あなたを救うには。
「で、僕は世界を練り歩くときめきの旅人で、できればこの村で数日泊めていただけたらなと思うんです」
――――あの正体不明の犬を追い払ってくれた鋏女と、またもばったり合流してしまった後のことである。
『うわ! 嘘つき男! 何? ついてきてんの?』という冤罪を課せられそうなところから始まり、『なんで逆方向に歩いてきたのにまた会うんだよ』とつっこみを入れ、『何でもいいけど、ついてこないでよ。次会ったら、断つから』なんて脅し文句を受けた数分後、また同じシチュエーションになる。まるでギャグみたいな、変なコントみたいなことを日が傾くまで一方的に続けられ、最終的に二人並んで人里を探し、見つけ出し、今に至るというわけである。
つまり何が言いたいかというと、彼女は極限まで到達し切った方向音痴だということだ。
「へぇー。あっそう。じゃ、ここの屋根裏でいいなら貸すわよ。ちょっと汚いけど」
そして僕の寝床をこうして貸してくれた彼女は、今僕がいる村の村長である。鋏女とは別人であることは、言うまでもないことだとして。
「何というか、気楽ですね。怪しいとか思わないんですか? こんな手荷物も何もない男に対して」
そう、彼女は驚くほどあっさりと僕に寝床を貸してくれた。どころか、簡素な食事すら用意してくれるというのだ。油断のしすぎというか、疑わなすぎである。
快諾するにも、もうちょっと思考するだろう。二つ返事どころの話ではない。
高待遇すぎて、こっちが疑ってしまう。
「別に……困っている人には手を差し伸べる。そんなの、普通のことじゃない。取り立てて疑問に思うようなことでもないと思うけど?」
付け込みやすい思考だと、むしろ僕は思った。以前は、こういう優しくて守られるべき人間ばかりを騙してきたものだ。
「ま、腹を割ると、この村はもうすぐ無くなるからなんだけどさ」
「村が無くなる? 何ですかそれ。のっぴきならないセリフですけど」
まさか、それで村の人間全員が、無抵抗に死んでしまうという悪魔的イベントではないだろうな。その恐ろしい何かしらから逃げることができないから、向こうみずに赤の他人へ大盤振る舞いができる……と言った具合に。
「なぁに、ただ村の立地を変えるだけ。別の場所に移動すんのさ。村人総出でね。今は準備中。そのうちゾロゾロと出ていくさ」
「…………それは、僕に寝床を貸してくれる理由にはならないのでは?」
「ん? そうかな? そうかもね。じゃあもっと詳しくいうと、私、村のみんなが出ていくタイミングで、死んじゃうからなんだよね。だから、せめて徳を積もうと、寝床を貸したり、飯を提供したりしてるわけ」
…………死ぬ? 死んでしまうとはつまりそのままの意味か? 僕と同じように?
「そりゃまた……なぜです? 村の場所が変わるのと、あなたが死ぬこと、一体何の関連性があるっていうんですか?」
「ん? 関連性? ……あぁ、それは私が生贄だからだよ。生贄。わかる? この村の近くにさ、でっかい洞穴があって、そこに龍が居着いてるの。記録でしかみたことないけど、すごい長生きで、数万年とか生きてる龍。それを抑えるための人柱なの。私。要石ってやつの人バージョン。だからさ、村に最後まで残んないといけないわけ。もちろん、死ぬまでね」
他人事かのように語る村長。随分と軽妙洒脱である。で、要石? いや、それよりも、龍? 生贄? おいおい、全部が全部、嘘とほぼ偽りないものばかりではないか。
迷信だったり幻想上の生物だったりで、意味不明である。
まさか、死を目前にして快楽的な薬物でも摂取しているのか? 何だかさっきから妙にテンションが高い気もする。
そうなると、今までの発言全てを疑う必要が出てくるのだが…………。
みたことない犬。
しらない花。
存在しない龍。
尋常ではない。
「あなたは、辛くないんですか。そんな状況にいるのに。渦中に身を置いているのに」
僕は村長が心配でそう聞いた。同情心が働きかけたのかもしれない。
いや、違う。僕は村長の意識が正常かどうかを測るために聞いたのだ。同情心なんてない。他人を可哀想だなんて思ったこともない。
「………………」長い沈黙の後、
「辛いさ」とだけ悲しそうに言った。
その言葉を受けて、僕はこう言う。
「わからないな。共感できない」
額面通り、僕はその気持ちを如何とも共感できなかった。これは、同情心が沸かなかったというばかりではない。ただ単に、死ぬのが辛い。という気持ちが理解できなかったのだ。いや待て、違う。死ぬのが怖いのは僕も同じだ。そればっかりは同情ではなく同調しよう。
僕がわからないのは、死ぬのが分かり切っていて、それを待っているのが辛い。という諦めの気持ちである。
「僕は今まで生きてきて、今のあなたみたいな状況に陥ったことは何度もある。けれど、僕は全て自分でどうにかした。先回りして、騙し騙し、騙り騙り何とかことなきを得てきたさ。静観なんてしたことない。生還ならしてきたけど。それに、死ぬ要因も、時刻も、回避する方法も、全てわかっているだろ? だったらなぜ行動しないんだ? なぜ諦めるんだ?」
と、僕は嘘を全く交えずに、思いの丈を話した。
「…………びっくり。人が変わったみたい。どうしたの?」
人が変わった。そんなことはない。僕は嘘をついて自分を偽るが、しかし僕自身は何も変わっていない。
ただ、なぜかこの村長の達観したような諦め切った姿勢に、僕が腹を立てた理由は、どうもわからない。
わからないことばかりだな。僕は。
「でも、そうだね。要因、時刻、はそうだけど、方法はどうするの? 相手は龍だよ。まず戦っても勝てない。撃退もなにも通用しないよ。それとも、あんたには思いついているかな。私が死なない方法ってやつ」
ない。そんなものはない。厳密に言うと、それは方法ではなく可能性だから。
「僕がその龍を、騙す。これしかない」
要するに、戦闘も、撃退も、撤退もダメなら、残されたのは説得だろう。
「…………」
村長が唖然とした顔をとる。
「騙す、あはははっ! なんだいそれ! 龍を騙すってなんだよ! あはは、そもそも、話なんか通じないって! 私、会ったことあるけど、獣以上に獣って感じだったわよ。存在感で会話してる感じとでも言うのかしら。近づいただけで食べられそうになる」
「だろうね。僕もそう思う。けれど、それしかないよ。あなたが生き残るには」
なぜ僕はこんなことを口走った? いつから他人に対して何かを施そう、なんて人間になったのだ。まるで生まれ変わったかのようだ。
一度死んで、生まれ変わったような気分だ。
「…………ま、いいんじゃない? あんたが良ければ。失敗したらどうせ死ぬだけだし。一緒にあっちへついていってくれる人は、一人でも多い方がいいもの。やれるだけやってみてちょうだい。あー、良い冥土の土産話になりそう」
あっちとは、つまりあの世のことだろうか。そんなことが引っかかった。
「…………僕からすればここが冥土なんだけどね」
「何か言った?」
**********
「げ、なんであんたがここに……まさか!」
村長の家の屋根裏。話が終わってから僕がそこへ向かうと、先客がいた。
というか鋏女がいた。ベッド上で荷物を広げている。
「なぁ、ちょっと厄介なことになったから、協力してくれない? れっきとした人助けなんだけど」
「嫌よ。どうせ詐欺とかなんでしょ」
早い返答。そして一刀両断である。れっきとした人助けだと言っているだろ。
「今の、嘘かどうかわからなかったのか? 推測するみたいに言ってたけど」
「ふん」
今度は無視か。ま、可愛らしいもんだ。
「そういえば村長さん。二人は多いから明日中にどっちか出ていってくれって言ってたぜ。できれば鋏を担いだ女の方って……」
「…………断つわよ」
これはわかるのかよ。……睨むな。そして鋏の方に手を伸ばすな。
そんな脅し文句、どこで育ったら覚えるんだ。
もちろんこれは嘘なので、退去の心配はしなくていいとして、僕にはもっと考えるべき事項が残っているのだ。少なくとも、こんなイタズラ程度のくだらない嘘に割いているリソースはない。
僕のベッドにまで進み、寝転ぶ。鋏女のベッドに意外と近い。
「なぁ、名前なんて言うんだ? 仮名でも良いから、名称をくれ、僕に」
鋏女と呼ぶわけにもいかないし。
「……まずあんたから名乗って」
「逆に僕から名乗れば教えてくれるのか。随分とフレンドリーだな」
「断つわよ」「断つわよ……っ!」
先読みしてやった。ふふん、気味悪がっているぞ。
「首桐白老。愛称はない。どうとでも呼んでくれていい」
「…………シカシ」
これは、偽名なのか、本名なのか、どうだろう? それ以前に、これは和名なのか? 洋名なのか? シカシとはあの接続詞のしかし? しかしそれをそのまま人名として使うのはいささかクレイジーだろう。
ならば和名だろうか。シカシ、しかし…………。
ゲシュタルト崩壊が起きた。
「えっと……じゃあシカシ。考え事したいからちょっと散策でもしてきてよ。人がいると集中できない」
何の配慮もなく、僕はいう。優しい嘘を用いてここから出すこともできたが、嘘を看破する何かしらの技能を持つシカシには、少し酷だと思って、僕は直接的に言う。
嘘で騙せないなら、真実で騙せば良いのだ。
「断っ…………いや、良いわよ。わかったわ。ちょうど私も一緒にいるのは嫌だったから。良い口実をありがとう。それじゃ!」
ほら、この通り。荷物をかき集めるようにして、足早にシカシは去っていった。どうだ、目的を果たすことに成功したぞ。
「…………何をやっているんだ、僕は」
ふと我に帰る。こんな子供をころばせて泣かせるみたいなことをして、何が楽しいんだ。まだ、感情のコントロールができていないと言うことなのだろうか。
そう考えるといかに自分がやわなやつなのかを自覚させられているようで苦しくなる。劣等感が刺激されるとでもいえば良いのか。
ポケットからメモ帳を取り出し、頭脳労働のためのメモを開始した。
左利きなので左手にペンを持ち、思いついた順に疑問や懸念を書き記す。
犬のこと、花のこと、龍のこと、シカシのこと、現在地のこと、辺りにある前時代的な文明のこと、村長の妄言、僕の死…………。
……………………。
メモをして、疲れ切ってしまった。何も考えつかない。
僕はこれからどうすればいい? どこへ向かえばいい? 日本にでも戻れば良いのか? そもそも、ここはどこなんだ? 日本語が通じている以上、日本なのは間違いないとして、…………いや、村人やシカシの人種は日本人ではなかったように思える。正確に何人かと言われれば、答えに詰まってしまうけれど、少なくともアジア圏の人間ではないことだけは明らかだ。
それに、僕は死んだはずでは? 刺された感覚は今も覚えている。腹のあたりの違和感を、とてもじゃないが忘れられない。
そうだ、ここは死後の世界だろう? 日本でも何でもないはずだ。
あの世、あっちの世界、別世界、異世界…………。
「……やっぱ、尋常じゃねーかな」
僕はそう呟いて、眠りについた。
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