僕は一体誰なのか。

 次の日は情報収集に専念した。村中を回り巡って、情報の書かれていそうな書物という書物を、あるだけ集めてきたのだ。


 ハードカバーも、文庫サイズも、冊子レベルでも見境なく、かき集めるという言葉にふさわしい集め方で。


 そうして今は、あの村長の家の屋根裏にて、読書に耽っているのだった。


「よくそんな大量の本集めてこれたわね」


 シカシが、つまれた本のうちの一つを読みながら、そう言う。


「まぁ、意外と人って騙しやすいしね。それ、何の本?」


「前文が軽蔑に値するから、私は何も返さない」


 そんな地の文みたいな…………。心理描写に鉤括弧はいらないぞ。


 まぁ、どうせ娯楽本だろう。そう推測した。


 そんなことはどうでもいい。重要なのは僕が読んでいる本の内容だ。


 内容はどうやら地学らしく、しかも初歩も初歩、現世で言えば、地球は丸いみたいな話をしているくらいのレベルらしい。


 まず一ページ目。そこには見開きで地図が載っている。地球で言えば、デカデカとユーラシア大陸や、オーストラリアなんかが載っているものなのだが、しかしこの地図にはそれが無かった。


 無かった。北アメリカ大陸も南アメリカ大陸も南極大陸もアフリカ大陸もユーラシア大陸もオーストラリア大陸もヨーロッパもアメリカもロシアも日本も東京も、何も無かった。


 代わりにあったのは知らない形。まるで大陸のように描かれている。

 なんだ、これ。失敗したクッキーみたいだ。


「ねぇ、これ何?」


 地図であると僕は言ったが、しかしこれを見せられては地図と断定するのには抵抗を覚える。だからシカシに確認を取るのだ。


「? 地図よ。何言ってんの」


「じゃあどれがどんな大陸?」


「はぁ……? その一番おっきいのはナラバ大陸ね。そっから右から順にケレド大陸、フマヘテ大陸、ワケデ大陸よ。そっからはまだ誰も到達していない道の領域。探検家の夢はそこに集約されているわ」


「…………」


 絶句してしまった。まさか嘘か? 嘘だな。とてもじゃないが信じられない。嘘だとしてどういうドッキリだ? 僕にどんな恨みが……恨みつらみに関しては心当たりしかないが、しかしここまで大掛かりなことをする意味がないだろう。最後に一泡吹かせてやろうという算段なのか? いや、だから意味が…………。


 僕への恨みを晴らそうって腹なら、直接暴力に打って出れば良いものを。


 でも、恨みを晴らすことを否定してしまうと、ここが異世界であるとしか言いようが無くなるのだが。


 確かに僕は一度死んだような記憶がある。だからこそ冗談のつもりで、つまりは嘘を言うつもりで、ここを地獄と称したり、今までいた世界を現世なんて呼んでいるわけなのだが、けれどそれは本心ではない。本当に心の底から、腹の奥からここを別世界だと思っているわけではないのだ。本音を言えば、どうせここは日本のどこかで、例えば東北の山奥とかで(僕が腹を刺されて倒れた際に仕事をしていた場所は東北のある街である)、たまたま日本語の上手な外国人に会い、たまたま同じく日本語の上手な外国人村長に泊めてもらって――――などと考えていたのだ。


 だから、こんな本が見つかるわけがない。これが嘘まみれの娯楽本だという線もないではないが、そうなるとシカシが大陸の名前をああもスラスラと言える理由に説明がつかない。


 これじゃまるで本当に別世界にきたみたいだ。


 別世界、つまりは異世界か。


 …………そういえば、あったな。昔読んだ本でそんな話が。確か、突然死んでしまったダメ男が、次の瞬間目を覚ますと、全く知らない異世界に転生しているという、そんな話。


 その話では、まず女神に会って、容姿やら体格やら才能やらを与えてもらっていた。そこから最悪だった人生が一変し、華やかで楽しい生活になるという……。


 どうだろう。今の僕にその話の類似性はどれだけある?


「なぁシカシ、明日は台風らしいぜ。そのあとは温帯低気圧になるらしい。だから戸締りちゃんとしろよ」


「は? な、何? タイフウ? オンタイ、何?」


 ……知らないみたいだ。演技には、とても見えない。


 はてさて、日本語を知っていて、台風を知らない人間がどれくらいるだろう?


 詐欺というのは、巨大犯罪を起こす度胸のない腰抜けがやる軽犯罪のようなものだと、そんなことをかつて言われたことがある。実際、僕もその通りだと首を縦に振るのだが、しかし案外、界隈だとこの意見に否定する者は多い。


 それは詐欺を働く際、何者かに成り済ます必要があり、それが舞台における主演になったかのように錯覚するからなのだと僕は考えている。普通に考えたら、犯罪が高尚なものになることなどあっていいはずがない。


「はぁ……しんじらんねぇ」


「何なのよっ!」


 どうやら、夢ではなく、生々しい現実らしい。


 そして、馬鹿馬鹿しい幻想上の世界。つまりは異世界のような場所らしかった。

 と言っても、まだ確信できない。さまざまな可能性を考慮しなければ。僕は馬鹿ではない。


「…………」


 その後も僕は本を読み漁る。まず最初に手に取った地学の本から繋がるように、とりあえずは学問の本から制覇することにしたのだ。物理学やら数学、法学なんかがあり、意外にも、それらの学問は相当の発展具合――――少し前時代的な部分が散見するが、しかし僕の知っている知識と遜色ないほどのものだった。


 まぁ、所々抜けている部分はあるし、歴史や哲学に至ってはその逆で、僕の知っている部分が一つもなかったのだけれど。


 うーむ。これだけでは、この世界が本当に違う世界かどうかの証明にはやや証拠不足か。


「ところでシカシ。龍って知ってるか?」


 日が傾いてきていたので、休憩程度に僕はそうシカシにきいた。龍という存在がいるらしいというところまで飲み込めたが、その正体というのを聞いておきたかったからだ。


 もしかすると、超常的な自然の神秘で生まれた、ただのうねっている岩石かもしれないではないか。要石なんて迷信も話の中で出ていたわけだから、そう言う可能性も全くないという訳はないのではないだろうか。


 昔っからそういうのを信じるのが好きだろ。日本。


 僕への問いに、シカシは面倒くさそうに答える。


「龍……? 龍ってどの種類のこと?」


「? 龍に種類があるのか?」


「そりゃあるわよ。ドラゴン種と睨竜種と神龍種ね。ドラゴン種は野生味が強くて凶暴なの。睨竜種はその上位互換的なやつ。神龍種は龍どころか生物の中でも一線を画す異彩さだわ。知能が人間より高いの。世界でも発見例はほとんどない。で、龍がどうしたの?」


 やけに詳しい。まるで予習でもしていたかのようだ。


 これは、僕へのドッキリという線が濃厚になったか。


「じゃあ、その龍たちの行動範囲について教えてくれよ。常に移動するのかどうか、群れで暮らすのか、どうやって種を増やしていくのか、かなり気になる。教えてくれ」


「そうね。ドラゴン種は縄張りを作ってその中で繁殖とか狩りとかをするわ。睨竜種はドラゴン種とは違って縄張りはなくて、世界中を飛び回るわ。神龍種は……わからない。情報の母数が少なすぎるの。わかっていることよりずっと、不明な点が多くて。そもそも生物かどうかさえ怪しいわ」


「やけに詳しいな。ネットとかで調べたのか?」


 これが僕を騙すための大掛かりな芝居なのだという疑惑を、晴らすために、僕はそうぬけぬけと言った。


 シカシがボロを出すのを誘っているのだ。


「…………私図鑑が好きでさ。子供の頃読んでたのよ。いっぱい」


 ネットという言葉に反応しない。自分の聞き間違いか何かかと、疑問を押しつぶしたのだろう。気にはなったが、会話のリズムを崩さまいと、自分の知らない言葉について反応しない。そんなふうに見える。


「ところであんた……えっと、クビキリ? 出身はどこなのよ。見たことない地域の服装だわ」


「出身? あー、そうだな。当ててみて」


「んー? そうね。インガとかかしら? 合ってる?」


 インガとはどこだ。四十七都道府県に、インガ県などあっただろうか。地名であれば、伊賀ならあるけど。まぁ、僕の出身は伊賀ではないので、どのみち不正解である。


「全然違う。……インガっていうのはどういうところなんだ?」


「奴隷大国」


 …………。


 人類史にここまで悪口のセンスがある奴がいただろうか。


 とにかく無視をした。


「とりあえず龍についてはありがとう。それじゃあ今から僕、その龍っていうのに会いたいから、ついてきてくれない?」


「……は?」


 は? と言われた。僕がここまで丁重に人にお願い事をするというのは、珍しいを通り越して、起こりうるかどうかも怪しいほどだというのに、この女はそれを嫌悪しているようだった。


 人の純粋な気持ちをなんだと思っているんだ、こいつは。


「いや、もしも僕が襲われたらどうするんだ。残念ながら僕は武力を持っていない。昨日みたいに、何かあったら助けてくれっていってるんだ。それに、僕が龍に会いにいくのは、至極正当で、清廉潔白な素晴らしい人助けによるものなんだぞ。怪しいことなんて何もない。人を騙そうってことじゃないんだぞ?」


 まさしく正論である。だが、いくらか本心でない部分が混じっているのは、心の中で秘しておくが。


「それ、昨日も言ってたけど、どういう意味なわけ? 人助けって言うけど、誰を助けるのよ。そして、どうして助けるのよ。あんたになんの得があるの?」


 ふむ。真っ当な疑問である。なんと答えよう?


 お前を助けるためなんだよ! などと言えば、ドラマチックで面白い、と思ったが、しかしシカシには嘘が通用しないことを思い出し、すんでのところで留まる。

 他にも、面白い嘘がいくつか浮かんだけれど、結局本当のことを言った。


 村長のためだ、と。


「…………」


 シカシは沈黙する。考え込んでいるのだろう。


 こいつがどの程度僕の嘘を見破れるのかわからないが、今の話に嘘がほとんど混じっていないことくらいはわかるはずだ。個人的に僕のことが嫌いか、単に面倒くさいかのどちらかでなければ、この頼みを断るようなことはしないはずである。

 まさか、助けれらる命を惰性で見捨てるような性根の持ち主ではあるまい。


「……やっぱ嫌よ。私普通にあんたのこと嫌いだし、面倒臭いもの、それに日も暮れそうだし」


 と、臆面も無く、そう言い放ったのだった。


 てっ、おいおい。


 どんな環境で育てば、そんなセリフが吐けるって言うんだ? 酷すぎるだろう。

 村長に大人しく死ねって言っていることと同義だぞ。


 あそこまで親切な人間、そうはいない。弱きを助けろよ。

 そうして、僕はすっかり、呆れ果ててしまった。こいつは僕以上に周りを顧みない。


「お前、本当すごいよ。自己中心すぎるし、身も蓋もなさすぎる。そこまで赤裸々に生きれるなんて、もはや尊敬に値するよ」


「何よ、断つわよ?」


 なんだ? 気に入ってるのか? それ。


「ま、なんでもいいけどさ。深夜になっても帰ってこなかったら、せめて捜しに来てくれよ。僕がいないと、後が大変だからね」


「……あんたがいなくて大変になることなんてないわよ」


 そうして、僕は屋根裏から降り、一階を通って外へ出ることにした。


 シカシ。あいつは一体何者なのだろう。


 あぁいう風に毒づいてこそはいるが、けれど僕が推測するに、あれがシカシの本性というわけではないだろう。


 僕のことを嫌いだとか、犯罪者だとか言ってくれるが、けれどもそれは本心なのだろうか。


 だが、決して優しいわけでもなく、かといって完全にあくどい性格でもない。


 非情な性格の持ち主だとしたら、あのとき犬に襲われていた僕を助けてはいないだろう。それに、今日も僕と一緒に本を読むことだってしなかったはずだ。


 なんというか、ちぐはぐである。


 気分屋なのだろうか。その日時々で行動基準が右往左往する、そういうことか? 道徳観や倫理観さえも気分に左右されるのだとすれば、そいつは非常に難儀な性格である。


 絶対に生きづらい。


 シカシのこれまでの経緯というのも、気になる。


 やけに精度の高い、あの嘘を見抜く力だって興味深い。


「……ふふっ、僕は案外、あいつを気に入っているのかもしれない」


 誰かに聞かれてしまうと恥ずかしいから、僕は小さくそう呟いた。

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