第五話 さいあく
「なにその子、友達? それとも恋人だったり……ははっ、なーんちゃって」
赤らんだ顔と、ふざけた口調。お母さんは今夜も、きっと酔っている。腹を抱えて大げさに笑うものだから、香水の臭いが散らばって、気分が悪い。
「何をしに来た?」
なんという不幸だろう。月に一回の最悪な夜が、今日訪れるなんて。
「えーっ、そりゃあ、私のかわいい娘ちゃんに会うためよぉ」
知花は、いつの間にか私から離れ、ギョッとした目でお母さんを見つめている。それもそのはずだ。私のお母さんは、その軽薄さからも、その容姿からも、とても四十二歳の母親だとは思えない。お父さんに浮気され、暗い方から目を逸らすように、夜の街に繰り出すようになった、私のお母さん。その心の核は、もう取り返しがつかないほどに、変わってしまったんだ。
「冗談でも、そういうこと言わないで。虫唾が走る」
「ははっ、言うようになったわねぇ。まあまあ、邪魔はしないから、どうぞ楽しんでて」
姿が見えなくなった瞬間、乱暴に扉を閉め、鍵をかけた。恐る恐る振り向いて、知花の顔を見る。……やはり彼女は、私の予想通りの顔をしていた。
「まあ、かえってラッキーだったよ。夜明けを待たずとも、これから私たちがどうするべきか、もうわかったから」
かわいいなあと思っていただけの、知花の真面目さが、今になって急に頼もしく思えてくる。この人に従えば絶対に大丈夫だ、って。相手は一歳年下なのに、情けない私。
「やっぱり、話し合うしかないよ。その結果、お互いが傷つくことになっても、膿は出さないと、悪化するだけだから」
私の返事も待たずに、知花は再び扉を開けた。そして、優しく私の手を取り、お母さんの下手な鼻歌が鳴り響く廊下へと、踏み出した。導かれるまま、私も数歩だけ進んだ。
「蕾花、どうして立ち止まってるの?」
私の一歩先で、ダイニングから漏れる光をバックに、知花は立っている。やけに頼りがいのあるその姿に、つい甘えたくなった。私が弱虫なのは、もうどうしようもない事実だから、開き直って最後に一つ、確認させてもらおう。
「怖いの。もし、今夜の話し合いでお母さんと大喧嘩して、この家にいられなくなったら、どうしようって」
モジモジする私を見て、知花は、少し面倒くさそうに笑った。「そこはもっと優しく笑いかけてくれよ」とも思ったけど、嬉しくもあった。会わない間に、ずいぶんと神格化してしまったけど、こういうところも含めて、私の恋人、里見知花なんだ。
「大丈夫だよ。もしそうなったら、高校の裏にある空き家で、一緒に暮らそう」
予想の斜め上を行く解決策だったけど、その裏にある気持ちは、私の予想通りだった。臆病な私も、これで胸を張って言える。
――この先どんなことが起こっても、知花は私の隣にいてくれるんだ――
「ふふっ、そっか」
覚悟を決めた私は、大股で一歩を踏み出し、知花を追い越した。知花に会えるかもしれないという高揚で、さっきはポエムみたいなことを、心の中で言ってしまったけど、あれもあながち間違いではないと思う。
私を幸せにしてくれるのは、もう君の体温だけ。君がいないだけで、私の心は、絶対零度になってしまうんだ。
「……さっきの質問、ちゃんと答えてなかったね」
ということは私、知花さえいれば、最強じゃん。
「この女の子は知花、私の恋人だよ」
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