次回へ続く……どこまでも続く……
異変に気づいたのは、洞窟に入ってからもう何時間も経った後だった。
「はぁ、はぁ……なぁ、これ、どこまで続いてるんだ……?」
岩肌で非常に歩きづらい道を、予想以上の距離歩かされて、僕の足腰はもう限界に達していた。日本ではよく様々な人間に追われる宿命を負っていたものだが、しかし僕は案外体力がないことに気付かされた。僕も歳だ、と老成したようなことを言おうと思ったが、そういえば僕は自分の歳をよく知らないことを思い出し、失笑しそうになる。
「確かにおかしいな。もう何時間も歩いているが、洞窟の太さや状態が一切変わってない。それに、分かれ道や地層の変化も全くない」
「ずっとおんなじ道を歩かされてるんじゃないのか? 下っている感じはしてるけれど、とても進んでいるようには思えないぞ」
「…………そうか。それなら、こう――――これでもっかい先に行ってみようぜ」
疲れ切っている僕とは裏腹に、未だに元気があるヤツガイは、背負っていた大刀を手にもち、壁面に一筋の傷をつけた。工夫も独創性もない、陳腐な跡である。しかし、この傷が持つ役割は、傷のデザインほど陳腐ではないというのは明白だ。
僕たちが来た、という目印。
「立て。まだもうちょい歩くぞ。こんなとこでへばってんじゃねえ」
「お前……僕は現代人なんだぞ……」
そうして僕は立ち上がり、何時間も歩き回った一本道の洞窟を歩き始めた。体力も限界に近づき、このままではヤツガイにおぶって貰わなくてならない。そんなのはごめんだ。だから、僕はこの先に僕たちが求めているものがあれ、と密かに望んだ。
こんな面倒くさい、見ようによっては時間の無駄でしかないこの探索が、早急に終幕せんことを。
だが、そんな希望は一瞬にして霧散することになる。
「ははっこりゃどうも。俺たちどうやら、とんでもない領域に踏み込んじまったみたいだぜ」
僕は絶句した。一丁前に衝撃を受けた。
目前に広がっていたのは、洞窟の終点でも、新たなる新境地でも、全く知らない未知の集落でもない。
先ほどまで僕たちがいた、壁面に傷がついた、未だ同じ洞窟の中だった。
「なるほどな……どうりでいつまでも終わりが見えないわけだ」
「お前、よくそんな冷静でいられるな……」
十分後。とはいっても時計は無いし空も塞がれているので、正確に十分たったかどうかについては追及しないでもらいたい。ただでさえ冷静でない僕が頭を冷やすための時間だったので、なおさら時間の正確性については不明瞭さが倍増すること請け合いである。
「要するに、僕たちはこの洞窟に完全に閉じ込められていて、尚且つ出口も入り口も区別なく消滅しているというわけか」
「はっきり最悪だな」
なんというか、現実味が無いな。まぁ、こうもぶっ飛んだ非現実的展開に遭わされて、すぐに納得し状況を飲み込んで、正しく恐怖戦慄できる人間の方が少ないか。大概、こういうのは後から大きなショックとなってぶつかってくる。今みたいな経験こそ僕にはないが、非常事態へ対する姿勢は心得ているぞ。
「じゃあヤツガイ。そろそろやっちゃってくれていいぞ。僕はあそこで離れて見ているから」
「あぁ? 何? 何をやれって?」
驚いたような顔を作るヤツガイ。おや、どうやら演技ではなく本気で驚いているようだ。
「? いや、この流れはつまり、洞窟に閉じ込められて、文字通り八方塞がりになったところを、ヤツガイのその大刀が上下左右を縦横無尽に切り刻み脱出するというかっこいいシーンのはずでは?」
「そんな刀を折るような真似ができるか」
何かの冗談かとも思ったが、どうやらそうでは無いらしい。ヤツガイは石を切れないのか……。この自信満々な風格から、勝手な妄想を抱いてしまっていた。
まぁ、そんなことができるのなら、どこかの王国で傭兵でもやっているだろうし。
「しっかし、割とマジで考えないとまずいぜ。さっき軽く一周してきたんだが、ものの数秒で同じところに戻ってきやがった。ご丁寧に進行方向とは真逆にな。洞窟のループの幅が狭すぎるぜ」
「その分脱出の手がかりも、ない。はぁ、一体どこのどいつがなんでこんなことを? ヤツガイ、君何か心当たりはないかい? 例えば誰かから恨まれていたり、呪われていたり、嫌われていたり、そういった心当たりは」
「あぁ? 俺がそんな傲岸不遜な人間に見えるか? むしろ逆だ。俺は世界各所で近代一の善人として崇め奉られているんだよ」
…………? そうなのか? とても真実とは思えないが、むしろ冗談の類で、真実性を除外したような言い方だけれど、まぁ、しかし、本人がそうだというのなら、そうなのだろう。
僕はヤツガイの言うことを、信じ――――いや、待て。だからなんだこの違和感は?! さっきからどうもこいつの発言には納得のいかない点がある。言ったことをそのまま飲み込めないような違和感というか支える感じというか……。
この違和感はやはり無視できない。僕は再度、ヤツガイに問いただすことにした。
「なぁヤツガ――――」「ただ、心当たりがあるんだとしたら――――」
発言のタイミングが被る。僕は今一度覚悟を決めた上だったので、張り詰めた糸と意図が切られてしまったみたいに、言葉に詰まってしまった。
ヤツガイはそんな僕とは裏腹に、なんとも思っていない様子で、自分の話を続けた。
「心当たりがあるんだとしたら、まぁ一人だけこういうことをしそうな奴はいる。ただ、絶対にこんな辺境にはいないだろうし、望み薄だな」
完全に発言のタイミングを失ってしまった。考え直してみたら、一度聞いたことをもう一度聞いたところで、返答はきっと同じだろうし、もしかするとヤツガイは僕が抱いているこの違和感について何も知らないかもしれない。実際、最初に聞いた時はそういう反応だったし。
「そういえばお前、どこから来たんだ? あぁ、つまりどこの国の出身なのかっていう話なんだが」
「なんで急に雑談なんだ。脱出は諦めたのか?」
「あぁ? なわけねぇだろうが。俺は話しながら物事を考えられるスーパーヒューマンなんだよ。それに、なんとなく気になってな」
出自ねぇ。そういえばシカシにも同じことを聞かれたな。どうやらこの世界では出自は人に対する印象の大部分を占める一因らしい。
ともかく、僕は出自よく知りもしない人間に教えるなんて愚行はしない。知らない世界に迷い込んだとは言っても、そういう細かなリスク管理は怠らないのだ。
もしかすると、この僕のように同じ境遇に陥っている人間がいるかもしれない。そしてそいつは、僕のことを精々恨んでいる奴かもしれないじゃないか。
「伊賀だよ。忍者の末裔なんだ」
そんな、子供騙しのような、面白みに欠けた冗談を僕はヤツガイに向けて言った。今までの世界だったら、鼻で笑われて終わりだろう。
だがこちら側ではどうだろう。もっとも、伊賀も忍者もいないだろうから、同じように困惑の表情を浮かべ、鼻で笑ってくるかもしれんが。
「…………あぁ、そうか。あー、イガってなんだ」
予想の内にはあったリアクションである。僕だって知らない国の話をされた時は大体同じような反応を示す。一番最初にヴェネチアの話をされたあの日は、人生で一番用途不明の知識が増えた日だ。
「伊賀は近畿か中部地方のどっちかにある三重県の中にある市で、忍者がいて、イカは別に有名じゃなくて、松尾芭蕉の出身地」
「…………」
説明し終わった後、それを聞いていたであろうヤツガイは、なぜだか呆けたような、驚愕したような、そんな表情を浮かべていた。
このリアクションは……予想してはいなかったな。困惑や理解のできない表情、冗談だと察して微笑してくれるのなら特段違和感はない。けれども、どうしてか親の仇に偶然鉢合わせてしまったようなこの顔は、一体なんなのだ?
もしくは、ちゃんと僕の話を聞いていなかっただけなのか。
「そうか。イガだかキンキだかそんなものは俺は知らんが、お前の出身はそこなんだな。さぞかし平和なとこなんだろうよ」
「ヤツガイ、お前もしかして知ってるのか? 伊賀に随分引っかかっているようだが、もしや日本のこととか、僕の元いた世界のこととか……」
「あぁ? なんの話だ? いやー知らんな。ここ三年間ずっと旅をし続けてきたが知らんな。黒い雨が降る黒い砂漠や、剣山が何十里も続く山脈にも行ったが、お前の言うイガなんて場所は知らない。ニホン? なんだそれは。俺の大刀は一本しかないぞ」
もはやわざとらしさが滲み出て、隠し通すのが無理だというところまで来ていそうな素振りだが……しかし、ここまで怪しくても、本人がそう言うのなら、きっと、おそらく、たぶん、ヤツガイは僕の元いた世界に関する知識は何も持っていないのだろう。
くっ、だからなんなんだこの違和感は! コミュニケーションがままならないどころの騒ぎではないぞ! どうしてただの会話にこうも引っかかる!
「ま、これは俺の話の振りがまずかったな。雑談なんてしている場合じゃねーんだったぜ。さっさとこの洞窟から出ないとな。この松明の火がタイムリミットだ」
まるで事を急いているみたいに話題を急変換、もとい脱線状態から戻したヤツガイ。右手に掲げた松明が、ごうごうと燃えているのが眩しく映る。僕らにとっての聖火であり、この麻袋に入った成果を持ち帰る為の希望の光というわけだ。
そうなると、ぜひとも四年以内には脱出したいところだ。
「てっ、おい! やっぱりヤツガイお前、かつて僕のいた世界について、何か知っていることがあるんじゃないのか?!」
「あぁ? だから、知らないって……」
「じゃあ知らないにしてもだ! お前は僕の出身地の話について何か引っかりを覚えただろう? しかも、ただ知らない地名が出てきたからというわけでもない。明らかに動揺していた。何か知っていることがあるんじゃないのか?!」
「…………」
「それに、さっきからお前の発言の後から身に突き刺さる違和感の正体のこともある。それに、それにお前は――――」
次の言葉が、雄弁な僕にしては珍しく、思い切りつっかかった。そして、そのまま出てこない。喉に栓をされたように詰まってしまう。
おかしい。言いたいことは山ほどあるのに、ヤツガイに向けるべき疑心の言葉は溢れるほどあるのに、しかし凝り固まって出てこない。
「お前、俺を疑っているのか?」
ヤツガイを僕は疑っている。状況はまさにその言葉通りなのだが、けれど僕はその確固たる事実を飲み込めなかった。
喉に栓をされているというものの例えが本当に起こっていたというわけではない。ならばなんなのかといえば、それは単純で、僕はヤツガイを疑っていないという事実に帰納する。
僕はヤツガイを信じている。
しかし僕はどうしてもヤツガイを疑いたい。心の葛藤を無理やり起こされている気分である。
「僕は――――お前を信じているよ。けど、多分これ本心じゃない。さっき言った違和感の正体って、多分これだろ? 信じる理由や根拠は一切ないのに、どうしてか無条件に僕はお前を信頼している。けれど本当の、僕の中枢のさらに中枢はお前のことを疑っている。この矛盾が違和感を呼んでいたんだ。今気づいたよ」
僕を睨むヤツガイ。ヤツガイを睨む僕。
松明の燃える音だけがする、誰もいない洞窟。
時間が止まっているようである。
「意味、わかんねぇこと言ってんじゃ――――」「答えてくれ」
僕から目線を外し、面倒くさそうに頭を掻くヤツガイ。僕の心拍はその行動でテンポが上がる。
ヤツガイが息をひとつ吸ってから、
「そうか……首桐白老。お前、すごいぜ。どこまで人を疑ってかかってんだてめぇ? あぁそうだよ。大方お前の予想通り。俺の舌は人を確実に信用させることができる言葉を喋るんだよ」
人を確実に信用させる言葉……。なるほど、だからどんな薄く馬鹿馬鹿しい嘘であっても、看破されることを前提とされた冗談でさえも、僕は魔に受けて信頼し切っていたのか。
信頼しているものは、どうしたって疑い難い。
「首桐白老。お前、人が人を信頼するときって、どんなときかわかるか?」
「なんだそれ。そんなの……わからないぞ」
僕は嘘をついた。詐欺師であるところの僕に、人の心中を操る手法は熟知している。ただ、それを僕の口から今発するのはどうにも幅かれる。
だって、ヤツガイの目は、もう本気だったんだから。
「簡単だ。自分にとって都合がいいことを言ったときだ」
一呼吸おいて、ヤツガイは再度語り出す。
「『私ならこの仕事をやり遂げられます』『全ての責任は自分が負います』『君たちは絶対に僕が救う』『成功した暁には対価は必ず支払おう』なんて具合にな」
ヤツガイのが語ったこの事実というか定理は、概ね正鵠を得ていると言える。実際、人を騙すときは大概ご機嫌を取ればうまくいく。相手の望みに沿って嘯いて、そして吹聴すれば、ほとんど乗ってくる。
泥舟というか、嘘だというなら水で出来た水船に。
「なら、逆に、人を疑うときはどういうときかわかるか」
疑う……とき? 意外、これについては僕は答えを持ち合わせていなかった。というのも、僕には他人を疑っていない時など一刻も存在していないからであり、仕事で疑念の気持ちを操る機会は全くなかったからである。
人はどういうとき、人を疑うか?
黙りこくって考えていたら、タイムアップが来たらしく、ヤツガイは喋り始めた。
「これもまた、簡単だ。といっても、簡単に引き起こされるという意味合いだが」
意味深長そうな、哀愁に満ちたことを言ったかと思えば、すぐに続けて、
「信用が崩れたときだ。要するに、痛い目を見た次からは、用心をするようになるという、およそ人間らしい生態なんだがな」
右手の松明は燃え盛っていて、洞窟は相も変わらず真っ暗に続いていて、何も事態は好転していない。
「仕事を失敗したとき、責任から逃れたとき、誰も救えなかったとき、何も支払われなかったとき、そいつらをもう一度信頼など、一体誰ができる? 表では次があるなんて取り繕っていても、どうしたってモノの見方にはひびが入る。一生治らんひびがな」
ならば僕は、何にでもひびが入っているやつだということになるのだが、これは僕がおかしいのか?
「そうしてひびは歪みになって、傷と化して、致命傷になる。ま、俺のこの舌は、そんなひびを上から塗って隠すためにあるんだがな」
…………。
それで、
「それで、お前、結局何が言いたいんだ?」
結論がない。見えてこない。一体ヤツガイはどうしてこんな話を?
「あぁ? てめぇから聞いてきたんだろうが。勝手に解釈してろ馬鹿が。あ、そういえばまだ最初の質問について何も答えてなかったな」
最初の質問? あぁ、日本の地名に引っかかってた話か。
少し忘れかけていたけれど、どうしてヤツガイは知っていたんだろう? 誰か、そう、たとえば他の日本から来た人間に教えてもらったのか?
僕と同様、ここにやってきた誰かに。
それとも――――
「それはな、俺がお前と同じ世界にいたからだよ」
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