第11話 興味があるかと聞かれれば
「だ、第八サークル、ですか!? 皇帝陛下と同じ……オーラマスターでは不可能といわれた……?」
その日の午後、ヴィルヘルムの馬に相乗りしながら、オルテンシアは驚嘆の声を上げた。
数時間前にノーチェが聞かされたことと同じ報告を、ヴィルヘルムの口からもたらされたからだ。
雪化粧した道に馬をゆったり歩かせながら、『そういえば、伝え忘れていたけれど』と何気なく切り出した彼は、重大な発表をさらりと口にしたのだ。
『まだ不安定ではあるけれど、第八サークルの壁を突破したんだ。お祝いしてくれる?』
何か良いことをして褒められるのを待つ子供のように、きらきらと期待に輝く瞳を向けられて、オルテンシアはぽかんとするしかなかった。
あまりにも驚きすぎて言葉が出なかったのだ。
だがやがて現実感が伴ってくると、小さな唇がふるりと震える。
「す……」
「す?」
パカパカと、規則正しい蹄の音が響くその合間に、唇から漏れた吐息にヴィルヘルムが期待を込めて首を傾げる。
「——すごいです!」
オルテンシアはすぐ背後に座るヴィルヘルムへ、思わずずいと身を乗り出していた。
「殿下ならきっと偉業を成し遂げられると思っていました! こんなに早いとは想像していなかったので、驚いてしまいましたが。うう~~っ、感動して言葉が出てきません! おめでとうございます、大偉業です……そんな言葉ではありきたりすぎます!!」
「ふ」
きらきらと輝く瞳で興奮気味に見上げれば、美しい顔が得意げな笑顔に変わる。
「うん。オルティならそう言ってくれると思ってた」
それはあまりにも素直な微笑みだった。
(あ……心の底から嬉しいと思って下さっているときの笑顔です)
なんの偽りもない笑顔は雪の反射に照らされ、美しく輝いている。
けれどどことなく、手放しで褒められてはにかむような、そんな気恥ずかしさも混ざっているようだ。
「他の人たちは疑うか恐れるか、もしくは疑って畏怖するかのどれかだけど……オルティなら、素直にお祝いしてくれるってわかってた」
ほんの少し含みを持たせた言葉に、先頭を行くノーチェがぴくっと反応を示した。
正面を向いたヴィルヘルムの目はそれを視界に納めたが、もちろん後ろを向いたオルテンシアは気づかない。
実はノーチェは、ヴィルヘルムからこの事実を告げられたとき、悲鳴を上げかけたうちの一人なのだ。
『は、……ええ?』
ノーチェはいまのオルテンシアのように驚きに目を見張り、一瞬の間の後、ぎこちない笑顔を浮かべた。
『第八サークル? ご冗談を。皇帝陛下ですらその境地に達せられたのは二十五歳のとき。殿下はまだ十七歳ではありませんか』
『……』
『魔法から派生したオーラは、生命力を織り交ぜる分マナ回路の開発が阻害されやすいということは知っております。いくら精霊に匹敵されるマナをお持ちの殿下でも、そんな恐ろしいことがあるわけ……』
ノーチェは笑い話でこの衝撃を誤魔化そうとしたようだ。だが、そうは
『……』
無言でにこりとほほ笑むヴィルヘルムに、やがてサアッと顔色を青くし、ぽつりと零した。
『ははは。そんな恐ろしいこと……あるんですね』
無理もない。
オーラはもともと、魔法に対抗するためにエーデルシュタインの時の王が生み出した、いわば剣術の極意を得た者だけが得られる異能。
マナをそのまま錬成する魔法と違って、オーラは一度取り込んだマナに己の生命力を織り交ぜる。二つの力が交じり合っているが故に、その境地は魔法よりも一段劣るとされているのだ。
つまり実質的に、魔法使いの階級よりも、オーラマスターの方がマナのレベルが高いともいえる。決してサークルのレベルだけで、強さが決まるわけではないのだ。
「とはいえ、不動の地位を築いている皇帝陛下には、まだまだ及ばないけれどね」
後ろ向きのオルテンシアが落ちないようにさりげなく腰を支え、少しだけ悔しそうにヴィルヘルムが零す。
帝国の皇帝、エスペルト・モナルカは様々な意味で、彼にとって魔王である。
「階級で並んでも、実際の戦闘になれば経験と技巧がなによりも重要になってくる。全力で挑んでもあの方に勝てるとは、まだ思えないな」
「殿下……」
(誰よりも高みにあるというのに、殿下はまだまだ目標を高く抱かれるのですね)
普段は美しい笑顔に綺麗に隠されたヴィルヘルムの本心。それを聞いた気がして、オルテンシアは羨望の眼差しを彼へと向ける。
「それでもすごいです。私はまだ、第六サークルの壁を越えられないので」
すべての精霊の王、ヴィータから祝福を受けた聖女は精霊師の頂点に立つ者だ。そして精霊師の多くは、修練を積めば優れた魔法師としての素質も持っている。
(つまり、上級精霊を呼び出せるほどのマナを操れる私は、素質だけは十分にあるのですが……)
「初代聖女様が精霊王から授かったという、世界樹から作られた聖白の杖を使用しているというのに、魔法陣なしでの転移魔法が成功しないのです」
願うだけで浄化や治癒などを起こせる精霊師の能力と違って、体内のマナと術式を組み合わせた魔法は錬成が難しかった。
そして自らの生命力を織り交ぜマナを纏うオーラは、剣を体の一部であるかのように使いこなす者にとっても、さらに扱いが難しいと聞いている。
「ですからこの前、殿下が素晴らしいコントロール力でオーラを操られていた時、どのようなコツがあるのかと興味深かったと言いますか。第八サークルの境地とはどのようなものなのでしょう」
マナがまるで自分の意思の一部であるかのように馴染むのか、それとも、制御するのには相当な集中力を有するのか……。
そう打ち明けると、ヴィルヘルムがなにやらじっとオルテンシアに視線を注いでくる。
すると彼は思考を巡らせた後で、こう口にする。
「戦っているところを見てみたい?」
「え?」
思わぬ提案に、オルテンシアはきょとんと目を瞬いた。
「戦っているところ、ですか?」
「ああ。第八サークルの境地に興味があるんだろう? そうだな、ここ最近学園での生活で体が鈍っているし、ガヴァリエーレ卿かルフトにでも相手をしてもらおうかな。彼らもずっと馬に揺られているばかりでは、退屈だろう」
「……」
「ゴホン」
「あ、あ、あー!」
名前を上げたとたん、それまで静かに息を潜めていたふたりが急にそわそわし始める。
「いやあ、ガヴァリエーレ卿。今日は一段と風が強いですね」
「そうですね、ルフト殿。煩いぐらいに木々が揺れて、なにも聞こえませんねえ」
ちなみに風はほとんど吹いていない。
木々の間から見える空も珍しく快晴で、空には雲一つなく、ちょうどそのとき鳶がピィヒョロローと鳴きながら通り過ぎていった。
するとヴィルヘルムが小さく毒づいた。
「……臆病者め」
その声は低く、風が強くて聞こえていないらしい二人の耳にも届いたようだ。
並んで先を行く二人の肩が、仲良くびくりと跳ねたのだ。
(おふたりとも、殿下のお相手が嫌なのですね)
さすがのオルテンシアも、挙動不審な二人が発する無言のメッセージをくみ取った。
(そういえば以前殿下と手合わせしたとき、ノーチェ様が『殿下と手合わせして喜ぶ数奇な人間は、強さを尊ぶ王国の騎士しかいない』と仰っていましたね)
あれは王国で開催された親善試合に出た時のことである。
青い顔でぐったりとしたノーチェは、全身ボロボロになりながら「もう二度と戦いたくない」と零したほどだ。
「殿下」
「ん?」
(ごめんなさい、ノーチェ様。危うく巻き込んでしまうところでした。本当はちょっと殿下が戦うところを見てみたかったのですが)
心の中でそう思ったことも含めて謝りつつ、オルテンシアは言ったのだった。
「やっぱり、今は禍の気配を探るというお仕事の最中ですので、またの機会にいたしましょう」
***
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