第三章 そんな、夢をみる 2
カリプタスは、スリージエの北側に位置する町である。
元々はウィスタリアと敵対していた国があった場所であり、現在でも軍との関係はよろしくない。だが、現地の軍人とは揉め事にならない程度にはうまくやっていたらしい。よそ者には厳しいと聞いていたが。
「———結構人がいるんだな」
カリプタスの町には、市が並んでいた。クラッスラほどではないが、人が多い。観光客っぽい人もちらほら見える。そんなに治安が悪いわけではないのかと思ったが、建物の間や路地裏の向こう側からは嫌な気配がする。
「ガランサスから近いからね、ここは。瘴気のせいで行き場をなくした人は大勢いる。セントラルでさえ、スラムがあると聞いたよ」
「——そうだな。珍しい光景じゃない。わかっている」
「それでも?」
「ああ。それでも、だ。何もできないとわかっている。わかっていることが、しんどいな」
「そうだね。悔しいけど、そういうものだ。行こう、アスタ。目を付けられるよ」
くいっと袖が引かれる。はっと我に返り、先を歩く背中を追った。
カリプタスを訪れたのは、アスタを追ってスリージエまでやってきていた軍人の片割れ、ルード・リンネリスに呼び出されたからだ。手紙には一言こうあった。話がしたい、と。無視してもよかったのだが、居場所が割れてしまった以上、面倒なことになる前に顔を合わせた方が早いと呼び出しに応じることにした。
指定された場所がスリージエではなく、カリプタスだったのはおそらく独断だからだろう。
「ルード・リンネリス、ローダン・マングルス、だっけ?クラッスラにいた、ヤフラン・リリタールとは別口の軍人の方?」
「多分な。俺に接触してきた」
ローダン・マングルスは一年前の内乱での戦果を評価され、キリカ・スターチー指揮下の隊へと異動した。戦えなかったアスタとは違い、めざましい戦績を上げていたのが彼だ。臆病者と罵られた相手でもある。ルード・リンネリスは数少ない術士で、通信式を起動できることから重宝され、ローダンと同じ隊へと引き抜かれた。
「今は十七歳のはずだ」
「若いね。国軍ってそんなに人手不足なの?」
「俺は十四歳の時に入隊したぞ?」
エリスが目を丸くした。
「子どもじゃないか」
「術士は14歳から入隊できるんだよ。需要があるからな」
「需要?まるで物みたいに……あーもう、ごめん」
やはり、軍に対しては常に辛口だ。苦笑を返す。
「いや。言いたいことはわかる」
エリスは切り替えるように頭をひとつ振って、左右に広がる露店に目を向けた。
「お土産買っていこうか。セージ拗ねちゃってたし」
「よかったのか、置いて来て」
カリプタスに呼び出されたアスタについていくと告げたエリスに、セージは自分も同行すると言って聞かなかった。困り切ったエリスに助け舟を出したのはシオンで。お土産を買ってくるから。大丈夫だよ。何度も兄が言い聞かせて、ようやく手を離した弟は、それでも不服そうに睨みつけて、どこか不安げだった。
兄弟のやり取りを見て、アスタは一人で行こうかと提案したが、シオンとエリスが却下した。術具を使えないのだからと。アミをシオンに任せ、夜になる前には戻るよと店を後にした。
「大丈夫だよ。何かあってもこれで居場所はわかるだろうしね」
ぴん、と長い指が耳飾りを揺らす。貰い物だと言っていた術具だ。
「気になってたんだが、それは誰から貰ったんだ?」
「言ってなかった?両親だよ」
思いを馳せるように目を細めて、ふっと息を吐くように笑う。
それ以上エリスは何も言わなかった。
「見えた。あそこだな」
指定された喫茶店は、大通りから一本奥に入った場所にあった。一応、罠であることを考え周囲を探ってみたが、怪しい気配はない。同じく周囲を警戒していたエリスも、大丈夫と頷いてみせた。
店内で注文を済ませ、テラス席へと向かう。外は狙われやすいが、逃走しにくい店内と天秤に掛けた結果である。一応柱で死角になる位置のテーブルを選んだ。
湯気が立つコーヒーをふたつ、テーブルの上に置いて席に着く。
「エリス、砂糖は?」
「要らないよ。ありがとう」
ブラックのままコーヒーを口に運んだエリスが、あちっと眉を潜めてカップを戻す。猫舌らしい。
対するアスタは、貰って来た砂糖をどぽどぽと投入し、ぐるぐると搔き回す。
「……苦いんだよ…」
「ふ、ふふ。何も言ってないよ、アスタ」
嘘だ。視線がうるさかった。
コーヒーは嫌いではないが、苦いものは得意ではない。砂糖をぶち込めば飲めるのだ。正直に話すのは恥ずかしいので、これを言うのは今が初めてだが。
「こほん!そういえば、クラッスラで話したことを覚えている?瘴気の発生には、方向性みたいなものがあるかもしれないって話」
ぴくりと、カップを持ち上げていた手が止まる。
エリスは、怖いくらいに真剣な顔をしていた。
「急にどうした?」
「さっき書庫で、引っかかったことがあるって言ったでしょ。それを確かめたいんだ」
桜の木に刻まれていたという祝福の刻印式の話をしていた時のことか。
「わかった。何が知りたい?」
「瘴気の発生時期と場所。大体でいいんだ」
ふは、とアスタは噴き出した。
瘴気についての情報は、不自然なくらいに秘匿されている。国軍本部の情報管理室や書庫を調べたが、瘴気について得られた情報は少ない。だが。
よかった。それなら、知っている。
「エリス、紙とペン持っているか?」
「あるよ」
渡された紙に、簡易的に大陸の形を描き、限られた時間の中で焼き付けた記録を引っ張り出して書き加えていく。東のガランサスから始まって、点々と日時と場所を記す。記憶を辿るように悩みながら、さほど時間はかからずにそれは完成した。
「ほらよ。日時については自信がないが、場所は合っているはず」
「……ありがとう、本当に」
「おう。それで?なにが…」
気になるんだ、と言いかけた言葉を遮るように、光が落ちた。それから空が唸る。雷だ。
「天気悪いね。傘持ってきた方が良かったかな」
傘の一言に、ふと数日前のことを思い出した。
「そういえば、お前あの時なんで傘を二本持っていたんだ?」
「あの時?ああ、初めて会ったときか。シオンに言われたんだよ。傘を二本持って行けって」
アスタと出会う少し前、エリスはシオンと通信をしていたという。話の内容は語らなかったが、通信を切る間際に雨が降るから、出掛けるときは傘を持っていきなさいと、そう彼女に言われたのだと。できれば二本持っておくといいわ、とどこか楽しむような笑みを含んだ声音が告げたという。
「なんだそれ。あの人占い師か何か?」
似たようなものだとエリスが肩を竦める。
「長い付き合いにはなるけど、よくわかんない人だよ。絶対に敵に回したくない」
それは同感だ。容姿だけをみれば年下の綺麗な女の子だが、それだけではない何かを感じる。人ではないと言われたら、信じてしまいそうな底知れなさ。凛と咲く花の美しさと、冬の夜のような冷ややかさを持つ、氷花のような少女。
「どんな縁で知り合ったんだ?」
「それは——」
すっと視線をずらしたエリスが口を噤む。店の外から伺っていた気配が、近づいて来ていた。くるりと振り返ると、気付かれているとは思っていなかったらしいルード・リンネリスが思わずといった様子で一瞬足を止めた。
「遅かったな」
気にせず話しかける。負けず嫌いの気がある後輩は、動揺を悟られたくないのかぐっとこちらを睨みつけた。
正確には、エリスの方を。それから、わざとらしく彼を無視してアスタに向き直る。
「お久しぶりです、先輩」
ルードの態度にエリスが面白がるような態度で肩を竦め、ここで待っているよと、二人を送り出す姿勢を取った。悪いなと告げて、分厚い雲が広がる空の下に出る。
エリスから距離を取りたいのか、店から必要以上に離れようとする後輩を呼び止める。何故だと言わんばかりの目で睨まれたが、エリスの視界から外れるところまで移動するつもりはなった。動かないアスタにひとつ舌打ちをして、ルードも足を止めて向き直った。
天気が悪いせいか、人影は少ない。路地の向こうで、一人の子どもがボールを蹴っているのが見えた。
「——先輩、彼は誰ですか」
「協力者だよ」
それ以上の情報は渡さない。ヤフラン・リリタールとは陣営が違うから、情報の共有はしていないだろう。ぎりぎりと睨まれるが、教えるつもりはなかった。
「それで、用件は?」
「昨日の続きです、先輩。どうしてこちらに戻ってこないんですか。ひとりで動くのも限界があるでしょう」
ひとりではないのだが。
情報交換だけでも構いません。後輩はそう言うが、彼の上司たちは情報だけが目的だ。ローダンとルードと共に軍に戻ったとしても、アスタを守ってくれるとは思わない。いや、名前だけは知られているからアスタのことは飼い殺しにでもするかもしれない。だが、アミのことは切り捨てる可能性の方が高いと思っている。その点では、ヤフラン・リリタールのことも、彼が味方だといったハウレン・ナルキースのことも信じ切れてはいなかった。彼らがアミを殺す気がなかったとしても、他の誰かはそうではないかもしれない。そして、一度彼女に牙を向いた彼らが、保身のために再び刃を向けないとも限らないのだ。
「お前、ここには無断で来たんだろう?ローダンも交渉できるほどの情報を持っていなかったんだ。お前に有益な情報が用意できるとは思えない」
アスタが呼び出しに応じたのは、この後輩を止めるためだ。これで応じなければ、店に乗り込んできただろう。エリスがいて、あの店主がいる以上、問題なく撃退できただろうが、アミや子どもたちを怯えさせたくなかった。ついでにどこまで情報を得ているのか知りたかったのだが、この様子なら本当に有益な情報は持っていないのだろう。
図星だったのか、ルードは一瞬言葉を呑み込んだ。それでも、頑固な後輩は、譲れないのだと再び口を開く。
「ですが!こんな実験、間違ってる。先輩だってそう思っているんでしょう?同じ敵を相手にしているのに、味方同士で協力できないなんてばからしいと思いませんか?」
「……なあ、リンネリス。コルチカムで襲撃があったことを知っているだろう。襲撃者は、どうやってこの実験を知ったんだと思う?お前たちの側から漏れた訳じゃないと、どうして言える?」
軍は一枚岩ではない。派閥内であっても同じこと。自分の利益だけを考えているような連中だ。自身が不利と感じればすぐに切り捨てるし、自身に有利と考えればどんなことだってする。誰とだって手を組む。
瘴気を利用しようだなんてことを考える連中だ。平気でハイリカムと通じるだろう。
「俺は、あの子を守る責任がある。はっきり言おう。——俺は、お前たちを信用していない。協力も、情報交換も、できない」
ルード・リンネリスは悪人ではない。彼の言葉は本心だろう。だとしても、彼の仲間とやらが信用できるとは限らないのだ。
ぽつり、と。
雨粒が肩を叩いた。雨脚はすぐに勢いを増し、二人を濡らしていく。
空では雷が変わらず閃いている。
「あいつの方が信用できると言うんですか!素性もわからない男の方が⁉」
「リンネリス」
「……軍が、信用できないのだとしても。俺と、ローダン先輩は。俺たちは、信用できるでしょう?」
「あのなぁ」
アスタは呆れを隠さずため息を吐く。
自分の言葉が届かないと悟ったルードが、ぎゅっと眉を寄せた。軍服のポケットから封筒を取り出す。
見覚えのあるそれに、アスタは目を見開いた。
「先輩、俺、あなたの部屋に入ったんです。これは、なんですか?」
そんなの、見ての通りだ。
「遺書だ。持ってきちまったのか」
自室に置いていたのだから、そりゃあ調べられるか。中にはアスタの財産を寄付して欲しいことと、家財一式の処分依頼を記していただけなので、特に見られても問題はないが、なんかこう、居たたまれないものがある。
「言っておきますが、中身は見てませんよ。先輩、死ぬつもりなんですか」
「そんなものに意味はないさ。お前だって、書いたことはあるだろう?」
「ですが先輩。先輩の部屋は……!」
アスタの部屋は、他人に手間をかけさせるのもどうかと片付けていた。時間が足りなくて大きい家具はそのままになってしまっていたが。
綺 麗に片付いた部屋と遺書とで随分気を揉ませてしまっていたらしい。さてどう言ったものかと口を開いた、その時。
「——アスタ‼」
切羽詰まった、悲鳴のような、エリスの声がして。
視界の端で、濃紺の霧が弾けた。
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