第12話 蜘蛛の子を散らす

 だが、その機会はわりとすぐにやってきた。


「——殿下!」

「我々はもう限界です!」

「あの厄介な司祭をどうにかしてください!」

 

 調査が始まって三日目。

 ヴィルヘルムのもとへ配下の騎士たちが押しかけてきた。

 今日は前日と違う道を行ってみようと、鞍を据えた馬の近くで話し合っていた朝のことである。

 憤まんやる方ないといった表情の部下たちに、ヴィルヘルムはにこりと微笑みを見せると、穏やかにこう言った。


「全員、もう一度泣き言を言ったらから」

「!!」


 そうして冷たくあしらわれた騎士四名は、いったんヴィルヘルムのそばを離れ、額を突き合わせて相談することにしたのである。


「司祭に物申せるのは、殿下か聖女様しかいらっしゃらないのに」

「その聖女様に助けを求めようにも、殿下がいらしては近づくことも困難」

「いやみんな、諦めるのは早い。可能性は一つだけあるぞ……」


 輪のように集まったその中には、聖女の世話役となった件の女性騎士もいたのだ。


「エレナ卿」

「はい?」

「あなたからこっそりと、聖女様にお願いすることはできないでしょうか」

「……」


 調査団の紅一点、エレナは長い黒髪を頭のてっぺんで一つに縛った、凛とした女性だ。

 ヴィルヘルムにへつらわず、さばさばとした性格の彼女は、唯一、心が狭……いや、嫉妬深い主君が聖女の隣に並ぶことを許した騎士でもある。

 最近では聖女とも意気投合しているようで、王国の騎士たちは期待を込めて彼女を見つめた。

 だが——。


「バレた後で、グラナト卿が責任を被ってくださるのであれば、やってみますが」


 しれっと責任の所在を示され、使節団の実質的な責任者であるアルセイン・グラナトはぐっと言葉に詰まった。


「それだけは、ちょっと……」


 ヴィルヘルムにばれないなど、ありえない。彼を出し抜こうとしたなどとばれれば、どんな罰が待っているか。


「なら仕方ありませんね」


 あきらめて下さい。そう告げられ若い騎士は苦悩の声をあげた。


「ああもう! 普段はあれほど寛大な方ではないのに! 聖女様の前だから猫をかぶっておられるのでしょうか!?」

「いえあれは……寛大と言うよりも、眼中にないと言う方が正しいのではと」


 的確なエレナの指摘に、周りの騎士たちも同意した。


「そうですね。殿下は聖女様以外、目にも耳にも入っていませんからね」

「我々を含め、他の人間は存在すらしていないのかもしれません」


 自国の第二王子が、どんな人物であるのか身をもって知っている王国の面々は、エレナを除いてずんと悲壮な表情になる。

 そんな彼らに光明が差したのは、解散するか……と諦めかけたときであった。


「——ガヴァリエーレ卿!」


 馬に跨ろうとしていたノーチェの元に、慌てた様子の彼の部下が駆け寄ってきたのだ。

 部下から手短に報告を受けたノーチェは、一瞬にしてふっと表情を変える。それから硬い顔で、傍にいたヴィルヘルムとオルテンシアを振り返った。


「殿下、聖女様」


 深みを増した新緑の瞳でふたりを見据えると、ノーチェは緊張した声音でこう告げたのだ。


「中央の捜索は中止です。西の森に、アラクネの巣が確認されました」





 昨日、森の西側の最奥付近で瘴気溜まりが発見されていた。

 一夜かけてその正体を魔法師たちが調査した結果、巨大な蜘蛛形の魔物『アラクネ』の巣穴だと判明したらしい。


「グラナト卿の報告で大物がいるかもしれないと聞いてはいたけれど、まさかこれほど大規模なものだとはね」


 現場近くの岩場に戦力の半分を引き連れてやってきたヴィルヘルムは、特に何の感情も交えない声で淡々と言った。


「三メートル級の女王はともかく、幼体が五十……七十近くはいるかな」


 馬から降りて様子を確認する彼の数十メートル先には、窪地になった岩場と、乱立する無数の鋭い石柱。その石柱を柱に、張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣があった。

 繭に覆われた蛹のように、粘着性の糸で作られた巣の中心には、この距離でもはっきりと大きさが確認できる、巨大な蜘蛛形の魔物が静かに眠っている。


 しかもよく目を凝らせば、ヴィルヘルムの言った通り、女王と呼ばれたその魔物の周りに無数の黒い影も確認できるではないか。


「禍が消滅してから、珍しいほどに規模が大きいですね」


 ヴィルヘルムと同じく、馬から降りたオルテンシアもまた、岩場にべったりと張り付いた魔物を見て、こくりと唾を呑んだ。


「やはりこの近辺に、核の欠片があるのかもしれません」


 白い繭にぽつぽつとついたシミのような黒い影は、ヴィルヘルムが指摘したように女王が生んだ子供たちに違いない。


(本当におびただしい数です。この魔物たちが周辺に散らばってしまえば、被害は甚大なものになってしまいます。……ここで確実に食い止めなければ)


「アラクネの状態報告を」


 オルテンシアたちに並んだノーチェが短く命じると、黒いローブを纏った上級魔法師が進み出る。


「アラクネは寒さに弱い魔物のため、今は休眠期に入っております。冬はああして越冬し、冬季が過ぎると一斉に幼体が目覚め、狩りを始めるのです。掃討するにはいまが好条件ではありますが、獣型の魔物と違って深く冬眠しているわけではありません。くれぐれもご注意を」

「しくじれば、七十もの腹を空かせた幼体と対決、ということか」


 苦々しく呟いた後でノーチェが呼んだ。


「聖女様」

「ええ。精霊王のお力で動きを止めているうちに、精霊師と魔法師、聖騎士の浄化の力で一斉に片付けましょう」

「ルフト、お前も帝国の魔法師と合流してサポートしろ。他の四名は俺とともに打ち損じた幼体の相手だ」

「はっ」

「はい」


 魔物との戦闘に慣れていることもあって、細かい指示を受けることなく各々が迅速に動いていく。

 ただその中でひとり。微動だに動かず、じっとオルテンシアを見つめている者があった。


「ジョルジュ司祭、指示が聞こえなかったのですか?」


 オルテンシアが気付き声をかけると、周囲からまたあいつか、という呟きが聞こえた。

 ここ数日彼に手を焼いていたのはグラナト卿だけではない。同胞である帝国の聖騎士や魔法師たちも辟易している様子だ。

 だが周囲の冷ややかな視線など意にも介さず、彼は堂々とオルテンシアに向けて告げた。


「いいえ、聞こえておりましたよ聖女様。ただそれよりも素晴らしい手があると、ぜひともお教えするべきだと思ったものでね」


 ジョルジュはふっと嘲笑うような笑みを浮かべると、突然精霊師が能力を顕現させる様相を見せた。


「——! なにを!?」


 ゆらりと、茶色から赤く変化した瞳に、オルテンシアは咄嗟に彼を止めようと声を上げる。


(周囲のマナが急速に熱せられている。これはフレイの力——)

「ジョルジュ司祭! 発動を止めて下さい! あなた一人では、あの魔物の大群は一掃できません」


 だが時すでに遅かった。

 マナを纏った炎がぼっと勢いよくアラクネの巣を襲い、瞬く間に岩壁を火柱に変える。


「っ」

「どうです! たかが蜘蛛など、フレイのお力であっという間に消し去れるのですよ!」

「なんてことを……っ」


 オルテンシアはジョルジュの愚かさが信じられなかった。


(たしかにアラクネの糸は燃えるでしょう。ですが、あの外殻はダイヤモンドよりも頑丈なのです! その証拠に、ほら……っ)


「ギィィィィ!」

「な、なに……!?」


 悲鳴にも似たけたたましい鳴き声の後、燃え盛る炎の中で、ギラリといくつもの黒い光がこちらを見つめる。


「な、なぜ燃えない? あれほどの材料があって、なぜ!」

「あんの……っ!」


 突然アラクネの巣が燃え盛り、呆気に取られていたノーチェは、我に返って毒づいた。

 それから彼は、予断の許さなくなった状況に素早く作戦を組み立て直す。


「全員、直ちに迎え撃つ準備を! 魔法師と精霊師は結界部隊と浄化部隊に分かれ、一匹たりともここから逃すな!」


 予想と違う結果にジョルジュが茫然と佇む傍で、ノーチェが悪態と指示を飛ばす。

 その傍では王国の騎士たちがヴィルヘルムの指示を仰いでいた。


「殿下、我々も——」


 だが、駆け寄ったグラナト卿は言葉を最後まで言い終わらぬうちに、さあっと顔を青くした。

 戦場のように騒がしくなったその場に、冷ややかな一言が落ちたからだ。


「だれ、あんな役立たずを連れてきたのは?」


 決して大きな声ではないのに、よく通る。しかも穏やかな口調なのに、確かな苛立ちも感じられる。


「あ……殿下。ちょっと、まさか……っ」

「ねえ、オルティ?」


 辛辣な台詞をさらりと吐いたヴィルヘルムは、隣でおたおたと取り乱す騎士を無視し、オルテンシアへ最上級の笑顔を見せる。


「そういえば、戦うところを見せてあげると言っていたよね」

「え?」


 突然の提案にオルテンシアが目を瞬いた次の瞬間、ふわりと冷ややかな風が流れた。


(これ、は……)


 馴染みのある感覚に答えを掴む間もなく、ヴィルヘルムが剣を抜く。


「オルティはここで休んでいて。俺が全部片付けてきてあげるから」

「あ、殿下! お一人では——……」


 足にオーラを纏い力強く跳躍した彼は、引き留める間もなくあっという間に数メートル先にいた。


(せめて守護の加護をと思ったのですが……)

「聖女様」


 手を伸ばした格好でぽつんと取り残されたオルテンシアの、その肩にそっと手を添えたのは、護衛としてそばに残ったエレナだ。


「これだけの大群となれば、殿下も手加減はしていられません。巻き込まれる危険がございますので、こちらへ」


 そう言うと、エレナはすうっと息を吸い、腹に力を込めて声を張る。


「——全員」


 よく通る美声が、周囲の喧噪を割って響く。


「殿下が剣を抜かれたぞ!」


 その言葉を聞いたとたん、王国の面々は素早く反応した。ルフトなどはあからさまに「いっ!!」とうめき声を上げ、ノーチェへ切迫した視線を送る。


「ガヴァリエーレ卿!」

「わかっています、ルフト殿! ——退避! 退避! 総員、死にたくなかったら、アラクネよりも衝撃波から身を守れ!」


 巣から放たれたアラクネの幼体が、文字通り一斉に躍り出る中。ノーチェの号令に合わせてこちらも蜘蛛の子を散らすような騒ぎで、全員が退避する。


「団長! 敵は相当な数ですよ!」

「いくら第二王子殿下が第七サークルのソードマスターとはいえ、あの方にもしものことがあればっ」

「いいから」


 安全な位置まで待避し終えた騎士たちは、口々にノーチェへ訴える。本当に第二王子一人に任せていいのかと。

 けれどノーチェは疲れた様子で強く制止するだけで、加勢しようとはしない。むしろこんなふうに言いさえした。


「あの方が剣を抜かれたら下手に近づくな。共闘し慣れていない我々は、特にだ」


 オルテンシアや騎士たちは、もう少し後にその意味を理解することになる。


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