第4話

 狂騒の半日を越え、七時間の睡眠を取ったハルはリビングに敷かれたマットの上で目を覚ました。


「ベッドは私のしかないから」


 ユノの反論を許さぬ物言いが、ハルが床で寝る要因となった。安全な場所を与えられている身分なので、文句は言えない。元より言う気もない。ユノと同じ部屋で寝たいという願望がないではなかったが、それは絶対に叶えてはならない私欲である。実行に移そうとしただけで全て終わってしまうのだ。

 ハルの母であるルミのいる市民会館はそれなりの秩序が保たれているらしかった。職員と避難してきた住民は、〝ウイルス検査〟なるものを受け、いかなる基準からか大ホールと中ホールにそれぞれ分けられているという。昨日のユノの話を聞いているハルには、それが何を意味するか理解できていた。感染者と非感染者を選別しているのだ。母はどちらなのだろう。

 急に苦しみだした人は居なかったか。さりげなくメッセージを送る。ややあって「特に誰もそんな症状は示していない」という旨のメッセージが返ってきた。単に発症者が現れなかっただけかもしれないが、今のところは安全だろう。鉄灰色の髪をかきあげながらハルは安堵のため息をついた。


「おはよう」


 既に着替えを終えたユノがリビングに入ってきた。オフショルダーのブラウスにプリーツスカートをはいている。


「何? まじまじと見て」

「……何でもないよ」


 どこかに出かけるつもりなのか。ハルはそう訊こうとしてやめた。一つは質問する気力が無いというのが理由だったが、憧れの女子の貴重な私服姿を観賞していたいという欲求に駆られたのが大きかった。


「朝食にするから。さっさと着替えて」

「着替えって、あるの?」

「あなたに合うサイズがあるかは知らないけど」


 辛辣な人だ。背中の痛みを我慢しながらハルは起き上がった。マットを敷いていたとはいえ、やはり固い床の上は睡眠に適さない。

 コーンフレークを食べ終えた二人は、テレビを点けた。一夜明けた状況を知りたかった。

 二つのチャンネルが視聴不可能になっていた。メンテナンス中を知らせる旨のテロップが画面に映し出され、規制音が途切れることなく流れ続けている。


「やられたのかな」


 不安に駆られつつ、ハルはまだ放送を続けているチャンネルに切り替えた。昨夜十時頃から放送され続けているニュースによれば、戦後発の治安出動が発令されたという。ハルとユノがヒュプノスのキスによって無意識の世界に誘われていた深夜のことである。


「東京と大阪に……。〝転化〟した人たちへの対応で?」

「自衛隊による懸命なにも関わらず、暴動は悪化の一途をたどり──」

「ダメみたいね」

「やっぱり警察や軍は役立たないのか……」

「──仙台では一部地域を除いて暴動の鎮圧に成功していると宮城県警より発表が──」

「なんだ、結構やるじゃん」

「……警官の中にいる感染者が転化したら、東京や大阪と同じことになるわよ」


 余計なことを言うな。そんなハルの非難がましい視線を無視してユノは立ち上がった。金色に近い茶髪が揺れる様がいやに優雅である。

 しばらくして、何かを両手で持ってユノがリビングに戻ってきた。あまりにも重そうに見えたのでハルは手伝おうとしたが、そのケースの大きさと形状に彼の大脳皮質が刺激された。


「柊さん。これって──」


 黙れと言わんばかりの勢いでユノは横長のをテーブルの上に置いた。

 ユノが開けると、中にはMP7が入っていた。個人携帯火器PDWとも呼ばれるサブマシンガンで、携帯性の高さから各国の軍や警察でも採用されている。


「エアガンでもモデルガンでもないよね、これ」


 ハルの独語にユノは一瞥して、


「ええ。本物よ」


 と短く答えた。


「他にもあるから。廊下の壁に埋め込まれてる戸棚にハンドガンのケースがあるから持ってきて」


 言われるがままに持ってきたガンケースの中には、グロック17という名のハンドガンが入っていた。


「使い方分かる?」

「映画とかゲームとかで見て、あとモデルガンも持ってるし……。うわあ、本物だ」


 おぼつかなかったが、ハルのそれはユノからすれば「及第点」の扱い方だった。機微をチェックし、自分からマガジンに弾をこめ始めたので、ユノは思わず感心の声を洩らした。


「これって護身用?」

「できれば使いたくないけどね」

「慣れた手つきでサブマシンガンを扱ってる人が言っても説得力無い気がするんだけど。っていうか本当に柊さんって何者なの? 明らかに何らかの訓練受けてるよね?」


 有原学園を出る際、下駄箱の前で美人のクラスメイトが見せたミドルキックをハルは思い出していた。


「撃ち方分かる?」


 ユノはハルの質問をわざと無視したようだった。


「え、こう……」


 ユーチューブなどで見た動画を思い出しつつハルは拳銃を構えた。


「もっと足を開きなさい。腕も伸ばして。自然な前傾姿勢になるように……」


 ハルはユノから射撃姿勢の手ほどきを受けた。その間、ハルはユノに腕や腰を触られ、彼女の温かい感触に気を取られたために話を聞いていない場面がたびたび訪れた。

 ユノに小突かれながらも銃の扱い方を学ぶうち、太陽は二人の真上に移動してしまっていた。


「銃を分解してまた組み立てることを教える時間は無いけど、いざって時は撃てるようにしなさい」


 昼食はラーメンだった。銃火器を横に置いての食事とは。ハルは非現実感にめまいがする思いだった。


「本気で言ってるの?」 

「さっき教えたことをちゃんとできたら、アイツらだって倒せるわ」

「アイツらって……」

「転化者に決まってるじゃない。言っとくけど、発症したら二度と元に戻れないからね。撃った方がアイツらのためよ」

「簡単に言うね……」


 ハルがぼやいた瞬間、外からうめき声が聞こえた。その数瞬後に、甲高い悲鳴が遠くから響いた。

 ハルは足音を立てずにリビングの窓に近づき、カーテンの隙間から外の様子をうかがった。

 〝転化者〟が叫び声がした方向に向かってよろよろと歩いていた。小学生ほどの転化者を見つけ、ハルは息を飲む。

 ユノが鉄灰色の髪をしたクラスメイトの肩を掴んだ。


「無闇に姿を晒しちゃダメ。連中は普通に目が見えてるのよ」

「そうなの?」

「何でもかんでも映画やゲームに当てはめるのはやめなさい。アイツらはちゃんと目が見えるし、鼻も耳も利くわ」

「人間と変わらないじゃん」

「積極的に同族を食うことを除けばね」


 午後の間、二人は特に意味のあることはしなかった。ユノは「自衛隊が治安活動中」というテロップだけ出して、東京と大阪の風景を交代交代に映し出すテレビをじっと見ていた。ハルは中学時代の同級生にメッセージを送ったり、SNSの様子を見たりしたが、どちらも鳴かず飛ばずに終わった。メッセージに返答してくる者はおらず、SNSでは転化者の写真や映像ばかりが羅列され、「奴らは目が見えない」「アイツらは目も耳も見える」「塩を撒くと近づかない」など、滅茶苦茶に情報が氾濫していた。

 SNSのかつてない混沌ぶりにハルはため息をついた。避難所についての情報も発信されていたが、はたして安全なのかどうか。避難した人間の中に感染者が紛れ込んでいることは明白だろう。

 ふと、藤波市についての情報はないのかと思い当たった。試しに検索してみると、藤波市民会館についての投稿が数件ヒットした。


「藤波市民会館避難所」

「ウイルス検査有り」

「自衛隊による避難所」


 写真も添付されている。ガスマスクを着けた自衛隊員と、マスクを着用した一般人がごった返しているホールの写真だ。


「ねえ、市民会館にいる自衛隊って、柊さんの伯父さんと知り合いだったりする?」


 藤波市民会館と他の避難所のわずかな差異に気づいたハルは、ほぼ反射的にユノに訊ねていた。


「今さら訊くの? そうよ。市民会館にいるのは伯父様の息がかかった部隊よ」


 やはり、とハルは合点がいった。他の避難所は〝ウイルス検査〟などしていない。何らかの防疫措置をしていることも、何かの病気であるという示唆も何も無い。事情を知っているのは本当にごく一部だけなのだ。

 しかし、そこでハルの脳裏に新たな疑問が浮かんだ。なぜ情報を公開しないのか? 


「混乱が起きるからでしょ」


 ユノは素っ気なくハルの疑問に答えたが、問いかけた本人は釈然としなかった。だとしても、政府や警察、自衛隊には情報を共有するべきでは? もしかすると共有した上でこんな状況になっているのかもしれないが、そうだとしてもハルは何故か納得ができなかった。何故自分が違和感を抱いているのかもハルには分からない。分かるのは、自分がユノを信頼しているということと、どんな結末が待っているにせよ、彼女についていった方が長く生きられそうだということだった。

 近いうち、そうあと数日もすれば、自分の知りたいことが知れる。ハルは自分に自制するよう言い聞かせた。自分の知りたい情報がどんなに巨大なものなのか、その自覚は無かったが。

 その日、ハルは少しばかりの安心感を胸に就寝した。床は痛かったので、ソファーの上で毛布にくるまったのだった。




 翌日も、ハルとユノは息をひそめ、不必要な音を立てることなく過ごしていた。もはや何も映らなくなったテレビを尻目に、ハルとユノは無為に時間を消費した。

 事態が動いたのは、太陽が青いキャンバスに薄く黄色の絵の具を塗布し始めた頃だった。早めの夕食を終え、暇を持て余していたハルとユノは、あろうことかトランプ遊びで時間を潰していた。非常事態だというのにトランプとは。ハルは自分の順応性に苦笑せざるを得ないまま、ユノの相手を務めていた。

 神経衰弱とスピードを二回ずつやり終えた頃、インターホンの音が鳴った。


「何? 柊さんの言ってた救助の人?」

「そんなわけないでしょ」


 ユノはMP7を手にして安全装置を解除した。二回目が鳴った時、彼女は外の映像を映しているインターホンの画面を見た。


「最悪」


 不快感をあらわにユノは呟いた。気になったハルが確認すると、有原学園の制服を着た人間が数名玄関の前に立っていた。

 全員が見覚えのある顔だった。それもそのはず、インターホンをしきりにならしているのはクラスメイトたちだったのだ。


「開けてくれー!」


 切羽詰まった口調で請願しているのは、吉城リクハという名の男子生徒だった。一年生ながらバスケ部のエースとしての将来を渇望されていて、クラス委員だったハルとユノとは別の意味でクラスのリーダー格としての地位を占めていた。ハルよりも美形で、女子からの人気も高い。

 ハルはこのバスケ部エースが少し苦手だった。時おりクラス委員の仕事に干渉してきたからだ。ハルはリクハがユノに想いを寄せていて、彼女と一緒にクラス委員を務めている自分に嫉妬していることを肌で感じ取っていた。

 とはいえ、今は私情で家のドアを閉ざす訳にはいかない。生存者は助けるべきだ。模範的な道徳観を発揮して廊下に出ようとしたハルの腕を、とがめるような表情のユノが掴んだ。


「ダメ」


 ユノが何を言いたいのかはすぐに分かった。玄関のドアを開けるなと言うのだ。


「何で?」

「中に入れてどうするの。私たちはもうすぐここを後にするのよ」

「だから一緒に連れていけばいいじゃん」

「私一人だけを助ける前提なの。あなたともう一人くらいなら連れていけるだろうけど、この人数は無理」


 青く澄んだ瞳の少女はインターホンの画面を指さした。玄関の前に居るのは合計で七人。リクハを中心としたグループである。


「……迎えの人たちの構成を聞いても?」

「PMCが四人。黒いバンで旧市街の公園で私たちを回収する予定よ」

「PMCって民間軍事会社のことだよね? イメージ的には黒いんですが……」

「PMCに後ろ暗くないことなんてないでしょ」

「辛辣だな……。いや、そうじゃない。その人たちに頼むことってできないの?」

「PMCが何なのか分かってる割には鈍いわね。彼らは金で雇われてるのよ。あなたを助けるのだって追加料金がかかるんだから」

「そういうもんなの……?」

「そういうもんなの」


 会話が一瞬途切れた。まるでそれを見計らったように外のクラスメイトたちはドアを叩き、大声で叫び始めた。


「開けてー!」

「開けてくれー!」

「うるっさいわね。転化者が来ちゃうじゃない!」

「これやっぱり開けた方が良いよ」

「まだそんなこと──」

「今、転化者が来るってユノさん言ってたでしょ? このままだと本当に奴らが来て大変なことになるよ。取りあえず入れといて、後は俺らだけ出ていくとかさ……」

「……あなた、自分が中々に酷いこと言ってるって自覚ある?」


 わずかに眉をひそめてユノは言った。


「何だよ、代替案を出してあげてるのに……」

「私が言いたいのはそういうことじゃ……もういいわ。銃を隠して。入れるだけよ」


 銃をガンケースに詰め、それを廊下の壁に埋め込まれた収納棚に隠した二人は、慎重に玄関のドアを開けた。クラスメイトたちの安堵の笑顔が、それに応えた。


 


 


 

 

 

 

 

 


 

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