第16話 真実

 背後からルイソンに抱締められる自分が鏡に写ると、アルベルトは目をうっとりとさせ、自分の肩に手を置いた。

 誰かがドアをノックする音で現実に引き戻されたアルベルトは、パウル卿当主の顔に変わると鏡に映るがっかりとした自分に苦笑する。


「エイデンか?」

 いつもなら身支度の手伝いに現れるエイデンが、少し遅れてやって来たと考えたが、気配が彼ではないと覚ると身構えた。

「兄さん、今宵もお出掛けですか?」

「ケビン・・ 出掛けたんじゃなかったのか? ・・いっ」

 アルベルトは首元にチクリと何かに刺された気がして手を置くと、ドア付近に居たケビンがいつの間にかアルベルトの隣に並び、悲しい瞳でアルベルトを見つめる。


「僕は凄く残念です。貴方は僕の尊敬に値する兄で、誇り高きパウル卿の当主。僕はいつも貴方の弟である事が誇りで喜びでした」

 ケビンは誇らしい顔をつくると胸に手を当て、兄への忠誠と愛を思い起こすように視線を遠くにおくる。

「ケビン・・ どうしたんだい?」

 ケビンに問い掛けたアルベルトだったが、何故か急に身体が重くなると足元がふらついたため、近くのソファに手を置いた。

「兄さん、そんな敬愛していた貴方に二度も裏切られた僕の気持ちが分かりますか?」

「ケ・・ビン、何をした?」

 立つ事もままならなくなったアルベルトはソファに崩れ落ちると、そのまま動けなくなってしまう。

「兄さんの鋭い警戒心はどうしたんですか?」

 ソファに横たわるアルベルトに、ケビンは上から軽蔑の眼差しを注ぎながら、自身も向かい側のソファに腰を下ろした。

「母上の作る痺れ薬は凄いですね。兄さんまでこんな赤子になってしまうなんて・・ アハハハ」

「痺れ・・薬」

「僕が何故こんな事をするか、お分かりですよね・・ 貴方は僕をまた裏切った。あんな糞野郎と、あんな事を・・」

「ケビン・・ 過去に僕に血呪をかけたのも君か?」

 言葉を吐くのも困難になってきたアルベルトは、可能な限りケビンの思惑を探ろうと、必死で口を動かした。

「さすが兄さん、血呪に気付いたんですね。でもアレは母上が掛けました。ルイソンを貴方の手で殺すために・・ 僕も母上も貴方を助けたかった。なのに・・ 貴方はあんな奴を庇って何処かに消えてしまった」

 アルベルトは過去も今と同様に、ルイソンを愛していた事実に心が震え、彼を殺したのが自分ではない事に安堵した。


「父上も貴方と同様にライカンを愛していた事を、ご存知でしたか?」

「あい・・して?」

 密会をしていたのは熟知していたが、母上を裏切る方ではないと信じていた父の別の顔に、アルベルトは心臓が止まりそうになる。

「父上が若かりし頃で、母上と出逢う前だったとしても、宿敵ライカンの雄に自分の尻を掘らせるなんて・・口にするのも悍ましい。しかもそいつの子孫と密会を続けていたとは、裏切りでしかない・・ 僕達を馬鹿にしていたんだよ・・  兄さんまでも・・ クっ」

 ケビンは苦々しい顔をすると拳で自身の膝を強く叩き唇を噛み締めた。

「母上は・・ どうやって父上の事を知ったんだ・・?」

「え? 簡単だよ。血を飲んだ・・」

 血の戒を破った母親の行為に驚くと、アルベルトは動かない身体がもどかしく瞼をギュッと閉じた。


「血の戒を破っても直ぐに灰化しないんですよ。ユックリと長い時間を掛けて身体が灰になっていく。死への恐怖に怯えながら、仲間からは冷たい視線を浴びせられ、戒を破った見せしめとなる・・ 怖いよね」

「でも母上は・・」

「あ? そうだよ。母上は灰にならなかった・・ 父上が呪詛返しを受けたから・・ 母上は父上を血呪で狂気させてガルソン一族を皆殺しにさせるつもりだったらしいけど、父上は血呪にも呪詛にも耐え、自分を長い眠りにつかせた・・ ライカン如きに必死になって・・ 愚かだよね・・ でも、全部母上から聞いた話で、あの仲良しだった母上と父上が、だなんて・・ 驚きだよね」

 家族を愛していたケビンは、瞳に心の哀愁を映すと視線を落とした。

「ケビン・・」

「そして僕も戒を破ったんだ・・ 先日兄さんと料理をしたよね? その時、僕わざと兄さんを怪我させて、貴方の記憶を読み取った・・ 僕がどんな気持ちだったか分かる? 本当に残念だよ・・」

 そう告げたケビンは灰化した腕を見せる。

「ケビン・・」

「ルーア大陸を僕がヴァンパイアの支配下にしてみせる。これ以上、ライカンごときに翻弄されるのは嫌だっ・・」

 アルベルトはケビンに視点を合わせることで、薬により離れていく意識を引き戻す。

「ケビン・・ 人間がヴァンパイアを全滅できる武器や薬を・・開発している・・ 」

 ケビンは声を絞り出すアルベルトを冷ややかな視線で眺め、一つ鼻で笑うと足を組み替えた。

「それが何? 僕の妻、クロエはね、ルスヴィン卿の血族なんだよ。だから僕の息子、ヒューゴはルスヴィン卿とパウル卿の血を引いている。どう? 凄いでしょ・・ アハハハ」

 アルベルトの寝室にケビンの高笑いが響く。

「ケビン・・ まさか・・」

「そう、ヴァンパイアの神がもう直ぐ復活する。だから、貴方の役目は終わりです。兄さん安心して眠って・・ 心から愛していました。さようなら」

 ケビンの計画に愕然とするアルベルトは肩を落とすと呼吸が薄くなっていく。そして、ケビンを直視していた視界が歪み始めると、意識がついに身体から離れ暗闇に包まれてしまう。


 アルベルトの匂いを追ってルイソンが辿り着いた先は、ヴァンパイアの拠点近くだった。

 身を潜めルイソンの様子を伺うヴァンパイア達に、囲まれているのを感知していたが、臆する事なくアルベルトの元へと急いだ。


「アルベルトっ!」

 石畳の上に横たわる愛おしい姿を見付けたルイソンが駆け寄ろうとすると、顔に血管を浮かべたアルベルトが赤い眼を光らせ血術でルイソンの足を止めようとする。

 だが、アルベルトの術を持ってしてもルイソンには利かず、彼はアルベルトに近づこうとした。

「来る・・なっ! ルイソン・・ 来ないでくれ・・ ああっっ!」

 頭を抱え蹲るアルベルトに歩み寄ろうとしたルイソンは、アルベルトが前に出した腕の力で吹き飛ばされる。

 呻き声を上げるアルベルトの背中が盛り上がると、服を裂きコウモリの羽が生え始める。

「アルベルトっ!」

「見るな・・ こんな姿君に見せたくない・・ 消えてくれ・・」

 アルベルトはヴァンパイア本来の姿に変化した身体を、黒く大きな羽で隠したが、再び苦しみ始めると飛び上がった。

 アルベルトの変貌に唖然とするルイソン目掛けて襲いかかるアルベルトは、胴回りと両足に取付けられた鎖によって、ルイソンの目前で停止すると牙を剥き出しにする。


「アルベルトっ!」

「ああああっ、ルイソンっ! 逃げてくれっ!」

 自分自身の中にある何かと闘うように、アルベルトの美しい顔が時折浮かぶと、ルイソンに苦しい表情を向ける。

 ルイソンは辺りが明るくなってきている事に気付くと天を見上げた。頭上は大きく開いており白くなり始めた夜空が見える。

「アルベルトっ!」

 苦しむアルベルトに接近すると、腰回りに付けられた鎖を、外そうとするルイソンだったが、手が焦げる匂いと痛みで咄嗟に鎖を手放してしまう。

「ルイ・・ソン・・ 鎖は銀製で術が掛けてある・・ 絶対に外れないっ! だからっ! ああああっっ!」

「アルベルトっ!」

 手を焦がしながらも、アルベルトを解放しようとするルイソンは、背後に殺気を感じると後ろを振返った。


「来たな、ルイソン」

「ケビンっ!」

 ルイソンに険しい表情を向けるケビンは、手にしていた長い剣を天高くに放り投げた。

 完全にヴァンパイア化したアルベルトが飛び上がり、宙で舞う剣を手にするとルイソンの心臓を目掛けて振り下ろす。

 ルイソンは咄嗟に両手で剣を掴むと、かろうじて心臓を突き刺すのを防いだ。

「アルベルトっ! 俺だっ!」

「ああああっっっ」

 狂気したアルベルトの鼓膜にルイソンの声は届かず、ただ無心でルイソンに純銀で光輝く剣を突き刺そうとする。

「今度は死ねないんだっ! アルベルトっ! 俺達でオルディアを平和にするんだろっ!」

 ルイソンが羽ばたくアルベルトを地上に引き摺り下ろすと、ルイソンの両手から流れ出た血が剣をつたい、叫び続けるアルベルトの口の中に滴り落ちた。

 アルベルトの目が赤と元来のサファイア色に交互に光ると、ヴァンパイアの姿が薄れ人型のアルベルトが見え隠れする。

「ううううっ」

 アルベルトは頭を抱え両膝を地面に着けると、全ての力が抜けたように項垂れた。

「アルベルト・・」

 美しい姿を取り戻したアルベルトの瞼が開くと、ルイソンを愛おしい目で見つめる。

「ルイ・・ 全てを思い出したよ」


【ルイ】

 アルベルトが囁く懐かしい呼び名にルイソンの心が震えたが、またもや頭痛に襲われると足元がフラつく。

「ルイっ!」

 ルイソンは痛む頭を抱えながら明るくなってきた空を見上げ、再びアルベルトに繋がれた鎖を切ろうとする。

 鎖に繋がれたままで、ルイソンを襲おうとしたアルベルトの腹辺りは裂け、血が噴き出していたが、その血は溢れ出すだけで以前のように、アルベルトの身体には戻らなくなっていた。

「夜が明けるっ! くそっ!」


 突然遠くで爆発音がすると、無数のコウモリ達が飛び立つ。


「ケビン様、パウル卿のお屋敷が何者かに襲われています。今直ぐお戻りください」

「何? 結界が破られたと言うのか? ちっ」

 ケビンは苦々しい顔でルイソンとアルベルトを睨み付けると唾を吐き捨てた。

「ルイソンっ、お前のせいで灰になるアルベルトをその目に焼き付ければいい。お前も直ぐに兄の元に行かせてやるっ!」

 ケビンが家来と共に消え去ると同時に陽が昇り始める。

 ルイソンは身体を獣化させ唸り声を上げると、渾身の力で鎖を引き裂いた。そして、アルベルトを抱え即座に建物の中に逃げ込む。


「ルイ・・ 有難う・・」

 血呪により意識が朦朧とする中、アルベルトは自分を抱き上げるルイソンの頬に手を当てる。

「アルベルト・・」

 アルベルトにキスをしようとしたルイソンが、何かが近づいてくる気配に身構えた時、頭上で爆弾が破裂すると建物の天井を全て吹き飛ばした。

 ルイソンは咄嗟にアルベルトを地面に下すと、彼を庇うように覆い被さるが、アルベルトに容赦なく朝日が降り注いだ。

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