第一章 今、青空の下 9


 翌朝。

 アミの熱は、すっかり引いていた。ほっとしているアスタ達に、体調を崩していた自覚があまりないアミは不思議そうにしている。その様子に苦笑しながら、エリスが小さな額に手を置いた。


「薬は必要なさそうだね。喉も赤くなっていないし、このまま様子をみようか」


 薬と聞いて苦い顔をしたアミが、表情を明るくさせる。薬は苦手らしい。素直だ。

 本当なら朝から情報収集の為に町に出る予定だったが、大事を取ってアミに付き添うことにした。というより、どうしようか迷うアスタに、僕が行こうかとエリスが申し出た結果だ。セージが同行すると言い募っていたが、エリスは頑として認めなかった。


「僕なら顔が割れてないからね。アスタよりは安全でしょ」


 そう言って得意げに笑うエリスは、早朝の一件がなかったように振舞っている。アスタも何も聞かないと決めたのでこれでいいのだ。

 少し悩んで、厚意に甘えることにした。


「何の情報が欲しいの?」

「軍の動向、刻印士か術士の情報。それから、瘴気について」

「了解。質と量、どっち重視?」

「どっちもと言いたいところだが、量だ」


 任せて、と軽く笑い、何かあったらセージの術具を使って探して、と言い置いてエリスが出掛けたのが昼食後。幸いアミが再度体調を崩すこともなく。ちらちらと入口に視線を向けながら、わかりやすくそわそわするセージに声を掛ける。


「——セージ」

「なんだよ」

「エリスは、ちゃんと戻って来るよ」


 その言葉に。

 エリス・ユーフォルビアの弟は、黒色の目を丸くして、意表をつかれたような顔をした。

 怒られると思っていた子どもが、逆に褒められて驚いたような、そんな無防備な顔だった。


「——わかってるよ」


 ぶすっと頬を膨らませてそっぽを向く。

 どこにでもいる子どものように、わかりやすく拗ねて見せる彼に、アスタは小さく吹き出した。

 エリスが可愛い弟なのだと断言する気持ちが、少しわかった気がした。


「何笑ってんだよ!」


 しかし口が悪い。エリスに対しては十割増しくらいで口が悪いが。幼さを残しながらも兄と同様に整った顔立ちをしているのに、鋭い顔つき目つきの印象が先に来る。

 もったいないなぁと思うアスタの脳裏で、想像上のエリスが、僕がわかっていればいいんだよと兄馬鹿丸出しで胸を張った。出会ってから今までのエリスの行動を思い出して、アスタはうんと頷いた。

 言うな、あいつは。


「何ニヤついてんだよ。気持ち悪ぃぞ」

「待て待て引くな!」


 ユーフォルビア兄弟の弟の方との距離が縮まったのか、逆に広がったのか。

 どちらにせよ、お互いにどこか持っていた遠慮がなくなったので良しとする。

 兄の方が帰ってきたら自慢するかなと考えつつ、彼が戻って来たのは、日が沈み始めた頃だった。

 セージは戻って来た兄を出迎えた後、お土産と渡されたお菓子を持って別室に引っ込んでいった。エリスに体調を確認されたアミも一緒だ。いない方が良いと判断したのだろう。よくできた弟である。もう一つの部屋の方に二人で移動した後、エリスからアスタに渡されたお土産はまだ湯気が立っているコーヒーだった。


「飲める?」

「……もちろん」


 行儀悪くベッドに腰かけながらコーヒーを口に運ぶ。——苦い。


「何かわかったか?」

「ダメだね。正規の刻印士、術士はほとんど軍か国政機関に徴集されている。残っているのは表に関われない裏側の奴ら」

「そうか」


 予想はしたことだったが、落胆は隠せない。もう一つのベッドに腰を下ろしたエリスが続ける。


「瘴気については目ぼしい情報はない。ここ数年は新しい瘴気の発生がないからかもね。新しいものがない代わりに、瘴気に侵された土地に変化があったという話もない。ただ、近々瘴気が発生するんじゃないかって噂もある。根拠はない。噂はセントラルの方から流れてきたみたいだけど」

「軍でも似たような話が上がっていた。周期を考えれば次の発生まで猶予がない、って。噂の大本はそれかもな」

「周期?そんなものがあるの。瘴気について、詳しいことは何もわかっていないっていうのが軍の発表じゃなかったっけ?……ああそうだ、瘴気発生の流れには規則性があるんじゃないかって噂もあったけど、軍人さんはご存知?」


 嫌味っぽい口調だが、そこに悪感情はなかった。なので、アスタも気にせず答える。


「瘴気については一度調べたことがある。……規則性か。そうだな。方向性みたいなものはあったかもしれない」


 苦いな、と思いながらコーヒーを口に運ぶ。同じようにコーヒーを飲んでいたエリスが半目になった。


「それ、機密じゃないの。アスタって結構お偉いさん?」

「いや。黙って調べた」

「………」

「軍の様子はどうだった?」


 わかりやすく話を変えてみると、仕方ないなと言わんばかりの表情を向けられる。


「普段見かけない軍人が、三人組を探しているって噂になってる。探しているのは、男二人と、子どもの組み合わせ。向こうはセージを見てないからね。駅の近くにあの日の奴らがいた。軍服を着ているから目立つ目立つ。馬鹿なの?」

「お前が馬鹿か!?見つかったらどうする!」

「見つからないから大丈夫。そんなヘマはしない。でもこの町は移動した方がいいかもね。ああ、そういえばもう一組、奴らとは違う軍人がいたよ。奴らと接触している様子はなかったから、別口かな?身内なのに連携取れないって悲しいねぇ」


 辛辣な口調で吐き捨てる姿に、そういえばこいつは軍が嫌いだったなと思い出す。


「どんな奴らだった?」

「男二人組。どっちも若かった。焦げ茶色の、髪が逆立った奴の方が年上で、黒髪の方が年下だね。茶髪は僕よりも年下じゃないかな。黒髪の方は耳に術具を着けていた」

「エリスよりも年下の、術具持ち?」


 そもそもエリスの年を知らないのだが、多分アスタと同年代。それよりも年下の黒髪となると、一人思い浮かぶ相手がいる。アスタと同じ術士であるルード・リンネリス。だとすれば、同行者の焦げ茶色の髪はローダンか。


「心当たりがありそうだね?」

「多分、同期と後輩だ」

「接触する?」

「しない」

「了解。ここまでかな」


 エリスが半日で土地勘もない場所だとこれが限界だった、と肩を竦めた。


「充分だ。ありがとう」


 どういたしまして、とエリスがコーヒーを飲み干した。苦さに眉を寄せながらアスタもコーヒーを飲み切る。

 それから、ひとつ間を置いて口を開いた。


「なあ、エリス」

「うん?」

「後で、話しておきたいことがある」

「今じゃダメなの?」


 不思議そうにエリスが尋ねる。ダメだ、とアスタは首を横に振った。


「頼んだ夕食が届く」


 その時、その通りだと言わんばかりのタイミングで部屋の呼び鈴が鳴った。





「あ、アミ。ちょっとこっちおいで」


 夕食を終えた後、シャワー室で何か準備をしていたエリスが、おいでおいでと手招いた。首を傾げながらアミがとことこと向かう。何をするかは予め聞いていたアスタは、いってらっしゃいと見送った。セージも聞いていたのだろう。どこから持ってきたのか新聞を広げている。


「何か載っているか?」

「あんたらに関係ありそうなニュースはねぇよ」

「そうか」

「……戻って来たぞ」


 くいっと顎で示された方を見遣ると、ぱたぱたと軽い足音を立ててアミが戻って来ていた。動きに合わせて金色の髪がふわふわと揺れる。


「おにいさん!切ってもらったの!」


 みてみて、と子どもが弾む声で笑う。

 アミの髪を切ってもいいかとエリスに聞かれたのは、夕食中だった。どうしようと困るエリスに、こいつうまいから大丈夫だぞと背中を押したのはセージだった。

 その言葉の通り、伸びっぱなしになっていた金色の髪はエリスの手で綺麗に切りそろえられ、適度に量を減らしている。軽いよ、と嬉しそうに笑うアミの小さな頭をよしよしと撫でた。


「おー、いいな。……いやうまいな」

「オレたちで慣れているからな、あいつ」

「ああ……あ?」

「片付け終わったよー。シャワーどうぞ」

「アミ、先行け。準備してくる」


 はあい、とアミがシャワー室へ戻り、セージがソファから立ち上がった。入れ替わりで戻って来たエリスが、どうだった、と尋ねてくる。


「おれたち?」

「?どうしたの?」

「いや…。あ、器用だなお前」

「慣れだよ、慣れ」

「今度俺も頼もうかな」


 冗談交じりのアスタの言葉に、エリスが噴き出した。いいよ、と返る言葉は可笑しそうに震えていた。けらけらと笑いながら、どんな髪型にしようかと模索している。

 そんな二人に対して、不思議そうにしていたアミと不可解そうな視線を向けたセージは、今日は一緒に寝るらしい。エリスが何か言ったのかと思ったが、特に何も言っていないという。察しのいい子だからねとは兄の言葉だ。

 シャワーを終えた二人の子どもが扉の向こうへ消えるのを見送って、紫色の瞳が対面に座るアスタへ向けられる。


「——それで、話って?」


 ゆるりと笑う、旅の同行者。エリス・ユーフォルビア。

 知っているのは名前とコロナリアに住んでいることだけ。けれど胡散臭すら感じさせるほどに笑みを絶やさない彼の姿に、頼もしさを感じたのは確かだ。そして。


 ——どんな事情があるにしても、大人が子どもを傷つけていい理由なんてないからね。


 その言葉の通り、この数日間彼は弟であるセージとアミに対して優しかった。彼の言葉に、嘘はなかった。

 そして困ったことに、長く時間を共にしていれば情が湧く。アスタはもう、エリスを他人だとは思えなかった。

 数日で見てきた彼と、自分が成し遂げなければならない目的。それから自分自身の現状とを天秤に賭けて。

 大丈夫だよと言った、背中を押すような声を思い出す。

 彼は敵ではないと——信頼を渡すことを、アスタは選んだ。


「知っておいてほしいことがある」


 声音から何かを感じ取ったのか、ふ、とエリスの笑みが消えた。真顔だと恐ろしいほど綺麗な顔立ちが際立つな、と頭の隅で思いながら、アスタは口を開く。

 何を話して何を黙するか、冷静に選択しながらこれまでのことを言葉にする。

 アミを実験体として利用しようとする思惑。彼女の護送中に起きた襲撃事件。そして、彼女を連れて逃げていること。術士か刻印士を探しているのは、彼女に装着された術具を外す為であること。アスタの腕に装着された術具については話さなかった。

 長い話になるかと思ったが、語ってみれば短くまとまった。

 エリスはアスタの話を一度も遮ることなく黙って聞いていた。凪いだ紫の瞳が実験の内容を話した瞬間だけ殺気を宿したが、それだけだ。我ながら衝撃的な話をしたと思うのだが。

 とりあえず語るべきことは語り終えたので、相手の反応を伺う。

 沈黙は数秒。何かを堪えるように深々と息を吐きだして、エリス・ユーフォルビアはまっすぐにアスタを見据えた。


「事情は、分かった。感想はあるけど、それよりも先に謝っておかなきゃいけない。ひとつ、協力できることがあったのに黙っていた。悪意があってじゃない。僕にとってとても大事なことだから、簡単には伝えられなかった」


 彼が何を伝えようとしているのか、わからないまま、おうと頷く。


「君の誠意に応えないとね。——ねえ、アスタ。イヴェールって知っている?」


 イヴェール。スリージエにある情報屋。

 彼女を紹介してあげる、とエリスは言った。



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