命の賭け方のいろは。

「ところでお前、どうしてあんなところにいたんだ? 進行方向から見るに、村とははっきり真逆に行ってたみてーだが」


「連れがいましてね……それが襲われるのを忌避したまでです」


 バイク。どう見ても原動力が載った小型二輪自動車の上に、この高慢ちきな女と僕はまたがっていた。


 ここは異世界なのに。


 世界観ぶち壊しである。


「ふぅん。なるほどなるほど。お前、一人の女逃すための囮になったってことか。かっこいいな。痺れるぜ。あたしがあたしじゃなかったら、きっと惚れてるな。ま、それで逃げ切れたんなら上々だったが、しかしあんな幼稚な罠に引っかかったてんじゃあ、締めが悪いな」


「そりゃどうも。ところであなた誰なんです?」


「あぁ? お前話聞いてたか? それとももっかい言って欲しいのか? あたしが誰かなんて気にすんな。天候のようにな。つーかてめぇがてめぇを語らねぇのに、どうしてあたしが自己紹介しないといけねーんだよ」


「僕は首桐白老です。天性の正直者ってよく言われます」


「ふぅん。変な名前だな。自己紹介どうもありがとう。さっきも言ったがあたしのことは気にしなくていいぜ。あたしが誰で何者かなんて、お前にとっちゃノイズにしかならないからよ」


 僕としては、この女が誘拐犯かどうかがとても気になるのだが、しかしこの態度だと、いくら聞いても気にすんなで流されるだろう。


 諦めるわけにはいかないが、諦める他にない。


「ところでお前、あたしに聞きたいことがあるんじゃないのか?」


 聞きたいこと、つまりは今僕が抱えている疑問や疑惑のいずれかを、解決してくれるという解釈でいいのだろうか。


 とはいえ、ありすぎて絞れないな。今この瞬間のこともあるが、現状僕がおかれているこの現実にも疑問がある。


「えっと…… 、数ある疑問のうちの一つを質問させてもらいますけれど、何で僕を助けたんですか? しかも、あんなグッドタイミングで」


 時系列順に言うとこれが一番古い疑問である。僕と彼女はもちろん面識はない。向こうから一方的に知られているという可能性はあるだろうが、少なくとも僕は彼女のことなど生前や今も含め、全くの無知だ。


 そんな純粋な疑問に、彼女は、はっはっはっと高笑いをして回答する。


「そんなことを気にしてたのか? お前。だとしたらお前はもっと他人を信用すべきだぜ。その分だと、どうせ妙な邪推をしてたんだろう? あたしのことを誘拐犯だとか異世界人ハンターかなんかだと勝手に妄想してたんだろう? 全く、失礼な野郎だぜ――――言っとくが、別にあたしはただ通りすがっただけだぜ。こいつに乗って失踪するかのような疾走ぶりを楽しんでたら、たまたま運よくリンチされてる卑屈そうな男を見つけたから、見捨てるのも忍びねぇし、もののついでで助けてやったまでよ」


 ふむ、つまりはただの親切心か。もっと別の事情が隠されていそうだが、しかしこれもまた、聞いてわかるようなことではない。


 というのも、あの場で僕が助かったのはただたまたま彼女が通りかかったからだとすれば、その確率は紙一枚に収まるほど簡単なものではないだろう。


 この広い森の中、たかだか数十メートル程度の範囲で起こるいさかいの現場にかけつけるなど、そんな幸運はありえない。


 少なくとも僕には起こりえないものだ。僕のような程度の低い悪人には。


「あなた、そんな親切なんですか? とてもそうには見えないんですけど」


「はっはっはっ! 善人には見えないってか! そりゃいいね。あたしもようやく威厳が出てきたってところか。どうだい、このギャップは。惚れんなよ? 自分ですら精一杯なんだから、大の大人一人の面倒なんて見切れねーぜ」


「惚れませんよ。惚れるなんて僕には難しいです。自惚れがいいところなんですから。そういえば、このバイクいったい何なんです? あなたも異世界人なんですか?」


 一番最初に抱いた疑問は、もしかしたらバイクの方だったかもしれないと、僕は記憶を振り返る。というか、そう、何でバイクがここにあるんだ。現代技術の最たるもので、この紀元前程度しか技術の発展していない世界では、到底お目にかかれないはずだ。


 エンジンはおろか、金属加工ができるかどうかも怪しいぞ。


「バイク? それがなんだか分からんが、こいつはあたしの愛馬だぜ。親友で鍛治師の砂塵ちゃんが作ってくれたんだ。イカすだろ? イカすって言えよ死にたくないだろ?」


 おや、砂塵といったか? しかもちゃん付けとは。たしかつい最近、砂塵という人物の名前が話に出た覚えがある。そうそう、たしか六大鍛治師のうちの一人とか、どうとか。


 こんなメカニカル溢れるバイクを作ったというのであれば、砂塵はやはり僕と同じ異世界人……。しかも相当有名ときた。ここはどうしても接点をもちたいところだ。

「砂塵って人と知り合いなんですか? どうもすごい人らしいですね。六大鍛治師なんて大層な枠組みに入っているみたいですけど、どんな人なんです? 僕、その人の打ったナイフ持ってますよ」


「あぁ? 砂塵ちゃんね。はっはっはっ、あいつのことを語るっていうのは何だか小っ恥ずかしいものがあるな。どうしてかわかんねーけどさ。んじゃ一つ聞くけど、お前、一時間完成説って知ってる?」


「何ですかそれ。文脈じゃ測れない一説ですね。……どんなものでも一時間あれば完成するとか?」


 僕は臆面もなくそう言った。

 すると、どうやら冗談の類だと思われたらしく、威勢のいい高笑いをされた。笑わせるつもりは毛頭なかったのだが。


「全てのものは一時間あれば完成する……。いいね。それもまた、砂塵らしい。一時間完成説っていうのは、いわば世界が一時間前に完成されたと仮定した時、それに反論することも、証明することもできないっていう説だ。砂塵はそんな中、一番最初に完成されるようなやつだ」


 それは俗に言う世界五分前説じゃないか。


「早い……ってことですか?」

「端的にまとめんなよ」


 バイクは風を切って山道を駆ける。その足取りは衰えず、どこまでも進んでいく。

 顔の傷は、アドレナリンが切れた今、かなり痛むが、しかし僕はどこかで安心した気持ちになっていることに気づく。


 彼女、常に笑っているような、自信の擬人化みたいな彼女の背中にいることを、僕は安心している。


 ……なんでだろ。


「そう言えばこれどこ向かってるんです? 僕、村に帰んなきゃなんですが」


「あー? 知らね。適当だからな、あたし。地獄とかじゃね? もしくは三途かね」

「死ぬのは確定ですか。というか、あなた奪衣婆かなんかですか」


 …………死ぬ、ねぇ。僕はここ最近、ずっと三途の川のほとりに立たされてばかりだが、そもそも僕は死んだからここにいるのだった。そう考えると、僕は今地獄にいるようなものだ。死にかけてもこうして元気なのは、もうすでに死んでいるからであって、今は地獄の業火に焼かれるといった罰が執行されているということなのだろう。


「その、一ついいですか」

「幾つでもいいぞ」


「あなたは死ぬのが怖いですか?」


 何だか、とてつもない愚問を発しているようで、若干発言が躊躇われる。

「そういうお前はどうなんだ?」


「僕は、そりゃ怖いですよ。だって、痛いですし、苦しいですし、目の前が真っ暗になるんですよ? 誰も助けてはくれないんですよ? そりゃ怖いでしょう」


 僕の問いを聞いて、彼女は「ふぅん……」と、らしくない、やや調子の下がった声を漏らした。


「嘘だな。まぁそれがお前の本当でもいいが、しかしそれはガキの理屈だ。死がどうして怖いかと言やぁ、痛いとか苦しいとかそういう短絡的なものじゃなくて、何もかも失い、自分が完全に続かなくなるから怖いんだ。自分が消えて、誰でもなくなるから、怖いんだ」


「何もかも失うから……怖い?」


 手放すのは恐ろしいこと。僕や彼女の手に乗る、ありとあらゆる僕たちの所有物。それは、全て命という縄で繋がっている。命が事切れれば、奈落の底へと落ちていく。


 それが死ぬということ。なのだろうか。


「その気持ち、僕にはよくわからないですね」


「何でだよ。話聞いてたか?」


 というのも、僕は何度も言っているように詐欺師だから、自分に対するリスペクトが一ミリもないのだ。死ぬはもちろん嫌だが、いつ死んでもいいと思っている。そういう矛盾を自己の中に孕んでいる。


 彼女が言うような、積み上げた物というのが軽蔑に値する物だからこそ、僕は死に対する恐怖が薄いのかもしれない。


「さて、あたしはこれから煉獄に出向くんだが、着いてくるか?」


 生きるとか死ぬとかやっぱりややこしい。


「悪くないデートのお誘いですが、実は用事が済んでないんですよ。村に帰らないと」


「そうかよ、じゃ、さっさと降りろ」


 バイクが豪勢にドリフトしながら、その場に止まる。どこへ着いたかと思えば、そこは僕たちの村があった。


「じゃ、またな。お前とは長い付き合いになりそうな気がするぜ。あたしの人生を豊かにするためにも、精々健康に生きとけよ」


 不思議ながら、僕もそんな気がした。それは良縁というよりは、悪縁といった類のものだろう。


「それで、結局あなたは死ぬのが怖いんですか?」


 そういえば返答をもらっていないことに気づいた僕は、さっきもした質問をもう一度繰り返す。


 それを聞いた彼女は、高笑いも嘲笑もせず、ただ悪人を眺める者の顔つきで僕に言う。


「怖いね。だってあたし人間だし。じゃあな!」


「……あ、さような――――ら」別れの挨拶をする途中で、最後まで聞かずに彼女はバイクのエンジンを唸らせて去っていってしまった。


 彼女は結局誰だったのか。それはわからずじまいだが、しかし、その点に関する僕の好奇心は、全く揺らいだりはしていなかった。


 彼女に名前は関係ない。存在自体がもう、名前以上に意味を持っている。そう感じたからだ。


「結局、疑問は対して解消されてないな……むしろ増えただけというか、モヤモヤがより濃くなったというか」


「あ! お兄さーん!」


 村長宅から出てきたダカラちゃんが、真っ先に僕を見つけ、呼びかけてくる。そういえば忘れかけていたけれども、僕には畑荒らしの問題を解決しなければならないのだった。彼女に会って何となく話が締まって仕舞った。


 何にも解決していない。どころか、僕の容体を鑑みれば、状況は悪化したとさえ言える。


 イレギュラーな介入はあったけれど、一旦こちらの問題に集中せねば。そう思って僕はダカラちゃんの元へと歩み寄る。


 おや、よく見ればダカラちゃん、ちょっと泣きそうか? ふむふむ、遅くなっても帰ってこない僕のことをそんなになるまで心配してくれたのか。なるほどなるほど、なんて心優しい子なんだ! その事実に僕が先に泣いてしまいそうだよ。ここは、元気に帰ってきたことを証明しなくてはならないな。


「やぁダカラちゃん。こんな様相を呈しているけれど、僕は無事健康質実剛健に帰ってきた――――」


「――――み、みんないなくなっちゃった!」


 僕の冗談を遮ってまで放ったダカラちゃんの報告は、呆けていた僕の頭を冴えさせるのに、十分な威力を持っていた――――。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る