第7話
バンを走らせておよそ一時間。車は市街地を出て郊外の森に入っていた。
ひび割れた細く古い道路の上を六人の人物が乗ったバンは進んでいく。やがて錆びた鉄柵がかれらの前に現れた。鉄柵にはかすれているもののかろうじて読める字で、
「国有地にて立ち入り禁止」
と書かれていた。
「伯父さんの組織って政府に関係してるの?」
「そうよ。けど、実のところ私もよくは知らないのよね……」
「そうなの?」
「三年前に一緒に暮らすようになるまで、伯父様とはほとんど会ったことが無かったから」
つまり、身内のユノにすらその伯父率いる組織の概要は知られていないということだ。情報保全のためだろうが、果たしてそんなところに自分のようないち民間人が踏み入って良いのだろうか。そもそも彼自身、なぜここまでの厚遇を受けているのか全く分かっていなかったのだ。
*
「……まさかユノが男を連れてくるとは」
柊トウカは感慨に耽ったような表情で呟いた。
まさかあの姪っ子が。てっきり男には興味が無いと思っていたのに。急に連絡を寄越して来たと思えば、もう一人助けて欲しい人がいるなどと。誰かと思えばクラスメイトの男子! 同じクラス委員として活動していた! 伯父さん嬉しいぞ~、とトウカはスキップしたい気分になっていた。
「彼が夕凪ハルくん?」
「はい」
部下の一人が大画面のモニターに映った監視カメラ映像をズームさせる。不安げな表情のハルが辺りを見渡しているところにユノが何やら話しかけていた。
「マイクを付けときゃ良かったね。男に話しかけられても丁重に無視していた彼女が積極的に話しかけている! やっぱり今日は赤飯だな!」
興奮する機関長に周囲の部下たちは視線を交わしあった。かれらは様々な理由でこの超法規的かつ非正規の〝柊機関〟に引き入れられた者たちである。能力は折り紙付きで、これまで多くの政治的事件に介入する任務を遂行してきた。だが、そんなかれらでも、自分たちの長であるトウカの奇特な性格についていけない時があるのだった。
かれらは機関長の後ろで囁きあった──あの夕凪ハルという人物をどうするつもりなのだろうか。わざわざ追加で金を支払って助けた人間だ、何か意味のある結果に繋がらないと困る。だが意味のある結果とは? 一介の民間人に何を求めれば? 気ままなリーダーに振り回され、機関員たちは困り果てていた。
「決めた。彼をユノのボディーガード兼パートナーにしよう」
トウカの言葉に部下たちは目をみはった。
「機関長。お言葉ですが、彼は民間人ですよ。いきなりそんな無茶は通りません」
「大丈夫さ。KTIの傭兵部隊の面々に訓練してもらえば、ものの役には立つでしょ」
「そういうことではありません。彼は何の事情も知らないただの学生です。そもそも彼が組織に志願する可能性は──」
「ユノの話によると、彼はユノが出した拳銃を自ら手に取って点検を始め、自分の物にしてしまったそうじゃないか。それにここまで来ている時点で、彼も我々の存在に気づいてるんじゃない?」
「まさか」
「あのユノについてきて、なおかつ会話も交わすような子だよ? それにこんな状況で自己を見失わないで正気を保ってるってだけでも適性があるって思わない?」
「……」
機関員たちは押し黙った。自分たちの上司が何を言っても聞かなくなったことを悟ったからである。とはいえ、トウカの言い分にも一理あった。かれらはユノが次代の機関長となるべく様々な訓練や鍛練に打ち込んでいたことを知っている。そんなユノの足を引っ張らず、何の訓練も受けていないただの素人がついてこれたというのは、果たして偶然だろうか。
昨日までの日常が一変し、今や人が人を喰う異常事態が世界を覆っている。そんな光景を少なからず目の当たりにして正気を保っているというのは、確かにメンタリティの強靭さを認めなければならない。ふと、機関員たちはハルの服に付いている赤黒い染みに目をやった。それはハルがユノの後を追いながら倒した転化者の返り血だった。
顔を突きつけて相談していた機関員たちは、結局トウカの発案を受け入れることにした。可愛らしい
預かり知らぬところで自分の処遇が決まっていることなど露知らず、ハルは洋館の前に立っていた。
郊外にこんな場所があることなど彼は知らなかった。もっとも、ハル自身は小学校三年生になる際、海外からここ藤波市にやって来たので、郷土愛も地域への関心も無いのだが。
洋館は四階建てで、まだ新しい建物のように見える。ユノが言うには、建てられて二年も経っていないらしい。
「全く気づかなかった」
「郊外だもの。ところで、入らないの?」
ユノはハルの腕を掴み、洋館の中へと引っ張っていく。それを見ていたビクターは口笛を一つ吹いた。
「見たかよ。やっぱり付き合ってるんだって」
「別に付き合っていなくても手を繋ぐことはあると思いますが……」
ニールスが言うとビクターは途端に不機嫌そうな表情を浮かべた。
「んだと? そりゃお前みたいなイケメンくんなら女に困らないだろうがよ、特に仲の良くない男女が触れあうかよフツー」
「あなたの場合、一人の女の子としか恋愛をしてないからそんな考えになるんじゃないですか?」
「……このぉ! 古傷
ビクターとモーリスはそれぞれ両手の拳を握ってインファイトの構えを取った。
「二人とも止めろ! まだ仕事中だぞ!」
モーリスが二人の間に割って入る。彼らを指揮統率する立場にあり、本来ならばモーリスの代わりに喧嘩を止める義務のあるヒースは、その様子をおかしそうに笑って見ていた。
一方、洋館に入ったハルとユノはそこで一人の人物の出迎えを受けた。
「待ってたよ~、ユノ」
「……伯父様」
あからさまにユノが嫌悪の感情を表したのは、目の前にいる人が嫌な笑い方をしているからだろうか。ハルはユノと伯父の関係が気になった。
「夕凪ハルくんだね。ユノから話は聞いてるよ。私は柊トウカ。君の彼女の伯父さんだよ」
「あ、えと、こんにちは……」
頭を下げたところでトウカの言葉が引っ掛かった。〝彼女〟という単語にである。
「……伯父様、何か勘違いしていませんか?」
「何が? 彼氏なんでしょ? じゃなきゃ連れてこないでしょキミ」
「違います! 彼とはただのクラスメイトです!」
「でも、クラス委員としていつも一緒だったんでしょ? 情が移ったんだ?」
「違っ……」
ユノがハルの方を振り返る。ハルは彼女の瞳に今まで感じたことのない何かが込められていることに気がついた。
「私部屋にいますから」
ぷいとそっぽを向いてユノはエントランスの階段を上っていった。
「待って、俺は? 俺の処遇は?」
「君の処遇はまだ完全には決まってないよ。けど方針はあるんだ。だから……」
トウカの言葉に合わせるように柱の陰からスーツの男たちが現れた。自然な足取りでハルを囲う。
「まずは君のことを知りたいんだよね」
*
ハルの母であるルミは、旅行バスに乗って陸上自衛隊藤波駐屯地への途についていた。
〝復旧中〟という今まで見たことの無いテロップを表示しているだけのSNSを閉じ、ルミは外に視線を移した。
「……」
目を閉じると、ほんの一時間ほど前の光景がフラッシュバックしてくるようで、ルミは怖かった。
自分たちを市民会館に封じ込めていた自衛隊が、突然藤波市内の駐屯地への避難を始めると布告した。安堵した市民たちを自衛隊員と共に誘導していると、小ホールから銃声が轟いた。
見ると、入り口にいた自衛隊員二人がホールの中に向かって射撃していた。驚いたルミは、だがその蛮行を止めるために駆け出そうとした。
それを制したのは、近くにいた自衛隊員だった。
「行ってはダメです」
「ダメ?! 市民に向かって銃を撃つなんて何考えてるの!」
「あれらはもう市民ではありません」
自衛隊員の言葉に眉をひそめたルミだったが、すぐに意味を理解した。体育館サイズのホールから人が出てきたのだが、かれらは目や鼻から出血し、地面の底から響いているようなうめき声を上げていたからである。
「一斉に転化したのか?!」
「市民の壁になれ! 撃てぇ!」
十人ほどの自衛隊員がバスの前に膝立ちになって斉射を始めた。ハチキュウと称される自衛隊の制式小銃が火を噴く。一挙に十人以上の転化者が倒れるが、小ホールから続々と出てくる群れに対応できるかは不透明だった。
「無理だ! もう行け!」
指揮官が運転席に座っている隊員に指示を出した。
「しかし──」
「命令だぞ! 出発しろ!」
怒声に圧された隊員たちは近くの市民をバスに押し込み、脇目もふらずに会館を飛び出した。ルミもほとんど抱えられるようにしてバスに乗り、目と耳を塞いで銃声が聞こえないようにしていた。
時間を置き、落ち着いたルミは状況の整理をしようと思考を巡らせていた。
小ホールから出てきた人たち。あれはいったいどうしてしまったのだろう。思い出してみると、小ホールの周囲だけ常に自衛隊員が多く警備していた気がする。あれはてっきり傷病者を収容していたからだと思っていたが、違うのだろうか。それに自分を止めた自衛隊員の言葉が気にかかる。
「あれらはもう市民ではありません」
まるで人間ではないかのような言い種だった。だが、確かにあの様子は普通の人間とは思えなかった。
何かの薬物でおかしくなったのかと一瞬考えるが、あれだけの人数に薬物を行き渡らせ、なおかつ全員が発狂するよう仕向けることができるだろうか。答えは
外を見ると、道路の脇には乗り捨てられた車が煩雑に置かれている。等間隔で自衛隊員が歩哨についていて、何かを警戒しているようだった。
(……転化者……)
ルミの頭から離れない言葉。思えば小ホールの人々を見た自衛隊員の誰かが言っていた気がする。全員転化したのか、と。その言葉が何を意味するかはルミには分からない。だが、結果は分かる。転化したら最後、人間とはみなされなくなる……。
「──こちら二班、現在……は、人ですか」
バスの前部にいた自衛隊員の一人が通信機越しに何かを話しているようだった。
「夕凪ルミ。顔写真は……。はい……あ、います。このバスに」
乗客の何人かがルミの方を見やる。本人は高鳴る胸を押さえつけていた。近づいてくる自衛隊員から、ルミは一歩でも離れたい気分だったが、そうもいかなかった。
「夕凪ルミさんですね」
「……そうですが」
あえて警戒心を声に込めてみる。だが、自衛隊員には何の効果もないようだった。
「確認しただけです。詳細は省きますが、あなたの無事を確保する必要が生じました」
「どういうことです?」
「我々も命令されていることなので」
それだけ言って自衛官は元の位置に戻っていった。
(何なの)
戸惑いと苛立ちが入り交じり、ルミの表情を曇らせる。自分を保護する必要があるとはどういうことだ。ただの一般人を丁重に警護する意味とは。
(……)
とは思ったものの、実のところルミには心当たりがあった。かなり荒唐無稽で、他者からすれば妄想レベルの心当たりだが、ルミと、そしてハルに関係するある事柄が……。
ルミはハルの状況がいっそう心配になった。あの子は今、どこで何をしているのか。安全な場所にいるだろうか。誰かに匿われているのだろうか。何かの危険にさらされていないだろうか。
自分にはハルしか残されていない。彼がいなくなったら、果たしてまともに生きていけるだろうか。
ハルに会いたい。会って抱きしめたい。無事な姿を見たい。あの人の忘れ形見、生まれる直前に命を落としたあの人の子を。
ルミの心中を表すように、空には暗い雲が立ちこめ始めていた。
*
「夕凪ハルと我々にこんな奇縁があったとは」
「とんだ爆弾を持ち込んだな。どうする」
「早まるなよ。我々の作戦が実行されたのは彼が生まれる前だ。母親にも知られていないから、あの少年が何か知っている可能性はかなり低い」
「しかし何かの拍子に知るだろうな。我々の組織に加わるんだから」
「大丈夫さ。何かあっても機関長のお嬢様が止めるだろう」
「そうかもしれないが、用心すべきだ。何せお嬢さんと行動を共にすることになるんだからな」
「監視は付けるさ。だが、我々のしたことを知ったところで、彼が凶行に走るかどうかはまだ分からないだろ? 今は余計なことをしている暇は無い。この国の主導権を握るのが今のところの至上命題なんだからな……」
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