ある種平凡な世界。

「君はどうしてあそこで山を登ろうとする人を止める、なんていうことをしていたんだい? 面白い遊びじゃないだろう? ああいうのは大人がやるもんだぜ」


 ある程度踏み慣らされた山を登りながら、僕は少女にそう聞いた。純粋な好奇心によるものではあるのだが、それ以上に、この見た目だけは快活な幼い少女との山登りを気まずい雰囲気で進めたくなかったからというのもある。


 というより、本当に疑問である。何がといえばこの少女のことなのだが、どうしてこの少女はあんな誰の目にも留まらないところで番をしていたのだろう。それに、今日僕が村中を周った時に見なかったことも不思議だ。さらにいえば、この少女の持つ子供らしからぬ静けさや大人気は一体…………。


「あそこで見張りをしていたのは、その、前に来てた女の人から頼まれて、やってたの。あ、そのナイフも女の人から貰ったものだよ。その女の人が作ったんだって」


「ふうん……その人はナイフ職人か何かなのか。そういえば君の名前をまだ聞いてなかったんだけど、なんていうんだ?」


「わたしは、ダカラ。その、お兄さんは?」


「僕は白老、首桐白老という。しがない旅人さ」


 こんな風に雑談を交わしているが、しかしどうにも会話している気分にならない。会話のキャッチボールで言うなら、一人虚しく壁に投げているような気分である。

 

それに、自分より一回りも二回りも幼い少女に対して、気まずさを覚えてしまうと言うのも、恥ずかしく虚しかった。


 詐欺師というのはコミュニケーションのプロフェッショナルでなければならないというのに。


「君は、えっとダカラちゃんは、この山に登ったことがあるの? あるんだとしたら、龍に会ったことはある?」


「お山に登ったことは、ない、多分」


 多分? 幼いからかつての記憶が曖昧なのだろうか。それとも、物心つく前に登ったことがある、とかだろうか。


「そういえばダカラちゃんの両親は何をしている人なんだい?」


 記憶にないほど昔に登ったとするのだったら、きっと両親に連れられてのことだろうと推測し、僕は無遠慮に聞いた。もしかすると両親はもうすでに他界しているのかもしれないという発想には至り、一瞬言葉に出すのを躊躇いはしたが、即座に自分とは関係がないことを察し、僕は言葉のブレーキをかけなかった。


「両親、お父さんとお母さん、だよね」


 ダカラちゃんは、確認を取るように僕にそう聞いた。


 両親の定義を聞かれた。よく考えれば、どんなに幼くてもほとんどの人間がしなそうな質問である。


 少なくとも僕はしたことがない。


「そうだよ。あぁ、でも、親って言ってもいろんなタイプがあるから、ダカラちゃんが親だと思う人を教えてくれればいいよ」


 僕は面の皮を厚くして、そして優しい人間であるというマスクを被り、ダカラちゃんを慮るよう言った。


 できれば、ダカラちゃんの持つ全ての人間関係を事細かに教えてもらいたいものだ――――待て、また悪い癖が出た。どうして僕はこうすぐに人を騙そうとするんだ。いたいけな少女一人に、大人気ないではないか。


 と言っても、正直になろうとはとても思わないわけだが。


「実は、どっちも知らない、の」


 悪い大人が悪いことを画策しているなどとは、全く気づいていない様子のダカラちゃんから、そんな返事が返ってきた。


 どっちも知らない。どういう意味だろうか。


 両親を知らない? それはつまり、見たことも聞いたことも、そしてあった事もないという意味だろうか。


 ならばダカラちゃんは一体誰に世話をみてもらっているのだろう。


「どっちも知らないっていうのはどういう意味? 村にはいないのか?」


「うん、いない。わたしは忘れ物なの。今まで村長さんと一緒に暮らしてきたんだ」


「えっと、何? 忘れ物?」


 当たり前にその言葉が引っ掛かる。普通人を指すときには用いない言葉である。物を者に変えたとて、言葉のチグハグさが残るほどだ。


 それに、絶対いい意味ではないことは確かである。


「わたしが赤ちゃんだった頃、村に二人の夫婦が来たんだって。迷ったから泊めて欲しいって、そして森から出る方法を教えて欲しいって」


 声が沈んでいくのがわかる。もしかすると、ダカラちゃんが感情を発露するのを見るのはこれが初めてかも知れない。


「二、三日村に泊まって、すぐ村を出たの。とっても慌ててたんだって。そんなことになったら、一つや二つ、大事なものを忘れたりするよね」


 するよね、と共感を求められるように振られたが、生憎僕は物を忘れたことはない。人名だって忘却したことはないほどである。


「えっとね、だから、その二人の赤ちゃんが、わたしってことになるんだよね」


 …………ふむ、なるほど。それはなんというか、気の毒である。


 って、おいおい。いくらなんでも赤子は忘れんだろ。自分の子供だぞ? 忘れるにしたって、人一人はいくらなんでもおかしいだろう。


「その話、誰から聞いた?」


「? 村長さんだよ」


 ちなみに、村長は酒好きである。なんでも、あれはこれから死ぬとかそういうのは関係なく元から備わっている趣向なんだとか。


「それ、絶対嘘だから、あんまり真に受けないほうがいいよ」


「そうなの? どうして?」


「あー、えっと、そうだな。僕の今まで会ってきた人間全員合わせて一億人の統計で考えると、よく飲み物を飲んでいる人は大体縁起でもない嘘をつくからだ」


「……? そうなの?」


「そうだ。僕はこう見えてなんでも知ってるんだぞ」


 そうは言ったものの、僕にも真偽はわからない。ただ、なんとなく嘘っぽかったので、少女のこれからの人生を、重く黒ずんだものにしないためにも、僕は善に偏った嘘をついた。


 嘘は必ずしも悪ではない。この事実は意外と一般社会にあまり浸透していない。


「なんでも知ってるのなら、わたしの両親のことを教えて欲しいな」


 おっと。先を見据えず嘘を言うのはダメだな。


「それは、無理だね。なぜならさっきのは嘘だからだ。こう見えて僕は結構嘘をつくんだ。気をつけたほうがいい」


「そう……わかってたけど」


 なんだかこの子の方がなんでも知っていそうだな、と僕は思った。別に伏線ではないが。


「それにしても、君の両親か。教えてあげることはできないけれど、推測くらいは僕にだってできる。どんな情報でも教えてくれれば、惜しい答えまで辿り着けるかも知れないぞ」


「惜しい答えって……間違えることが前提なの?」


 む、子供にしては揚げ足を取るような指摘である。もしかすると、この僕に心を開いてくれている兆候かも知れない。だとすれば、詐欺師を信頼しかけているという危険な兆候でもあるのだが。


「いやいや、話を聞く限り、それは一朝一夕で済むような簡単な問題ってわけじゃないだろう? 何事も、真に正しい解を見つけるのは労力がかかるものなんだよ」


 人を一朝一夕で騙し、一生禍根を残す生き方をしている僕には、少し説得力がない言葉だ。まぁ、これは僕の背景を全く知らないこの少女には分かりようのない裏事情なのだが。


「そうなの? でもわたし、本当に何にも覚えていないんだけど」


「なんでもいいさ。話してみろ」


 僕がそう言ってから、少女は黙り込んでしまった。きっと当時のことを思い返しているんだろうとは思うが、しかし結果を期待してはいない。理由はもちろん、人は誰しも赤子ほどの頃の記憶を覚えていないからだ。確か幼児期健忘という。僕だって覚えていないようなことを、この少女に期待するのは少し酷だろう。


 それに、たとえどんな明確な情報を提示されたとて、惜しい答えどころか、結論すら出せないだろう。


 なんせ僕は、ただ会話をするためだけに、考えなしでダカラちゃんにこの話を振ったのだから。


「あ! 一つ思い出した!」


 どうやら思い出したらしい。これはまずい。


「村長さんが言っていたのだけれど、わたしのおとうさんはなんでも、きれいな服を着た、プライドの高そうな人だそうだよ。そしてお母さんは、プライドは低そう、どころかまったくないくらいおとなしい人で、おとうさんと同じように綺麗な服を着ていたんだって。どう? わかる?」


 意外と具体的で驚いた、というのが感想である。もちろんこれでダカラちゃんの両親を突き止めるなんていう常軌を逸した推理はできない。


 が、しかし、突き止めることはできずとも、突き詰めることならできそうである。


「そうだな。それだけの情報じゃ少なすぎて、ダカラちゃんの両親が一体誰か、というところまではわからないけど……多分、君の両親は貴族か何か、お金持ちの部類に入る人たちだろうね」


「…………」


「そして、お父さんはそういう家の跡取りみたいな感じで、お母さんの方はお父さんより身分の劣る……たとえば奴隷だったとか、そんな具合だろう」


「…………すごい。何年も何もわからなかったのに、ようやく少し進展した。お兄さん、賢いんだね。もしかして職業は探偵さん?」


 そんな、やや大仰で、穿った見方をすればゴマを擦っているようにしか映らないダカラちゃん。大層な褒めちぎり様だが、しかし僕は全く嬉しくはなかった。


 というのも当然の話で、こんなお粗末で適当な推理を褒められても、なんだか適当言ってるだけなんじゃないか、と思ってしまい、それと同時に、こんな簡単な推理に辿り着けていないダカラちゃんに対し、違和感を覚えてしまったからである。


 これぐらいのこと、昔に村長とか他の村民とかにさらっと教えられていてもおかしくはない。なのにこんな、進化論を初めて発見したばかりのダーウィンみたいな驚きようなのは、この事実を教えてはいけない裏事情があるからなのか…………。


 だとすれば、事はそう単純ではない。僕のこのお粗末な推理も、違ってくることになる。


「ついたよ」


 ん? なんだ脈絡なく。ついたって何が? 嘘か?


 そう思ってふと辺りを見渡すと、目の前に大きな洞穴があるのが見えた。


 都心に乱立しているビルぐらいはある。洞穴というにはスケールが大きすぎる。


 ならば他になんと呼ぶのか、などと問われると、言葉に詰まってしまうが。


「ここが、龍さんのいる洞窟」


「ダカラちゃん、登ったことないんじゃなかったの? やけに詳しそうに解説するけどさ……」


「それは、えっと、お山は村じゃ有名だから、どこに何があるかっていうのは、把握済みだよ。それで、龍さんに会いにきたんだよね? 行かなくていいの?」


 ダカラちゃんに促されて、洞穴の方を僕はもう一度見据える。


 ここに龍がいる。


 日はとっく沈み、空は橙の掛かった夜空になっていた。


「じゃあ、行ってくる。待っててもいいけど、帰りたくなったら帰っていていいよ。どれぐらいかかるかわからないからね」


「うん、わかった。ずっと待ってる。忠犬ナナ公のように!」


 忠犬ナナ公? 微妙に違うぞ。もしかして、上野博士もこの世界にやってきているのか? それとも、犬の数字が減っていることから、もしかして上野博士がかつての世界に行ったのかも知れない。


「十年も待たなくていいよ。なぁに、そう長くはならないから。人を騙すのはいつも一瞬だ」


 もっとも、相手は人ではなく、厳かな龍だという話だけれど。


「行ってらっしゃい」


 僕はそう送り出され、目前の洞穴へ、暗黒へ一歩を踏み出した。


 龍の巣穴に。


 騙しの道へ、道徳から踏み外したのだった。

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