三の一[◆◆◆おにいちゃん]

 ご近所の◆◆◆おにいちゃんは、本当に頼れて、かっこよくて、可愛くて、すごい人。


 今日はそんな◆◆◆おにいちゃんのお家に遊びに行く。


 すごくすごく楽しみな日。こんなわたしの相手をたくさんしてくれるから。


「◆◆◆おにいちゃん、居ますか〜? ★★★です」

『は〜い、居ますよ〜、開けるね〜』


 扉が開いて、◆◆◆おにいちゃんの顔が現れる。


「こんにちはー、たくさん遊ぼ!」

「元気だね〜」


 挨拶をして、◆◆◆おにいちゃんのお家に上がる。

 すると、◆◆◆おにいちゃんが頭をちょっとなでてくれる。


 んふふー。

 よくわたしにこうしてくれる。優しい◆◆◆おにいちゃん。だからわたしもたくさん甘えにいく。


 ◆◆◆おにいちゃんの隣にまわって、腕をつかむ。

 華奢な腕は、それでも身を委ねたくなる、頼りになる感じがあって、ここもわたしが好きなところ。


「今日は何して遊びたいの?」

「んー、一緒に居られるだけで満足! だけど……ゲームもやりたい!」

「じゃあ、ゲームもやろっか」


 リビングにつく。


 お菓子の山がテーブルの端にある。


「今日のお夕飯はウチで食べるんでしょ?」

「って言われてる!」


 わたしが頻繁に遊びに行くから、◆◆◆おにいちゃんのお家でご飯を食べて帰ることが時々ある。

 ちなみに、そのご飯はいつもいつも◆◆◆おにいちゃんが作ってくれて、本当に美味しくて、幸せになれる効果がたっぷりと入っていて、食べられるときは本当にいつも心踊ってしまう。


「オッケー、ところで、紅茶とココアとソーダと……」

「紅茶がいいな!」


 そう言うと、◆◆◆おにいちゃんはカップやティーポットやお湯を準備し始める。


「最近、本格的な紅茶の入れ方っていうのを勉強したからさ。見ててよ」


 ◆◆◆おにいちゃんがお湯を沸かす。


 真剣な表情でお湯を見つつ、お茶っ葉を準備する◆◆◆おにいちゃん。わたしもつられて無言で、真剣に見つめてしまう。


 ティーポットにお茶っ葉を入れる。

 お湯が沸騰すると、少し待って、そのお湯をティーポットに注ぐ。


 蓋をして、待つ……。


 そうしてしばらく、蓋を開けて、中を混ぜる。

 そして、二つのカップにそれぞれ注ぐ。


「できあがり」


 その一言でちょっとした張り詰めた空気が霧散する。

 すごく真剣な目で、真剣な手つきで、紅茶を淹れていて、その紅茶をわたしも飲めるんだと、ふつふつと嬉しい感情が湧いてくる。


「本格的だったね〜、わたしはいつも、袋に入ってる、ティーバッグをカップに直接入れて、こだわらずに飲んじゃうから、外に出たお茶っ葉なんて初めて見るよ」

「折角だし、その方が自由が効くからね」


 ◆◆◆おにいちゃんはカップを二つ持ってテーブルに横ならび置く。


「◆◆◆おにいちゃんはこっちに座ってよ、顔見えないと、お家に来た意味が三割くらいなくなっちゃうって!」

「あぁ、ごめん」


 わたしがカップを対面になるように置き直す。

 いつも対面に座ってほしいって言ってるのに うっかり◆◆◆おにいちゃんは横に座ろうとする。


「ところで……ミルクってある?」


 わたしは、甘々紅茶派なので、ミルクが必須。◆◆◆おにいちゃんに尋ねてみる。


「あるよ」


 そう言って、キッチンからミルクを取り、戻ってくる◆◆◆おにいちゃん。


「これも……ちょっとお高いやつだから」

「わぁい……って喜びづらいかも?」


 ご飯とかもお世話になりすぎてるし、今更な気もするけど、だからといって、ちょっとした申し訳なさが薄まることはない。


「いやいや、美味しく飲むためのミルクだから、美味しく飲んでほしいよ」


 それもそっか。折角の機会をふいにすることが一番良くないことだよね。

 そう納得する。


「いただきます」

「はい」


 しっかりとした所作でカップをつかみ、飲む。

 温かい紅茶の甘みがほんわりわたしを包んでくれる。


「美味しいね……なんか、普段飲んだりする紅茶とは全然違うなって分かるよ……」

「それは良かった……お高くてよかったでしょ?」

「それより大きいのは、本格的な紅茶の淹れ方をお勉強した◆◆◆おにいちゃんの技術じゃない?」

「照れるなぁ」


 そう言ってまた頭をなでてくれる◆◆◆おにいちゃん。

 わたしも照れちゃうよ…………。


「ふぅー。とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」

「はい」


 カップを◆◆◆おにいちゃんは片付ける。


 そして戻ってきた、何も持っていないその両手にわたしの両手を重ねる。


「じゃあ、ゲームしよっか!」



  ……………



 レースゲーム、格闘ゲーム、パーティゲーム……二人でたくさん楽しんだ。


 そして……――


「大事なお話があるんだけど、いいかな?」

「ん? 大事なお話って?」


 気楽に、でも、「大事」だって意識して、覚悟も足らずに続きを促してしまった……。


「あのね――この街から引っ越すことになったんだ」


 今、◆◆◆おにいちゃんはなんと言ったのだろう?


「…………………………………………………………………………………………………………え?」


「引っ越すことになった。いつか、この街に戻るつもりはあるけど、少なくとも一、二年は戻ってこれないと思う」


 ………………………………………………引っ越し?

 「引っ越し」って、あの、街から離れてくっていうあれ?

 わたしが住み続けているこの街を地域を離れて、◆◆◆おにいちゃんと会うことができなくなって、そんなあれ?

 なんでどうして? どうして?

 なんで引っ越さなきゃいけないんだろう、引っ越さなきゃいけない理由ってなんだろう?


「………………………………………………なんで、なんで引っ越すの? ………………なんで引っ越さなきゃいけないの?」


 重い言葉はかろうじて口から出た。


「んと、ちょっとやりたいことがあってさ、行きたいところもあってさ、外国にちょっと留学するつもりでいるんだ」

「………………留学?」

「うん。だから、外国にちょっとだけ引っ越す。日本に、できたらこの街に帰ってくるつもりではあるよ? でも、帰ってくることについては、正直まだ遠い予定は未定だから、どうなるかは分からないんだけど…………いつ帰るとかさ」


 ゆっくりと、確実に、一言一句漏らさず、◆◆◆おにいちゃんの言うことを聴き、意味を咀嚼して、組み立てる。


 なんでなんで! とか、引きとめたい! とか、連れて行ってくれないかな? とか、そういった感情がわたしを邪魔してくる。でも、それは、「わたしと◆◆◆おにいちゃんが一緒に居続ける」という選択肢の全ては、無理なことで、◆◆◆おにいちゃんをすっごく困らせちゃうことだって理解している自分があって、そのわたしで、無理な選択を口に出したくなるわたしを食い止める。


 …………つまり、◆◆◆おにいちゃんの言いたいこと、これからすることは「やりたいことのために、外国に留学する。いつ帰れるかは、今はまだ分からない」「いつか日本には帰るし、この街に帰る(多分)」ということ。


「………………そう、なんだ…………」


 いなくなっちゃイヤだとか、わたしもついて行きたいとか、行かないでほしいとか、そういった言葉を意識して、口から出ないよう止める。心が叫んでいる。

 わたしはまだまだ、◆◆◆おにいちゃんに比べたら子供かもしれないけれど、何にもかも分別がつかないほど子供なわけでもない。

 ……◆◆◆おにいちゃんのことが「好きだ」って自覚できてるくらいには、子供じゃない。でも、「一緒に居たい」って言葉を理性で抑えられるくらいには成長したつもりだから、だから、困らせないように、わたしだけの気持ちを押し付けないように、理性をもって制する。


 そもそも、◆◆◆おにいちゃんはわたしのために存在しているわけじゃない。それは本当に当たり前のことだけれど。そして、◆◆◆おにいちゃんの選択の多くは、◆◆◆おにいちゃんが自分のためにすること。

 ここでわたしがわがままを言うことは、◆◆◆おにいちゃんがしたいと思ったことを否定することにもなる。

 わたしのために、色々な選択をしてきたことはあるかもしれない。でも、わたしのために、色々な選択をしてきたわけじゃない。それは、これからも同じ。


 だから、耐えなきゃいけない。耐えなきゃいけないのに……。


「あれ…………」

「ん…………あっ、泣いてる? 泣いてるのか?」


 ごめんなさい。ごめなさい、迷惑かけちゃう。


「ん………………ごめんなさい、ごめんなさい」

「あぁあぁ、そんなにお別れがつらいなんて、そこまで考えられてなかったよ、ほら、ハンカチ」


 ◆◆◆おにいちゃんは取り乱すでもなく、ただ、冷静に優しくしてくれた。

 わたしの頭をなでて、声をかけて、「永遠に会えなくなるわけじゃないからさ」って優しく、優しく。


「うぐっ……いなくなっちゃうの……?」

「すぐにはいなくならないけど……その時が来たらね。何年くらきで帰ってこれるかは……まだ分からないんだけれどね」


 切なくて。悲しくて。

 貸してくれたハンカチを涙で濡らしていくけれど、それでも溢れてくるものを止めることはできない。


 「一緒にいたい」とは言わなかったけれど、それでも「いなくなっちゃうの?」って、この言葉を抑えることはできなかった。


「でも、帰ってきてね」

「そうできるように頑張るよ」


 ついにあふれる涙は決壊したように止まらなくなり、前後不覚になって、◆◆◆おにいちゃんにだきつく。

 ◆◆◆おにいちゃんはわたしを優しく受けとめてくれて、頼れる手、優しい手、大きな手、それで、ずうっと頭をなでてくれた。


「うぅうぅ」


 泣いているのは、あくまでわたしの勝手で、わたしの問題で、でも、その理由はわたしにとってはとてつもなく大きいものだから、止められるわけがなくて。

 色々な思い出が頭をよぎってくるのだ。

 初めて会った日……それこそ覚えていないくらい昔の話。

 気づいたらたくさん遊んでもらってて、わたしもそれが楽しくて、毎日毎日お話して、好きになっていって……。

 ◆◆◆おにいちゃんの優しさはわたしが一番知っている。怪我しちゃったら、冷静に対処してくれて、慰めてくれて、わたしがたくさん頑張ったときは、たくさん褒めてくれて、お勉強も教えてくれたし、ゲームだってたくさんしたし、いろんなお話もしたし、いつもすごいんだなって感じさせられた。


「そんなに離れていっちゃうのがイヤかな〜?」


 そう、見透かしたように、わたしの心なんて簡単に読んで、してほしいことをしてくれる。言ってほしいことを、言ってくれる。

 ◆◆◆おにいちゃんはわたしのことをぎゅっとだいて、優しく、優しくなでてくれた。しばらくの間、なでてくれた。



  ……………



「泣きやんだ。」

「そう?」

「でも、離さないで」

「分かったよ」


 「好きだ」って気持ちは気づかれているかもしれない。気づかれていないかもしれない。

 でも、いつか言葉に出して、言わなきゃいけないことだってわかっている。

 今はただ、このあたたかさを受けていたい。

 いなくなってしまう寂しさ、悲しさ、ぐちゃぐちゃな感情。冷静になれないし、まだ整理もできない。だから、ただただ◆◆◆おにいちゃんに甘える。


「あのねっ……」

「うん」

「今までね……」

「……うん」

「◆◆◆おにいちゃんが優しくしてくれて、遊んでくれて、いっぱいいっぱい褒めてくれて、わたしにとって、◆◆◆おにいちゃんは大切で大切な人なの」

「そっか」

「だから、だから、いなくなっちゃうのは寂しいし、どうなるのかなって分からないけど、でも、『やりたいこと』があるんでしょ? だから、だから、『やりたいこと』を全力でやってきてよ!」

「そうだね、全力でやってこなきゃね」

「だって、だって、わたしのかっこいい◆◆◆おにいちゃんだから!」


 「好きだ」とは…………到底言うことはできなかった。

 考えて考えて、甘えて甘えて、なでられてなぐさめられて、分かってしまった。◆◆◆おにいちゃんのことをわたしは「おにいちゃん」と呼んでいる。そう思っている。そして、◆◆◆おにいちゃんはわたしのことを年下のきょうだいだと思っているんだと思う。

 「好きだ」という気持ちはしっかりある。でも、◆◆◆おにいちゃんが応えてくれるかは全く別の問題。対等じゃないから。だから、対等になれないと、わたしは「好きだ」って到底伝えられない。

 だから、だから、今は憧れる、憧れの◆◆◆おにいちゃんだって思う。思い続ける。


「嬉しいなぁ」

「えへへ!」


 涙は止まらないけれど、◆◆◆おにいちゃんはかっこいいから、笑えるんだ。



  ……………



 ついに、◆◆◆おにいちゃんが日本を離れる日が来てしまった。

 泣かないようにとは思ったけど、全く無理そうで、やっぱり泣きたいし、引きとめたい。

 でも、引きとめたり、一緒に行きたいってわがままを言って、困らせるなんてことはしない。


 でも、はぐくらいはさせてほしい。


「……向こうでも元気でいてね」

「わかったよ」


 本当の旅立ちの今日の日までに心を整理してきた。


「今まで、すごくすごくお世話になりました」

「うん」

「いってらっしゃい」

「……いってきます」


 そしてついに、◆◆◆おにいちゃんの姿は見えなくなり、本当のお別れとなってしまった。

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