甘やかし上手なお姫様に骨抜きにされた

夏野涼月

第1話 お姫様を助けた

 来栖優陽くるすゆうたの通う高校にはお姫様がいる。同じクラスではあるが、話した事も、関わったこともない。


「気分はどうだ?」

 

 ベンチに座っている少女にそう訊くと、澄んだ碧眼の瞳がこちらを見つめる様に顔を上げた。


(綺麗な瞳だ)

 

 目の前にいる七瀬茉白ななせましろが、お姫様。そう呼ばれている本人だ。彼女と優陽は今、ベンチで向かい合っている。


 優陽が茉白を初めて知ったのは、高校の入学式の日。

 お姫様というのは、もちろん、比喩ではあるが、立ち姿から容姿に至るまでがそう思える程の美少女がそこに居た。

 

 よく晴れた空の太陽に照らされた入学式の日の美少女は眩しく輝いていて、太陽やなびく風さえも彼女を際立たせる小道具のようだった。

 真っ直ぐに伸びたロングヘアーの銀色の髪は指を絡めてもすっとほどけそうなほどさらさらして、澄んだ碧眼の中にオーロラクリア色のビー玉が詰められた様な瞳。乳白色の白い肌は滑らかで、すらっとした鼻梁、大きな瞳、桃色の小さな口の整った

 顔立ちと華奢きゃしゃなスタイルは思わず目を奪われてしまう。

 周りはもちろん、優陽自身もその一人だ。

 

 同学年の彼女は、あっという間に学校一の有名人になった。同じクラスの優陽から見た七瀬茉白は文武両道の容姿端麗。それでいて、物静かな印象。評判も優陽から見た茉白とあまり変わりはなかった。

 評判通りで、驕らずおごらず、誰に対しても穏やかで、いつからか、お姫様と呼ばれているらしく、交友関係の少ない優陽は知らなかったが、数少ない友達からそう呼ばれていると聞かされた。

 そんな、お姫様と呼ばれる七瀬茉白という存在は誰から見ても魅力的に映る。校内の男子達の大半は彼氏になりたいと思っているはずだ。

 優陽にも魅力的に映るが、恋愛感情とかはない。どこにでもいる普通の女の子。茉白と同じクラスという接点があるだけで、どうこうなるつもりも予定もない。


 実際一人でいる方が楽でいい優陽は彼女と話すつもりも声をかけてお近づきになりたいという下心もなく、見ているだけで十分、甘酸っぱい関係とやらにも更々期待していない。

 卒業するまで一緒のクラスにいた赤の他人で終わるという認識だ。

 そう思えど、人生何が起こるか分からない。いつもなら適当に駅前の本屋辺りで時間を潰して夕暮れ時に帰ったりするのだが、なんとなくそんな気分になれず真っ直ぐ家に帰ろうと思い、学校が終わり、家に向かっている途中、少し先の方で屈んで何かをしている姿を見つけた。顔は見えないが一目見て遠くからでも目立つ銀色の髪と制服で茉白だと分かった。

 

 そこへ一台の車が来ているのが見えた。

 ちょうど車と彼女は電柱で死角になっていて、互いに気付いていない。


(危ないだろ、あの車)


 住宅街を明らかなスピード違反で走っている車は徐々に彼女との距離を詰めていて、そこに茉白の足元からおそらく一緒に戯れていた子猫が車道に飛び出してきた。車に気付くことなく子猫を追いかけようとする茉白。おそらく急ブレーキを踏んでも車は彼女とぶつかる距離まで来ている。


「ッ! 危ない!」

 

 考えるより先に体が動いていた、まさにその通りで、背負っていたかばん放り投げ駆け出した優陽は車がぶつかる寸前で茉白の手を引いていた。


 なんとなく、で帰る道中に彼女を助け、茉白が突然の事に動揺した顔をしていたので二人で近くにある公園まで移動し、座っている彼女に自販機で買った飲み物を差し出した。


「気分はどうだ?」

 

 そう訊くと、こちらを見上げている顔には先ほどまでの顔色はうかがえない。


「もう落ち着きました。先ほどは助けてくれてありがとうございます」

 

 一呼吸置き、飲み物を受け取り、お礼を言いながら綺麗な姿勢で頭を下げる姿を改めて見ると、お姫様という言葉がしっくり来るほど似合っている。


「どういたしまして。怪我とかは?」

 

 素っ気ない声でそう訊いた。一応、念の為に確認は必要だ。もし怪我をされていたら助けた意味が無い。もし仮に車と接触はしていなくても、優陽が引っ張ったせいで怪我をした可能性だってある。


「大丈夫です。どこも怪我してません」

 

 顔を上げた茉白は、異常はないと、首を振った。

 そうか。それならいいが。もし後になってどこか痛むなら遠慮せず言ってくれ。謝る」


 心配性に見えるだろうが、相手は女の子だ。男子にとって傷は勲章と言うが、女子なら傷があるだけで目立ってしまうし、なにより親に顔向けできない。


「いえ、そんなに気にしないでください。私の不注意が招いた訳で。それに、助けていただいた身で後から変な言い掛かりを付けたりはしません」

 

 茉白は居心地悪そうに目を逸らしながら、自分の招いた失態を悔やんでいる。


「そうか。ならよかった。もう危険はないと思うが、気をつけて帰れよ。じゃあ、俺はこれで」

 

 大丈夫ならあまり長居する理由もなく、優陽自身、無事が確認できたならそれでよかった。軽く挨拶をし、鞄を持つと、踵を返した。


「来栖さん」  

 

 背を向けた茉白から呼び止められ、振り返ると何か言いたげな顔をしていた。

「悪い。用事があるんだ」

 

 そう言うと、早々に公園横を抜け帰路に就く。後ろから微かに届く程度の小さな声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。一瞬だけ、彼女の方を横目に見た。

 悲しそうな、不安そうな顔をしていた。どうしてそんな顔をするのかと思ったが、心情は分からない。

 嘘をくのは良心が痛んだが、これ以上、関わる事もないだろう。

 これきりの関係。只、危なかったから助けただけ。

 明日からまた同じクラスメイトで赤の他人。

 いつも通り過ごして、これまで通り、変わらない日々を送るだけ。

 優陽はそう思っていた。再び彼女を助けるまでは。

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