第五章 握った刃を振り上げて 2



 要塞の中には、ありふれた町の風景が広がっていた。家屋が並び、所々に商店も見える。

ちらちらと人影があるが、何か指示が出ているのか遠巻きに見ているだけ。年齢層は様々、女性もいれば男性もいる。ただ、子どもは少なかった。

 興味深げにきょろきょろと見回すアスタに、隣に並んだエリスが話しかけてくる。


「面白いものでもあった?」

「うん。どこにでもある町、って感じだ」

「ふふ、スラムみたいなの想像してた?」

「いや、むしろ想像もつかなかった」

「そっか。そんなもんか。案内するようなところもないけどね」

「エリスたちの家は?」

「家?ああ、中央の建物みえる?」


 エリスの視線を辿ると、立ち並ぶ建物の中で、一際高く、白く伸びた建物が見える。


「あそこがオレアンダーの中心部。そこで胡散臭い笑顔を振り撒いてるトラデスティがふんぞり返ってるところなんだけどね」

「おっと棘があるなぁ」


 前を歩いているトラデスティの苦情を、エリスは黙殺した。


「あそこに診察室があるんだよ」


 診察室。家ではなく。ちらりとセージをみると、ふいっと視線を逸らされた。

 ずっと前から決めているよと、エリスは言った。どこまでも凪いだ瞳で。

 ——あの子たちに、安心できる場所を。僕はずっと、それだけだ。

 ああ、なるほど。ここには、家すらなかったのか。

 心休まる場所もなく、双子を守って来たのか。


「……でかいな」

「無駄にね。ほんと無駄。登るの大変なんだから」


 軽く交わし合う会話にトラデスティが口を挟んだ。不思議そうにアスタをしげしげと眺めている。


「エリス、彼は友人かい?」

「そうだよ。友だち。どうかしたの」

「——いや、なんでもないよ」


 明らかに何でもないことはない声音だったが、当のエリスはこれっぽっちも興味がないのか見向きもしない。なんだか少し可哀想になってきた。後ろを歩くジニアがにやにやとしている気配が伝わってくる。


「ええっと、エリス。俺たちはあの建物に向かってるのか?」

「さあ。どこに向かっているのかは知らないけど、安心して。囲まれるようなことがあっても、全員ぶっ飛ばすから」

「君たちにそんな卑怯な真似はしないさ」


 トラデスティは含みのある顔で肩を竦めてみせた。


「君たちの安全は保障する。他の人たちはともかく、エリスを敵に回すつもりはないからね。それこそ、全員ぶっ飛ばされかねない」


 そのとき、微かに機械の駆動音がした。はっとエリスがトラデスティへと視線を向ける。


「ちょっと、今のは——」


 言いかけたエリスの言葉を遮るように、オレアンダー頭領はぱん、とひとつ手を打って足を止める。


「さて、到着だ」


 白い建物の前。遮蔽物のない、広場のような場所だった。

 仄暗い霧雨の中、人影がふたつ見えた。軍服を着た少女と、男。

 男の方には見覚えがあった。イヴェールに現れた軍人。ヤフラン・リリタールだ。

 アスタとエリスが素早く視線を交わす。セージがアミの傍に移動し、ジニアは油断なく周囲に視線を滑らせた。明らかな警戒を見せるアスタたちを横目に、トラデスティはゆったりと笑うと広場へと向かって歩き出した。


「——離れるなよ」


 子どもたちが頷くのを確認し、アスタは背に隠すように前に出る。同じように移動したエリスが子どもたちの背後に立つジニアに小声で話しかけた。


「ジニア、いざとなったら」


 セージたちと合流した時に決めていたことだ。もしものときは、ジニアが子どもたちを優先に離脱させる。


「わかってる」


 周囲を伺いながら足を進める。トラデスティと話していた少女がはっと顔を上げた。

 背の低いほっそりとした少女だった。厳つい軍服の似合わない、あどけない顔立ち。ふんわりとした黒髪を耳の下でゆるく纏めている。緊張に青ざめた顔が、アスタと、それからアミを認めて安心したように緩んだ。

 十分な間合いを取って立ち止まったアスタたちに向き直り、少女はすっと背筋を伸ばす。


「はじめまして。私はアヤメ……クロコス」


 会ったことはないはずだが、見覚えのある少女だなと思った。

 ラティルス・クロコスにどこか似ていたからかもしれない。


「まずは謝罪を。——巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」


 そう言って、アヤメは深々と頭を下げた。彼女の後ろでは、ヤフランも頭を下げている。

 アスタとエリスは顔を見合わせた。アヤメには、アミを犠牲にするつもりがなかったことはすでに聞いている。アスタだって軍属だったのだからわかる。どういう経緯で彼女が上層部に逆らうと決めたのかはわからないが、それがどれほど勇気のいることなのか。気が付かれないように動くことが、どれほど難しいことなのか。

 けれど、それとアミを怖がらせて危ない目に合わせたことは、話が別だ。

 彼女はもう少しで、殺されるところだったのだから。

 振り返り、当事者であるアミに視線を向ける。雨よけにアスタの上着を被っている子どもは、きゅっと唇を引き結び、しがみつくようにしていたセージのズボンから手を放した。

代わりに小さな手が、アスタの手を握る。


「いいよ」

「——アミ」

「ママが言ってたもん。悪いことをしたらごめんなさいって言うのよって。ごめんなさいって言えるのは当たり前だけど、すごいことなんだよって、パパが言ってた。だから、アミがいいやって思ったら、いいよって言ってあげてねって。アミね、怖かったけど、だいじょうぶ。お兄さんたちが一緒だったから、だいじょうぶだったんだよ」


 あのね。幼い声が言う。


「お姉さん。ちゃんと、アミの目をみて言って」


 ゆっくりと、アヤメが顔を上げる。

 それから、まっすぐに幼い女の子を見て。


「本当にごめんなさい」

「うん。いいよ」


 にっこりと、アミが笑う。

 大人の道理なんて通用しない、子ども特有の単純で無邪気な笑顔だった。綺麗なものをただ綺麗だと信じるような、無垢な信頼があった。

 いいよと赦された当人は、蒼ざめた顔をしていた。黒色の瞳に自嘲の色が浮かぶ。罪悪感か、後悔か。


「——アミがいいなら、俺が言うことはない」


 ここまでのことは、アスタが覚悟して選んだことだ。何が起きるか、わかった上で選んで、決めた。

 アヤメがきゅ、と唇を噛んで、ひとつ深呼吸。それから、全ての感情を消し去るように。


「あなたたちの腕輪の鍵です」


 差し出された手のひらには、金色と銀色の鍵があった。


「金色がティアン・レオントのもの。銀色がその子のものです」

「ああ。エリス、頼んで良いか」

「もちろん」


 エリスがカギを受け取り、金色の鍵を腕輪に差して回す。かちゃ、と腕輪が外れた瞬間、アスタの心臓がどくんと跳ねた。


「っ」

「動かないで」


 予想していたのか、動じることなくエリスがアスタの手を取って霊脈を整え始める。腕輪はアヤメが受け取った。

 そう時間はかからず霊脈は落ち着いた。


「——どう?」

「大丈夫だ」


 動悸は収まった。吐き気も、痛みもない。顔を上げてひとつ頷くと、エリスがほっと息を吐いた。後ろで様子を伺っていたジニアがセージとアミの背中をそっと撫でている。


「急に霊力が正常に通り始めたから、霊脈がびっくりしたんだね。しばらくは多用しないように、いいね?」

「はい、先生」

「……なにそれ」


 エリスが綻ぶように笑う。鬱陶しそうに、頬に張り付いた髪を払いのける。それから、銀の鍵をアスタに 渡した。受け取って膝を折る。アミ、と呼びかけて彼女の腕を取り、鍵を差した。

 かちゃりと錠が開く音。あまりにもあっさりと、腕輪は外れた。


「痛いところはないか?」

「大丈夫だよ」

「……よかった」


 外れた二つの腕輪を、アヤメが受け取る。

 軽くなった手を不思議そうにぷらぷらと振って、アミはくしゃりと顔を泣きそうに歪めた。


「……アミ」


 ぎゅうっと、アミがアスタの首にしがみついた。細かく震える肩をそっと抱く。

 よかった。本当に、本当に、よかった。

 ——よかった。

 泣きそうになる。込み上げていたものをぐっと唇を噛んで耐え、振り仰ぐ。その先で見つけたエリスも、ジニアも、心からの安堵を浮かべていた。アミが顔を上げ、笑う。目は赤くなっていたが、屈託のない笑顔だった。

 落ち着いたとみたセージが駆け寄って来て、アミと手を取って喜び合っている。

 二人を微笑ましく見ながら立ち上がり、なんとなく、彼の手を握った。

 きょとんと目を丸くしていた友人が、一拍置いて、握り返す。


「ここは握手じゃないの?」

「まだ終わってないからな」

「そうだね」


 そう、まだ終わってない。アミを家に帰すまでは、終わりではない。

 でもまあ、今は。少しくらいなら、喜んでもいいだろう。


「……よかった」


 アヤメが呟く。

 手に揃った二つの腕輪を複雑そうな表情で見つめ、アヤメが肩の力を抜いた。その背中を、ヤフラン・リリタールがそっと叩いている。


「本当に——良かった」


 ぽつり、と。その頬を雫が叩く。涙かと、一瞬思った。

 違う。雨足が強くなりだしたのだ。すぐに本降りになるだろう。

 エリスがずっと黙って見守っていたトラデスティを振り返る。


「……どこか屋内に」

 

 言いかけた言葉が止まる。

 どうしたのかとアスタがエリスを見る。彼の視線の先に、軍服を着た数人の男たちが歩いているのを見つけた。ジニアが子どもたちを庇う位置に素早く移動する。


「軍人か!?」


 どういうことだ。アヤメを見ると、彼女の表情も固まっていた。

 何故。震える声が言う。


「私たちだけで行くと、言ったはずなのに……!」


 男たちの奥。要人の護衛の隊列の中に、見覚えのある顔があった。ハウレン・ナルキース中将。そして、その隣にいる女性を見て、はっとした。

 キリカ・スターチー。

 なぜあの二人が一緒にいるのか。気にはなるが、それよりも撤収した方が良い。そう判断し、エリスに声を掛けようとして。


「……エリス?」


 エリスが固まったように動かない。愕然と目を見開いて、形の良い唇が震えて。


「おい、エリス」


 雨が降っている。

 ぽつぽつと地面を叩いていた雨は、一瞬で本降りになり、アスタ達を濡らした。

 堪えきれなくなったように、アヤメが駆け出した。からん、と彼女の手から零れた腕輪が地面に転がる。一拍遅れてヤフランも追いかけて走りだす。


「ここを離れるぞ」


 握ったままだった手を引こうとした、その時。

 膨れ上がった空気が弾けるように。降り注ぐ雨を強風が吹き飛ばすように。傍らで殺気が爆発した。

 アヤメとヤフランが弾かれたように振り返る。ジニアがまずい、と口走り手を伸ばす。

 その先にいるのは。

 ——エリスだ。


「……お前が」

「エリ……っ」


 血を吐くような声で、彼が叫ぶ。


「お前が‼」


 長い黒髪が、視界の端で閃いて。

 繋いでいた手が離れる。

 離れていく。

 


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