第10話 決別の夜

 新月の夜、秘密の場所で奇遇にもアルベルトと出会したルイソンは、あの夜のアルベルトの姿が脳裏から離れなかった。


 暗闇で明かりを灯すように白く輝く横顔

 透き通る、うなじ

 海よりも深い蒼玉の瞳

 そして、細い腰つき


 頭に浮かび上がる度に首を激しく振り、取り払おうとするが、ともすれば術にかけられたように、彼の姿が記憶に絡みつく。


「ハァ――っ」

「ルイソン、この間からどうした、溜息ばかりついて」

 食事の手が止り虚ろな目で一点を見つめながら溜息を溢すルイソンに、同じテーブルでランチを食べていたマキシムが心配そうに尋ねた。


「あ、何でもない」

「何でもないなら良いけど、溜息なんてお前らしくな・・い」

 マキシムは自分の言葉にハッとする。

 昔ルイソンと同じ会話をした記憶が思い起こされると、フォークを皿に置き口周りをテーブルナプキンで拭いた。


「なぁ、先日パウル卿の当主アルベルトを見たけどさぁ・・・・」

 アルベルトとの密会をマキシムにバレたと考えたルイソンは、動揺から手にしていたナイフを床に落としてしまい、レストラン内に金属音を響かせる。

「あっ、すまん。ずっと使っていなかったからな、こっちの方が楽だな・・ ハハ」

 ルイソンは床からナイフを拾い上げテーブルに置くと、指で皿に残っていたステーキを口に放り込んだ。

「あ、ああ、そうだな。で、アルベルトの話だが、何か思い出したか?」

「へ?」

「アルベルトだよ・・ ほら、この間、リオの家族を助けた時に居ただろ?」

 肉の匂いがする指先を舐めていたルイソンは、胸を撫で下ろすと強張っていた頬の筋肉が緩む。

「あ、いや・・ 特には・・ 何でそんな事を聞くんだ?」

「え?」

「俺とアイツの間に何かあったのか?」

 先程まで気の抜けたような態度でいたルイソンが、突然噛みつくように質問をして来たためマキシムは少し戸惑ってしまう。

「そりゃあ・・ ライカンの長と宿敵パウルの長男だ。睨み合う以外に何もないだろう」

 マキシムの奥歯に物が挟まった話方に、アルベルトとの間に忘れてしまった大切な何かがあると感じ取ると、ルイソンは姿勢を正し椅子に深く座った。


「俺さぁ、ちょっと旅に出るわ」

「はぁ?」

「ほら、トマリ国やアルテメ国も気になるしさ。何かあったら直ぐに戻る。もう皆に迷惑は掛けない。約束する」

「何だそれ? 一人で行く気か?」

「あ・・ ああ。マック、お前はオルディアに残ってくれ。先日の・・ ケビンって言ったか? アイツの態度から嫌な予感しかしない」

 凛々しい態度でマキシムに接するルイソンの姿はライカンの長らしく、マキシムは誇らしい気持ちになると軽く頷いた。

「分かった。あっ、でもアルテメは止めておけ」

「どうしてだ?」

「ヴァンパイアに不穏な動きがあったから、偵察を送っている。仲間からの連絡があるまで待ってくれ」

「了解。じゃあ、トマリだけ見て来る。マック、オルディアを頼んだぞ」

「は?」

 テーブル上にヒラヒラと紙幣が数枚舞い降りると同時に、ルイソンの姿は既にマキシムの視線から消えていた。

「今かよ―― ったく」

 ルイソンが座っていた場所を見つめながら、マキシムは遠い昔をふと思い出した。


 ―四百年以上前―


「俺、あのさ、俺、実は、その、アルベルトと番になったんだ・・」

「はっ? え? ええええっ?」

 ルイソンの告白に腰を抜かしそうになったマキシムの口からは奇声しか出なかった。

「驚くよな・・ ほんと・・ ビックリさせてごめん。でもこれだけは信じて欲しい。俺とアルベルトは真剣なんだ。そして、いつか絶対に俺達で、ライカンとヴァンパイアを強い絆で結んでみせる・・ 険しい道のりなのは分かっている。だから、マックお前の協力が必要なんだ。勝手なのは重々承知だ・・ でもお前だけは分かって欲しい・・ よろしく頼む」

 深々と頭を下げるルイソンは不安な形相でマキシムの反応を伺いながらも、幸せが身体から滲み出ていた。

 それは今までに見た事のない、守るモノができた真の雄の顔で、強い決意がみなぎっていた。

 だが、あまりに突然の事で黙り込んでしまったマキシムの肩にミラが手を置く。

「お兄ちゃんっ! やだぁ~ そんな事になってたのね。アルベルト、とっても綺麗だもんね。良かったじゃない。おめでとう。お兄ちゃんが幸せなら私は断然応援するわ。ね、マキシムっ!」

 兄の幸せを自分の事のように喜ぶミラに問われ、マキシムは思わず首を縦に振ってしまう。

「ミラ、マック、有難う・・ 本当にありがとう」

「ガルシア家の事は心配しないで。私がマキシムの子供をバンバン生むからっ!」

 屈託なく兄にそう告げるミラの言葉に、マキシムの顔が林檎のように真っ赤になると全身が汗ばんでくる。

「へっ? ミラ、ってことは・・」

「うん、昨夜やっとプロポーズしてくれたの」

 ミラは満面の笑みで自分の薬指に光る指輪をルイソンに見せる。

 兄と自分の幸せが一度に訪れたミラは、満月のような眩いほどの光を放ち美しく輝いていた。

 

 ―現在―


「ミラ・・・・」

 愛おしい名が口から無意識に零れ落ちる。

 

 マキシムは覚えていた。

 ルイソンの虚ろな瞳と何度も漏れる溜息。

 あの時と同じ。


「ルイソン・・ 俺はもうヴァンパイアを許せない・・ お前にも協力できない・・」

 

 マキシムはテーブルに乗る両方の拳を強く握ると唇を噛み締めた。

 すると、過去と現在を行き来しているマキシムの意識を携帯のベルが奪う。


「もしもし、トーマス博士どうしたんですか?」

「マキシム、残念だがヴァンパイアがワクチンの事を嗅ぎつけた」

「もうっ?! ・・トーマス博士は急いで人間全員の接種を済ませてください。接種会場には、もっとライカンから警護を送ります」

「そうして貰えると助かるよ」

「トーマス博士。くれぐれも気を付けてください」

「わかった。それから、武器等は例の場所に移し終えている。準備は万端だよ」

「そうですか・・ いよいよですね」


 トーマスとの通話を終えたマキシムは先程までルイソンが座っていた席に視線をうつす。

「ルイソン・・ 俺はお前とは闘いたくないよ・・ 俺達の元に戻ってきてくれ・・ 頼む」

 悲壮な心の呟きを口にしたマキシムは、鼓膜に伝わる自身の声に胸が強く締め付けられた。


 地下室へと続く階段を一段ずつ慎重に下る足音が暗闇に響き渡る。

 パウル卿屋敷の地下には先祖が眠る墓地とは別に地下室が幾つかあり、ライカン族や裏切りモノへの拷問部屋や牢獄も備えていた。


 アルベルトは彫刻が施された立派なドア前に立つと、おもむろに自分の右人差し指を親指の鋭い爪で切ると出血させ、ドアにある印の部位を自分の血で湿らせる。

 パウル邸には彼等の血族でなければ開錠できない部屋が無数にあり、アルベルトが開けたドアの先はパウル家の書籍庫であった。

 先程自身の血を付けたドアを暫く眺め、既に塞がっている人差し指の傷口を親指でなぞりながら入室する。


「こんな所で何しているの?」

 誰かに背後から声を掛けられたアルベルトの肩が少しだけ上下する。

「ケビンか?」

「はい」

「ケビン、この部屋は確か書籍庫だったよね」

「あっ・・ そうだったかな」

 ケビンはバツが悪いようにアルベルトから咄嗟に視線を逸らす。

「本を何処へやった?」

 ケビンは観念したように鼻先から大きく息を漏らすと口を尖らせる。


「兄さん、本好きだったもんね・・ 僕のせいじゃないよ・・」

「どう言う意味だ?」

「母上が全部故郷のアルテメに持って行っちゃった・・ ほら、父上が死んでから母上少し気が変になってたでしょ・・ 僕は止めたんだよ・・ 全部持って行っちゃうなんてさ」

 ケビンの口調から全てが真実でないと推察したが、アルベルトはそれ以上問い質さなかった。


「どの本が必要だったの?」

「あ、いや、これと言ってはない。僕が失った四百年の間に新しい書が加わったか知りたかっただけだ・・」

「へぇ~ ・・さすが兄さんは勉強家だね」

「ケビンも、たまには本をたしなめなさい。パウル卿の二男で父親なんだからね」

「はい・・ クククっ・・ あっ笑ってごめんなさい。昔も兄さんからよく勉強しろって言われたなって思ったら、懐かしくて」

「アハハ、そうだな・・ どうした、そんな顔をして・・」

「いや、兄さんがそんな風に笑うの初めて見た気がして・・」

「そう・・なのか? 僕は笑わないような奴だったのか・・」

 弟ケビンに慕われながらも常に二人の間には一定の距離があり、兄弟とはいえ当主と僕である関係を重んじているからだと考えていたアルベルトは、自分自身が更に分からなくなってしまう。


「そんな、兄さんが笑わないとかじゃないよ。ただ、パウル卿当主って大変だし、兄さんは真面目だから・・」

「そう・・だな。本はここには無いようだし、もう行こうか」

「はい」

 

 パウル卿の歴史や血術に関する全てが書き記された書物でかつては、壁一面を埋め尽くしていた部屋を、寂し気に一度振り返るとアルベルトは後ろ手に扉を閉めた。

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