第8話
雨が降り始めた。ハルは藤波市郊外にある謎の洋館の一室にいる。あてがわれた部屋の調度はヴィクトリア様式に統一されているが、知識の無いハルには分からない。
ノックも無しにドアが開いた。〝尋問〟をするのでついてきてほしいとスーツ姿の男が言った。
ハルは屋敷の地下に連れていかれた。映画やドラマで見るような無機質な取調室である。
「形式的なものだ。ほとんど意味が無いが、手続きというものは煩雑なものなんだ」
つまりハルが組織にとって危険ではないことを〝公的に〟証明する必要があるのだ。彼自身はそう理解した。
質問が始まった。生年月日、通っている学校、家族構成、その他身辺に関する諸々の情報……趣味や性的嗜好を除いた個人情報の何もかもが筒抜けになっていることには怒らなかった。これは自分の潔白を証明するある種の儀式なのだから、いちいち反発してはいけないし、する必要がない。
個人情報に関する問いが終わると、次はユノと過ごしたこの数日間について訊ねられた。ハルはユノにも同様の質問をしているか、これからするであろうことを想定し、包み隠さず正直に話した。
「つまり、お嬢様が君に一緒に逃げるかどうか訊いたんだね」
「はい」
「なるほど……」
質問者は何故か感心したようにうなずいていた。まるでユノが人助けをしたことに驚いているようだった。
一体ユノを何だと思っているのか。ハルは反感を覚えたが、すぐにユノの学校での態度を思い出した。そうだ、彼女はどういうわけかその人気に反比例するかのように周囲と距離を置いていた。もしかするとここの人たちにも同じような態度で接しているのかもしれない。あくまで推測だが……。
ユノが他人との間に心の障壁を築いていることをハルは知っていた。といってもこれはクラス委員として他のクラスメイトよりも多く彼女と接していた故ではあるが。
自分は彼女に信用されているのだろうか。ユノの導きでここまで来たにも関わらず、ハルは疑いを持っていた。「同じクラス委員だから取りあえず助けてみた」というあまりにも散文的かつ冷酷な答えが待っているかもしれないが、いつか本人に訊かねばなるまいとハルは決意した。
「次の質問に移ろうか。君はお嬢様の家に一度匿われて、そこで数日過ごしたんだね?」
「はい」
「君はこの銃を差し出された時、不慣れな手付きながらも正しい操作で銃を扱ったそうだね」
「それは……映画とかの知識で」
ハルは正直に答える。
「そしてまた時間が経って、君とお嬢さまはクラスメイトを家に入れて保護したんだね?」
「はい」
「そこでクラスメイトの一人が転化して、更に噛まれたもう一人が犠牲になった訳だが、君はその一人を撃ったんだね?」
「はい……」
「気分はどうだった?」
気分? 言葉の意味が一瞬分からなかったが、すぐに「ヒトを殺してどう思う?」と訊いているのだと気づく。
ハルはクラスメイトを撃った時の風景の脳内で再生した。血を噴き出してユノに襲いかかろうとする同級生。もしあそこで動かなかったら、ユノは死んでいたかもしれない。彼は夢で見たユノの姿をおぼろげに思い出していた。あんな姿のユノは見たくない。
「……特に何も。あそこで撃たないと柊さんが死ぬかもしれないと思って……」
何て冷たい人間なんだろうとハルは内心で自嘲した。好きな人が生きていれば、他は良いというのか。自己中の極みだが、不思議と納得してしまっている自分がいた。
「……そうか。なるほど。──よし、質問は以上だ。部屋に戻ってもう休んだ方が良い」
時計を見ると、針は夜七時を指していた。〝尋問〟が始まって一時間が経っていた。
「どうだった?」
「まだ何も。ですがこんな状況でも落ち着いているように見えるのは大したものです」
「なるほど」
トウカは部下を下がらせ、執務机の向こうにいるユノと対面した。館の四階にあるひときわ大きな部屋で、トウカは窓張りの壁を背にした革張りの椅子にふんぞり返っていた。
「尋問したのですか」
「怖い顔しないでよ~。話を聞いただけ! 本当だから。だから君の彼氏は傷一つ付いてな──」
「彼氏じゃありません」
ユノは不愉快だった。明らかに伯父様は私の反応を面白がっている。どうしてこんな人にみんなついていくのかしら……。
「いやいや、隠さなくて良いって。明らかに好きじゃん。じゃなきゃここまで連れてくる必要ないでしょ。素直じゃないな~」
「……」
「睨まないでよ。そういう怖い顔は妹そっくりだけど」
不意にユノの唇がひきつった。あからさまな嫌悪感をあらわにし、腰のホルスターから拳銃を抜き放った。
「……前見た時よりも動きが速くなってるね。成長しているようでなりより。とはいえ、感情に任せて銃を抜くうちはまだ半人前かな」
銃口を向けられているにも関わらず、トウカは笑顔だった。
「両親の話はしないでください。特にあなたにその話をされるのは大っ嫌いです」
「そうだったね。そうだったそうだった……」
トウカはユノに背を向いた。ユノには分かっていた。伯父が笑いをこらえていることに。拳を握りしめ、殺意を胸の内に抑える。
「そうそう。彼のことだけど……」
突然トウカが向き直った。笑顔は消え、冷静沈着な表情になっている。
「うちの組織に入れることにした。君のボディーガード兼パートナーとして」
「ボディーガードなんか要りません」
「知ってる。これは建前。彼には君と同じく現地で活動するエージェントになってもらう」
ユノは眉をひそめる。
「……普通の生活には戻さないんですか」
「無理だよ。君がここに連れてきた時点でもうダメだ」
「……」
「それに彼だって承知なんじゃない? そう、例えばさ、私が彼を情報保全のために殺そうとしたら──」
ユノが拳銃の引き金にかけている指に力を込めた。
「待って待って。例え話だよ例え話。落ち着いて」
「夕凪くんは殺させない」
「やっぱり好きじゃん」
「……銃創の痛みを体験してみますか?」
「あれって結構痛いよね。まあそれはそれとして、私が彼を殺そうとしたら、彼はきっとこの組織に入ろうとするよ。それに彼は今起きている事態の全容を知りたがっているし、君も知っている情報を話したんでしょ?」
「それは……」
「甘いなぁ。もう彼は普通の人生を送ることはできないよ。君と、他ならぬ自分のせいで」
まるで雨音が不自然に大きくなったようだった。ユノは拳銃を下ろしうつむいた。実のところ、ユノには全て分かっていた。ハルを連れてくるということは、彼を日常の世界から引き離すことになる。本来だったら一生目の当たりにしない裏の世界に引き込むことになると。
だが、分かっていたが、それでも連れてきてしまった。ここに来るまでに置いていこうと思ったことは一度や二度ではない。だが、自分に言い訳をして連れてきた。自分のところにいると安全だから、彼が事の全容を知りたがっているからと。
とんだ人でなしだ。しかししょうがないじゃないか。ここの方が、断然安全なのだから。人喰いの化物が渡り歩く街より、ここの方がずっと落ち着いていられる。周囲は森で囲まれ、動体センサーが等間隔で配置され、武装兵が巡回して転化者や部外者が迷いこんで来ないか目を光らせている。
ここ以外にあるのか。夕凪くんを、初恋の相手を守るに適した場所が。
一目惚れだった。例に漏れずハルを最初は女性だと見間違えたユノだったが、男としては女々しすぎるその顔が、彼女の琴線に触れた。
クラスメイトたちの積極性の皆無さが原因でクラス委員になった後、ユノは彼の対応力と思考力にすぐ気がついた。そして何より良いのがこちらの話に合わせてくれることだ。こちらの言うことをすぐに理解し適切に答え、調子を合わせてくれる。他の男どもときたら、
「自分は中学時代サッカー部のエースだったから頼ってくれよ」
とか、
「めっちゃ美人じゃん。ホワイトデー期待してて」
だの、
「俺の好きな歴史上の人物って誰だと思う? ナポレオンでした~」
などと、訊いてもいない、期待してもいないことばかり話してくる。ユノは人間として自立自活ができ、自分が美形に類する風貌だと自覚しており、訊いてもいないのに好きなことだけを話して得意げになるオタクが嫌いだった。
男というのは異性に──本気か建前かは関係なく──良い顔をされるとすぐ調子に乗る。そうだ、吉城リクハのグループが家にやって来たのも、リクハのモテ自慢に相槌を打ってしまったのが遠因ではないか。あれで関心を持ったと勘違いしたリクハが、あまりにもしつこく家を訊いてくるので住所をほのめかしてしまったのがいけなかった。あれで予定が狂ってしまった。
ユノは家を出る前に見た気絶したリクハの姿を思い出した。リクハは転化したクラスメイトを止めようとして振り払われ、テーブルに頭をぶつけてそのまま伸びてしまったのだった。
「どうしたの?」
トウカの声がユノを
「いえ」
もう嫌な人間のことは忘れよう。どうせ死んだか、転化して街をうろついているに違いない。今は生者──特にハルのことを考えよう。
「今いろいろと考えましたが、不本意ながら伯父様の言うことが正しいと認めざるを得ません」
「あっそう。まあ君は馬鹿じゃないからそう言うと思ったよ」
「彼は私が面倒を見ます。伯父様は構わないでください」
「ハイハイ。けど、彼が私に話しかけてきたらその時は我慢してね」
「……はい」
「よろしい! 今日はこの辺にしておこうか。部屋は彼と同じにしておいたから。……ねえ、そんな顔しないでよ。君が面倒見るんでしょ? 目の届く範囲にいた方が良いでしょ?」
ユノはそれには答えず、大きな音を立ててドアを閉じた。ローファーを打ち付けるようにユノは立ち去った。
足音が消えた後、部屋に右側にある控え室のドアが開いた。
「なんだ、盗み聞きしていたのか?」
「先輩の安全のためです」
部屋に入ってきたのは、二十代後半ほどに見える青年だった。明るい茶髪が雨の降る中でも輝いているように見える。
「大丈夫さ。ユノだってこんな場所で私を撃ったらどうなるか分かっているはずだから」
「ですけど、彼女は今にも先輩を撃ちそうでしたよ」
「魚眼レンズで覗いていたのか。趣味悪いって
「万が一のことがありますから」
若嶋と呼ばれた男はやれやれといった表情で言った。若嶋はトウカの大学時代の後輩で、防衛省で三年ほど働いた後にスカウトされた。トウカの懐刀で、彼の〝目〟として現場指揮を取ったり、作戦の調整なども行う。ヒース率いる部隊にハルを追加で救助するよう直接依頼したのも若嶋だった。
「まあこれからユノも丸くなるだろうから」
「夕凪ハルが来たから、ですか?」
「お前から見て、彼は使えそうか?」
「お嬢様の家にあった監視カメラの映像だけ見れば、素人にしては判断力と実行力に富んでいるようです。実際転化者を一人射殺していますし、ポテンシャルはあるんでしょうね」
「訓練次第か」
「そういうことです」
トウカはひじ掛けを指でつつく。
「しかしこれでユノを繋ぐ鎖ができたのは良いことだ」
「はあ」
「彼女が暴走してもきっと彼が止めてくれるよ」
「まだ人となりも知らない相手に期待しすぎでは?」
「あのユノが連れてきたんだよ? 男全般を軽蔑しているようなユノが。彼女のお眼鏡にかなった子なんだから、ちょっとは期待しても良いんじゃない?」
「期待ですか。僕としては警戒した方が良いと思いますが」
「?」
ほんのわずかに眉を動かすことでトウカは疑問の意を示した。
「夕凪ハルの身辺調査結果です」
若嶋の提出した資料をトウカは興味無さげに読み始める。
「……」
しかしすぐに笑顔を浮かべる。
「なるほどね」
「監視するべきです」
「まあ良いじゃないか。今はそれどころじゃないし。考えるのは状況が落ち着いてからにしよう」
「……」
不満げな後輩をよそに、トウカは椅子にもたれかかった。
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