転生した先で、村づくりを任された。けどさ、僕詐欺師だよ?
青ニシン
村編。
地獄行き……?
悪行を働けば、地獄に堕ちる。そんな大層な脅し文句も、今の時代は少なくなってきた。
はて、僕は地獄に落とされるのだろうか。地獄なんておどろおどろしいものがあるのかどうかも怪しいけれど。ちなみに、地獄に落とされるほどの悪行を働いた記憶は、もちろんある。労働をするのは義務だからね。悪行だって労働の一つに数えられるだろう。それに、僕はその悪行で日本の経済をつつがなく回していたのだから、むしろ讃えられてもいいくらいだ。
で、だ。何を言いたいのかと言えば、つまり僕は死んだのだ。ナイフかドスか、そのどちらかに腹を貫通させられ、内臓を、五臓六腑を撒いて殺されたのだ。
そして、そんな凄惨な死に様を得た僕はどんなやつかと言われれば、その正体は詐欺師であるといえよう。人を騙し、理想を騙り、簡単に看破されそうな幼稚な嘘を、ただ声に出す。何も対価を渡さず、物々交換という古代から発展してきたトレード仕様を、真っ向から叩き潰す、そんな悪逆非道な仕事を生業としているのだ。今回はその仕事をしくじった――――仕事なんて言えば、今までの相手は諸手を挙げて僕を責め立てるに違いないが――――情報収集不足で、誤って暴力団の跡取りに手を出したのだ。一応、謝ってはみたが、それで情が湧くほどおつむの出来はよくなかったらしい。
だからこそ、今回のような取り返しのつかない過ちを犯してしまうのだろう。本当に僕が言えた話ではないが。僕が本当のことを言うかどうかも、怪しいことこの上ないが。
殺人は取り返しのきかない罪だ。詐欺なんか比べ物にならない。
そして、ここでいう僕とは、この一人称視点で偉そうに物事を語る男、首桐白老のことで間違いはない。
くびきり、なんて物騒な苗字だなと思うだろうが、しかしこれは偽名である。それも、いくつか候補がある中でとびっきりセンスの悪い、最悪なものでかつ、偽物だとはっきりわかる名前をあえて僕は名乗っているのだ。
実際、もう本名になってしまいそうなほど、長く名乗っている。確か、来年だか再来年だかで、本名よりも使っている期間を上回る計算だ。
嘘も語り続ければ真実になる。そんな悟ったようなことを言うのも一興かもしれないが、というかそもそもこんな格言が嘘でしかないだろう。
さて、こうもうだうだとしていては、死んだという事実も嘘だと思われてしまいかねない。三途の川を見るなんて、人生のうちにあるとは思わなかったが――――まだ人生が続いているとは到底思えないが、けれども相当美しい所であるのは間違いないだろう。
こればっかりは嘘ではない。真実ではある。と思う。
それで結局、僕は地獄に堕とされるのは、まぁ間違いないとして、どの地獄に行くんだろうか?
地獄。確か、五段階にランク分けされているのだったか? 一番軽いものが賽の石積みで、一番重くて苛烈なのが、確か阿鼻地獄……のはずだ。阿鼻があるのなら叫喚地獄もあるのだろうか。
一体どこへ堕とされるのだろう。悪人も善人もはぐれ者も底辺も富裕層も子供も老人も官僚も学生も警察も国も企業も家族も漏らすことなく騙してきたから、それなり厳しい結果が待っていることに間違いはないのだろうが、なんというかな…………ここにきて少し恐怖してきた。
恐ろしくなってきた。死ぬことに対してさほど抵抗は覚えないが、死ぬ前のしっぺ返しをここにきて全て喰らわなければならないとならば、人としての性が疼いてしまう。
僕も、所詮は人ということだ。人道から外れてもきたし、自分も軽く騙してきたけれど、結局、僕は何者かではあったのだろう。
閻魔に嘘は通じるのだろうか。口八丁でどうにか天国へ向かえないものだろうか。舌を抜かれるのはできれば避けたい所だ。
あの世で食いっぱぐれたくはない。ならば、今のうちに作戦でも立てておこう。閻魔が相手なら、そう簡単には騙せないだろうから…………。
そんなあられもない戯言を考えているうちに、僕は瞼を貫通してくる光に気づいた。
あの世にも太陽はあるらしい。冥土の土産話になる、面白い事実だ。
――――そうして、僕は目を開ける。数時間ぶりに光を浴び、眩しさにやられてしまう。
ついさっき、ひとまわり下の子供にやられたばかりだが。もっとも、今回さしてきているのは、刃物ではなく日差しである。
辺りは、砂利と小石が広がる、一本の大河があるだけの、殺風景な土地だった――――というのは嘘だ。いや、嘘ではないかもしれない。そもそも、一度三途に行って、帰ってきた人間などそうもいない。それに、死後の世界など宗教観の行き着くところでしかないわけだから、ここが決して死後の世界ではないとは言い切れないはずだ。
言い直させてもらおう――――辺りは、色鮮やかな緑の葉がついた樹木が無作為に生え並んだ、まさしく森そのものだった。
少なくとも、閻魔はいない。そして人っこ一人いない。魂の形をした何かもなく、髑髏の顔をしている黒い布を纏った死神もいない。
地獄どころかあの世ですらないのかもしれない。そうだとしたら僕が死んだことが嘘になるのだけれど。
遂に、自意識と無関係に嘘をつくようになってしまったみたいだ。とうとう行き着くところまで来てしまったか。
死後の世界。本当にあるとは毛ほども思ってはいなかったが、しかし実在するとは。
だがまぁ、現世の噂で聞くような、悪鬼羅刹が蔓延る業火に塗れた地とは程遠いな。それよりかはのどかで牧歌的だ。
ちなみに体を起こすくらいの元気はあった。腹の傷は世を跨いで持ち越しはできないのだな。
その時、僕は思い出す。
馬乗りにされ、腹から心臓にかけての滅多刺し。あの暴力団の跡取りが去った後の、アスファルトにぶちまけられた僕の血液、内臓、死の香りを……。
死ぬ直前、最後まで残っているのは聴覚だというから、香りや視覚についての記憶は、僕の妄想かもしれないけれど。現に、僕はその跡取りが最後に何を言ったかは覚えていない。
腹をさすりながらも、僕は立ち上がる。不思議となんの違和感も覚えない。
「地獄の沙汰も、金次第……すっからかんだな」
服装は死ぬ直前と同じだ。だが、刺された部分には、穴が空いていた。大きく、ぽっかりと。ポケットには当たり前といえば当たり前だが、何も入っていない。先述の通りすっからかんである————という訳でもないのだ。僕は用心のため、大事なものは基本ポケットには入れない。入れたとしても、せいぜい小銭程度である。
服の裏やら、靴底の下、襟と裾の隙間。そう言った細々とした地味で姑息な箇所に、僕は重要な物をしまう。
そこを探れば何かがあるというわけだ。
そこで僕は手当たり次第に隠しポケットを開く。そうするとボロボロと落ちてくるのだ。手帳、ペン、ナイフ、携帯電話……。
ほとんどが仕事道具だ。金もいくらか出て来たところで、僕はまず携帯電話手に取った。なりふり構わず、僕は時報にかける。通じなかった。……死後の世界には回線は存在しないのか?
次に僕は、普段使いしているA6サイズのメモ帳を手に取り、ペラペラとページを捲り続けた。最新のページには、直近の詐欺についての情報が、事細かに記されている。
ふむ、情報は消えないのか。と言っても、消えなかったからといって、大した得もないが。せいぜい、以前騙した奴が死んでここにきた時、もう一度騙すことができるというぐらいだろう。
ただ立っているのも時間の浪費だ。そう思って、僕はどこを目指すこともなく、歩き始めた。森を無作為に歩き回るというのは現実的に考えてひどく危険な行為だが、それは自分に戻らなければならない場所がある場合だけだ。
とりあえず、僕は太陽の方角に向かって歩くことにした。
獣の気配が微かに残る山道。変わり映えのしない景色が辺りを覆い尽くす。
地獄、にしてはやはり穏当すぎる。しばらくほっつき歩いてみて、疲れも感じてきた。こうなると、ここはあの世ではないのではないかという予想も頭をよぎる。だがまぁ、ここがまだ現実だとしても、辻褄の合わない点もあることだが。
退屈してきた。その時だった。
「グゥルグぁアガが!!!」
犬…………? なのかどうか、はっきりわからない。より正鵠を捉えて言うなら、僕はこの生物を知らない。犬のように吠えてこそいるが、見てくれはおどろおどろしい異形の生物である。
少なくとも、僕の脳内図鑑にこいつはいない。類推してみても、犬とか、ケルベロスとか、その程度である。
ただはっきりわかるのは、こいつはとんでもなく凶暴だということだ。
敵対心がダダ漏れだ。
「グゥアッ!」
突如、隙を見たかのように襲いかかってきた。今まで培ってきた反射神経で、どうにか身を躱わす。手元に何も道具がない以上、追い払うこともできない。僕お得意の会話術も、当然役に立たない。身体能力は明らかに劣っている。地の利も向こうにあるだろう。
…………。
うーん、八方塞がりのようだ。
八方塞がり、ならば、後の二方は空いているわけだ。
「僕、そんなに腕の筋肉ないんだけどっ!」
そう言いながら、僕はすぐそこの木に向かって走り、幹を蹴って、そのままの勢いで一番太そうな枝に捕まった。犬は危険で確かに強いが、所詮は陸の生物。テリトリーを一段あげれば問題ないというわけだ。
このまま待っていれば、自ずと諦めて帰っていくはずだ。そういう算段だったのだが…………。
「ガウッ! ガウッ!」
この犬、僕が手の届かない場所へ行ったや否や、掴まっている木の根本からしゃぶりつくようにして、すごい音をたてて噛み砕き始めたのだ。
木が揺れる。振り落とされることはないが、しかしこのままでは木は倒れてしまうだろう。
まさか、それを狙っているのか? 確かにこいつは僕の知らない生物ではあるが、そこまで聡明な行動を取れるとは思ってもいなかった。
どんどん木の根元が細くなっていく。このままでいるのがまずいというのは、誰の目から見ても明白だ。
さて、どうする?
「グゥガァ! ……ガウッ?!」
次の瞬間、衝撃と共に僕の目は銀色の輝きを捉えた。
「…………?!」
何か物体が飛んできて、それが木に刺さったらしい。激しく揺れる木。果物の気分とはこんな具合だろう。
飛んできたのは、銀色に染まっていて、人間の身長ほどの大きさの、二つの刃物が重なって形作っている、どこからどう見ても鋏だった。
だが、普通の鋏とは少し違う。大きさはもちろんそうなのだが、この鋏は本来刃が付いている方とは逆にも、刃がついているのだ。剣と似た形で、刃の先端も、ひどく鋭利に尖っている。
これが鋏なのだとして、僕は刃と持ち手の比率の差から、裁ち鋏のような印象を覚える。
それで、これが人力によって飛んできたものだというのは、議論をする必要もないとして、ならばこれを飛ばした人間は誰だというのだろう。
「お兄さん。危なかったねー。あの魔物、結構凶暴だから、気をつけてね」
そう言いながら、茂みの向こうから女が現れた。髪を団子にして結ってはいるが、それでも長さが余って、下に伸ばしている。格好が変である。
…………日本語? あの女はどうみても外国人だ。地獄では違う言語でも自動的に翻訳してくれるのだろうか。
「困るな……。あれは僕が飼ってるペットなんですけど。もう少しで捕まえられそうだったのに」
僕はそんなくだらない嘘をついた。犬相手にはどうにも言葉が通じず、対処ができなかったので、その腹いせで、はたまたただの準備運動として言った。ちなみに例の犬は命の危機を感じたのか、さっさと逃げてしまった。こういうところも変に賢い。
「それ嘘でしょ」
! 看破された。しかも、この嘘について精査しているわけでもないようだ。確かにこの嘘は考えればすぐにわかるタイプの嘘ではあるが、そうは言ってもこのスピードはおかしい。違和感を覚えざるを得ない。
「あぁ! いや、ごめんなさい。僕、少し人見知りで。知らない人に会っちゃうと変な嘘をついてしまうんです。治さなきゃとは思っているんですけど、どうにも難しくて……」
「……それも嘘。ぜーんぶ嘘。しかも、あなた人に敬語なんて使うタイプじゃないでしょ。全部含めて嘘じゃない。はぁ……なんて悪い人。助けるんじゃなかった」
まただ。ここまでくればもう、心理透視のレベルなのではないだろうか。僕は嘘が最も得意だと言うのに、それがすべて無駄になってしまっている。
自分のアイデンティティが否定されているようである。
もっとも、肯定されるようなものでもないのだが。
「……ねえ、どうしてわかるんだ? 君はどうして僕が嘘をついているとわかる? 勘で言っているわけでもなく、僕の発言を考え精査して、粗を見つけ出しているわけでもない。最初の嘘はたしかにお粗末なものだったけれど、二つ目の嘘はどうしたって嘘と言い切れるものではないだろう? 実際、そういう人間は存在するし。それにどうだ? 君は僕に何と言った? 敬語を使うのが嘘? うん、真実さ。それは真実だけれど、赤の他人がたどり着ける真実ではないだろう? 君は一体何者なんだ?」
目つきを変えて、性格のチャンネルを切り替えて、僕はその女に問い詰めた。
すると女は目を逸らして、
「何者でもないわよ。ただの旅人。嘘に敏感なだけ」
そんなカッコつけた風なことを言った。
だが、これはきっと嘘だろう。
ただの誤魔化し。僕に言いたくないことのようだ。
嘘を看破する能力には、並々ならない実力を持つ女だが、嘘をつく能力は毛ほどもないようだ。
「……ひとつ質問。ここ、どこ?」
「知らない」
短い返答。どうやら相当に嫌われてしまったらしい。最悪な第一印象を植え付けてしまったみたいだ。
「じゃあ一緒に街かなんか探さない? 日が暮れる前に人里に行かなきゃいけないし。あぁ、これは本心だよ。嘘じゃない」
僕としては珍しく、正直な思いを話した。
「普通に嫌よ」
考慮する時間を全く要さず、彼女はそう僕の誘いを断った。
恐ろしく失礼な人間だ。思い返せば、初対面の人間を悪い人だの嘘つきだの言ってくるやつだ。礼儀というのを根本から知らないのかもしれない。
「それじゃ、あたしはいくから。嘘つきさん」
そう言って、女は去っていった。
あの女の嘘を看破する技術は本物だろう。僕にとって厄介な存在であることに間違いはない。
おかしな出会い方をしたのだ。変な縁が結ばれてなければ良いが。
気を取り直して、僕はまた太陽の方向へと歩き出した。ここだけ取ってみれば、なんだか青春を謳歌しているみたいで心も弾むが、しかしよくよく考えてみれば、僕は青春なんて経験したことない上に、学校にすら行った事がないので、厳密に言えばこれは嘘になってしまう。
それに、弾むべき心は、一度細切れになっている。
学校とは一体どういうところなのだろう。かつて小学校を丸々一棟騙した事があったが、あの時、関わった教員の人間や、生徒は、どんな人間だっただろうか。
確か、生徒に対しては『よくこんな地獄の沙汰を我慢できるな』と感慨し、教員に対しては『よくそんな不利益ばかりの職に就こうと思ったな』と呆れたのだった。
しかしまぁ結局、こうして道を踏み外し、生き恥に塗れた奴ができたのだから、学校とは大切な場所なのだろう。
と、らしくないことを思うのだった。格好つけているみたいで、若干恥ずかしい。
そういえば、この辺りはずっと一面木が生い茂っている。山か何かかと推測したが、降りている感じも登っている感じもしないのだから、樹海の類なのだろうか。
……おや、これは花だろうか。木以外にも生えている植物があった。それは花なのだが、しかしこれは僕の知る花ではない。花を全種類網羅しているわけではないのだが、この花は僕の知る限りすべての花の特徴を持っていない。全く知らない花だった。
花という植物から、もっとも離れた花。とでも言おうか。
辺りを見渡せば、種類は違えど、そんな花ばかりだった。異質で特異で未知の花。たとえチューリップしか花を見た事がないやつが、この異常な花を見たとしても、僕と同じ反応になるだろう。
知らない犬。知らない花。
死んだ僕…………。
なるほど、どうやら尋常ではないみたいだ。
ガサっ――――
物音。なんだ? いや誰だ? まさか、あの犬が戻ってきたのか? 時期を見計らって? だとすれば、もう賢いなんて単純な言葉で推し量れる狡猾さではないぞ。もはや人間の領域だろう。
と、思ったのだが。
「…………やぁ、また――――会ったな」
「私のこと追いかけてきてる?」
そこにいたのは、あの鋏の女だった。
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