第三章 そんな、夢をみる 5


 カリプタスで起きた瘴気発生から一夜。スリージエとの境に設置された避難所で、一晩中走り回っていたルードは、疲れ切ってスペースの端でしゃがみ込んでいた。


「大丈夫か?」


 頭上からの声に顔を上げる。赤みがかった茶髪の男性が覗き込んでいた。カリプタスでルードを助けてくれた人だ。瘴気から離れた後、いつの間にかはぐれてしまって、そのままだった。この避難所に来ていたのか。ぱちぱちと目を瞬かせて答えないでいると、強面に柔和な笑みを浮かべた彼がもう一度言う。


「大丈夫か?」

「大丈夫です。……あの、お礼が遅くなってごめんなさい。助けてくれて、ありがとうございました」

「うん?ああ、構わねぇよ。偶然通りかかっただけだしな。……ただ、疲れているようならお仲間の近くにいた方が良い」


 お仲間とは軍のことだろうか。何故そんなことを言うのかと首を傾げると、男は呆れたように茶色の瞳を眇めた。


「今みたいにぼんやりしていると危ないぞ。軍人を恨んでいる奴らも、大勢避難してきているみたいだからな」

「……恨んで。ハイリカムの人たちですか」


 警戒するように辺りを見回したルードに、彼は苦笑したようだった。


「違う。軍を、というかウィスタリアを恨んでいるのはハイリカムの連中だけじゃねぇよ。機会があればって思っている奴だけじゃない。手は出さなくても、憎んでる奴らは星の数ほどいる。気を付けるこった」


 それだけを言って去ろうとする男を、立ち上がって呼び止めた。


「待ってください。あなたは、これからどうするのですか。ここに滞在するなら……」

「ああ、俺はクラッスラから来たんだよ。スリージエからカリプタスを抜けて、ネレーイスの方に用事があったんだが、この騒ぎだからな。出直そうとしていたところだ」


 男が肩を竦める。飄々と緊張感のない態度は当事者ではないからなのか。引き止めたことを詫びようとした時、避難所の中央で怒声が上がった。ばっと振り返り、男のことを放って走り出す。

 騒ぎの中心では、カリプタスの住人が軍人に食って掛かっていた。昨夜からこの手の騒ぎは何度か起きている。カリプタスの住人は、何故か軍人に対して非協力的だった。避難の時に、お前なんかに助けられたくないと面と向かって言われたことも何度かある。

 仲裁に入ろうとしたが、軍服を着ているルードに向けられる目はどこまでも厳しい。払い除けられそうになってたたらを踏んだ。ぽん、と大きな手が支えるように背中に添えられる。


「——まあまあ、落ち着けって大人ども。不安なのはわかるが、ガキの前でみっともねぇぞ?」


 割って入ったのは先ほどの男だった。新たな闖入者にざわつく軍人たちには一切目もくれず、住人たちの方を低く、聞き取りやすい声が宥める。

 騒ぎは、それから少しして収まった。応援で駆け付けた軍人たちは住人と距離を取って、元々カリプタスに駐在していた軍人たちが直接対応することで落ち着いたのだ。

 一息つく間もなくローダンに通信を入れる。人命優先だと避難所で行動させてもらっていたが、ルードには本来の任務がある。戻って来いとの言葉に、了解と返したところで、視界の端で男が去ろうとしていることに気が付いた。通信を切って駆け寄る。


「——待ってください」

「なんだ。まだ何か用か?」

「いえ、あの。ありがとうございました」


 頭を下げると、男はどこかバツが悪そうに頭を掻いた。


「構わねぇよ。俺は特に何もしていない。まあ、上手くやるこったな」

「あ、いえ。僕はもう、セントラルに戻るので」


 ぴくりと男の肩が揺れた。


「セントラルまでは、列車で戻るのか?」

「ええ。……なにか?」

「……坊主、気を付けろよ。クラッスラの方でハイリカムの連中が集まっていた。近々何か起こるかもしれない」


 不穏な言葉に、ルードは眉を潜めた。


「…なぜ、そんなことがわかるんですか?」

「クラッスラから来たっていっただろ。あそこは情報の町。特に不穏な噂はすぐに駆け巡る」

「ハイリカムは何を…」

「復讐だろ。それ以外に何がある?」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりの声音と表情だった。そうだ、ハイリカムはウィスタリアに滅ぼされた国。恨むのは当然。だけど。

 ——ひとつ、言い訳をさせてもらえるのなら。

 ルード・リンネリスは限界だったのだ。正しいと信じていた軍に闇を見た。そして、目の前で救えなかったひとたちの姿が今でも目に焼き付いている。懸命に逃げてきた人たちには、助けてほしくないと手を振り払われた。

 限界だった。そう、限界だったのだ。

 目の前にいる人に向けるべき言葉ではないとわかりながら、口は止まらない。


「復讐なんて間違ってます。そんなことしたって、誰も幸せになんてならないでしょう。誰かが誰かを殺したって、殺されたって、誰も得なんかしないじゃないか」


 なのに、どうして。なんで。

 子どもの駄々のような言葉に、若いな、と苦笑が返って来た。


「坊主。石を投げてきた奴が、へらへら笑っていたら腹が立つだろう?意味も意義もなく、ムカつくから石を投げ返したくなるだろう?復讐なんてつまりはそういうことだよ。——お前が生きて笑っていることが心底気に入らない。死んでくれ。それだけさ」

「そ——それでも。それでも、復讐はよくないことです。人を殺していい理由なんてない。それに、ハイリカムの人たちがウィスタリアを恨むのは当然だとしても、傷つけた人たちの中には無関係な人だっていたはずで」

「坊主。滅ぼされたハイリカムの住民だって、無関係なはずだったんだ」

「でも……でも…!」

「坊主、お前の言葉は正しい。——正しいが、ただ正しいだけのものだ。それ以上のものは何もない。お前のそれは、誰かを救えるものじゃない。もう少し視野を広く持て。自分自身だけを救いたいならそのままでもいいだろうがな。お前はそうじゃねぇんだろ。何が正しいか、何が間違いか。選ばなくちゃいけないときが、必ず来る」


 その時、お前はどうする。迷わずに選べるか。

 向けられた眼差しに嫌悪はなかった。ただ、子どもを諭す大人の目だった。

 ——やっぱり、言い訳をさせてもらえるのなら。

 この男が、似ているのが良くないと思うのだ。

 ルード・リンネリスにとってたった一人の保護者に、よく似ていたのが良くないと思うのだ。話し方とか、雰囲気とか。容姿以外のものが、あの人を思い起こさせてしまったから。

 でも、だって、どうして、なんで。そんな風に駄々を捏ねても、許してくれるんじゃないかって、思ってしまったから。


「……言い過ぎちまったな。だが考えておけ、ルード・リンネリス。その時に、後悔しないために」


 伝えていないはずの名前を、名前も知らない彼は口にして。

 養い親とそっくりの手つきで、ルードの頭を撫でた。




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