第9話 路傍の塵でも見るように
「へぇ?」
ジョルジュの高慢な言葉を遮るように割り込んできた美声は、文字通り空気を凍りつかせるほどに冷たい。
「その割には君自身に、基本的な礼儀がなっていないようだけれど」
天幕の入り口を押し広げて中に入ってきたヴィルヘルムは、ちらりとノーチェを一瞥した後で、ジョルジュへと視線を移す。
「それとも神殿ではうら若き聖女の寝室に男二人が押し入ることなど、日常茶飯事なのかな?」
(う)
その表情はいつも通りにこやかで、いつも通り、路傍の塵でも見るように冷ややかだ。
つまり非常に不機嫌だということ。
(……俺まで数に含められている)
身の危険を察知したノーチェは、とばっちりを受けないようさりげなく身を引き、静かにこの状況を見守ることにした。
標的となったジョルジュは、自業自得なので放っておく。
「ジョルジュ司祭といったかな」
「はい」
「君は教義に則って、最も高位の司祭が聖女様のお世話をするべきだと主張しているらしいが、婚約者としてそれは認められないな」
「お言葉ですがっ」
「なぜなら——」
反論しようとしたジョルジュの言葉などまるで聞こえなかったように黙殺し、ヴィルヘルムは続けた。
「君は聖職者であるとはいえ男性だ。帝国ではともかく、わが国では将来王族の一員となる女性に対して、異性の側仕えを置く慣例はなくてね」
「っ、貴国の慣例……」
「もちろんこれは、聖女様に不便でも我慢しろと言っているわけではない。友好国として助け合おうと言っているんだ」
夜色の瞳を穏やかに細め語るヴィルヘルムは、一見するととても平和的な好青年だ。
しかし、外面のよさに騙されてはいけない。
よくよくその発言に耳を傾ければ、様々な忠告が含められているのだから。
「同行していた女性司祭は負傷して離脱したと聞いた。聖騎士の中にも同性はいない。となれば、聖女様のお世話をする者はすぐに手配できないだろう」
「ええ」
「だが、心配しなくていいよ」
「え」
「調査団にはちょうど優秀な女性騎士が同行している。彼女を推薦するのは俺の善意だが、君たちにも異論はないだろう?」
「……」
最後は同意を求める形になっているが、明らかに決定事項である。
将来の王子妃に聖女の名が挙がっている以上、彼の国の習慣を否定することはできない。
そもそも友好国の王子の『善意』だ。いっかいの司祭が拒否することは、さまざまな意味で問題を呼んでしまう。
「殿下の御配慮に感謝申し上げます」
ジョルジュが言葉を失った隙に、ノーチェはヴィルヘルムへ向かって頭を下げる。
それから、ふるふると震えているジョルジュを目で制した。
(おい、頼むから余計なことは言うなよ。ここまであからさまに牽制されたのに、反論なんてしてみろ。不敬罪に問われてもおかしくない)
だってこれは、忠告ではなく、ヴィルヘルムからの警告なのだ。
——だが。
「お言葉ですが、王子殿下」
(うおい!)
「聖騎士ならばともかく、よりにもよって王国の野蛮な騎士どもを聖女様へ近付けることは、神殿として看過できません」
(~~っ!)
ノーチェはジョルジュの空気の読めなさに絶望した。
しかもジョルジュはこんなことを臆面もなく言うのだ。
「それにさらにご忠言申し上げるならば、聖女様は殿下の正式な婚約者ではございません。そのような話が両国の間に挙がっているのは事実でしょうが、万が一、友好のための婚姻が成されるのであらば。そのお相手はあなたではなく、王太子殿下であられるべきでしょう」
「…………へえ」
(寒い。殿下の深まった笑顔が怖い)
「実に興味深い忠言だ」
地を這うように低い声が、ノーチェの心臓すらも凍らせそうだ。
「そうでしょう。お褒めいただきありがとうございます」
(いや、褒めてはいない)
ここで得意そうに切り返せるジョルジュは、じつは心臓に毛でも生えているのではないかと思う。
あのヴィルヘルムに面と向かって『聖女の伴侶に相応しくない』と言えるのだから。
(たしかに王太子の方が聖女様の伴侶に相応しいと推す声もある。だがしかし命知らずめ。それを口に出す勇気のある者はいないぞ)
ノーチェは心の中で突っ込みを入れながら、険を増していく二人のやり取りにはらはらした。
「いやはや、殿下もわかっていらっしゃるのなら話が早い。でしたら今後は聖女様に迷惑をかけないでいただきたいものですな」
「迷惑? ……なぜそんなことを君に言われないといけないのかな」
「あなたが聖女様の優しさにつけこんでいるからです」
「……」
「禍の器であるあなたが、聖女様へ救いを求めるお気持ちはわからないでもありません。ですが聖女様の慈悲は平等に与えられるものなのです」
その瞬間、ぞわっとノーチェの背筋におぞけが走った。
「いかにあなたが英雄視されていようと、所詮は
(~~っ)
火の精霊の加護を受けているジョルジュは、何も感じないのかもしれない。だが、
「…………」
不要に傾いた天秤は、もはやノーチェにも止められない。
「これで、五回だ」
「え?」
「君は今日これまでに、我が国と王族である俺を五回も公然と侮辱した。その自覚はあるかな?」
感情を伴わない微笑みというのは、大変恐ろしいものなのだ。
とくにヴィルヘルムのように、見目麗しい青年の場合は。
「俺は耳がよくてね。直接その場にいなくとも様々な話が聞こえてくる。そして、王国では不敬罪にあたる罪を犯した場合、罪状に応じて体の一部を切り落とす刑が執行される」
張り付けた笑みの中で特に印象的な夜空の瞳が、仄暗い輝きを放つ。
「最初に指。次に片腕、それから片足を……。もしくは、肉体の代わりにその者が最も誇りに思うものを、差し出すこともできる」
「このわたしに罪を問おうというのですか」
ひとつひとつ、ゆっくりと刑罰について語るヴィルヘルムに、ジョルジュは眉を顰める。
「しかし残念ですな。精霊王の僕である特別司祭を裁けるのは、神殿法のみです」
「……ああ」
ヴィルヘルムは不意にため息のような相槌を零すと、その瞳にちらりとよぎった呆れを隠すように、睫を伏せた。
「帝国ではね。だが忘れてはいけない。ここはすでに我が国の領土だ」
「っ」
「つまりここで起きたことはすべて王国法で裁かれる。故に君を守る法もない」
「それ、は……」
これまで饒舌だったジョルジュがふいに言葉を詰らせた。
(……ようやく、己の失態を察したか)
武力を重んじる王国は、大陸の中で唯一精霊の恩恵をそこまで重要なものだと捉えていない。
つまり、帝国ではかさに着られた威光も、彼を護ってくれた神殿法も、王国では一切通用しないのである。
(とくにエーデルシュタインは、王権が絶対的な権利を有する国)
そのことを失念していたジョルジュは、すでにこの場で切り捨てられてもおかしくないほどの失言を重ねている。
(だから黙っていろと忠告したのに。愚か者め)
「君はさきほど、俺が聖女様を煩わせていると言ったか?」
「わ、わたしはただ、精霊王の敬虔なる僕として事実を述べただけです。どうか誤解なさらぬように……」
「ふ、事実ならば取り繕う必要はないんじゃないかな。実際、その通りかもしれないし」
まるで秘密を打ち明けるように囁くと、ヴィルヘルムはその唇に薄い笑みを浮かべた。
「彼女は可哀想な俺を放っておけない。そして俺はそんな彼女の慈悲深さを利用している。でもそれの何がいけない? オルティの特別になれるなら、俺はどんな手も惜しまない」
「……聖女様は、あなた一人の所有物にはなりません」
「だったら君が止めてみろ。できるのならば」
「っ」
「今回のことは聖女様に倣って、寛大な気持ちで見逃そう。ただし……」
ヴィルヘルムはふっと言葉を切ると、まるで雲が月を隠すようにすっと表情を消す。そして告げた。
「――次はない」
さすがのジョルジュも、これには確かな意図を感じ取ったようだ。
「ッ。……はっ」
気迫に圧倒され呼吸もままならず、青い顔でヴィルヘルムを見つめている。
やがてヴィルヘルムが笑顔を取り戻し、「わかったなら下がっていいよ」と優しい声で告げるまで、ジョルジュは浜に打ち上げられた魚のようにパクパクと無様に喘いでいたのだった。
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