第2話 ナンパとお姫様の手料理

 授業中、黒板を奔るチョークの音と、静寂に包まれた教室、昨日の出来事から一夜明け、ちらりと目線を走らせる。

 帰路の中横目で見た顔で、不安ではあったが、あの後無事に帰れたようで、今、茉白は授業内容を逃さまいと、ノートにペンを奔らせている。

 その姿を確認すると、目線を戻し、そのまま授業を終えた。


 休み時間の喧騒。誰と絡むでもなく、一人窓の外を眺め、今日も空は青く平和な雲が流れているのを数えながら、ぼう、としている所に、視界を遮るように人影が現れた。


「よっ。優陽。本日もお変わりがなさそうで」

「変わりがあって欲しかったか?」


 陽気な声で視界を遮る人物は、級友というより戦友(本人曰く)という、戦場に赴いた記憶もないのに勝手に決めた張本人の佐倉涼さくらりょう。中学三年の転校した時期に、一番最初に話しかけてきた人物で、唯一仲良くなった存在だ。


「ん、いーや? 俺の可愛い可愛い優陽がいなくなったみたいで嫌だ。もし突然変わったらお母さん泣いちゃうからぁ!」

「母にした記憶もないし、お前の子供だったことに驚きなんだが? っていうか、気持ち悪いからそのくねくねした動きは止めろ」


 頬を抑えて腕を絡めながらドMなのではと疑うような動きで冗談を吐き、頬を赤らめて勝手に照れている姿は何度も見てきたが、全くもって今でも意味がわからない。設定なのか、本気なのか、知りたくもない気持ちはある。本気と言われたら正直吐きそうである。こいつとは出会ってからなんだかんだ、そこそこな付き合いで、見慣れた光景にしかめっ面になる優陽。裏表が無い奴で優陽が信用している数少ない友人だ。


「くぅー、今日も優陽の素っ気ない態度が沁みるなぁ。これがないと一日が始まらん」

 

 片手で握り拳を作りながら感慨深いと言わんばかりの表情を浮かべ、もう片方の手で親指を立てている。

 正直、一度殴って頭の中の変な虫を出してやった方が良いのでは?


「始まらんでいい。そんな一日。それで? なんか嬉しそうだが、何か良い事でもあったか?」

「おっ、そうだった。聞いてくれ優陽! 昨日実は——」

「惚気話なら聞かんぞ」

 

 雰囲気で惚気話だと察した優陽は長くなりそうなので早めに話を遮る。涼は嬉しそうに彼女である橘沙希たちばなさきの話をする事が多いが、大抵休み時間内で終わらないことが多い。


「ひっど! まだ何も言ってないけど!? 泣いていい!?」

 

 オーバーリアクションを決め、机の上に突っ伏せた。


「そこそこ長い時間を一緒に過ごせば分かる。また今度ゆっくり聞いてやるから。今は席に戻れ」

 

 こんな自分に親しく裏表もなく、仲良く接してくれる人物は今となっては涼と沙希なだけで、優陽自身二人の話を聞くのは嫌いでもなく、いい時間で好きではあるが、今は時間がない。

 

 涼に指で掛けられた時計を見ろと合図を送ると、おおっ、と予鈴がなる事を知ると、「約束な」と肩を叩いて席に戻った。

 一瞬ではあるが、僅かに誰にも気付かれないよう茉白が横目にこちらを見ていた気がした。


 昼休みになり、茉白の視線の事は気になったが、当の本人に聞く訳にもいかない。聞きにいけば、本人は応えてくれるとは思うが、周りが今まで話してない奴が、急に何のようだと不審者を見る目を向けてきそうなので止めておく。涼や沙希と合流し、昼食を食べ午後の授業も終えると、在庫が尽きそうだった冷凍食品や非常食やらを買いに駅前へと駆り出した。



 駅前にあるスーパーで必要な物を買い、店を出ると優陽は喧騒の中に見知った姿を横目に見つけた。

 道路を挟んだ向こう側、見た限り大学生くらいであろう年齢の三人組の男に囲まれ、その中心に一人の少女が壁際まで追いやられ立ち尽くしていた。

 

 逃げ場のない状況の中心に居る人物、茉白だ。

 なぜまたこうも出会ってしまうのか。

 厄介ごとにではない。連日で彼女が危ない目や目の前で起きている光景に出会でくわしてしまうに事である。

 関わる事がないと思っていた矢先でこうも出会してしまうのは、何かそういう星の下の運命とかそう言った類のものではないのかとさえ疑ってしまう。

 あの周りに人はいるが、避けて通るか横目には見るが知らん顔して通り過ぎている。

 優陽はそんな光景に苛立ちで眉を顰めた。

 他人は他人。知らなければ何も起こらないし、見たとしても見なかったフリをすればそれで終わる。

 厄介な事は避けたい。それは人としての本能であり、本音でもある。

 優陽にとってそれは見慣れた光景で、を最小限に抑えてきた原因でもある。

 優陽は酷く嫌な気分になった。ああ、また見捨てる人しかいないのか。誰も知らない顔して通り過ぎて、見て見ぬ振りをするのか。そんな人達ばかりなのか。胸の奥から沸々と湧いてくる嫌悪感。これは傍観者達それ以上に、目の前にいる三人組にである。ナンパと見て分かる光景を作っている人物達に。

 可愛ければ声を掛けて浮ついた気持ちで下心を持って接する行為が好かない。


(なんでああも軽い気持ちでそんな事が出来るんだ)

 

 容姿だけ見て好きですと告白して付き合えるなら誰も苦労はしない。

 茉白は清楚で物静かで謙虚な性格、小柄で突起の豊かな体つきは本人のスタイルの良さを伺えるし、お姫様と称されるだけの美貌と儚げさがあれば人気も出るのも頷ける。

 学校での彼女は毎日のように言い寄られている。それ故、わずらわしく思う事もあるだろう。

 彼女にだって選ぶ権利はある。好き嫌いは本人が決める事で他人から押し付けることじゃない。

 容姿イコール好きを履き違えてはいけない。容姿で好意を抱く事はあっても、容姿で好きになる事とは別だ。

 

 それなのに何故、こうも容姿で好きと結びつけるのか。

 

 優陽はもはや我慢の限界を迎えていた。

 茉白はどのくらいの時間、あそこに囚われているのだろう。

 

 彼女は何かを訴え、強張って、表情が歪み、鞄の紐をギュッと握ったように見えた。それを見ても三人組は薄汚い笑みを浮かべて何かを喋っている。不愉快極まりない表情だ。

 別に茉白に好意はない。恋愛感情もない。特別な感情なんてない。クラスメイトで知っているだけの赤の他人。


 それでも、目の前の彼女を放っては置けなかった。


 赤の他人。それだけの筈なのに、優陽は気が付けば足が動き、ナンパをしている三人組の後ろまで行き間を割って入ると、茉白の前に立ち、三人から見えないように背後で茉白の手を掴んで、背中で守るように対峙した。


「すいません。……コイツ、俺の連れなんで。返して貰っていいですか?」

 

 言葉を放ち、後ろをちらりと見るとさっきまでの恐怖で満ちた顔をしていた茉白は今は不安そうな、泣きそうな、歪に満ちた、そんな顔をしてこちらを見ていた。


「……来栖さん」


 小さく震えた声で、けれどはっきり聞こえる声で名字を呼ばれた。

 大丈夫と、安心させるように小さな微笑みを浮かべ、彼女の手を強く握る。

 茉白は握られた手元へ目線を落とすと、優陽の背中に顔が見えないように、ぽすん、と頭を預けた。


「連れって、あんたが? 俺ら今、彼女に用があるんだけど」

 

 正面から低い脅しのような声を投げられた。

 横目でちらりと見た彼らは苛立ちを交えた顔をしていた。突然の邪魔が入れば無理もない。女の子であれば喜ばれるだろうが、男なら話は別だ。だから何だというのか。悪いのはコイツらなのだから邪魔くらいあってもいいだろう。してやる。


「申し訳ないですけど、先約は俺なんで。どこか他行ってください」


 睨みを効かせ、怒りを込めた声音で、淡々と言葉を放つ。

「はあ? なに、彼氏ってこと? 釣り合わねぇだろ。彼女とじゃあ」

 

 一人が苛立った声で呟く。苛立っている意味が分からない。彼女を困らせておいて何故そっちが悪いみたいな雰囲気を出せるのか。自己中にも程がある。


「いやいや、先約とか関係ないから。彼女と話しさせてよ」

 

 薄っぺらい笑いを浮かべ、もう一人が横に周り腕を伸ばし茉白を引っ張り出そうとした。

 そうはさせないと間に体を入れ、それを防ぎ、笑みを浮かべる。


「警察、さっき呼んだんで。もうすぐ着くと思いますよ」

「なっ!?」

 

 嘘を吐いた。守るための嘘ならいくらでも吐く。別に悪いことをしている訳じゃない。バチは当たらないだろう。当たったならその時はその時だ。甘んじて受け入れる。神様がいるな恨むが、自分が吐いた嘘だ。

 

 三人は焦った顔を浮かべ、周りを見渡すようにバラけて隙が出来た。優陽はそれを見逃さず茉白の手を引いて駆け出す。


「それじゃあ、これで。ナンパするぐらいなら真面目に彼女作る努力しろよ。それと警察呼んだなんて、嘘だから」

 

 去り際に一つ、挨拶と嘘の嘘と、怒りを込めた言葉を置いていく。

 悪い気はしなかった。良い事をしたからだろう。ザマァ見ろと思った。多少気分が晴れて清々しかった。

 三人はしてやられた顔をしてその場に立ち尽くし、こちらを見ていた。何か怒っているようだったが、聞く気はない。

 後ろから着いてきている茉白は下を向いていて顔は見えない。離れないよう、離さないよう強く手を握りられた気がした。

 優陽もまた、その手を離さないよう、もう一度優しく握り返した。



 安全な場所を求め、三人から逃れるよう近くにあった駅前のカフェへ逃げ込んだ。店の中ならたとえ追って来たとしても、午後とはいえ、そこそこ賑わっているし、店員も客もいる。下手な騒ぎは起こさないだろう。余程の馬鹿でなければ常識くらいは分かる筈だ。なぜナンパなんて軽い気持ちでしたのかは理解できないが。当然するつもりも毛頭ない。


 走れば喉が渇くのも自然の摂理だ。列に並び、適当な飲み物を頼む。

 店内を見渡せばテーブル席を埋める女子高生のグループ、仕事終わりのサラリーマンや、レポートでもしているのだろうか。店内でタブレットを広げ画面と睨めっこしている大学生が一人と、空いた席のテーブルを拭く店員がちらほら。

 比較的人の少ない窓際のカウンター席を選び、壁沿いの席へ茉白を左隣に据える形で座った。


「あの、来栖さん」


 店内の音と人の賑やかな声が飛び交う雑多の中、茉白に名前を呼ばれ視線を窓の外から茉白へと移した。


「なんだ?」

「……また助けてくれましたね。ありがとうございます」


 先ほどまでの不安と恐怖から解放され、安堵の微笑みを浮かべた茉白は生気こそあるが、どこか辛そうな弱々しい小さな声だった。

 声の弱さから察するに過去にもこういう事が何回かあったのだろう。これだけの清楚可憐な少女ならない方が不思議なくらいだ。

 その度、どうやって切り抜けたのかは本人に聞かなければ分からないが、蒸し返してほしくない事もあるだろうから聞くことはできない。あくまで本人が話したくなるまでは聞けるほど軽いものでもない。


「気にしないでくれ。あいつらに腹が立ってした事だから。まあ、俺の自己満足だとでも思っといてくれ」

「そうですか。それでも、また助けてくれたのは事実です」


 苦笑いを浮かべ肩を竦めた。


「怖くはなかったか?」

「そうですね。怖さはありました。あの時、来栖さんが来るとは思わなかったから……どうしようって」


 視線を落とし膝の上で組まれた手を見つめる表情にはまた曇りが見えた。


「そっか。助けれて良かったよ」

 再び顔を上げた表情は曇りは消え、うっすら微笑みを浮かべ、視線を左右に泳がせていた。


「はい。感謝してます。……それであの、聞いてもいいですか?」

「何をだ? 助けた理由は述べたし、それ以外に他意はないぞ?」

「いえ、そうではなく。来栖さんの足元に置かれている袋です。……それは?」


 茉白が足元に無造作に転がるスーパーの袋を見つめた。

「……ああ。買い物帰りだったんだ。見るか?」

「来栖さんが良いのであれば、是非」

 

 優陽は袋を持ち上げ茉白に差し出した。

 受け取った茉白は「失礼します」と言うと中を覗き込んだ。


「カップ麺に、非常食。それから、冷凍食品にお茶。これを買いに?」

「ああ。好物だからな」

「たったこれだけ? まさかとは思いますが、夕飯とは言いませんよね?」


 茉白は訝しい顔をして優陽を見た。

「もちろん、夕飯だが?」

「まさか、こんな物ばかり食べる生活を?」

「そうだが。手軽で良いし、手間も掛からない。シンプルイズベストな現代食だ」


 茉白は呆れたように「はあ」と溜め息を吐いた。


「そういう問題じゃないです。これじゃあ、栄養が偏ってます。いつか倒れますよ」

「あんたには関係ないだろ。俺の体だし。好きな物ばかり食べたって」

 

 自分の体なのに好きな物ばかりを食べて何が悪いのか。優陽は少しだけイラっとしてつい言葉が強くなってしまった。


「関係あります。恩人がこんな物ばかり食べている生活をしているのを知って無視できません」

 

 先程までの茉白はどこへ行ったのか。今は他人の心配をしている。


「なので来栖くん、私に夕飯を作らせてください」

 

 ぷい、と視線を窓の方に向け、外を行く右往左往する人を眺めながら自分でも偏った食生活をしている自覚がある申し訳なさとつい、身を案じてくれた茉白に強い言葉を吐いてしまった事に罪悪感を感じ眉を寄せ自己嫌悪に浸っていると、優陽はまさかの言葉に意表を突かれ「は?」と拍子抜けな声が出てしまった。


「ですから、私が料理を作ります。……ご両親とか、家に誰か居ますか? いるなら、無理かもしれませんが……」

「いや、一人暮らしだし、誰も居ないが……。理由を聞いても?」

 

 自分が言っている意味が分かっているのかいないのか。分かっていないなら教えてあげなければならない。


「恩人がこんな食生活で寝込まれたら寝起きが悪いからです」

「マジで言ってる?」

「はい。じゃなきゃこんな事言いません」

 

 どうやら、本人は至って物凄く真剣な様で、強い眼差しに思わず気圧される。


(責任感、からなんだろうな)

 

 優也はカップを持って席を立ち、その場から逃れようと思ったが、制服の端を掴んだ茉白の手によって阻止された。

 結局、優陽は茉白が諦めてはくれない事を悟り、優陽が折れる形で二人して店を出ると、優陽の住むマンションへと向かった。



「ここですか」

 優陽の住むマンションは、1LDK。

 家賃なんかは親が肩代わりしてくれているので、詳しくは知らない。広々としたリビングに寝室。一人暮らしするには十分な広さで、親にはもう少しセキュリティやらがしっかりしているマンションの方でもいいと言われたが、家賃なんかを払ってもらっている分、あまり贅沢も言えないので断った。

 さておき、一人暮らしの男の部屋に女子が上がるにしても些か警戒心が薄いのでは? と心配してしまう状況に頭を悩ませ再び彼女に問うた。


「本当にいいのか? 今ならまだ引き返せるが」

 

 二人は帰り際に駅前のスーパーで必要な材料を買い優陽の住まう部屋の前に来ている。ちなみに、優陽は一緒に買い物をしている所を見られるのはマズイと思ったので、店内で別行動を取り頼まれた材料を買ってから店の外で合流し、茉白から袋だけ受け取り、少し先を歩いて帰路に就いた。


「いえ、ここまで来て引き返す訳ありません。それにここで帰ってしまったら買った食材が勿体無いです」

「……さようで」


 一言そう呟くと、ポケットから自宅の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで開けると、ドアを開き中へ先に茉白を入れ、優陽も後に続いた。


「失礼します」

 ぺこ、と頭を下げてから上がり込む、茉白の後に続きリビングへと抜けると、キッチンの上に袋を置いたところで茉白に声をかけられた。


「来栖さんは適当にくつろいでいてください。出来たら呼びますので」

「わかった。ここまで来たなら俺も諦めて食べるよ」

「はい。そうしてくれると助かります」

 

 茉白は綺麗に折り畳んだブレザーと鞄を二人用のソファーの上に置き手に持っていたヘアゴムを口に咥え、髪をポニーテールに結ぶと、袖を捲り調理を開始した。

 優陽は、自分の鞄をソファーの横に置き茉白の荷物と少し離れた位置に座り、特にする事も無いので、今日の出来事を思い返していた。

 ナンパから茉白を助け、夕飯を作ると言われ、今こうして家に居る訳だが、この状況、一部の男子からやっかみを買いかねない状況には間違いない。

 口が滑ってもこんな事は言えないが。

 一瞬、ちらりと彼女に目線を向け、警戒心はないのか、と思うところはあるが、今は彼女のご厚意を受け入れるしかない。

 ズボンのポケットから携帯を取り出し、時刻を確認する。時刻は十八時三十五分。ちょうど夕飯時。

 優陽は空腹感を感じながら、ふと襲って来た眠気に意識を手放した。


 そこからどのくらい寝ていたかは分からない。目を覚ますと、茉白が様子を窺っていた。


「目が覚めましたか?」

「ああ。……どのくらい寝てた?」

「一時間程ですね。ちょうど作り終えたところです。食べれますか?」

「ああ。食べれる」

「じゃあ準備してきますね」

 

 茉白はキッチンへ移動し、出来上がった料理を手際よく皿に移すと、テーブルの上へと並べていった。


「おぉ……」

 テーブルには、ご飯に味噌汁、サラダに魚の味噌煮。鼻腔をくすぐる美味しそうな和食料理が並べられていて優陽は目が輝いた。


「いただきます」

「どうぞ」


 手を合わせて挨拶をし、箸を手に持つと、煮魚を食べやすいサイズに箸に取ると口へ運んだ。

「うまい」


 口の中に入れると、ふんわり味噌の香ばしい香りと味が広がり程良く煮込まれた魚の身に味噌が染み込み盛り付けられていた生姜の辛味がより一層味に深みを引き立てていた。

 サラダもあっさりとした味わいに調理されていて、口の中をまろやかにし、味噌汁の味がしっかりと分かる。

 料理の心配など家庭科の授業なんかを見ていれば分かっているのでしていなかったが、ここまでとは想像していなかった。お世辞でもなく本心から美味しいと感じた。

 久しぶりに手料理を食べたせいか、それとも今までカップ麺や冷凍食といった簡単な物ばかりを食べていたせいか、温かい料理はとても美味しくて、食に淡白な優陽の心にとても沁みた。


「ふふっ。それはよかったです」

 

 優陽は目を輝かせて茉白の作った料理を食べていく。それを見ていた茉白は暖かい微笑みを浮かべ、「ゆっくり食べてください」と告げると、自分の分も皿に盛り付け、食べ始めた。食器は涼がたまに泊まりに来ていたので余分にある分困らなかった。

 茉白は食べ終わった食器を洗う為、席を立ちキッチンへ向かった。優陽は「俺がやるよ」と声を掛けたが、茉白に「大丈夫です」言われ席に着いて待つしかなく、暫くして戻ってきた茉白とテーブルで向かい合って座っていた。


「ごちそうさまでした」


 頭を下げ誠意を表す。


「お粗末様です。本当、美味しそうに食べてくれましたね」

「美味かったのは間違いないからな。うまいものには


 敬意を表さなきゃ作ってくれた人に失礼だろ。それに久しぶりに食べた手料理は新鮮でよかった」

 手料理なんて、実家を離れていつぶりに食べただろうか。しかもお姫様の手料理だ。誰もが羨む存在から料理を振る舞ってもらえるなんて望んでも手に入るものじゃない。そのせいもあるだろう。優陽は得した気分になった。


「そうですか。振る舞った甲斐がありますね」

「まさか、お姫様の料理を食べれるなんて思ってもみなかったな」

「その呼び名、やめてください」


 茉白はそう呼ばれるのが嫌なそうで、眉を寄せ、むすっとした顔になって怒っていた。


「それは、……悪い。嫌だったか?」

 

 優陽は怒らせてしまったと、内心焦って困った顔になった。


「そう呼ばれているのは知っていますが、好きではありません」


 茉白は淡白な声で優陽を見ていた。


「そっか。……悪い事をした。謝る。ホントごめん」

「別に、もう怒ってないので、いいです」

 

 頭を下げて謝る優陽は頭を上げて茉白の顔色を伺うと、まだ少し怒っているようで、ぷい、とそっぽを向いていた。あまり触れていい話題ではないようなので触れないでおこう。


「それより、聞いてもいいか?」

「? はい、なんでしょう?」

 

 茉白は目を丸くして次の言葉を待っていた。


「どうしてあんな目に会っていたんだ?」

「ああ……あれは醤油のタイムセールがあったので、スーパーに向かう途中であの人達に捕まりました」

 

 そう言われ、優陽はスーパーで何かやっている事を思い出した。あれを買いに行こうとして捕まったなら、醤油は多分手に入っていないだろう。あの時、一緒に買っておけば渡せたかも知れない。


「そっか。災難だったな。あいつらも傍迷惑な奴らだ」

「はい。そのせいで醤油は買えませんでしたが、今こうして無事に居られるのは来栖さんのおかげです」

 

 優陽は苦笑いを浮かべるとリビングに掛けてある時計を見る。時刻は二十時五十分。もうそろそろ茉白を返してあげなければ、両親が心配している頃のはずだ。


「もうこんな時間だったか。悪い。料理を作ってもらって、話までしてたらつい遅くなったな」

「いえ、申し出たのは私なので。本当ですね、もうそろそろ帰らないといけない時間ですね」

 

 茉白はソファーに置いてあったブレザーを着た茉白が、優陽が自分のカバンを持っていることに気づき「自分で持ちますよ」と言ってきたが、「気にすんな」と言い、玄関を出て二人でマンションの前まで移動した。


「お邪魔しました」

 

 茉白はぺこ、と小さく頭を下げた。

「おう。……じゃあ、送っていくから。家はどっちだ?」

「いえ、その必要はないです。すぐそこのマンションなので」


 茉白の向いた視線の先にあるマンションを追った。ここから歩いて五分も掛からない距離にあるここより少し大きいマンションがそこにあった。


「こんな近くに住んでたんだな。驚いた」

「はい。私も驚きました。まさか来栖さんがご近所だったとは」

 

 茉白がこんな近くにいた事には驚いたし、今まで気づかなかったのが不思議なくらいの距離にお姫様がいるなんて、これは絶対に口が裂けても言えない。


「ん、なら行くか」

 

 優陽は淡白な言葉と共に茉白の住むマンションへ足を動かした。


「いえ、その必要は……」

 

 優陽は茉白に背中から声をかけられ、顔だけ振り返った。


「こういう時、素直に甘えて送られるか、黙って着いてくる方が可愛げがあっていいと思うぞ」

「私には可愛げがないと?」

 

 茉白はむすっとした可愛い表情を浮かべ怒ってしまった。


「そうは言ってない。飯のお礼だから。……送られてくれた方が気が楽でいいんだ」

 

 優陽は微笑み再び歩き出すと、「お人好しですね」と後ろから声をかけられた気がした。



「ここで大丈夫です。ありがとうございます」

 

 茉白の住むマンション前まで着くと、優陽は持っていた茉白の鞄を返した。


「ん、そっか。じゃあここで。明日からはまた関わらないように生活するから」

「? 学校で、でもですか?」

 

 茉白は怪訝な顔をして首を傾げ、優陽の言葉を待っていた。


「お前だって、大して話した事もない男と話しているのを学校で見られるのは嫌だろ?」

「それは……」

 

 茉白は言葉を詰まらせた。どう返事をすればいいのか悩んでいるのだろう。


「もし話なんかすれば、周りから質問攻めされるだろうし、煩わしく思うだろ?」

 

 下を向いて黙り込んでしまった。そう思う本音半分と助けてくれた相手に対する罪悪感が半分で悩んでいるのだろう。


「まあ、そういう訳だから。じゃあ、おやすみ」

 

 それだけ言い残し、自分の住まうマンションへ帰路に就いた。

 

 その後ろで「おやすみなさい」と小さく口に出し、何かを覚悟したように口を横に結び、優陽を見つめる視線に気付かないまま、自分の部屋へと優陽は戻った。



 風呂に入り、ベットに体を預けた。

 また明日からはクラスメイトで知っているだけ、いやもう二回も関わってしまったなら顔見知りと言うべきだろうか。また他人に戻っていつも通りに過ごすだけ。

 優陽はそう言い聞かせ、意識を沈めていった。

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