間章 1



 セントラルに帰還したルード・リンネリスは、軍から発表された内容に耳を疑った。

 曰く——避難誘導が迅速だったため、被害は軽微である。


「どういうことですか!住民への被害は軽微⁉まさか!」


 食って掛かったルードに、机に寄りかかるように立ち、説教の構えを取っていたローダンはため息交じりに腕組みを解いた。


「ルード、落ち着け」

「ですが先輩!」


 ルードは覚えている。覚えているのだ。あの地獄のような光景を。霧に消えていった悲鳴を。

 走り出せなかった、己の弱さも。


「カリプタスはほぼ全域を瘴気に呑まれた。ただ、住民への被害が他の瘴気発生時に比べて少ない。それはお前が迅速に動いた結果だ」

「それは……レオント先輩が…」


 子どもを助けるために迷わず走り出した姿を思い出す。走れと叫んだ声も。そして、ティアン・レオントと共に死の霧に呑まれた青年のことも。


「そのことなんだが……。総統派はティアン・レオントは生存していると考えているらしい」


 何を言われたのか分からなかった。理解できないまま、ルードは反射で否定する。


「まさか。そんなはずがありません」

「本当だ。向こうは、ティアン・レオントが生存しているものとして行動している」

「ありえません!俺は、先輩が瘴気に呑まれるところを見ました。生存はありえません。俺が嘘の報告をしたと思われているのですか。先輩を庇うために」


 ティアン・レオントともう一人の同行者は確かに瘴気に呑まれた。瘴気に触れたものは等しく命を落とす。例外などありはしない。もしも例外があったなら、軍は必ずその方法を手にしようとしただろうから。


「俺もそう思う。だが、向こうはそう思っていないようだぞ。お前の報告を疑っているわけではなく……瘴気に呑まれたうえで、生き残っている、と思っているみたいだ」

「そんなこと、有り得るのですか?……そうか。実験が瘴気の浄化を目的としていたのなら」

「いいや。お前が報告したもう一人の同行者。向こうは、そいつについて調べているらしい」




 ※※※

「——という情報が、向こうにも渡っています」


 ヤフラン・リリタールの報告に、ナルキースは深々と息を吐いた。こめかみのあたりをぐりぐりとほぐす。


「……そうか。キリカ・スターチーは了承したんだな?」

「はい。目的は同じであると認識している、と返答が」


 ヤフランがティアン・レオントと接触した後、ナルキースは派閥としては対立しているキリカ・スターチーと交渉を重ねていた。今回の実験を端に、上層部を引き摺り下ろす為に。キリカ側は情報を欲しており、こちらとしては敵の敵を味方に付けておきたい。利害は一致している。


「向こうは十二年前の一件を知らないのか」

「そうですね。あのことは上層部でも一部の者しか知らないみたいですね。緘口令が敷かれ、禁忌として扱われてきましたから。私もクロコスから教えられていただけ。それに……」

「わかっている。——どちらにせよ、彼の存在を知られてはいけない」


 エリス・ユーフォルビアと名乗る青年。調べればすぐに正体は判明した。コロナリアに拠点を置く、オレアンダーに属する医者。医師免許なんて持っていないだろうが、調べた限りでは頭領にも随分信頼されているようだった。

 あの日から、彼はどんな生き方をしてきたのだろう。コルチカムから逃げ延びて、オレアンダーに辿り着くまで。そしてオレアンダーに辿り着いてから。幼い子どもがひとり、どんな思いで生き抜いてきたのか。


「——彼は、どんな子だった?」

「エリス・ユーフォルビアですか。……そうですね。我々軍人にはかなり厳しい目を向けていました。殺されると何度か思いましたよ。強いですよ、彼。正面から戦ったとしても、勝ち目はなかったでしょう」


 ヤフランが苦笑いで肩を竦める。軍人であり、暗部に所属し、武力にも秀でている彼がそう言うのだ。力を得たのだろう。奪われないために。もしくは、奪うために。


「ティアン・レオントに対しては嘘偽りなく接していたと思います。信用、信頼、情。そういったものが、あの二人にはあった。十二年間、居場所がバレないように生きてきたのに、なぜ今回の件に関わって来たのかはわかりません。ですが、彼は言ったんです」


 ——大人の都合で子どもが利用される。どんな理不尽な目に合っていても、助けてもらえないのが当たり前。そんなの正しいわけがない。正しいなんて認めない。絶対に。


 大人の都合で利用され、理不尽を押し付けられ、誰にも助けてもらえなかった。かつての子どもは、どんな気持ちでその言葉を口にしたのだろう。


「その言葉に嘘はなかった。ティアン・レオントも、エリス・ユーフォルビアも、ひとりの子どもを助けるために行動していた。その意思に偽りはないのだと思います」

「——そう、か。彼の居場所がわかったら、すぐに知らせてくれ」

「わかりました」

「ところで、アヤメ・クロコスはどこに行ったんだい?」

「協力者へ連絡を。オレアンダー首領、トラデスティです」





  ※※※

「——やあ、アヤメ・クロコス。通話は大丈夫なのかい?」

『お久しぶりです、トラデスティ。問題はありません。お気になさらず』


 電話口から聞こえてきた無機質な声に、トラデスティは肩を竦めた。彼女とは何度か顔を合わせたことがある。全く崩れない表情と声音。一分の隙も無い立ち振る舞い。


「今日は何の用かな?」

『確認と、依頼を』

「ほう?」

『ハイリカムに情報を流したのは、あなたですか』

「身に覚えはないね。何か問題があったかな?」


 白々しいとばかりにため息を吐かれたが、ハイリカムに情報を流していないことは事実だ。ハイリカムには、だが。


『襲撃があったことは、把握していますよね』

「うちの近くであったことだからね。もちろん知っているとも。君たちはハイリカムによる襲撃だと思っているのかな」

『違うとでも?』

「さあ、どうだろう。僕は協力者でしかないからね」


 現場に残された痕跡はハイリカムが襲撃者だと示していたが、それをアヤメに教えるつもりはなかった。

 トラデスティの言葉を信じてはいないのだろうが、彼女は追及することなくあっさりと話題を変える。こういうところは、エリスに似ているなと思った。


『エリス・ユーフォルビアの居場所を教えてください』


 おや、と眉を上げた。ここで彼の名前が出たか。

 思考を巡らせる。前置きなく居場所を聞いてきたということは、彼女はエリスがオレアンダー所属であることを把握している。下手に隠すのは得策ではない。

 彼が突然オレアンダーを出ていったのは、襲撃があった日のこと。それからの足取りは掴めていなかったが、どういうわけかこの案件に首を突っ込んだのだろう。


「彼がどうかしたのかな?」

『回答を控えます。あなたの元にはいないという認識で構いませんか』

「そうだね。彼はここにはいない」

『連絡は取れますか?』

「不可能ではないよ」


 エリスの妹がイヴェールにいたはず。いなかったとしても、あそこの店主ならどうにでもするだろう。


『ならば彼に連絡を。会いたいと伝えてください。場所はコロナリアが良さそうですね。トラデスティ、あなたに立ち会いを依頼しましょう。あなたは彼の味方みたいですから。私一人が伺います。あなたたちの、一番欲しいものを持って。——お伝え頂けますか』

「伝えよう。それで、君は僕にどんな報酬を用意したんだい?」 


 沈黙の後伝えられた内容に、トラデスティはゆるりと目を細めた。


「いいだろう。成立だ」



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