やつがいた。
「そりゃ無理だ」
ヤツガイからの申し出を、僕はほとんどノータイムで却下した。これが嘘かどうかはぜひ考察の限りを尽くしてほしい所だ。
「早えよ。……どうしてだ?」
「いや……別に、ちょっと待て、ハクシュン! そもそも、僕あんまり旅とか好きじゃないんだよ。綺麗な景色とか、荘厳な建造物とか、由緒ある遺物とか見せられても、特に何も思えないタイプなんだよ。同胞だからって一緒に旅に出ても、きっと楽しくないぞ?」
「俺はそういうことを言っているんじゃ……」
きっとヤツガイは、僕と一緒にいるのが好きだから僕を誘ったのではないのだろう。話を聞いていれば察せることだ。
あの廃村で、かつてヤツガイが引き起こした過ちを、不運を、再来させることを懸念して、ヤツガイは僕を誘ったのだ。
死にゆく同類を見殺しにはできないという気持ちが、ヤツガイにはあった。だからあんな身の上話を語ってくれたのだろう。
だが、僕はその気持ちを堂々と無視する。
それは僕が詐欺師であるゆえに人と共には歩めないという業を背負っているばかりではない。ただ僕は、あの廃村に執着しているのだ。
離れたくない、あの廃村の下にいたい、そんな執着心が、僕の心に少しだけ芽生えていた。
それはヤツガイの申し出を断るには、十二分に足る理由であろう。
なぁに、そんな異世界人ハンターだ、怪しげな組織やらが攻め込んできたのなら、僕の舌先で奴らを踊らせてやるまでよ。
「それにな、ヤツガイ。僕は案外、あの村を気に入っているんだぞ。コンビニもないし、娯楽もないし、何がいいのかさっぱりの田舎具合だけどさ――――それ以上に、騙すべき悪人は一人もいない。それだけであの村に居座る理由になる」
「…………お前」
「だからむしろ、誘うのは僕のほうだ。ヤツガイ、お前はどうやら過去で相当痛い目を見たらしいが、しかし、あの村で、もう一度同じように過ごしてみたいとは思わないか? 次連中がやって来たら、追い返す程度のことができるくらいにはなっているんだろう?」
あぁ、僕はなんて調子のいいことを言っているのだろう、と自分を客観視する。こんなことを吹聴する奴がいたら、僕は今後一生一度もそいつを信用することはできないだろう。
先のことを全く考えていない、ただの楽観である。
この言葉に、ヤツガイははにかむようにニヤケ笑顔を作ってこう言った。
「ま、それも悪く……ないか」
「ともあれ……ハクション! ここから、脱出しない限り、何も物事は進展しないぞ。ヤツガイ、お前さっき自分のこと脱出の天才とかどうとか言ってたけど、どうだ? ここから出れそうか?」
「ん……あぁ、いや実はな、もう少しでわかりそうなんだ。だが、最後の決め手というか、一体何が原因でそうなっているのかがわからないというか……」
「そうか……それは、ハクション! それは……」
な、なんだ? さっきからどうも鼻の調子が狂っている。鼻水は洞窟に入る前より段違いに増えているし、くしゃみの回数は鼻水に比例するように増えていく。僕は洞窟アレルギーか何かだったのか? 洞窟になんて入ったことないから知らなかった……。
「お前、さっきからくしゃみ多いな。大丈夫かよ」
「なんだろうな……ハクション! 前までこんなことなかったのに。ここに入ってからどうもね……」
あぁ、なんだか顔中がむずむずする。最悪な気分だ。しかし、思い出すなぁ……確かあれは富士山を眺めに行ったときと同じだ……あの時はもっと地獄だったな。そう思うと、これはまるで花粉症の様――――
「って! あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「うおっ! なんだうるせえぞ!」
「わかったぞ! ヤツガイ! 僕たちがこんな目に遭っているのは花粉だ! あの花の花粉のせいだったんだよ!」
「はぁ? か、花粉? なんでまた……あぁ! そういうことか!」
あの花、あの弱々しく咲く白い花の花粉は、意識を朦朧とさせることなく幻覚を見せる効果を持つ。ヤツガイがそう説明していた。だからそれで作る自白剤には、相当の価値があると。
そして、僕たちがこの洞窟に来たのは、点々と咲くあの白い花を追ってである。ならば、この洞窟の最深部には、それはそれはあの白い花が群生していること間違いなしだ。花粉症を発症してしまうぐらいには。
「が、しかしだ。一体どうここから脱出する? 俺もお前もあの花の花粉に侵されてるってんじゃあ、どうしようもないんじゃないのか?」
「とりあえず、これ以上花粉を吸わないよう、布か何かで鼻と口を覆おう」
僕がそう提案して、ヤツガイが承諾したのち、ヤツガイは自身の服の両袖をちぎり、僕に手渡した。
「さて、どうする? 時間もあまりないが。このまま花粉症が治るまで居座るってわけにはいかないぜ」
「…………」
花粉……花粉は風によって蔓延る。都市でも花粉症が流行るのはそのせいであり、花が子孫を残す基本的な方法でもある。
…………それを利用するのはどうだろう?
「ヤツガイ、この空気中に花粉が漂っていて、それを再現なく吸い込むことによって僕たちが幻覚を見ている……のだと思うんだが、もしそうなら、とてつもない暴風を生み出せれば、花粉が吹き飛ばされて、この現状を打破できるんじゃないか?」
「あぁ? 風? つってもご覧の通り無風だぞ。突風が吹くまで待つってか? そりゃいくらなんでも悠長すぎやしないか」
「お前確か、ここに来る途中爆発する花を採ってただろう? それ、どれぐらいある?」
「……なるほど。それを爆発させて花粉を吹き飛ばそうって算段か。悪くねぇが、しかし、それ俺たち死なないか?」
それほど大きな爆発が起こるのか。それは非常に危ういが……まぁ、そこは時の運だろう。いわゆる運命の分かれ道だ。
「僕たちのこのループにおける最大到達点。そこにありったけお前の花を置く。着火剤はその松明で、導火線代わりに僕を吊るしたロープを使おう。爆発するまでの間、僕たちはとにかく端へ寄る。大分ギリギリだと思うけど、多分これでなんとかなる」
「適当だな……だが、ま、そんぐらいシンプルな方が俺にとっては好都合だ。いいぜ。乗った。お前の泥舟に乗ってやる」
泥舟ね……爆発どころか、少し叩いただけでも崩れて沈むだろう。
だが、これは嘘で出来た水舟ではない。川を渡れるだけありがたいと思おう。
もっとも、川といっても三途の川かもしれないが。
そうこうしている間に、ヤツガイは持っていた花を全て所定の位置に置き、導火線がわりのロープを伸ばし、準備を整えてくれていた。
「いつでも行けるぜ」
「じゃ、頼む」
「それじゃあ、カウントダウンで行くぜ」
そんな応酬を交わし、ヤツガイはニヤリと笑みを浮かべて、数字を刻み始めた。
「10」
「9」
「8」
…………これで成功する確証はない。むしろ自殺行為でしかないだろう。たとえ生き残ったとしても、白い花の幻覚は残り続けるかもしれない。運が悪ければ、死に続ける幻を見る可能性だってある。
「7」
「6」
「5」
僕にはなんの確証もない。いつだってそうだ。ハッタリばかりを利かせて、知ったかのように振る舞う。それで損をしたこともあれば、逆に大儲けしたことだってある。
「4」
「3」
「2」
けれどそれは虚勢だ。空っぽで虚っぽで嘘偽りな言葉で修飾した、ただのデタラメ。こんな風に、解決策らしく提案して、自信を持って言っているかもしれないが、そんな僕の心は常に乱れている。
詐欺師を始めて十数年。今でも心中奥深くでは、嘘をつく不安と恐怖で震えている。
そしてそれを嘘で隠す。
それが僕、首桐白老の人生だ。
「1」
そうして火蓋は切られた。
「ぜっ……ろおおおお?!?!?!」
と思ったが、ヤツガイにしてはらしくない奇声を上げたので、僕は一瞬驚いて、体が少し浮いてしまった。
……ってあれ、本当に浮いてないか? 体が驚いたにしては長くないか?
「…………!?」
次に来たのはヤツガイではなく爆風の衝撃とその身を焼く熱だった。
なんだこれ。予想していたものと全く違う。全身にかかる爆風の衝撃で、僕の体はもう散り散りになりそうだ。
また死ぬのか? いくらなんでもくどくないか? どうしてこうもうまくいかない? 僕はこんなにも生きるのが下手だったか?
いや、むしろこれは報いか。今まで騙し搾取して来た人間たちの恨みの埋め合わせをしろと。そういうことか。
しかし、報いとはなんだ? 一体誰が、どこのどいつが僕に報いを取らせるのだ?
そんな人間たちはことごとく騙して来たというのに。
…………。
数秒経って、背中が地面と擦れ、僕は地面を回転草のように転がりまわる。地面は相変わらずでこぼこの悪路で、吹っ飛ばされた衝撃が残っているせいもあり、全身が削れるように痛む。
…………なんてこった。ヤツガイが火をくべた、そう思った瞬間にあの爆弾花が炸裂したのだ。導火線の延焼スピードが予想以上だったか? それとも、全く別の理由? もしくは、また僕が見ている白い花の幻覚?
頭を守るように吹っ飛んでおいてよかった。もし気でも失っていたら、死んでいたかもしれない。
「……う、く、はぁっ、はぁ、はぁ……おい、ヤツガイ! 大丈夫か!」
爆心地のすぐ近くにいたヤツガイの身を案じて、僕は明かりを失い真っ暗になった洞窟の中で叫び続けた。
反響してどこまでも届いてい来そうだが、しかしその返事は現れない。
「はぁ、はぁ、くそっ! 失敗した! くそっ……ヤツガイ! ヤツガイ!」
やっぱり駄目だった。失敗した。僕の提案は結果として虚言となってしまった。
どうしても僕は正直者にはなれないのだ。道を踏み外したのなら、そのまま一生外れた道を歩みしかない。そういう運命なのだ。
こうやってまた、僕は誰かを失う。
思い入れがなくても、大切じゃなくても、隣にいれば誰でも、僕の側からすぐにいなくなる。
つくづく嫌になる。あぁ、やっぱり僕は死んでおくべきだったのだろうか。どうしてこんな世界なんかに呼ばれてしまったのだろう。
「そうは……言っても、心臓は勝手に動くし、脳は自発的に働くし、体は健康に操作できる。僕は仕方なく生きているだけなんだよな……」
死ぬのが面倒。というのが僕の生きる理由である。
が、しかし。僕は死を目前にして命を諦めていた村長に一喝入れたことがあるのだが、そんな僕が生に対して無頓着というのは、なんだかおかしさを通り越して意味不明である。
アドレナリンでどうもおかしな事を考える脳に失笑しながらも、僕は痛めた足を引きずって、ボロボロの体を押さえて、勝手に俯く頭をなんとか上げて、とにかくずっと先へと進んでいった。
もはや前後は完全に失っていて、奥に進んでいるのか戻っているのかもわからない。それに、例えここから出ることができても、この体では村まで戻ることは不可能だろう。
ただ、そこらで寝そべって死ぬのを待つよりは、こっちの方がマシだろう。そう判断してのことだった。
「…………光?」
洞窟の奥から、ほんの微かな光が差して来ていることに僕は気づいた。右手が血まみれで、自分の重症具合が伺えるようになる。
出口か? それとも入口? はたまた、閻魔の裁判所に繋がっているのかもしれない。
なんにせよ目指すところも他にはないので、僕は光へ向かってただ歩き尽くす。一歩も歩みは止めず、怪我にもかまわないで。
あぁ、足が痛い、腕が痛い、頭が痛い、腰が痛い、腹が痛い、肋骨が痛い、筋肉が痛い、傷が痛い、脳が痛い、肺が痛い、心臓が痛い、喉が痛い、首が痛い、口が痛い、目が痛い。
もう全身痛覚に塗れて、花粉を吸うまでもなく幻覚を見そうだった。
そうして光に包まれる。つままれるの間違いかもしれないが。
「…………これは」
そこは、言葉を失うほど、美しく、幻想的に光り輝く、僕たちの追い求めていた白い花が縦横無尽に咲き誇る、名前通りの花園だった。
これが僕たちの求めていたもの。
僕たちを留まらさせていたもの。
僕たちを繋ぎ止めていたもの。
その花園の一角に、僕はヤツガイの姿を見つけた。肌は一部が焼け焦げていて、僕よりずっと重症そうだ。
「……ヤツ、ガイ! おい! 大丈夫か!」
僕は白い花の上で気絶しているヤツガイへ駆け寄り、声をかけ続け、生存の確認をした。
返事はない。が、どうやら生きているらしい。だが、危険な状態である。そう長くは持たないだろう。
僕は白い花園に見惚れることなく、ヤツガイを背負い、ここに入ってきた方へ向かって行く。景色に何も心を動かされない僕の価値観が、ここにきて有効活用された。
脱出するのだ。こんなところで死ぬのはやっぱりごめんだ。生きてるのが面倒とか格好つけた事言ってはいたが、あれは毎度恒例嘘八百ということにしよう。
幻覚を、嘘を見せる花の周りで死ぬなんて、洒落が効きすぎて笑えないぞ。
しかし、そう意気込んでヤツガイを背負い一歩を踏み出すが、その足取りは最悪である。
何が最悪かと言われれば、足場の悪さはもちろん、どうも右足が捻挫したみたいで全く動かない。その上ヤツガイの筋肉質な全盛期の体がひどく重くのしかかり、千鳥足よりもっとひどい様相を呈していた。
この分じゃ、明日の朝までかかるかもしれない。いや、流石にこれは嘘を通り越して冗談だ。朝が来る前に僕が力尽きて倒れるだろう。
そうなればもう正真正銘終わりだ。
ただ、それでも諦めることなく、生に執着するように僕は出口を目指す。脳内麻薬はとめどなく溢れて来ていたが、それを上回るほど僕のコンディションは最悪だった。
火事場の馬鹿力も、もうとっくに出し尽くしている。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
情けない息遣いが洞窟全体に響き渡る。光の頼りもないので、時々出っ張った岩が僕の足をもつれさせ、バランスが危うくなる。
血が垂れてきて目にかかったが、ヤツガイを背負っているせいで拭えない。視界はもう使い物になっていなかったが、しかしそれでも目を閉じると前後不覚が加速する。
どれぐらい歩いたかわからない。何せ真っ直ぐ歩けているかどうかもわからないのだ。ほとんど目を瞑ってフラフラで歩いていたら、ついぞ僕の足は限界を迎え、その場で転んでしまった。
血が固まってパリパリになった目をこじ開け、僕の死に場所はどこだろうと、周りをできる限り見渡してみる。
辺りを見れば、もはや見飽きた岩肌で、僕の微かな抵抗も功を奏すことはなかったか、と最後の足掻きが徒労に終わったことに絶望する。
しかし、そんな空を視界の端で捉えた。それは満天の星空で、その場所はまさしく、僕たちが最初に見た大穴の下だった。
あと少し、もう少し踏ん張れば、僕たちは村へ帰れる。
一縷の希望を抱き、再度立ちあがろうといったところで、僕はついに力尽き、その場で気を失ったのだった。
**********
次に目を覚ますと、いつものベッドの上だった。
村長の家の屋根裏。隣はシカシのベッドである。
「なんだ、まさかの夢オチか?」
そんなつまらない結果を予想したが、全身に渡る鮮痛がそれをすぐに否定した。
体を見ると、随所に包帯がぐるぐるに巻かれていて、ミイラと遜色なかった。
……ここは村? どうやって戻って来たんだ?
「あぁ、起きたんだ。おはよう。お兄さん」
ダカラちゃんが階段から上がってきて、僕にそう声をかけた。水の入った桶を抱え込んでいる。
「えっと……一体何があったんだい? もしかして、シカシが僕たち二人を文字通り足手纏いとして、気を遣いながら、慈悲と情愛を持ってして運んできてくれたとか?」
「いや、シカシお姉さんはずっと眠ってたよ」
…………でしょうね。
「夜遅くになっても二人が戻ってこなくて、明日の朝になったら探しに行こうって話になったの。それで、おとといの朝、村長さんの家の前に二人が倒れていたの」
? なんだそりゃ。まるっきり覚えていないぞ。やっぱりシカシが夜な夜な抜け出して僕たちを救ったとしか……。
「そんなことシカシお姉さんがすると思う?」
それ、説得力半端ないな。
「だとしたらこの謎は深まりばかりだぞ。僕もヤツガイも瀕死で、なんとかして入り口まで戻ったけれど、そこから断崖絶壁を登り、村に帰るなんて偉業は不可能だ」
待てよ、そういえばヤツガイはどうしているんだ? あいつは爆心地にいたから、僕なんかよりもずっと重篤なはず。まさか、僕だけ生き残ってあいつは…………!
「ダカラちゃん! ヤツガイは?! あいつの墓はどこに作った?!」
「ヤツガイお兄ちゃんは畑にいるよ。元気だよ。お兄さんよりずっと元気に動き回ってるよ」
「なんだ。生きてたのか」
「どうして残念そうにしてるの……?」
ふむ。ならば事は円満に解決したということでいいのだろうか。僕はこうして生きていて、ヤツガイは僕以上に元気で、そしてダカラちゃんの様子を見る限り、妙な事態にはなっていなそうだし。
若干ご都合主義が過ぎるようだが、しかし痛い思いはきちんとしているので、正当な結果だろう。
「どれ、それならあいつにも話を聞かなきゃならないな。ダカラちゃん、肩を――――あぁいや、シカシか村長呼んできてくれない?」
それを聞いた途端、返事をすることもなくダカラちゃんは颯爽と下の階へ下がっていった。
本当、いい子供である。あれで親がいないというのだから驚きだ。
それとも、親がいない故に、か?
「そういえば聞きたかったんだけど、あんたらずっと何してたの? 種取りにしては時間かけすぎよ」
やってきたのはシカシだった。これは意外である。どうせ面倒くさがって、村長に丸投げするものだとばかりに思っていた。結構面倒見がいいじゃないか。
「なんだよ。ヤツガイから聞いてないのか?」
「いや、聞きはしたんだけど……その、あいつ、喋ってることに違和感を覚えるというか、いまいちピンとこないのよ」
……人を信用させる舌、ねぇ。僕としては、喉から手が出るほど、あるいは、舌が出るほど欲しいものである。だから、羨ましいほどこの上ないのだが、しかし当の本人はどういう気分なのだろう。
何を言っても信じられる気分というのは。
それはもしかして、何を言っても信じられないことよりも、ずっと退屈で苦痛に満ちているのではないだろうか。
会話は人間のコミュニケーションの主たるものだというのに。
けれど僕はそういう被害者の気持ちっていうものがわからないから、想像してみたところで、別に意味があるわけではないのだが。
「ひとついいことを教えてやろう。シカシ」
「何よ」
「ヤツガイは正直者だぜ。僕同様にな」
「…………はぁ」
シカシの呆れたため息と共に、僕はそのシカシに介護されつつ下の階へ降りる。そのまま外へ向かい、新しく開墾された小さな畑で作業するヤツガイの元へとやって来た。
「よ」
「やぁ」
シカシは空気を読んだのか、知らぬまに音を立てずいなくなっていた。
「これ、夢じゃないよな? まだ白い花の幻覚を見せられてるっていうバッドエンドとかでは……」
「その可能性はないでもないが、これが幻覚ならそれでもいいだろ。何もない洞窟の中よりかはいくらかましだぜ」
そんな楽観があってたまるか。その話だと、見てる物が違うだけで結局まだ洞窟の中にいることになるだろ。
「ところでヤツガイ、一体どうやってここに戻ってきた? それと、その怪我の軽さも気になる。僕はほら、ご覧の通りだけれど、お前はもっと酷かったはずだ。僕が気絶した後、代わりに担ぐなんてこと不可能なはずだろう」
本当、一体どうやって僕たちは戻って来たのだろう? 足も立たない瀕死の人間二人、断崖絶壁、闇の森を抜けてこうして生きている理由とは?
「別に、そんなの言うまでもなく簡単なことだ。これを使ったんだよ。頭を使うのと同じようにな」
そう言ってヤツガイが取り出したのは、僕のお腹に刺さっていた例のナイフである。確か有名な鍛治師が打ったとかいうあの…………。
あ、そういえば、このナイフって刺した部位を治す能力があるのではなかったか? 刺してすぐ抜くと怪我をするけれど、時間を置いてから抜くと治っている。そんな非科学めいたナイフだったはずだ。
まさか……
「そのナイフを怪我や疲労した部位に刺して抜いてを繰り返して、そうやって元気になった体で僕を担いで帰って来たのか?」
「あぁ、おおむね、その通りだ。大変だったんだぜ。大の大人一人抱えてあの岩壁を登るのは……」
全く、つくづく頭の回るやつだ。そんな僕の関心をよそに、ヤツガイはナイフをしまって、再度畑仕事に戻っていた。
「あれ、そういえば種持って帰ってこれたんだな。吹っ飛ばされた時にどこかに行っちゃったもんだと思ってた」
「まぁな。俺も自分の分はどっか行った。これは服のポケットに入ってた分だ。何の種だかすっかり忘れちまったから、どんな怪植物が育つか楽しみだぜ」
「そりゃ……よかったな。ところで、僕たち、どうしてここに立っていると思う?」
「あぁ? 何だそれ。どういう意味だよ。生きて帰って来た話ならもうしただろうが」
「いやいや、そうじゃなくてさ。僕たち二人とも、ここの人間じゃないだろう? なのにどうしてここにいるのかって話だよ」
「……? さぁ、それは考えたこともなかったな。ただ不可抗力で連れてこられた、不運だとしか思ってなかった。で、なんでなんだ?」
「それは知らない」
「はぁ?」
「だから、僕はそれを知りたいんだ。どうしてここにいるのか、後ついでに、戻る方法も。そのためには……そうだな、この村を大きくして、この異世界を知る人間を集めてみたり、他の国とか街とかと交流して情報を集めてみたりして、どんどんいろんなことを知っていきたい」
「…………」
「で、だ。確か洞窟の中でもした話だけれど、改めて言うぞ。ヤツガイ、今の話を聞いて、僕に協力してくれないか? 一緒に村を発展させていこう。色々無念もあるんだろう?」
まるで都合のいい虚言を吐く詐欺師のように、しかし言葉は飾らずに、僕はヤツガイにそう提案した。
詐欺師であり、悪人であるところの僕がこんな殊勝な目標を掲げるのは、やや場違いな感じも否めない。けれど、そんな僕がこれまでの人生で初めて抱いた夢であり目標なのだ。何かを突き詰めたいという純粋な探究心なのだ。かつてあったかどうかもわからない子供心が騒いで仕方がない。
「それ、どれぐらい時間かかりそうだ?」
「さぁ? 一年か二年。一生かかってもできないかもしれない。誰も僕たちの求める答えを知らないかもしれない。そんな悪魔の証明だ」
「…………ふん。答えは一度出しているだろ。それを撤回なんてしないぜ。手伝ってやるよ。一蓮托生、死ぬときゃ一緒だぜ」
「じゃ、決まりだな。それじゃあまずはその畑を仕上げといてくれ。僕はさっさと体を治すよ。んじゃ頼んだ」
そう言って僕は振り向き、シカシを呼んで、また屋根裏へ連れて行ってもらった。
ベッドに寝転んで、物思いに耽る。
あぁ、まるで夢でもみているようだ。鼻はむずむずしないけれど。
僕は一体どうしてこの異世界へやって来たのか。
どうしていまだに生きていられるのか。
この世界はの正体はいったい何なのか。
気になる。気になって仕方がない。
あぁ、これを突き止めるまでは、おちおち幻覚なんて見てられないな。
そうして僕は意識を沈め、眠りに落ちたのだった。
深い深い、白い花の夢など見ることがない、ずっと深い眠りへ。
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