。
やがて。
「あ……!」
目の前に川が見えた。水面が太陽の光を受けてきらきらと輝いている。
河川敷にはぽつぽつと花が咲いていた。
そのそばには、廃れた線路が走っていて。
あの場所を、覚えている。
そうだ。線路の先には小さな駅があって。近くに、アスタの家はあって。
「エリス。あの川、覚えがある!そうだ、橋があって、その先に……!」
「あ、待って。アスタ…!」
きゅっとエリスがアスタの腕を掴む。どうした、と振り返ると、エリスが道の先を凝視していた。
「……エリス?」
恐る恐る尋ねると、はっと我に返ったエリスが小さく頭を振った。震える声が続ける。
「見覚えが……ある気がして」
「思い出したのか?」
「……うんん。気のせいかも」
困ったように眉を下げたエリスが、握りしめていた服を離した。
「ごめんね、行こうか」
歩き出す彼に並んで、苔むした石の橋を渡りだす。
「なあ、エリス」
「うん?」
「……いや、なんでもない」
「ええ?なあに」
変なの、と笑ったエリスが、アスタの表情をみて、目を伏せた。
ひとつ深呼吸。そして、仕方ないなぁと言うように表情を緩ませた。
「ねえ、アスタ。僕の家を探すのも、手伝ってくれる?」
はっと、エリスを見る。彼は、まるで大丈夫だよと安心させるような顔をしていた。
すう、と息を吸って。それから。
「——名前を、教えてくれるか」
緊張とともに吐き出した言葉は、みっともなく震えていた。
堪えきれなくなったように、エリスが笑う。
「あれから何にも言わないから、忘れているのかと思ってたよ」
「う……俺から聞くのも何か違うだろ……」
「まあ、そうだよね。あの時名乗れなかったのは、君を巻き込みたくなかったからだし。君はまあ巻き込んでも仕方ないかなーとか、ちょっと思っていないでもなかったけど。あの時は子どもたちを巻き込むことだけは嫌だったから」
「……俺はまあ仕方なかったのか」
「だって、君は自分の身くらい守れるし、万が一があっても、あの子たちのことだって守れるでしょう?」
弾むような声音で、踊るような足取りで、エリスは石橋を渡り終わる。
さびれた線路を軽やかに飛び越えて。
そうして、晴れ渡った空を背に、彼は手を差し出した。
「はじめまして。僕はレン。レン・ファレノシス。よろしくね」
——はじめまして。
その声に重なるように、誰かの笑顔が見えた気がしたけれど。
すべては遥か、時の彼方。
今目の前にいる友人の隣に並んで、ティアン・レオントはその手を握った。
「俺はティアン・レオント。よろしくな」
子どものようなやりとりで。手を握り合って。それから二人の青年は弾けるように笑いだした。
「あははっ、今さらだな」
「ははは。うん。ちょっと照れくさい」
エリスは気付いているのだろうか。アスタが後悔として語ったあの子が、自分だということに。気付くだけの情報はなかったはず。アヤメと話して気が付いたかもしれない。気が付いていないのかもしれない。
どっちでもいいかと思う。エリスがあの子でも、そうでなくても、きっとこの未来に辿り着いていた。
いつか、話す時が来るかもしれない。ティアンとレンが過ごした、なにもかもが輝いてみえた、あの短くともにぎやかな日々を。
「——帰ろう、エリス」
「そうだね、アスタ」
エリスが前を向く。
「帰ろう」
そうして、彼らは歩き出す。
道の先には焦がれた我が家がある。後悔と、思い出と、希望を抱いて、扉を潜るのだ。
空は青。
祝福するように吹き抜ける風に花が舞い上がり、光を弾いて煌めいた。
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