いや、龍と村の話だ。 その四。

「…………」


 龍がいる山道へ向かう道中、僕の進行を遮るように道の真ん中で座る少女に会った。勿論、知らない少女だ。


 今日本を借りる際に村中を駆け回った時には見なかった少女だ。確か目につく全ての家屋を回ったはずなのだが。


「やぁ、お嬢さん。ごきげんよう」


 なんとなく挨拶をしてみる。対話が可能かどうかを判定する目論見なのだが、それとは別に、初対面であるところの僕にできるだけ好印象を与えたかったという付随目的もある。


 第一印象は大切だ。人と対話する時はとにかく第一印象をよく見せることをお勧めする。それも僕みたいな職業の人間であれば尚更である。


 詐欺師が一度騙した人間にもう一度会うことなどない。第二印象など、気にする必要がないのだ。


 そう思えば、僕は煩雑な人間関係のサークルから、一足遠巻きに眺めることができる人間である。まぁ、詐欺師という時点で道を踏み外しているわけなのだから、当然と言えば当然か。


「…………」


 挨拶に反応はない。ただ綺麗な瞳で僕を凝視するだけである。もうとっくりと夕方である。少女の顔が朱色の光に照らされて、いまいち子供らしい快活さが見えてこない。


 不気味というほどではないが、それに近しいイメージを覚えた。


「君、名前は? 親はどこなんだい? もう夜だぞ? 家に帰らなくて良いのか?」


 僕はそんな少女に対して、いうべきセリフをいうべきタイミングで言った。良い人間を演じるのは意外と楽なのである。


「お兄さん。この先の龍さんに、会いに行くんだよね」


 突然喋り出したと思ったら、僕の目的を言い当てられた。なんだこいつは思考盗聴か警戒せねば、と心の中で少女と一歩距離を置く。が、よく考えればこの山は村人の間では有名な山なのではなかったか? なんでもここに祀られている――――ではなく、縛られている龍は村人たちに忌み恐れられているという話だったから、この少女の親が同じように教えていてもおかしくない。見たところこの少女の年齢は二桁ほどはありそうだから、僕がここにきた時点で龍に会いに行くと推理するくらいの知能はあってもおかしくはない。むしろ普通であるといえよう。


 そこまで考えて、僕はバカらしくなった。子供に対して真面目に頭を働かせている大の大人が、非常に愚かであほらしく見えたからなのだが、それ以上にこんなことで時間を無駄遣いしている自分に腹が立ったからである。


「そうだな。たしかに僕はこれから山を登って龍に会いに行くつもりだ。だから、その、なんだ? ここ、通っても良い?」


「…………」


 返答はない。本当に不思議な子供である。

 沈黙は肯定だと判断して僕は少女を無視して横を通り過ぎた。

 と思ったのだが…………。


「! おいおい、どういうつもりだよ……」


 すぐに足を止める羽目になった。理由は至極単純である。


 少女に背中を向けた瞬間、つまりは意識から少女を外した瞬間、僕は腹の中を冷たい物体が通っていくのを感じた。これは感覚的な問題ではない。ましてや、抽象的な隠喩を用いたわけでもない。実際に腹の中を冷たい物体が通っていくのを感じたのだ。


 その当該の腹に目を向けてみると、そこにあったのはナイフの刀身、その先端が僕の腹から顔を出していた。


 つまりはナイフが腹を貫通していたのだ。


「…………なんだ、これ」


 何を間違ったか、どうやら僕はまたぞろ死んでしまうらしい。二度も腹を刺されて死ぬとは、なんとも喜劇的である。


 と、思ったのだが。


「痛くはないはず。死にもしないよ。だけど、動き回ったりしたら、わからない」


 そう、痛みはなかった。どころか、冷たい温度が伝わるばかりでなんの不快も感じない。不思議な感触である。


「それ、脅してるつもり? だとしたら可愛いもんだね。僕がこの先に向かったら、何かいけないことでもおきるのかい? それとも、君にとって不都合でもあるのか?」


「…………」


「答えてくれないか。別に良いけどね。だけど、どうしてこんなことをしているのかってことくらいは答えてくれないのか?」


 僕は、この無口で交渉の手がなさそうな少女に、懸命に話しかける。もちろんこれは文字通り命が懸かっているからで、なんとかこの少女の排他的態度をほころびさせて、この状況を打破しなくてはならない。


「龍さんは、とっても危険。人があったらだめなの。だけど、外から来た人、村の男の子、大人の人とか、みんな山に登ろうとする。わたしがどれだけ止めても聞いてくれない。だから……」


 だから、こんな人殺しまがいの危険を冒して、止めようとしているわけか。なるほど、だとすればこの行動はひどく健気である。


 それほどまでに、その龍とは危険な存在なのだろうか。聞いた情報を統括すると、九割ほどが龍を危険だと説明している。会ったら喰われるとか、存在感が怖いとか、ただただ危険とか。


 けれど、言ってしまえばその程度のものなのだ。狂暴なだけ、危険なだけ、怖いだけ、その程度である。口は付いているが喋るわけでもない、誰かを騙すことができるわけでもない。だったらまだ人間の方がずっと狂っていて危なくて怖いだろう。足を止める理由にはならない。


 だから僕は、こうやって嘘を紡ぐ。


「僕は、その龍をなんとかするために山に登るんだ。危ないことは何もない。君がこんなことをする必要もなくなるさ。だから……刃を抜いてくれないかい?」


「龍さんをなんとかするって、どうするの? 龍さんはどうなるの?」


「それを聞かれると困るんだが……どうだい? 気になるなら着いてきなよ。あぁでも、子供は家に帰る時間か?」


 言ってから後悔したが、子供が一人連いてくるとなると、道中がさぞ大変になるだろう。しかも、どうもこの世界の山というか森林の類には、人を襲う上に知恵のある動物が住み着いているので、のんびりハイキングというわけにはいくまい。


 さて、どうするか。あんまり話していると、すぐに夜になってしまう。夜の森というのは本当に何も見えない。自分の両手すら見えなくなるほどだ。登るならさっさと登った方がいい。


 できるなら帰ってくれた方が嬉しいのだが。


「着いていく」


 だが、返ってきた答えは期待を外してきた。


 こうして、僕と少女の二人登山が始まったのだ。


「じゃあ、まずこれ、抜いてくれない? 痛くないにしても、こんな格好で歩くのは趣味が悪すぎるぞ」


 それにしても、このナイフは一体どうなっているんだ? 仕組みが全くわからない。人体を透過するナイフ? それとも、物体を切れないナイフ? なんにせよ原理の見当がつかない。見てくれははっきり金属で、ナイフらしいナイフである。これといった特徴はない。


「…………」


「……どうした?」


「えっと、どうやって抜くんだっけ」


 はい?


「どうやってって……君、今までこうやって山へ登ろうとする奴を止めてきたんじゃないのか? まさか、全員刃がうまく抜けなくて、怪我させてきたのか?」


「いや、今までみんな、わたしが止めても聞いてくれなかったから、ナイフ使うことがなかっただけ。今日使ったのはとても久しぶりで、うろ覚えで…………なのに刺しちゃったのは、お兄さんは知らない人だし、なんだかいかせちゃいけない気がして、その、つい」


 つい……つまりこいつ、直感にそのまま付き従って、知りもしない見たこともない外から来たであろう人間を、背中から刺したってことか?


 それは、なんというか、随分とクレイジーだな。


 というか、どうする? このまま一歩踏み出して、腹が縦に裂けるなんてオチは御免だぞ。命を落とすのは一度で十分だ。本当。しかし、対処のしようも知らないし、どうしたものか。


「最後に使ったのはどういうシチュエーションだったか覚えていないのか?」


「うーんと、最後に使ったのは、ナイフをもらった時。赤い髪の女の人が、わたしにこのナイフを持たせて、そのままわたしのことを刺したの。その時はすぐに抜いたから、大丈夫だった」


 色々と突っ込みたいことはあるが、一旦置いておくとして、なになに? すぐ抜いたら助かった? なるほど、ならば今回も同じことをすればいいではないか。簡単なことである。


「じゃあ、ゆっくりナイフを抜いたらいいんじゃないか?」


「うん、大丈夫かな」


 そういって、少女は僕の背中から、ゆっくりとナイフを抜き取った――――のだが、しかし、少女は思っていたよりずっと不器用であることが、この瞬間に判明した。あと二、三秒前に知っていれば、と後悔せざるを得なかった。


「ぐぅっ!」


 そんな情けない啼き声と共に、ナイフの刺さっていた腹から、血が滴ってくるのを感じる。


 痛い。すごい痛い。


「な、なんでお前、そんな勢いよく抜くんだよ……」


「あ、え、ごめんなさい」


 く、くそ、本当に痛い。大の大人が情けないが、痛みで膝をついてしまった。というか、なんで、こいつはナイフをあんな風に抜くんだよ。痛い。話聞いてなかったのか? 本当に痛い。痛覚の奔流が起きて、焦点が合わない、体に力が入らない、体勢が痛みを最も和らげる様式を勝手にとってしまう。


 ぼ、ぼくはもう一度死ぬのか? 二度も死ぬなんて、それはそれで面白い――――いや、僕らしい報いだと言えるだろう。


 僕は詐欺師だから、腹を割って話したことなど一度もない。そんあ僕が腹を割られて死ぬとは、本当に皮肉が効いている。


「? あれ、これ、よく見たら……」


 ――――あ、やっぱりだめだ。龍に会う前に、ここがどこだか確かめる前に、僕がまだ生きている意味を見つける前に、ここでのたれ死んでしまう。もう、頭もまわらなくなってきた。ちがどくどくとたれてきている。シカシのいうとおりいえでおとなしくしていれば――――


「…………えい」


 ――――と、おや、まだ生きているらしい。いや、違う。また死んだのか? ということはここが本当の死後の世界? なるほど。状況は把握した。ならばもう一度プロローグを始めよう。こほん、悪行を働けば、地獄に堕ちる。そんな大層な脅し文句も、今の時代は少なくなってきた…………なんだ? うずくまっている僕を、じっと見つめている少女がいるぞ。しかも、結構至近距離で。この少女は誰だろう。そんな疑問が浮かんだが、その見当はすぐについた。そう、この少女はいわば三途の川を渡してくれる、船頭さんなのだ。そうでなければ、親より先に死んでしまい、賽の河原で石積みをしている子供だろう。


「やぁ、お嬢さん。ごきげんよう。えっと、君が川を渡らせてくれるのかな? えっと、たしか運賃は六文だよね? 多分何十円かはあると思うから、そこの心配はしなくてもいいかな。あぁでも、たしか川を渡れるかどうかは、罪の重さで変わってくるんだっけ? そこのところどうだい? 僕は渡れそうかな? …………おや、君、どこかで見たことがあるな。僕のこと知ってるかい?」


「…………」


「ぐあ! いってえ!」


 !? なんだ? 今一瞬、腹に激痛が走ったぞ! ど、どういうことだ。一体何が起きているんだ?!


「って、あれ? ここさっきの山道じゃん。そして君は道を妨げていた少女じゃないか。なんで僕は生きているんだ? たしか君がナイフを抜くのを誤って、僕はここでうずくまりながら、意識が遠のいて行った記憶があるんだけど」


「えっと、その、なんていうのかな。そのお腹にささったままのナイフ、一回抜いてからもう一度同じ場所に刺し直したら、血が止まって、また元通りなった、んだよ」


 そういわれてもう一度腹を見る。すると、例のナイフが同じ場所で同じように頭を出していた。


 今の所、痛覚はない。ひんやりとした温度だけがナイフの存在を知覚させる。


「…………なるほど」


 つまりは、この少女は何を思ったのか、抜いたナイフを元の場所にもう一度刺し直したのだ。普通に考えて、この行為は瀕死の怪我人に対するトドメでしかないのだが、しかし今回は全く真逆の結果をもたらしたというわけか。


 ナイフを刺して人命を救助したのだ。


 状況は理解した。このナイフの異様さ、そして特殊性もまた、現実に起きていることである。


「どれ、それならすこし試してみよう」


「え」


 微かな驚嘆の声と同時に、僕は自分の手でもう一度ナイフを体から抜いた。故に、また激痛が走る。だが、全く同種の、似たような痛みである。我慢は意外にも効いた。


「うわぁ、そうか、そういうことか」


 ナイフを眺め、そんな風に感慨してみたが、別に理解しているわけではないと、あらかじめ言っておこう。僕は抜いたナイフを品定めするように全体を眺める。まだ照っている夕日に当たってきらりと輝くナイフ。その刀身は、肉肉しく生生しい肉の断面が映っていた、というより、肉の断面そのものになっていた。


 これは、つまりなんだ? まさか、僕の腹の断面なのか?


 痛みがひどくなってきたので、ナイフを刺さっていた場所へ、鞘に収めるよう戻す。すると次第に痛みが引いていった。


 不思議、なんて曖昧な言葉で片付けていいものだろうか、これは。


 ここまでくれば空想科学レベルだ。いくら学問を修めていない僕でも、これくらいはありえないとわかる。


 このナイフは一体なんなんだ。そして、こんなものがあるこの世界は一体…………。


「いかないの? お山」


 わからないことをうだうだと考える僕の耳に、少女がそう語りかける。そうだ、すっかり忘れそうになっていたが、僕はこれから山へ登りに行かなくてはならないのだった。


 龍に会わなければ。


「まぁ、そうだな。こんな格好になったけど、よく考えればそこまで悪くないかもな。そうと決まれば急ごう」


 そうして、僕は立ち上がり、少女が遮っていた山道へ歩みを進めた。


 ――――と、僕はここでようやく山に登ったわけだ。


 龍の存在意義も、そしてその後に現れる影響も、何もかも知らないが故に。

 

 

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