第五章 握った刃を振り上げて 6
「トラデスティ」
軍人たちが不穏な空気を纏いながらも帰っていった後。部下たちに指示を飛ばしていたトラデスティは、後ろから掛けられた声に振り返った。
「——エリス」
驚いた。先に壁の外に向かった友人たちと一緒に帰っていったものだと思っていた。
「戻って来たのかい。ひとりかな?弟くんがよく許したね」
「頼み込んだ」
肩を竦めて、事も無げに言う姿に苦笑する。セージとルリア。エリスが大事にしている双子が、トラデスティのことを警戒していることには気が付いていた。苦虫を嚙み潰したような顔で、渋々送り出すセージの顔が思い浮かぶ。
「エリスは、もう大丈夫なのかい?」
思いがけない言葉を言われた、というようにエリスが目を瞬かせる。
「……うん」
「さっきは驚いたよ。知らなかったな、因縁があったんだね」
「僕も知らなかった。まあ、当然でしょ。僕たちは、そんな会話をする仲じゃなかったんだから」
そうだね、とトラデスティは思う。でもね、とも思う。それを、頭を振って追い出した。
「——それで、どうしたの?」
「……お礼を言っておこうかと」
「うん?」
「僕がやらかしたから、有耶無耶にするために銃を抜いたんでしょ」
おや、と眉を上げた。
「そう思うかい?」
「本当は銃を抜く気はなかったんでしょ。告発はするつもりだったのだろうけど、あんな形になったのは、僕を庇ったから。違う?」
事実、トラデスティがキリカに直接銃を向けたことで、ある意味エリスの一件は有耶無耶になった。トラデスティが投げ込んだ爆弾で、ナルキースもそれどころではなくなっていたし。
「あの女を殺したいくらいに憎んでいたのは本当だよ。君が連れてきた子どもたちがいなかったら、引き金を引いていたかもね」
そう言って肩を竦めた。まあ、気付かれないとは思っていなかったけれど、申し訳なさそうな顔をしているエリスに苦笑する。そんな顔をさせたかったわけではないのだ。
「エリスだって、気付いていただろう?オレアンダーを排斥しようとする動きがあったことに。ウィスタリアは、他国を侵略して大きくなってきた国だ。外にも内にも敵を抱えて。戦い、血を流すことで何かを得る。奪い取る。彼らはそういう在り方しか知らないのさ。……ハイリカムとの戦いは下火になってきている。次の衝突で彼らは姿を消すだろう」
故郷を同じくする彼らのことを淡々と話すトラデスティを、エリスが静かな目で見てくる。大丈夫なのかと、その目が語っていた。内心苦笑する。ただ双子のことだけを考えて、そのために生きて、戦って、トラデスティのことなんて気にもしていなかったのに。たまにこうやって当たり前のように気遣いと優しさを渡してくるのだから困ったものだ。
平気なのだ。彼らとは確かに今でも連絡を取っている。必要であれば協力もしている。だが、トラデスティは別にテロを起こしたいわけではない。どいつもこいつも殺して回れるほど、トラデスティは狂えなかった。
——目の前にいる彼と、たったひとりの血縁のせいで。
エリスが双子のおかげで狂わずに済んだように。
「奴らは次の敵を探していた。オレアンダーは、敵対する理由を作るのも簡単だからね。今回の件は、こちらからの牽制としても丁度良かったんだよ。予定より過激になったことは認めるけどね」
トラデスティは笑う。
「しばらくは身内の争いにかかりきりになるだろう。その間に、オレアンダーは解体していくよ」
「——そう」
本当は、エリスにも手伝ってほしかったのだけど。それは口にしない。
「これから、どうするんだい?」
「——これから」
思いがけないことを聞いたというように、うわごとのように言葉を繰り返す。
トラデスティも、エリスも、お互いにわかっていた。同じだと。誰かへの憎しみを抱えて、引き金に手をかけて、刃を構えて。けれど、そこで立ち止まっているのだと。
一度だけでいい。引き金を引いて。刃を振り抜いて。
そうしてすべて、お終いにできたなら。
——結局、自分も彼も、お終いにはできなかったけれど。
空気が抜けるように、肩の力を抜いて、トラデスティは笑った。
「いつか、君とお酒でも飲みたいね」
「——考えておく」
無愛想でつれない言葉に苦笑。そして、柔らかな声で伝えた。
今度は背中を押して、送り出すために。
「さ、帰りなさい。弟くんと、お友だちが待っているんだろう?」
うん、とどこか幼い仕草でエリスが頷く。
「じゃあね。……元気で」
「ああ、君もね」
くるりと背中を向けて、いつか妹を庇って懸命に大人を睨みつけていた幼い子どもが去っていく。
そんな会話をする仲じゃなかったんだからと、エリスは言った。
そうだ。エリスは双子を守るのに必死で、トラデスティも自分の立場を守り、オレアンダーの頭領として立ち続けるのに必死だった。エリスは欠片もトラデスティを信用なんかしてなかっただろう。トラデスティだって、エリスを手放しでは信じられなかっただろう。
でもね、エリス。エリス・ユーフォルビア。
そんな話をする仲に、なりたかったんだよ。
僕は、君と、友だちになりたかった。
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