第3話 お姫様のお礼と名前はまだない

 翌日、宣言通り学校で話す事もなく、他人として教室内で変わらず一人の時間を満喫していた。廊下で時々すれ違う事はあっても話す事もなく、茉白がちらりとこちらを見るだけで終わる。

 急に自分から話しかけたりしたら学校内ですぐにその噂は広まるし、男子や女子達から囲まれ質問攻めに合うのは分かっているのを賢い彼女も自覚している。

 その為、迂闊に話しかける訳にはいかないのだ。

 それでも茉白は納得はしていない様子だったので、もしかしたら本人の中でわだかまりがあるのかもしれない。時折話しかけようと手を伸ばしぐっと堪え引っ込める仕草を見せていた。

 優陽自身、自分から言った事なので話しかける事はない。他人としての位置を保ったまま過ごしている。


「なあ優陽」

「なんだ」

「昨日、なんかか?」


 優陽はぴくりと眉が動いた。何かあった、と言われればあった。というよりは、と言う方が正しいかも知れない。出来るだけ普通に応えた。


「なんだ唐突に。顔に何か付いてるか?」

「いーや? なんか今日の優陽は少し生き生きしてるというか、なんつーか、久々にいい事があったみたいな感じがする」


 びくりと内心焦る。涼は勘が鋭い。顔には出してないつもりだったし極力いつも通りに過ごしているつもりなのだが、こういう勘の鋭さはたまにゾッとする程ピンポイントに当ててくるので冷や汗が出る。まるでエスパーみたいに心でも見透かしているのではないかとさえ思えてしまう。

 なるべく自然体を装い、平常心を保つ。


「別になんもねーよ。明日そういえば土曜日で休みだなーって思っただけだ」

「ほーん、そっかー。まあそりゃ土曜日前は嬉しいわな」

「そういうことだ。だから何もない」


 涼は、気のせいだったか、とため息を漏らしどこか腑に落ちない顔をしている。

 昨日実はお姫様からのご相伴にあずかったなんて口が滑っても言えない。幸いな事に金曜日ということもあって、誤魔化す材料にはちょうどよかった。


「んー、なんかそんな気がしたんだけどな」

 

 涼はパックジュースを飲みながらどこか納得した顔をした。

 上手く誤魔化せたかは分からないがこれ以上追求もして来なかったので優陽は安堵し、今日の夜からまた素朴な食生活に戻る事にどこか喪失感を感じた。


(うまかったな。すごく好きな味だった)

 

 今度、自分でも作ってみるかと心に決め、もう食べる事のないお姫様の料理の味を懐かしんだ。



 こうして、懐かしんだ味をもう一度食べれる事になるのは学校が終わり数時間後のことである。

 

 その日の夜、リビングでいつものように携帯をいじりながらくつろいでいると、部屋の中にチャイムの音が響き、訝しげな表情になってしまった。時刻は十九時。こんな時間に来る人は滅多に居ない。居るとすれば隣人が回覧板を持ってくるか、友人である涼が泊まりにくる時くらいである。只、今日は回覧板もお隣へ回しているし、涼が来る予定もない。その為、どこぞの宗教の勧誘なのではと思っていたのだが、インターホンを除くと自分の予想を大きく外れる人物が立っていた。そこに居る人物に「は?」となぜ居るのかという、面食らった声が出てしまった。

 

 急いで玄関まで駆け込みドアを開き、疑問の言葉を投げる。


「……なにしに来たんだ?」

「なにって、夕飯を作りに決まっているでしょう」

 

 真顔で手に持っていた食材の入ったエコバッグを見せてくる茉白。


「は? ……いや別に頼んでないし食べる物もあるんだが……」

「でも、どうせインスタントやら非常食なのでは?」

 

 うっ、と図星を突かれ目を背けると、茉白は、やっぱりですか、というため息をついた。


「私が来なければそういうものばかり食べるでしょうし。昨日調味料とか確認した時、あまり使った形跡がないのと、棚の中にはインスタント食品しか入っていなかったのでこうして作りにきたのですよ」

 

 優陽は掃除だったりはできるが、食に関しては無頓着で淡白な為、胃袋に入ればなんでもいいという理由でコンビニ弁当やらインスタント食品を好んで食べているのだが、それでは栄養が偏るという事で作りに来てくれたのだろう。慈悲深いお姫様だ。


「……反論の余地もございません。でもそれなら別にタッパーに入れて持ってきてくれてもよかったんじゃ……?」

「それも考えましたが、あなたは食……というより栄養にあまり気を使っていなさそうなので。なので家まで来て作った栄養バランスのある食事を摂れば、あなたがインスタントを食べる必要がなくなるかと」

「俺はそんなに不健康に見えるのか……?」

「はい。とても。このまま放置したら死ぬんじゃないかと思うほどに不健康そうに見えます」

 

 刺々しい厳しいお言葉を頂戴し、優陽は、そんなにか、と肩を竦め苦笑いするしかなかった。全くもって、正論を言われるのは痛い。

 あまり玄関で長居するのもあれなので「よろしくとねがいします」と頭を下げ、ありがたくご相伴にいただく事にした。


「今日の献立は独断で決めましたがいいですか? 好き嫌いはよくないですが何か嫌いなものとかアレルギーあれば教えてください」

「アレルギーはないが、まあ嫌いな食べ物なら、いくらか」

「そうですか。なら後で教えてください。作ってる間、来栖さんはくつろいでくれていいですよ」

「へいへい」

 

 それだけ言うと茉白は調理を開始した。

 茉白の料理の腕は昨日食べて美味しい事は分かっているので心配はしていない。むしろまた食べれる事に嬉しさもある。


(なんともまあ)

 

 ソファーに体を沈めながら、横目に茉白を見る。

 何故来たのか、という理由はさっき聞いたし、反論のしようもないほど正論を言われたのでいいのだが、問題は他にある。

 

 こうも連日して一人暮らしの男部屋に何も疑わず上がり込み料理を作るのはどうなのか。普段の姿を見れば警戒心はあるだろう。男性と付き合っているという噂は聞かないし、この目で断っているのを何回か見ている。信頼されているのか、それとも異性として認識していないのか、何にせよ、非常によろしくないことには変わりはない。どうしたものかと頭を悩ませてあれこれ考えて、考えて……分からなかったのでやめた。美少女、しかも私服姿のお姫様の料理をまた食べれるのは感慨深いものがあるが、振る舞ってもらっている身で、あれこれ言うのは失礼だろう。こうして本日もまたお慈悲にありつけるのだから。


 三十分程経った頃だろうか。鼻腔をくすぐる匂いにお腹が食べ物を欲している所へ茉白から声がかかった。


「できましたよ。今日はミートスパゲッティです」

「これまた、うまそうな」

 

 テーブルの上のミートスパゲッティが湯気を上げ、ソースのいい香りが通ってきた。


 椅子に座り、茉白は向かい側に座った。


「いただきます」

「どうぞ」


 ミートスパゲッティをフォークに絡め取り、一口口の中へ流し込んだ。


「んまっ」

「お口に合い何よりです」


 味の是非は、口に入れればすぐに出た。

 昨日も茉白の料理を食べたので分かるが、やはり栄養を考えて味は濃すぎないように考えられている。

 牛ひき肉のミートソースはメインとして主張を残し薄すぎずしつこくない味付けに仕上がっており、麺の方も柔らかすぎず硬すぎない茹で時間で調整されており水気はしっかり切られ、噛み切りやすくメインを邪魔せず麺自体も活かされ、口の中でしっかり後味も残るように作られた茉白の料理の腕の良さが伺える一品だ。備え付けのサラダも手作りらしきイタリアンドレッシングが程よい酸味の後味でこれもまた美味くパスタの旨味とサラダの酸味に舌鼓を打ち「うまい」とまた口にすれば、茉白はやんわり瞳を細めて笑った。


「ごちそうさまでした」

「あっという間に食べましたね」

「ん、ああ、うますぎて食べる手が止まらなかったからな」

 

 それはよかった、という微笑みを浮かべ食器を洗いにキッチンへ向かう茉白に「やるよ」と声をかけるとやはり「大丈夫です」と断られてしまった。これでは折り合いがつかない。ご相伴にあずかっているのに洗い物くらいはしなければ筋が通らない。男としてそこは通さなければならない事だ。料理はできないが、部屋の片付けとかはできるので食器洗いくらい任せてくれてもいいのだが、情けなく感じてしまうのがいたたまれない。

 

 しばらくして洗い物を終えた茉白をマンションまで送り届けた。


「うまかった。さんきゅ。あとこれ。さっき言ってたやつ」

 

 茉白に優陽があまり好まない食べ物をリストアップした紙を渡した。


「お粗末さまでした。ありがとうございます」

「んじゃ、これで。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 ぺこ、と頭を下げた茉白に手を振り別れた。

 茉白と別れ自宅まで戻ると、簡単なシャワーで済まし、ソファーに体を預け、改めて茉白に言われた事を振り返った。


(少しは食生活、見直した方がいいのかね……)

 

 翌日から茉白との奇妙な生活が始まるのを知らぬまま、優陽は眠りに身を委ねるよう、そっと微睡の中に目を閉じた。




 翌朝。眠りを妨げるような、部屋に響く音で目が覚めた。朦朧とする意識の中、音の正体を探る。……スマホではない。もう少し遠くから聞こえる音の正体——チャイムである。

 まだ重たい瞼を擦りながらスマホの時刻を確認する。午前十時。今日は土曜日だ。まだ寝てもいい時間帯でもあるが、寝ても中途半端になりそうなので身体を起こす。昨日そのままソファーで寝てしまったせいか、若干身体が痛いが起きるには丁度いい目覚ましになる。


(はいはい)

 

 再び鳴る呼鈴に急かされるよう、玄関へと向かった。

 この時間帯に来るのは誰だろうか。涼は来るとは言ってない。まあ突如押しかけてくるなんて事もあるので可能性は捨てきれない。宅配なんかも頼んだ覚えがないし、親は来る時は連絡をしてくるタイプだ。だとしたら誰なのか。

 玄関まであと少しの距離でまだ寝起きのせいか躓いてしまい派手に転んでドカッという鈍い音と共に地面に倒れてしまった。こけた痛みで意識がはっきり覚め立ち上がって玄関のドアを開けると、これまた予想外の人物が居た。


「おはようございます。大丈夫ですか? 今すごい音しましたけど」

 

 ぺこ、と頭を下げた茉白が佇んでいた。

「うん大丈夫だけどな何故居るんだ?」

 怪訝そうな顔をして目の前の状況を理解できていない優陽に茉白は端的に応えた。

「お昼ご飯を作りに」

「うん持ってるもの見れば分かるけどな」

「それと部屋の掃除に」

「いや、じゃなくてだな」

 

 鈴を転がす声で淡々と来た理由を述べる茉白。


「寝てたのですか?」

「寝てたけどなそうじゃなくてだな」

「なんですか?」

「頼んでないんだが」

「お礼です」

「うん? お礼?」

「はい。昨日送ってくれたお礼です」

 

 心当たりがなく、ひたすらに困惑する優陽にお礼で来たという茉白。

 

 優陽としては別に送る事は当たり前でしている事でお礼をされる程の事ではないので、余計に困惑した。


「いや、別にあれはそんなつもりでしてる訳じゃないんだが。部屋の掃除は別にできるし、お昼は簡単な物でもいいんだが」

「でも、どうせインスタントなのでしょう?」

 言い当てられ苦笑いするしかない。

「いやまあ、それはそうなんだが」

「なら、私が作れば問題ないでしょうし、一人分作るより二人分の方が楽でいいので。なにか問題ありますか?」

「いや、ないが……作ってくれるのはありがたいし、うまいから嬉しいんだが。問題はそこじゃなくてだな」

「? なんですか?」

 

 可愛らしく首を傾げる姿はなんともまあ守りたくなる仕草である。


「いや、毎日来られると逆に申し訳ないし、普通なら好意を抱かれてると思われるぞ」

「思いますか?」

「いや思わんが。警戒とかしないのか?」

「知ってます。来栖さんからは少なくともそういった類の視線は感じないので。してほしいですか? 警戒」

 

 真顔で言い切られてしまった。信用は得られているようで警戒なんて今更してほしくはない。もちろん、警戒されるような事はしないが。是非は一つである。


「いや。うまい飯が食えるならしてほしくはないな」

「素直なのはいい事です」

 

 くすりと笑うお姫様の信用を棒に振るのは勿体無いし、美味い飯を食えるなら別に断る理由もないので有難くご厚意に甘えることにした。


「前来た時から思ってましたが、物が少ないシンプルな部屋なのであまり散乱はしてないみたいですね。部屋が綺麗なのはいい事です。多少汚れていますが」

 

 物が少ない分、掃除はできる優陽は普段からあまり物を散らかしはしないタイプだ。只、今日は茉白の訪問によってまだできていない。


「片付けくらいはできるようにって、親に言われてたからな。まあ寝起きだし掃除はできてない」

「そうですか。守れてえらいです。何か隠すものがあるなら、隠してください。下着とか。男子の間では隠さなければいけないものがある、と以前雑誌で見ましたので」


 一体どんな雑誌なんだと内心ツッコミを入れながらも、別にそんな大層な物は持っていない。強いて言うなら下着くらいしかないので言われた通りにする。


「わかった。でもいいのか? 本当に全部任せて。俺も掃除はできる方だと思うんだが」

「私がやりたくてやっているので大丈夫です」

「ん。そうか」

「じゃあ、始めますね」


 そう言って髪をポニーテールに括ると作業を開始した。掃除をする事を決めていた彼女の服装は白のTシャツにデニムパンツというカジュアルな服装で、華奢で突起の豊かな身体つきが強調され、ただでさえお姫様と称される美少女なのに、ボーイッシュな服装にポニーテールという姿は美貌も相まって破壊力がすごかった。普段、制服姿しか見ていなかったので少し惚けてしまったことに気づきはっとして、茉白が掃除機をかけている間に隠すものを隠した。


(そりゃあ可愛いけど、あの可愛さは心臓に悪いな)

 

 一人脱衣所で作業しながらそんな事口にも出せるはずもないので胸の内に秘めておいた。

 

 寝室以外の部屋や廊下を頼んだ為、物が少ないのと比較的こまめに部屋を掃除していたのがよかったのか茉白一人でも全ての掃除は二時間程で済んだ。


「なんか、差を感じるな。これが女子力ってやつか」

「大差ないと思いますよ。元々綺麗でしたし」

「いや、明らかに違う。空気が違う」

 

 自分ではここまでにはならないほど綺麗になった部屋を見渡して未熟さを実感しため息が出た。

 それを見てくすくすと茉白が笑っていた。


「腹減ったな…‥」

 

 優陽は朝から何も食べていない事もあり、掃除は自分の部屋や下着を片付けたくらいでも、一仕事終えた程度には空いていた。


「そうですね。お昼はオムライスです」

「オムライス、ですか」

「はい。オムライスです」

 

 優陽はあまり卵は得意ではない。

「大丈夫です。しっかり食べれるようにしますので」

「はい。おねがいします」

 

 作ってもらえるので嫌いな物であっても文句は言えない。

 くすりと笑うと早速調理に取り掛かった。優陽はその間ソファーで少しだけそわそわしていた。理由は卵ではない。言えないが。

 お昼はオムライスということもあり、あまり時間はかからなかった。


「おお……ふわふわしている」

「来栖さんの家は最低限の道具しかないので、あまり凝った物や手の込んだ物は作れないのでお昼は簡単なものにしました」

 

 料理に乏しい優陽の家にはあまり調理器具はない。フライパンやら鍋やら包丁やら最低限料理できるものしか置いていない。あまり使った事はないが。


「面目ない」

「いえ、料理ができない訳ではないので。必要なら自宅から持って来ればいいだけですし。それより冷めない内にどうぞ」


 向かい側に座る茉白に言われ「いただきます」とふっくら膨らんだ卵をスプーンで裂くと中からふわとろの黄身が溢れてきた。スプーンで掬い一口舌鼓を打つ。ケチャップご飯の酸味と卵の甘味が口の中で飽和し旨味が口いっぱいに広がった。とろけるような卵は舌触りが良く喉をすんなり通った。もう一口頬張り舌鼓を打つ。

 やはり味付けは自分好みだった。

 ケチャップご飯も野菜はよく炒められており、食感もしっかりしていてケチャップの酸味がご飯と野菜によく染みて濃すぎず薄すぎない味付けに仕上がっている。


「うまい」


 素直な感想が口を出る。優陽は今まで卵料理は殆ど口にしなかったが、これはいくらでもいけそうな気がした。


「よかったです。いけますか?」

「ああ。これならいつも食いたいと思う」

 

 それを聞いて安堵の笑みを浮かべ、自分も一口頬張り、また「うまい」と口にしてくれる優陽を見てくすくす笑った。


 その後、一仕事終えた茉白は一旦家に戻りまた夜作りに来るとだけ言い残し、自宅へと帰って行った。

 夕陽はリビングでくつろいでいると、静まり返った部屋の中で一人物思いに耽っていた。


(反則だな……あれは)

 

 掃除をしている時に見せた服装とポニーテール。世の男達がうなじに惹かれる理由がわかった気がした。

 うなじ美人、と言うんだったか。小柄ながらしっかりとした身体つきにあのうなじは最早思い出すのすら躊躇ってしまいそうだ。

 茉白が来るまで大体六時間くらい。優陽は気を紛らわす為にテレビゲームで遊ぶ事にし、夜が来るまで一人黙々とゲームに没頭していった。


 黙々とゲームに没頭していれば六時間などあっという間にやってくるものである。

 部屋に響くチャイムの音で時刻が夕食時だと気づきゲームを止め、玄関まで茉白を出迎え、中へと迎え入れた。


「今日の夜は肉じゃがです」

「ん、すげー好物だ」

 

 なら頑張って作りますね、という笑みを浮かべ早速取り掛かった。自宅から持参してきたであろうエプロンを身に付け、髪を昼と同じくポニーテールに纏めた姿は昼間とは別の意味で危ない気がした。

 料理に関して全く役に立たない優陽は大人しくソファーで待つことにするのだが、少しばかり普段とは違う休日に戸惑いつつも、いい匂いが漂ってくるリビングで今か今かと出来上がりを待ち焦がれた。


「お待たせしました」


 茉白からの一言で、待ってました、と言わんばかりに立ち上がり席に付く。食卓に並べられた品々から漂う匂いだけで食べなくても分かる。


「もうすでにうまそうだな」

「まだ食べてすらいないですよ」

「いや、匂いだけでもううまい」

 

 おかしい人ですね、という微笑みを浮うかべほんのり目を細めた。

 最低限の器具しか持ってはいないが、そこは茉白の力量が分かる配膳にされていた。彩られた和食料理は見事なものだった。

 匂いに促されるようにいただきますと手を合わせ料理に箸を伸ばす。

 味噌汁の椀に口を付け流れ込んでくるあっさりした味わいは白味噌だろう。飲みやすくまろやかな味付けにされている。

 じゃがいもはすんなり箸が通る柔らかさで中から湯気が漂っている。一口入れればほのかなじゃがいもの本来の甘味に砂糖や醤油で味付けされたダシが染み込んでいて甘口過ぎず中に旨味を閉じ込めている。

 牛肉は簡単にほぐれるが型崩れせず、噛みごたえもしっかりしていてこれまたダシが染み込み肉の味を邪魔しない柔らかい味になっている。にんじんや糸蒟蒻も本来の味の中に出汁の甘味がプラスされていて上質な一般に仕上がっていた。


 白米の入った椀に手を伸ばし口に入れれば、白米の甘味を生かすために、恐らく天然水で作った氷を使ったのだろう。氷が溶けてもベタつかないように水量を調節し、硬すぎず水分を含み過ぎてベタつかない柔らかさを残し、肉じゃがを食べればご飯を欲する組み合わせにされている。最後の冷奴は木綿ではなく絹豆腐を使用した豆腐にすりおろした生姜の辛さが口に広がり、お口直しにはピッタリの品だった。

 

 一通り箸を伸ばし最後に麦茶をいただく。


「めちゃくちゃうまい」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

 

 箸を進める優陽を見て、茉白は安堵で瞳をやんわり細めた。

 もう一度味噌汁に舌鼓を打つ。


「ん。めっちゃ好きだこの味」

 

 そう言うと、茉白は一度目を丸くして、それから微笑んだ。茉白も料理に箸を伸ばし始めたので優陽もそれを見て箸を進め途中でご飯を一杯おかわりした。


「……ごちそうさまでした」

「お粗末さまです。本当、来栖さんは作り甲斐のある食べっぷりをしてますね」

「そりゃ、これだけうまかったらな」

「ふふっ。そうですか」


 米粒一つ残さず食べるのは作る側としても嬉しい限りのことだ。実際美味しいから米粒一つでも勿体無くて食べれてしまう。


「ん。じゃあ送ってくよ」

「はい」

 

 ご相伴にあずかっている以上、送っていくのがせめてもの礼儀だ。またお礼と言われそうだが、自分にできるのはこれくらいしかないので優陽は今夜もマンションまで茉白を送り届け、自宅に戻りシャワーを済ませば、微睡に誘われるよう眠りに就いた。


 

 そして日曜日も茉白はやってきた。

「おはようございます」

 

 ぺこり、と挨拶する茉白が佇んでいる。

 

 優陽はチャイムの音で眠りから呼び出され玄関まで出向いた。もしやと思いながらドアを開ければ、やはり茉白がそこに居た。


「おはよう……一応来た理由を聞いていいか?」

 

 怪訝な顔をする優陽に茉白はやはり「お礼です」といつもの鈴を転がすような声で言うと、やっぱりか、と肩を竦めた。

 茉白は昨日とは違う服装であるが、またシンプルで動きやすいスウェットパンツとパーカーとポニーテールというその姿もまた可愛らしかった。特に断る理由もないので中へ通すと、本日もまたお世話になるいたたまれなさを感じながらその後ろ姿を見ていた。


(気にしなくていいんだけどなマジで)

 

 掃除をしている茉白の横顔はどこか楽しそうに見える。理由は分からないが、本人がやりたくてやっている事なら止めるつもりはないので、優陽は何も言わない。少しだけ料理をできるようになろうとだけ心に決め、自分も掃除を開始した。


「うまかった。ごちそうさま」

 

 掃除を一通り終え、昼食を食べ終え満腹感に浸る。


「それはどうも」

 

 お昼は唐揚げだった。これもまた絶品で塩胡椒で味付けされた唐揚げにレモンをかけるとこれまた一段階味の旨味が増した一品になっていて気がつけば完食していた。


「久しぶりだな。こんなしっかりした食事を摂る休日は。いつも簡単なもので済ましてたから」

「普段からちゃんと食べてください」

「耳が痛いな。一人暮らしの男子高校生には難しい話だ」

 

 それができるなら苦労はしない、と肩を竦めて苦笑いした。


「掃除はできるのに?」

「うるさい。悪かったな」


 おかしくて笑った茉白に一つ聞いてみた。


「なあ……いいのか? 貴重な土日をこんな俺に費やして」

「はい。予定も特にないので」

「普通、彼氏とかと過ごすと思うんだが」


 茉白が眉を寄せ不機嫌な顔をした。


「私に彼氏がいると思いますか?」

「いや、あれだけ言い寄られていたら居るもんだと思うだろ」

「生憎と、男性経験もないし、告白されてもお断りしているのでないです」

 

 ぷい、とそっぽを向いてしまった。

「ごめんて。もし無理やり迫ってきたらどうするんだ?」

「痛い目を見てもらいます……物理的に」


 普段からは考えられない程冷めた声で恐ろしい事を言う茉白に少しゾクっとし肝が冷えた。


「こっわ。信用を得られていてなによりだよ」

「よかったですね。痛い目を見ずに済みそうで」

「自分の性格に初めて感謝したわ」

「ずっと感謝していてください。その方がいいと思います」

 

 どこか誇らしげな茉白を見て優陽はこういう休日もたまには悪くないと思い口許が緩んだ。


「さて、洗い物済ませて一旦戻りますね」

 

 席を立ち上がろうとした茉白に「いや」と声をかけて制止する。


「本当にそれくらいはやるぞ。飯作ってくれたのに、洗い物まで任せるのは割に合わないから」

「私がやりたいからやるのでいいですよ。美味しそうに食べてくれるだけで十分です」

「うまいからそりゃ食うが」

「それだと」と次の言葉を言いかけると「来栖さん」と茉白に言葉を遮られた。

「美味しい、その一言だけで価値のあるものですよ? だから大丈夫です」


 瞳をやんわり細め微笑む茉白の一言に何も言えず、大人しく「じゃあ……よろしく、おねがいします」と優陽はやるせない気持ちになった。


「今夜はカレーにしますね」

「最高だなそれは。福神漬けが欲しくなる」

「ふふっ。ちゃんと用意しますよ。それじゃあまた来ますね」

「おう。またあとでな」

 茉白を玄関で見送り、頭を掻きながらその言葉を噛み締める優陽。

(また来ますね……か)

 土日をこんな風に過ごすなんて想像もしていなかった為、その言葉の先が続いていく事をこの時はまだ知らない。


 お礼と言われ料理をご馳走になり、茉白を送り届けるだけの、友達でも隣人でもない不思議な日常がこうして始まった。この関係に名前はまだない。




 今はまだ。






 ——— —————— ——— —————— ——

          あとがき。

 はじめまして。夏野涼月と申します。書いてみたいという思いで始めた初めての作品なので上手くはありません。

 まだまだ至らぬ点は多いですが、お付き合い頂けると幸いです。

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