第七章 花が降り注ぎますように 5
病み上がりだと言うのに無理をするなと睨まれたエリスは、怖い顔をしたセージによってベッドに叩き込まれていた。寝すぎて眠くないんだよねぇと言いながら、心配をかけたこと自体は申し訳なく思っているのか、大人しく横になっている。アスタはというと、エリスに話し相手に指名されたのでここにいる。
「ルードから連絡があった。前線で小競り合いが始まったらしい」
「そっか…。急がないとね」
「まだお互い死者は出てないらしいが…。一部では瘴気の刻印式を利用しようとする動きまで出てきているって」
「……学ばないねぇ」
「ほんとにな」
ため息をひとつ。ここまで来ると呆れ果てて物も言えない。話を変えることにする。
「気になるのはアヤメ・クロコスだな。どこで何をしているんだか」
「やりたいことがあったんでしょ。すぐにでも、どうしても、やらなければいけないことが」
多分ね、と言いながらエリスが瞼を伏せる。
「……お前さ、アヤメ・クロコスとどこかで会ったことあるか?」
「うん?ないと思うよ。コルチカムにいたころの話だったらわかんないけど」
「そうか」
教会でのアヤメの口ぶりだと、面識があるのかもしれないと思ったのだが。
アヤメの父、ラティルス・クロコスから、十二年前の話とともにエリスのことも伝えられていたのだろう。けれど、なんとなくエリスにその話はしない方がいい気がした。きっといつか、彼女自身がエリスに話をするだろうから。
「ところでアスタ」
「なんだ?」
「瘴気を払う。世界を救う——となると、どうあっても功績が生まれる。君は一体、誰にこれを押し付けるつもり?」
にやりと、エリスが笑う。悪い顔をしている。
「いるか?」
「いらなーい」
にやり、とアスタが笑顔を返す。
「うわ、悪い顔」
「いるだろ?今、一番『功績』を欲しがっている奴が」
聞き耳を立てている誰かがいる訳でもないのに、意味もなく声を潜める。悪巧みでもしているかのよう。ぽん、とエリスが手を打った。
「トレイト・カーパス。彼に引き取ってもらうつもり?けど、自分のものじゃない功績を喜んで受け取るような子かな。むしろ潔癖そうだったけど」
「そこはナルキース中将がどうにかするだろ。それくらいはやってもらわないと困る。それに、嘘を吐いてもらうわけじゃない。あの子には瘴気を払ったという情報の開示だけをしてもらう。主語が大きい方がいい。個人名はいらないんだよ。詳細を伏せれば、後は勝手に物語を作ってくれるだろ?」
断片的な情報を繋ぎ合わせて物語を作り上げる。それが人というものだ。世間というものだ。本当かどうかはどうでもよくて、面白ければそれでいい。若き英雄が世界を救う、だなんて。如何にも世間が好みそうな話題じゃないか。
「功績が出来れば、トレイトの発言権は大きくなる。その後、トレイトたちがどう動くかは賭けだな。……結果だけを軍がかっさらうような形になるから、お前には申し訳ないけど」
「いいよ。これから先、狙われずに生きていけるのなら、それがいい」
エリスが肩を竦める。彼ならそう言うと思った。
と、不意にエリスの顔が曇った。
「けど、トレイト達は本当に戦わずに済むように動いてくれる?」
「そこは、ほら、信用ってやつだよ」
「僕の苦手なやつだねー。ちょっと拳を握って来ようかな」
「やめろやめろ。最悪の場合は軍の英雄が出るから」
現在微妙な立場とはいえ、公にはされていないから発言力はある。はず。たぶん。
ちょっと怪しいかもしれないと遠い眼になるアスタに対して、エリスはぎょっと目を見張った。
「本気?アスタ、それでいいの?」
「何がだ?俺はアスタ・エーデルワイズ。英雄なんて知らねえよ」
しれっと言い放ったアスタに、ぱちぱちと目を瞬かせ、エリスは堪えきれなくなったように噴き出した。
「そっか。そうだね。言っておくけど、僕だって共犯なんだからね」
「おうよ」
ぐっと握った拳を、エリスへと向ける。
アミを助けるために始めた旅で、まさか世界を変えるために動くことになるとは思わなかったけれど。
旅の始まり、あの雨の日とは違う。助けてくれる人たちだって、待っていてくれる人たちだっている。終わる為に立ち上がるのではなく、始めるために歩き出す。
出来るかどうかはわからない。これからどうなるかなんて、これっぽっちだってわからない。だけど、無邪気に未来を信じていた子どもの頃のように、どこにだって行けるし、なんだって出来るような気がした。
「やってやろうぜ」
「——うん」
こつりと、ふたつの拳が合わさった。
「着いたぞ、クソガキども」
ジニアが運転する車は橋の前で停止した。対岸には毒の霧が広がっている。遠目にも澱んだ気配が伝わってくる。空には分厚い雲が広がっており、まだ昼なのに夜のようだった。
車に寄りかかったジニアがひらひらと手を振る。
「ここで待っている。気を付けろよ」
「おう。ジニアも気を付けろよ」
「大丈夫だとは思うけど、霧が近づいてきたら逃げてね」
「おう。——行ってこい」
二人は顔を見合わせ、それから声を合わせて。
弾けるように笑った。
「行ってきます!」
二人の子どもたちが駆けていく。その背中を見送って、ジニアは車に背を預けて暗い空を見上げた。
「若ぇなぁ」
ああ、たばこが吸いたい。
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