間章 2



——以下、とある子どもと青年の通信。


「こんばんは、アミ」

「こんばんは、おにいさん。すごいね、電話って。近くにいないのにお話しできるんだ」

「ああ。そうだな。——もうご飯は食べたか?」

「食べたよ。お野菜いっぱいだった」 

「はは、全部食べたか?」

「うん、食べたよ。ルリアさんが作ってくれたの。おいしかった」

「ルリアが?すごいな」

「兄さんに教えてもらったって言ってた」

「エリスの料理もうまいもんな。そっちはどうだ?困っていることはないか?」

「大丈夫。みんな、やさしくしてくれるから」

「夜はルリアと一緒に寝てるのか?」

「うん。いっぱいお話をしてくれるよ」

「そうか」

「ルリアさんがちいさいころに、エリスさんが話してくれたんだって。おんなじことができてうれしいって、言ってた」

「……そうか」

「だから、アミは大丈夫だよ。みんなと待ってる」

「一緒にいるって言ったのに、嘘になったな。すまない」

「うんん。おにいさんは」

「うん?」

「おにいさんは、痛くない?」

「………大丈夫だよ。もう寝な」

「うん。あ、セージさんが、代わってほしいって」

「俺?エリス呼んでこようか?」

「え?……エリスさんをお願いって」

「わかった。おやすみ、アミ」

「うん、おやすみなさい」





  ※※※


 自室で就寝の準備をしていたジニアは、ふと外を見遣った。

 人の気配がする。窓の外を見遣ると、夜の闇の中に人影が浮かんでいる。エリスだった。ぼんやりと空を見上げている。ため息を吐く。アスタはすでに眠っているのだろう。平気そうにはしていたが、大分体力が削られていたようだから。

 少し迷って、部屋から出た。階段を降り、外に出てエリスを探す。彼は同じ場所で、同じように空を見上げていた。

 空は分厚い雲に覆われ、星ひとつ見当たらない。一雨来るかもしれない。


「——眠れねぇのか、ガキ」


 声を掛けると、肩をびくりと揺らしてエリスが振り返った。


「び……くりした…。気配なかった…」


 本当に気が付いていなかったのだろう。心臓を宥めるような動作をしている。喉の奥で笑いながら、ジニアはエリスの横に並んだ。沈黙が落ちる。

 何度か言葉を探すような気配があって、意を決したようにエリスが口を開いた。


「なんで——信じてくれたの」


 何の話だ、と一瞬考えて、ああと気が付いた。軍の所業についての話か。


「アスタが信じてくれるのはわかるよ。だって、彼はタンジーの一件に関わってた。元々軍に対して不信感があった。今回の実験にも通じる話でもあった」


 でも、あなたは違うでしょ。探るような視線に、ジニアは真正面から応えた。


「信じられないって、一蹴されると思っていた。それでもいいと思っていた。ルード・リンネリスに言われたら厄介だなとは思っていたけれど、それよりも、アスタにコルチカムで起きたことを話さなければいけないと思った。真実を、本当のことを知ることは、彼にとって必要なことだと思ったから。だから話した。あなたに信じてもらえなくても良いと、思っていたのに」


 言葉を探すように紡ぐエリスは、どこか幼く見えた。もしかしたら、年相応の姿だったのかもしれない。

 その頬を、ジニアは引っ張った。彼らがそうしていたように。


「子どもが言うことを、まずは疑わずに信じて受け取ってやるのが、いい大人ってもんだ」


 それに。指を離しながらジニアは続ける。


「お前は出会ってから一度も嘘は言わなかった。話せないことは正直にそう言った。お前が示した誠実さってやつを、信じてやらねぇでどうする」


 泣くかと思った。

 けれど子どもは泣かなかった。溢れそうなものを我慢したような表情で、崩れるように微笑う。


「——ありがとう」

「言っただろ。当然のことだ」


 そっか、と。噛みしめるように呟いて、彼は軽やかな足取りで正面へと回り込んだ。動作に合わせて、さらりと長い髪が揺れる。


「あのね、言うつもりはなかったんだけど」

「おう」

「あなたにね、会ってみたかったんだ」

「あ?シオンに聞いていたのか」

「違うよ。オレアンダーに本を残していたでしょ?背表紙にあなたの名前があった」


 オレアンダー。懐かしい言葉にジニアは目を瞬かせた。シオンから連絡を受けた時、エリスという青年がオレアンダーに所属していたことは聞いていた。後輩がいるわよと告げた、弾んだ声が蘇る。


「お前、オレアンダーに所属していたんだったか」

「そうだよ。コルチカムから逃げて、半年くらい経った頃からかな。シオンに聞いてた?」

「ああ。後輩がいるって言っていた」


 シオンの言葉をそのまま伝えると、エリスは存外嬉しそうに目を瞬かせた。


「後輩?そっか。ふふ、後輩かぁ」

「先輩って呼んでもいいぞ」

「ええ?どうしようかなぁ」


 生意気だな、と小突く。楽しそうに声を立てて笑う姿は、今度こそ年相応のものだった。

 本当なら、エリスも。そして、アスタも。こうやって憂いなくただ笑って、日々を過ごしていく、子どもだったはずなのに。


「その本で勉強したんだ。おかげで医者の真似事ができるようになって、あそこで生き残ることができた。だから、僕にとってあなたは、先輩というより先生かな」


 ジニア・リンネリスがオレアンダーに所属していたのは十年以上前のことだ。当時ジニアはまだ十を越したばかり。あの頃のことはほとんどを記憶の隅に追いやってしまったが、オレアンダーの治安は最悪で、女性や子どもにとっては地獄みたいな環境だったことは覚えている。医術を身に着けていたジニアは重宝されていたが、ハイリカムとの戦争が始まり、治安がさらに悪化したことで、離脱を決意した。夜逃げ同然にオレアンダーを後にし、各地を転々としていたジニアは、ルードを拾ったことをきっかけにこのネレーイスに落ち着いた。

 そうか。オレアンダーに置いてきた本が、誰かの役に立っていたのか。


「先生って柄じゃねぇなぁ」

「僕が勝手に思ってるだけだから」

「……しかし、あそこの治安は良くなったって聞いたが」

「少し前に色々あってね。頭領が代替わりしてからは随分マシになったよ。それまでは大変だったなぁ。僕一人じゃなかったし」

「ガキ二人抱えているんだったか」

「うん。セージとルリア。いい子なんだよ」


 子どもを自慢する親の顔をしていた。大切で仕方がない宝物を語る顔だった。

 記憶のほとんどを失くし、刻印式という秘密を抱えて。小さな子どもがひとりで、あのクソみたいな環境で、自分よりも幼い子どもを守りながら生き抜くのは大変だっただろう。

 己以外の全てを敵と定め、気を抜ける時もなく、彼は走り抜いてきたのだ。その道を、ジニアも知っている。

 そして、その先で出会ったものも。

 よかったなと掛けた言葉に、本当に嬉しそうに笑み崩れたもうひとりの子どもを思い出す。

 ——俺も、そう思う。


「……あいつには話さないのか」

「オレアンダーに所属していたってこと?話さなきゃなぁとは思うんだけど、きっかけがなくて。……あと」

「あと?」

「……がっかり、されたくないなぁ、って」


 エリスが目を泳がせて、困ったように眉を下げる。わからなくもない。オレアンダーは元々、瘴気や戦争によって帰る場所を失くした人たちだけではなく、元犯罪者や軍人崩れが集まって出来た組織だった。行くあてもなく、明日どころか今日の生き方もわからない。表の世界では生きていけない者たちの集まり。セントラル東部に位置しながら、存在しないものとされた国の暗部であり、ウィスタリア国軍からは危険視されている。現在はハイリカムというわかりやすい敵がいるために放置されているが、今後確実に軍は排除しようと動くだろう。

 世間的にも、軍人としても、オレアンダーに所属していたという事実は警戒心と猜疑心を生むに足りる理由だが、アスタが今更、その偏見を以ってエリスに接するとは到底思えない。エリス自身、そのことはジニアよりもよほど理解しているはず。ただ、きっかけと勇気が足りないだけで。


「あいつは無理に聞き出そうとするヤツでもねぇだろ。黙っているってことが辛いんなら、話せばいいんじゃないか。話そうと思ったタイミングで、お前の言葉で」


 最悪なのは、意図せぬタイミングで、悪意によって真実が捻じ曲げられて伝わることだ。何でも話せることが信頼の証だとは思わないけれど。自分が話したいと思うことを、正しく伝えられることは。相手に伝わると信じることは、信頼という繋がりがあるからこそだと思うから。


「——そうだね」

「オレアンダーは抜けてきたのか」

「うん。辞めてきた」

「この件が終わったらどうするつもりなんだ。アテはあるのか?」


 彼らの旅はアミという子どもを家に送り届けるまで。目的はそこで果たしたとしても、彼らの人生には続きがある。幼少期からオレアンダーで過ごしていたというのなら、それからどうするつもりなのか。軍を裏切ったアスタも、軍から逃げなければいけないエリスも。

 アテがないのなら、と思ったのだ。

 だけど。

 返事は、なかった。エリスは困ったように笑うだけだった。

 その表情で察した。察してしまった。エリス・ユーフォルビア、お前は。


「——そうか」


 少し迷って、くしゃくしゃと頭を撫でまわした。こうして何度か頭を撫でているが、意外なことに拒否されることはなかった。跳ねのけられるかとも思っていたが、毎回どこか嬉しそうに受け入れていた。


「もう寝ろ。……寝れるか?」

「え?うん、寝るよ。付き合ってくれてありがとう」


 きょとんと目を瞬かせるエリスに、内心どうだろうなと思う。

 彼が生きるために、子どもたちを守るために、どんな苦労を重ねてきたのかはわからない。一瞬だって気を抜けない生活を送っていたのだろう。だって、エリスは昨晩ほとんど眠れていなかった。隣の部屋にいたジニアの気配に敏感に反応していた。出来る限り気配を消してみたが、あまり意味はなかったかもしれない。

 今日は、少しでも安心して眠れると良いのだが。


「……もしかして、バレてた?」

「お前と同じ理由で、俺も気配には聡くてな」

「——ごめん」

「謝ることはねぇよ。切り替えれば、ちゃんと眠れる。俺はな」

「昨日は瘴気の中に入っちゃったからか、ちょっとうるさくて」

「うるさい?」

「あ、いや…。過敏になってて。もう落ち着いたから、今日は大丈夫」

「いくつか本を貸してやる。眠れなきゃ読んでろ」


 目を閉じて横になるだけでも違うだろうが、眠れないのは、それはそれで辛いものだ。暇を潰す物があった方が良いだろうと提案すると、ぱっとエリスが目を輝かせた。


「いいの?」


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