第6話

 藤波市旧市街にある寂れた公園。塗装の剥げた古いジャングルジムと、今にもちぎれそうな縄で吊るされたブランコ以外に遊具はなく、花壇は手入れがされず雑草が繁っている。

 公園中心の噴水。何年も前から水の出ていない噴水には、汚れた水が静かに張っていた。

 鳥のさえずりだけが聞こえる早朝の公園に、黒いバンが入ってきた。本来ならば車で侵入してはいけない場所だが、咎める者はいない。

 バンは噴水の横で停まった。車内にはガスマスクと特殊部隊装備に身を包んだ四人の男が乗っていた。


「動体センサーに反応あり。四時の方向」


 運転席にいた男が事務的な口調で言った。ちょうどその後ろに座っていた別の男が持っていたMP5サブマシンガンの安全装置を解除した。

 窓を下ろし、上体を出して後ろを向く。

 バンから十メートルほど離れた場所にある花壇の上で、老婆の転化者が直立していた。早朝の薄暗さでも分かるほどに顔が血濡れている。


「可愛そうなババアだ……」


 ガスマスクの下で薄く笑みを浮かべ、男はサプレッサー付きMP5を構える。音が抑えられた二発の銃声が公園に響く。老婆は胸と顔面に一発ずつ受けて倒れた。


「センサーに反応無し」


 運転席の男が先程と全く同じ口調で言った。


「ケッ。張り合いがねえな。撃ち返してくるような奴はいねえのか?」


 転化者を倒した男が左隣に座る仲間に声をかけた。


「日本は市民が銃を持たない国です。反撃してくる奴なんていませんよ」

「ヤクザって奴らはどこだよ? 銃持ってんだろ?」

「自重しろ、ビクター。我々は要人救助に来ているんだぞ。戦争ごっこをしに来てるんじゃない」


 運転席の男が後部座席の方を向いた。シートに足をかけている同僚を見て、ガスマスクの下で眉をひそめた。


「だりぃ~。これなら本社に立て込もってた方が退屈しなかったぜ……」

「そんなこと言って、銃を撃っている間は何よりも楽しそうにしているでしょう」

「うるせえ、ニールス。良い子ぶってんじゃねえ」


 ビクターは左隣に座っている敬語口調の男に言った。


「良い子ぶることもできないあなたが問題では?」

「何だと?」


 互いに身を乗り出した二人を、運転席の男が制した。


「二人ともやめろ。こんな狭い車内でボクシングでも始める気か」

「おめえの弟が煽ってくるのが悪いんだろうが、モーリス」

「ビクターが落ち着かない利かん坊なのが悪いんです、兄さん」


 そこでずっと黙っていた助手席の男が目と口を開いた。


「うるさいな。まともに寝れないじゃないか」


 その口振りは、まるで朝のランニング中に通りすがった通行人にする挨拶のような爽やかさが含まれていた。


「ビクターもニールスもそこまでにしておけ。そろそろ救出対象が家を出る時間だ」

「公園で待ち合わせだなんてふざけてるぜ。隊長、来る途中で救出対象が死んだらどうするんですか?」


 ビクターは助手席の男にふてぶてしい態度で敬語を使った。この場にいる最上位者への最低限の礼儀だった。


「そのときは給料も払われず、俺たちは異国の地に放り出されることになるな」

「冗談じゃねえ。さっさと来いってんだ」

「安心しろ。二人とも来るさ」


 隊長の言葉にモーリスはガスマスクの中で眉をつり上げた。


「救出対象は少女一人のはずでは?」

「予定が変わったんだと。コイツも連れてこいと雇い主は仰せだ」


 男はポーチから一枚の写真を取り出し、まずモーリスに渡し、モーリスは後部座席の二人にそれを渡した。


「女……?」

「いえ、男ですね」

「彼氏ってことか?」

「すぐそういう考えに行きつく……」

「絶対そうだって。じゃなきゃ男を連れる訳ねえだろ。でしょう隊長?」

「どうだかな。来たら訊いてみろ。けど雇い主は「今日は赤飯だ!」って言ってたな……」

「赤飯?」

「何だそりゃ?」

「確か吉事に食べる日本の伝統的な料理だったと思いますが……」


 モーリスの呟きにビクターがニヤついた。


「じゃあ日本には彼氏彼女ができた記念に赤飯とかいうのを食う文化でもあんのか?」

「それは違うと思いますが……」

「まあ気長に待とうや。お前らも少しは寝とけ」


 隊長と呼ばれた男はまた目をつむり、昨夜起きていた分の睡眠時間を取り戻そうとした。


 *


 当の救出対象二人は、ほぼ同時に目を醒ましていた。

 結局夜中に急いで起きなければならない事態は発生しなかった。もっとも、下の惨状が上階に波及しなかったという可能性もあるが。

 懸念は杞憂に終わった。リビングで寝ていた七人は何事もなく起きていた。


「……。食料が無い」


 冷蔵庫の中は空っぽになっていた。九人もいれば当然だが。結局、保存食の乾パンを分配する羽目になり、一同は物足りない朝食を済ませた。


「これからどうする?」

「取りあえず食料調達とか?」

「避難できる場所ってないの……」


 七人はひとりでに会議を始めた。ハルはユノに付き添い、二階で銃の機微を確認することにした。

 ハルは道徳や倫理観というものを軽蔑するイタいニヒリストではないが、あの中の誰かが感染者であるという事実は、彼に警戒感を抱かせるには十分だった。

 ハルの心中は複雑だった。転化者への恐怖心と、想い人であるユノと一緒にいられる優越感、そして何より、今の状況に対して感じているスリル。

 ……スリル? スリルって何だ? 俺は今の状況が楽しいのか? ハルは胸に小さな針を刺されたような痛みを唐突に覚えた。突発的に自分が危険に愉悦を感じるおぞましい癖を持っているのではという不安に襲われたのだ。

 浮かない表情のハルを一瞥して、マガジンを装填しながらユノは呟いた。


「みんなを見捨てて逃げるのは嫌?」


 ユノはハルが逃げ出すことを躊躇しているのだと勘違いしていた。心中を見透かされたわけではないと知ったハルは安堵した。


「そりゃ罪悪感を感じない方がおかしいよ」

「そう。じゃあ私はおかしいのかもね」


 ハルはユノの顔を見た。普段のようにすました表情をしているが、その時だけはこれ以上無いほど冷酷に見えた。

 突然階下が慌ただしくなった。勢いよく床を踏みつける音、男と女の悲鳴。割れ物の割れる音。ハルとユノは顔を見合せ、最悪の事態がやって来たことを悟った。

 銃を持って一階に降りると、カイラが開いたドアの傍に立っておののいていた。


「どうした滝風」

「マキが……!」


 リビングの中を覗くと、水野マキというクラスメイトが別の男子クラスメイトに噛みついていた。目と鼻から出血して、瞳は白い。


「転化した……」

「マキ、やめろ!」


 リクハが引き剥がそうとマキの肩を掴んだ。だがマキが腕でそれを振り払うと、リクハは近くのテーブルに後頭部をぶつけた。


「リクハ!」

「どきなさい!」


 ユノがハルとカイラを押しのけリビングに入った。MP7の銃口をマキに向ける。


「ごめんなさい」


 ユノはためらい無くトリガーを引いた。 弾はマキの背中と振り返った頭部に命中した。


「があ”あ”ア”あ”ぁ」


 勢いよく床に倒れたマキはなおも身体を震わせていたが、ユノが近づき頭部にトドメの銃撃を行うと完全に活動を停止した。


「な……」

「何やってんだ!」


 カイラが絶叫に似た声でユノをただした。


「こうなったら元には戻れないわ。こうしてあげるのが本人のためよ」

「は……何、言ってんだ? 殺して──」


 困惑するカイラの声を打ち消すように、マキに噛まれてから動かなくなっていた男子が起き上がった。


「ア”ア”あ”ぁア”ア”ア”ア”」


 背中を見せているユノを視認すると、立ち上がってその細い身体に手を伸ばす。誰よりも速く動いたのは、ユノではなくハルだった。


「柊さん!」


 自分でも信じられないほどの機敏さでグロックを構え、ハルは二発射撃した。一発目が転化者の頬を裂き、二発目が右肩に当たった。


「外に出て!」


 ユノの声でリクハを除く茫然としていたクラスメイトたちは自分の置かれた状況をやっと正しく認識した。リビングの外に駆け出し、転びそうな勢いで外に出ていく。

 ユノが廊下に足を踏み入れた瞬間、撃たれた男子クラスメイトがまた起き上がった。


「オ”ア”ア”ア”あ”ぁっ!!」


 復讐に猛り狂ううめき声を上げて突進する。ハルとユノは咄嗟にドアを閉じ、苦悶の声を上げながら捕食対象を求めるクラスメイトに抵抗した。


「夕凪!」


 玄関に向かっていたカイラは、ドアに体重をかけて転化者の行く手を塞いでいるハルとユノを見て戻ってきた。


「バカ、何で──」

「どういうことだよ?! 何で急にあんな風に──」

「聞いてる暇があるならさっさと逃げなさい!」

「けどよ──!」


 ドアが大きな悲鳴を上げてきしんだ。リビングにいる転化者が何か棒状の物でドアを叩き始めたのだ。


「破られる!」

「逃げろ、滝風。俺らが止めるから」

「……」


 カイラは迷っているようだった。ハルはカイラが自分の持っている銃に視線を釘付けにしていることに気づいた。


「……滝風」

「え?」

「市民会館に行くんだ。自衛隊がそこを避難所にしてる」

「夕凪くん!」


 咎めるようにユノは鉄灰色の髪の少年を睨み付けた。


「それとこれを持ってけ、落ち着いたら飲むんだ」


 ハルはポケットから小瓶を取り出した。それはユノから渡された抗ウイルス剤だった。


「何考えてるの!」

「……夕凪」

「もしもまた会えたら、その時に事情を話すから。今はダメだ」

「……」


 カイラは当惑した表情で小瓶を受け取ったが、ハルの「行け!」という言葉に圧され、先に逃げることへの謝罪の言葉を残して家を飛び出していった。


「まさかヒーローごっこが好きな人間だとは思わなかったわ」


 ユノが失望したような声音でハルを非難する。


「何とでも言ってくれ。いきなり人を見捨てられる人間になれって言われて、なれるわけないだろ」

「そこまで仲の良くない相手でも?」

「助けられる余裕があるなら助けるのが俺のポリシーなんだ」


 ドアが破られた。二人は倒れるドアに合わせそれぞれ左右に避ける。出てきた転化者が狙いを定めたのは、ハルだった。

 手に持っていた金属バットを片手で振り上げ、非人間的な動作で振り下ろした。

 屈んでいたハルはそれを避ける。バットの先端が床を突き破り、木片が飛ぶ。


「ふざけやがって……」


 腕で顔を覆い木片を防いだハルは、屈んだままの姿勢でグロックを撃った。胴体に二発命中し、転化したクラスメイトはバットを取り落として倒れた。


「……センスはあるのね」


 的確に銃弾を命中させたハルを見て、ユノは低く呟いた。


「クラスメイトを撃ってしまった……」

「今さら何言ってるの。これからもっと撃ってもらうわよ」


 玄関には銃声を聞き付けた転化者たちがよろよろとやって来ていた。


「突破していくわよ」

「前衛は任せます……」

「軟弱ね。まあ良いわ、ついてきなさい」


 *


 待ちぼうけていた救出部隊の面々は、遠くから聞こえる銃声の声で雑談を中断した。


「どこからだ?」

「南西。救出対象の家がある方向です」

「ようやく来たか。ちょっと飽きてきてたぜ」

「見えるか?」

「まだです。……あ、誰かが走ってきました」


 ニールスが窓を開けて顔を出す。金色に近い茶髪の少女が、鉄灰色の髪をした少年を引っ張って駆け寄ってきていた。


「対象二名です」

「来たぁ! おーい、こっちだぞ~!」

(外国人……?)


 手を振っている人物が英語で呼びかけてきたのを聞き、日本人じゃないのか、とハルは一瞬思ったが、よくよく考えると日本にPMCなどというものは無かった。民間が銃を持つなど信じられないことだからだ。考えてみると、一般人が銃を持てるアメリカといった国は今どうなっているのだろう。州兵やら米軍やらが対応しているのだろうか。あるいは民兵が? 


「よう、ボウズ。英語分かるか?」

「少しだけなら……」

「意外ね」


 車に乗り込みながらユノが感心するように言った。


「……小学校三年生まで外国にいたんだ」


 ユノにしか聞こえない声量でハルは答えた。


「乗ったな」

「出発します」


 黒いバンが鈍重な車体を走らせ、ハルとユノが安堵のため息をついている頃には人気の無い道路に出ていた。


「おいお前ら、抗ウイルス剤は飲んでるのか?」


 この人、妙に馴れ馴れしいな。そんなことを考えながらハルは飲んだ、と応じた。


「なら良いか」


 後部右座席に座っていた男がガスマスクを取る。短髪にした蜂蜜色の髪に黒い瞳。白の混じったヒスパニック系の顔があらわになる。


「ビクターだ。お前は?]

「……夕凪ハルです」

「今は任務中ですよ! しかもまだ彼らは消毒が終わっていません!」

「うるせえモーリス。一週間以内なら大丈夫なんだろ。お前も脱げ」


 そう言ってビクターは左隣の同僚のガスマスクを無理やりに取ろうとした。


「触らないでください。自分で脱ぎます」


 ガスマスクの下から現れたのは、イエローゴールドの髪に水色の瞳をした、純然たる白人だった。


「ニールスです。運転席にいるのが兄のモーリス」

「よろしくな」


 片手でガスマスクを取った運転席の男は、弟と同じ金髪だったが、瞳は茶色だった。


「隊長も自己紹介しないと」


 ビクターが言うと、助手席に座っていた男がもったいぶるような動作でガスマスクを取った。浅黒い肌にスキンヘッド、タールのように黒い瞳は油断の無い視線をハルとユノに投げやった。

 視線に緊張し二人が固まると、隊長と呼ばれた男の無表情はすぐに人懐っこい笑顔に変化した。


「ヒースだ。まあそう固くなるな。ちゃんと最後までエスコートしてやるよ」





 


 



 

 


 


 


 

 

  

 


 

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