いや、龍と村の話だ。 その六。

 ふと思い返してみれば、僕はどうして龍を騙そうとしているのだろう。


 僕は生来、人助けとは無縁の生活を送ってきた。否、無縁どころか、真逆も真逆、助けられるべき人を増やしている。


 もちろん、詐欺で。


 根っからの悪人で、善行そのものが敵なのだが、どうしてか今はその善行を遂行している。


 では、理由を考えてみよう。どうして僕はこんな真っ暗闇の洞穴を、逢魔が刻に練り歩いているのだろうか。


 まず目的から整理しよう。龍を騙す目的、どうなって欲しいか、どんな結末を迎えるのが僕にとって最も都合がいいか、である。これは明快、はっきりしている。僕が龍を騙して、この地から退散させる。そうすれば、村を脅かす危機は消滅し、これ以上要石のような役割を果たすことになる生贄もいらなくなる。そして村そのものに恩を売りつけ、僕の世話も、下手すると年単位で見てもらえるかもしれない。


 こんなふうに円満に解決できれば、もし閻魔に会っても、情状酌量の余地くらいは認めてもらえるはずだ。


 また人間道に落としてくれるに違いない。


「けれど、これは本心じゃないよな」


 誰もいないので、誰かいるはずもないので、僕は独り言を放つ。今いる場所は洞穴なので、声が反響して、無駄にうるさい。


 本心。つらつらと述べ連ねてはみたが、これは僕にとっての本心ではないのだ。こんな欲に塗れた、人間という獣の心など、本当であるはずがない。嘘であるかどうかも怪しいほどだ。


 僕にとっての本心。重要なのはこちらである。


 僕、つまりは首桐白老。一介の詐欺師ではなく、一端の成人でもなく、一人の、心ある人間としての首桐白老についての本心。


 村長と話した時のことを思い返すと、彼女の意見に全く共感できない僕が出てくる。死を目前にして、ただ傍観し、何もしないくせにいつも以上な明るさで日々を過ごす。迫り来る理不尽を、まるで雨に降られたみたいに許容している、そんな姿勢にひどく腹が立ったのだ。


 許せないと思った。別に何か悪行を働いていたわけでもないが。悪行を働くのは僕である。


 もしかすると僕は、そんな自分とは違う考え方を持つ他人に対して、僕の価値観を押し付けようとしたのではないだろうか?


 思考回路の構造を、変えようと画策したのでは?


 だとすれば、滑稽もいいところである。有り体に言えば多干渉。僕らしくない。


 これは以前には全く起こり得なかったことだ。以前というのはつまり、日本の古今東西で詐欺を働き、東奔西走していた時期のことで、僕が完全に心を閉ざしていた頃でもある。


 心を閉殻していたのは、他人を騙し、自分を騙り、社会を騙欺するのに本心だ正直だが必要なかったからだ。


 むしろ邪魔だった。命取りになってしまいかねない。


 だから、今の僕に人助けや村助けなんかをする要因はない。紛れもない善行であるが故に、善意を無視する僕がこんなことをするのはおかしいのだ。


 何か途中で計算を間違えたみたいに違和感を覚え続けている。


 かといって、悪行を働いているつもりもないのだから、より一層不可解だ。


「この世界に来たから、か?」


 洞穴と言ったから、真っ暗な洞窟のようなものを想像していたのだが、意外にもそんな事はなく、天井を見上げればいくつか穴が空いていて、そこから薄くほのかな月明かりが差している。どうやら外はもう夜らしい。


「もしも、本当にもしも、この世界が僕のいた日本とは違う全く別の世界なんだとすれば、そりゃ人間だって違うよな。社会構造だって違う。悪意の捉え方だとか、悪行の働き方だとか、人の陥れ方だとか……」


 ともすれば、もしかして僕は――――


「心の荒んでいない、前の世界のような薄汚い人間たちとは違う人と会って、絆されてしまったのか?」


 だとすれば、とんだお笑い種だ。


 そう、失笑しかけた瞬間――――


「うっ……?! な、ぐっ!」


 浴びたことのない突風、嗅いだことのない獣臭、そして絶大な存在感が、一気に僕を攫った。


 体を伏せ、飛ばされないようにしがみつくことだけが精一杯だった。


「これ……これが龍か?」


 目では捉えれない、音じゃ察せられない、ただ気配だけは確実に何かいることだけを感じ取らせている。


 いる。そこにいる。


『――――――――』


「な、なに?」


 何か言っていることだけははっきりとわかった。わからないのはその内容だ。

 なんだ? なんて言っている?


『――――――――』


「……? ようやく?」


 これは言葉ではない、音であるかも怪しいほどだ。耳を閉じても、鼓膜を破いても、耳骨が粉砕しても、聞こえてきそうな音だ。


 あぁ、存在感で会話するって、そういう…………。


『――――――――』


「……約束の、終わり?」


 どういう意味だ? そして、誰に言っている? まさか僕ではあるまいな。意味がさっぱり通っていない。


 僕は生来、龍に会ったこともなければ、約束を取り付けた記憶もない。なんの話をしているんだ。一体。


『――――お前は、首桐白老――――』


「…………?」


 僕の名前だ。


 はっきりと聞こえた。


 なぜ? なぜ僕の名前を知っている?


 どうして? 龍、神龍?


 何か重要な、そして非常に特別な、考慮に値する情報を得た気がするが、次の瞬間、これまで以上に激しく猛々しい突風と存在感に、僕は気を失いながら吹っ飛ばされてしまった。


 一体、なんだったというのだろう?


 龍。


 約束? 終わり?


 首桐白老?


 僕はもう、これ以上考えることができなくなってしまった。


 **********


「なるほどなるほど、そんな経緯があって、君はここを滅ぼさんとしていた悪の元凶を見事撤退させ、村に恩を売りつけ、実質的なトップに君臨したというわけだな。それが君のオリジンストーリーか。ははっ、君ってやつは本当、人が悪いな」


 そんな風に取られてしまうような内容の話だっただろうか。と思ったが、いつも通りの誇大解釈であることを思い出し、むしろ僕は安心した。


「人が悪いのは別に今に始まった話じゃないんだけどね。それにしても、今でも疑問なんだ。どうしてあの龍は僕を見た瞬間に去ってしまったんだろう? 約束だとか、終わりだとか、なんだか意味深なことを言ってはいたけど、僕には全く見当がつかないんだ」


 僕はそんな率直な疑問を、彼に投げかけた。村が町と呼べるくらいには発展し、その間にこの異世界に対する疑問もだいぶ晴れてきたのだけれど、それでも最初のこの疑問だけは未だ不明瞭のまま、仄暗く澱んでいる。


「ハッ、騙されないぜ。嘘つくなよ、すぐ。あぁ、今のは無意識でついたのか? だったら別に構わないが……しかしな、お前、本当はわかっているんだろう? その龍の約束事だとか、始まりだ終わりだとか、そして龍がお前のことを知っていた理由だとか」


 僕が黙るからか、続けて彼は喋る。


「別に答え合わせしようって気でもないんだけどな。話題に出たから、少し認識の統一を図ってやる。あのな、白老、お前が龍とか神龍とか呼んでいるそいつは、お前が思っている何倍以上に知能がある。ただ、それを種の繁栄に利用しないだけで、人間なんか屁でも無い。お前如きじゃ騙せないんだ。それで、知能が高いってことは、記憶力も当然高い。だからな、どんなことでもはっきり、鮮明に、一億画素の超高解像度映像記憶ってところだ」


 続けて彼は僕に言う。


「それで、神龍種って言うのは大体信じられないほど長命だ。未だかつて死体が発見されてないほどにはな。さらに寿命が長いってことは時間感覚はそりゃ長い。龍たちにとっちゃ俺たちの一年なんて一秒にすら満たないだろう。そんな龍が、ようやく、なんていうほどだから――――」


「えーっと、つまり何が言いたい?」


 回りくどい言い方にいい加減腹が立ち、僕は率直に聞いた。僕も彼も、率直な物言いが好きなので、お互いにいい気持ちになった。


 ような気がする。他人のことなんてわからない。


「結論を急ぐねぇ。別に悪いってわけでもないが。――――要するにだ、お前は、この世界のウン千年、ウン億年だか昔に、一度この世界に来たことがあるんじゃないかってことだよ」


 …………


 面食らってしまった。もったいぶって、意味の深さを匂わせて、重要さを演出したには、とんでもなく突飛な話だった。


 意味不明だ。


「ありえないだろ。というか、僕はそんなことしていないぞ」


「ハッ、そうかもな。お前が納得いかないっていうんだったら、別にそれでも構わないさ。さ、次の話だ、次々。お前のヒストリーシャープ二を早いとこ聞かせてくれ」


 そうやって、煙に巻いて、うやむやにして、はっきりとしない。まるで詐欺師のように論点をずらし、さながら子供のように独善的。自分を見せられているように錯覚する。


 故に彼をどう捉えても不快に思い、どう感じ取っても好ましくない。まるで陳腐でチープな、騙す気の無い嘘を、延々と聞かされているみたいな、そんな人間。それが彼だ。


 そして僕だ。


 彼はいつからか町にいる。いつの日からかそばにいる。


 僕の隣に、影のように居座っている。


 そういえば、彼はいったい誰なのだろう?


 僕は彼の名前すら、知らないのだった――――

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