愚直な奴だ。

 「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」


 てっきり大穴の中に落ちて、二度目だか三度目だかの死を経験するところだったが、意外も意外、僕の一命はなんとか取り留められていた。


 といっても、今は足を上にして宙吊りなので、もしかするとこのまま頭に血が登って死んでしまうかもしれないが。


「はっ、ははは! すげー……はっ……、あはは! はぁー……めちゃくちゃ無様だぜ」


 高笑いと共に、僕の体を吊るしているロープをつたい、ヤツガイが上からやってきた。どうやら僕は昇降ロープがわりにされたようだ。


 なんて酷いことをしやがる。


「お前! 僕を殺す気か! 僕が死んだらこの話も続かないんだぞ!」


「あぁ? なんだよ、殺すって? 物騒だな。そんな怒んなよ。こうして無事に下に降りれたんだからよ」


 確かにそれは言うとおりだが、しかしそれは僕のメンタリティ問題を無視している! 僕の心は無事じゃない! 危うく高所に対して不快で深いトラウマを抱えて生きていかなくてはいけないところだったぞ! トラウマだって一種の傷だ!


 気持ちの問題は、気持ちでどうにかなるものではない!


「なぁ、別にお前が下に降りるだけなんだったら、僕を突き落とす必要はなかったんじゃないか?!」


「別にいいだろ。しつけーな……縄を下るんだったら、先に重しが付いてねーと不安定で不安だろ? お前は重しになって無事なのに、俺が揺れる縄から振り落とされて、死んじまったら笑い話にもならんぜ。つーかよ、お前、そうやって何事もなく速攻で下に降りれたんだから、俺にすべきは非難じゃなくて感謝なんじゃねーの? ほら、感謝をしろよ。感激しろよ。雨でも霰でも降らせろよ」


 こいつ、なんて性格の悪さだ。罵詈雑言にためらいがまるでない。図々しさを曝け出し、傲慢を思う存分発揮している。しかも、論理も理論も破綻しているのに、若干の説得力を持っているのだから、一瞬納得しそうになる。


 こいつの暴論を、信じそうになる。


 ……ん? 信じる?


「お前、よく今まで生きてきたな……」

「なんか言ったか?」

「いや、何も……あのさ、とりあえず下ろしてくれない? ハングドマンじゃないんだからさ」


「あ? あぁ、タロットな」

 おや?

「タロットって言ったか? もしかしてこの世界にも――――」


「言ってない。何の話だ? ほら、さっさと行くぞ」


 え、言ってないの? そうだっけ? 今はっきりタロットって……。


 いや、言っていなかったか。本人が言っていないのだから、きっとそうなのだろう。僕はヤツガイの言うことを信じることに…………まただ。またさっきと同じ違和感だ。何なんださっきから。どうもおかしいぞ。


 なんだか、ヤツガイの言葉に言いようのない違和感、もとい齟齬が生じている気がする。


 ヤツガイの発言自体は何らおかしくない、自然極まりないことが、余計この違和感の正体を掴みづらくしている。


 これは、無視できない。


「なぁヤツガイ。君何かおかしいこと言っていないか? その、何とも形容し難いのだけれど、とにかく僕に違和感を覚えさせるような、おかしなこと……」


 言ってみて、非常に奇怪な文だと反省した。これでは明らかに僕の方がおかしなことを言っている。抽象的にも程がある。


「あぁ? 何言ってんだよ。何おかしなこと言ってんだよ。何意味わかんねーこと言ってんだよ。カッコつけた持論の次は、荒唐無稽な言いがかりかよ? なんだお前、さっきのショックでIQ落っことしたのか? 探してやろうか?」


 そんな風に返されると、ぐうの音も出ないのだが。


「まぁ、そうか……な? なんでもない。忘れてくれ」


 どうもヤツガイの発する言葉に対して、なぜか素直に従ってしまうような、そんな強制力を僕は感じている。と言っても、無視しようと思えば無視できる程度の違和感だし、取り立てて気にするようなことでもないのだろうか?


「こっち、続いてるみたいだぜ」


 ヤツガイはおかしなことを述べる僕のことを気にする素振りも見せず、無防備に背中を向けて先へ先へと進んでいく。


 僕はというと、未だ足にミサンガみたいにロープの端を通して、ゴツゴツと歩きづらい地面を慎重に歩いていた。


 こういうフィールドワークは不慣れなのだ。なぜなら詐欺師だから! 都会育ちの詐欺師なのだから!


 ヤツガイの背中を追って進んでいくうちに、とうとう空が見えなくなって、洞窟へと入っていくことに僕は気づいた。


「本当にこっちであってるのか? なんか、随分と深そうなところに続いていそうだけれど」


「ん? あぁ、合ってるぜ。多分」

「多分って言ったか?」

「言ってない」


 ……? そうか? はっきり言っていたような気がするが。だが、しかし本人が言っていないと言うのなら、そうなのだろう。


 ヤツガイは脇目も振らず、どんどん奥へ奥へと進んでいく。ヤツガイの左手には松明が握られており、壁面に僕たち二人の影が拡大して写され、ゴツゴツとした岩の地面には、山道を長いこと歩く想定で履いてきた厚底の靴に、容赦無くダメージを蓄積させている。随分頑丈な作りに見えるが、一日でダメにしてしまうやもしれん。村長から借りたものだったのだが……。ここで謝っておくとしよう。ごめん村長。


「…………」

「…………」


 沈黙が気まずい。僕もヤツガイも、おしゃべりってわけではないから、こう変化のない景色が続くとどうも硬直してしまう節がある。


 またさっきみたいに、人を煙に巻くような論争を繰り広げてみるか? そんな陰謀を企てていることを悟ったのか、ヤツガイが僕の方を振り向いて言った。


「そういえばあの白い花についてあまり説明していなかったな」


 あの白い花、今僕たちが追っている弱々しく咲く高値で売れるというあの花である。


「あの花には実は、利用方法が二つある。ひとつは食用。これは実の方を食うんだ。で、それがなかなか美味でよ。結構高値で取引される」


 それは聞いた。それを目的に据えて、僕たちはこんな陰気臭い洞窟を歩いているわけで。


「そしてもう一つが、花粉を利用した自白剤だ」


 突如として全く系列の違う言葉が出てきた。なになに? 自白剤? それ、僕みたいな嘘つきタイプにはだいぶ天敵なのでは?


「あの花の花粉を吸うと、意識を朦朧させることなく幻覚を見せることができる。その状態で暗示をかければ、確実性の高い証言を得ることができる自白剤になるんだ。それを製造して売り捌ければ、相当な金になる。実を売るってんじゃ比にならんぜ。なんせ顧客は国家なんだからよ」


「そりゃまた……それができたら金には事欠かないな。それを聞いて、変わり映えのない景色を見続けるモチベーションになったよ……」


 まぁ、金になどそこまで興味があるわけでもないので、雑談にしてはつまらない部類だった。眠気が増して、足取りが重くなった程だ。


 自白剤……ね。思えば、僕はこれを体験したことはないな。そもそも警察はおろか、諜報部員でさえ捕まったことがないから、そういった機会に恵まれ(恵まれ、は違うか。ならばせめて奪うというべきだ)なかったというのもある。そもそも実際に存在するかどうかも怪しい所だ。


 というか、自白剤って確か幻覚剤とか覚醒剤的な違法薬物を用いているのでは無かったか? そういうのって違法じゃないのか? 僕たち、もしかしてだいぶ危険な橋を渡っているんじゃないのか!?


「さっきからずっと気になっていたんだが、お前、その腹のナイフはなんだ? みたところ今さっき刺さったわけじゃないみたいだが。あれか? フランケンシュタインのマイナーチェンジ版か?」


 そんなことを危惧していると、ヤツガイが僕にそう言った。……は? ナイフ? あぁ、この腹の――――


 って! このナイフ! まだ刺さってたのかよ!! くっ……龍や村のいざこざ、世界の考察ばかりに気を取られて、ダカラちゃんによって体に刺さったままのナイフのことを、完全に忘れていた! 


 腹の方を見ると、銀色の光沢を放つナイフの刀身が頭を出している。あの日の夕方から、一ミリたりとも動いていない。


「これは……その、話すと長くなるんだけど。簡潔にいうなら、まぁ不幸な事故、っていったところだな」


 あれを事故と数えるか否かは、意見の分かれるところだろう。といっても、誰がどんな意見を出すのだという話でもあるが。国土交通省とか? この世界には省庁どころか車すらなさそうだが。


「そうか……っておい。お前、そのナイフよく見せろ」


「えっ、いや、見せろと言われても、見ての通り腹を貫通しているから、これ以上良く見せようっていうなら腹から臓物と共にナイフを抜くか、アプリで加工するかの二択になるんだけれど」


「バカ、柄があんだろ。そっちだけで良いんだよ」


 だったらナイフをよく見せろ、だなんて言い方しないで最初から柄を見せろといえば良いものを……そう思いながらも、僕はヤツガイに背中を向ける。ガラ空きの、埃も誇りもなにもない背中である。


 背負っているものも、恥もない。


「あった。なるほど。お前、このナイフは相当貴重だぜ」


「えっ、そうなの? 一体どういう方向で貴重なんだい? 数が少ないとか、使われいる装飾が豪華とか……」


「そうだな。このナイフは作ったやつがすごい。六大鍛治師のうちの一人、砂塵ってやつが作ったナイフだ。見ろ、柄に名前が掘られてる」


 見ろと言われても、背中側にあるのだから見えない。が、こうも自信満々に、しかも感心した風に言っているのだから、きっとヤツガイの言う通りなのだろう。


 貴重なのは良いけれど、僕が知りたいのはこのナイフを僕の腹から安全にどかす方法なのだ。希少価値を知ったところで、売り出そうものなら僕ごと乗り出さなければならないではないか。それではただの人身売買だ。


「ヤツガイ、なんだか詳しそうだから聞くけれど、このナイフ、どういう原理で僕の体に刺さってるんだ? なんでずっとこのままなんだ?」


「あぁ? 知るかよ。抜きたいんだったら勝手に抜けば良いだろ。ほら、こうやって」


 こうやって? それは一体どうやって? そう思ったのも束の間、ヤツガイはすでに僕の腹からナイフを抜いていた。


 背中を向けていたせいで、対応できなかった。


 冷たい感触が、背中の方へ抜けていくのを感じる。


 そうして僕は次第に、腹から血を流し、臓物を溢れさせ、うずくまった。


 と、思ったのだが……。


「! お、お前……! って、あれ? なんともない」


 すぐさま腹を撫でて状況を確認する。ある程度まさぐってみたが、腹には傷ひとつなかった。むしろ元よりあった古傷が無くなっていたほどである。どういうわけか、龍の洞穴へ向かったあの日とは、至って違う結果である。別に状況は、何も変わっていないというのに。


「ヤツガイ、君、一体何をしたんだ?」


「お前、何そんな驚いてんだ? これはさっき言った砂塵って奴が作ったナイフで、俺の記憶じゃあこいつは確か、ぶっ刺した部分の傷を、刺し傷ともに完治させるっていう都合の利いたナイフのはずだが」


 ナイフで刺して傷を治す? 荒療治にも程があるだろう。

 ……あぁでも、外科手術で用いるメスや、皮膚を縫う時なんかに使う針は、実質、体を治すために傷つける道具ではあるよな。となると、このナイフは今挙げた二つと一緒の医療器具という類になるのだろうか?


 なんにせよ、ずっと刺さったままのナイフを抜いたら傷が治っていた、なんてのは理屈が全く通っていないが……。


「なんでダカラちゃんはそんな貴重なナイフを持っていたんだ? あの村はお世辞でも裕福とはいえないし、そんな有名な鍛治師がいたっていう話も聞いていないしな」


「そのナイフ、お前のじゃないのか? だったら貰ったんだろ。あの村、迷いの森のオアシスみたいなもんだったからな。聞いたところによると、砂塵は一つの場所に一時間も留まらないほどの旅好きらしいからな。村に一度来たんじゃねーか?」


 あぁ、そういえばダカラちゃんは言っていたな。山の見張りをしていたのは、かつて村にやってきた女の人に言われたからで、ナイフはその時に貰ったものだ、と。


 その女の人が、再三話に出ている砂塵という鍛治師なのか? ダカラちゃんはその鍛治師からナイフを貰ったと。そういうわけか?


「ん? って迷いの森? なんだそれ」


 危うく聞き逃しそうになった。村が迷いの森のオアシス?


「あぁ? 何知らないフリしてんだよ。どういうボケだよそれ」


「えぇ? いやいや、迷いの森ってなんだ? どこのことだよ」


「お前、ならどうやって村にきたんだよ。外から来たんだったら知らないわけがないだろうが」


「待て、話がつかめた。僕が最初にいたあの森のことだろ。というか、さっきまで僕らがいた森だろ? あそこそんな異名がついてたのか……だとすると、僕たち結構危ない橋を渡っていたんじゃないのか?」


 あの森、僕最初に目覚め、三途の川かと見紛い、犬に喰われかけ、そしてシカシと出会った場所だ。


「いや待て。あそこが迷いの森? 確かに僕は、あの森から村にやってきたわけだけど、迷った記憶はないぞ? 少なくとも、八方塞がりになって停滞した、なんて思いはしていない。迷いの森というイメージは抱かなかったぞ。というかそもそも、僕たちさっきまでその森にいたのに、迷っていないじゃないか」


「そりゃあお前、単純な話だろ。なんせつい最近、つーか昨日、その元凶がいなくなったんだからよ」


 元凶? 元凶がいるのか? 森を丸ごと一つ、迷いの森なんていう場所に変化させてしまう元凶? 疑問の増殖が著しいぞ。


 そんなものがいるとしたら、神や仏の類だろう。嘘が効かないタイプだ。僕にとっては天敵である。


 思えば、僕とシカシが初めて出会った後、シカシの何度も森の中で鉢合わせるという方向音痴ぶりを見せてもらったのだが、あれはもしかしたら迷いの森が持つ力によって起こされていたのでは? だとすれば、あの怪異的なまでの左右不審振りも、いくらか納得のいくところだ。


「そういえば、なんの脈絡もなくその元凶はいなくなったわけだが、何か理由があんのかな? 村の男どもが一念発起して、撃退でもしたのか?」


 元凶……おそらくそれはあの龍のことだろう。霊験あらたかな龍の力が、森に影響を与えていたのだと、僕は予想する。


「さぁ? 僕も昨日一昨日来たばかりだからな。そういう事情は、よく知らない」


 特に意味はないが、僕は何も知らないフリをした。別にこの行動で何かが好転するわけでも、誰かが得をするわけでもないが、ただなんとなく僕が龍を去らせた原因であることを伏しておきたかったのだ。


「おいおい……お前仮にも村の管理者だろ? いいのか? そんなんで」


「別に僕は望んでやってるわけじゃないんだぞ……」


 そういった会話を交わしながらも、僕たち二人は、足元のお悪い中ただまっすぐ続くだけの洞窟を、何時間かにわたって歩き続けた。


 そう、何時間も。下手をすると何日という表記になるかもしれない。それほど長く、僕たちは歩いていた。


「ハクシュン! 急にくしゃみが……」


「埃でも舞ってんじゃねえか?」


 この、永遠に続く洞窟を。

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