第8話 お仕事は責任をもって!

 ジョルジュが口にしたのはどれも事実だ。

 だから傷ついたわけではない。あくまで腹が立っただけ。


 だって、事実だからと言って何も知らない他人が、「オルテンシア」と彼女に愛情を与えてくれた「家族」を、否定していいはずがないのだ。


「審査官は全部で五人。けれど聖女が有罪だと判じれば、従わない司祭はいない」

「……」

「もしくは君が一言、あの司祭を黙らせてくれと言ってくれれば、俺がすべてを片付けてあげるけど」


 どうする?——甘い声音でそう問われ、オルテンシアは瞼を閉じる。

 それからぱちっと目を開け、迷いなくヴィルヘルムを見つめる。


「殿下のお気持ちは嬉しいです。ですが、最後の審判は精霊王がお与えになった慈悲であり、聖女である私の義務なのです」


 オルテンシアは花が綻ぶようにふわりと笑う。


「私が責任を持って、自分の力で解決してみせねばなりません」

「そう……」


 頷いたもののヴィルヘルムはどこか名残惜しそうだ。だがそれと同じくらい、オルテンシアを見つめる眼差しは見守るかのように優しい。


「ではオルティの意思を尊重しないとね。とりあえず身支度ができるようにひとを呼んで——」

「あ、そのことなのですが。できれば諍いを避けるために、そばには誰も置かないようにしようかと」

「え?」

「じつは『聖女にお仕えするのは最も高貴な司祭が望ましい』という教義を持ち出されてしまったのです。ジョルジュ司祭よりも高位の司祭はいないので、性別を理由に序列を崩すことはできないと言いますか」

「……教義」


 神殿が定めた教えである『教義』の内容のほとんどは、修行の身である己を戒めるための苦言である。


(ですからときには時代にそぐわなかったり、常識とはかけ離れていたり。どうにでも解釈できる言い回しで書かれていたりと、相手によっては融通が利かない内容になるのですよね)


 それがわかっているからこそ、ヴィルヘルムも素直に納得する。


「わかったよ、それでは未来の王子妃のために王国からエレナ卿を貸し出そう。彼女なら侍女としても遜色ないし、騎士としてもそこそこ腕もたつ」

「ですが」

「——オルティ?」


 いつもより少しだけ低い声が、反論を制する。


「『ですが』は、なしだよ。誰にも文句は言わせない。あの司祭が歯向かってきたならば、そのときはエーデルシュタインの王族として、正式に抗議させてもらう。……ね、だから心配しないで」


 そう言って、ヴィルヘルムはオルテンシアの頭を撫でた。髪をすくような撫で方は不思議とどこか心地いい。

 そのあとでヴィルヘルムは身をかがめ、軽く額に唇を落とすのだ。


「!」

「手は出さないって約束する。——君の、願いだからね」


(い、いま、なにが……)


 額に触れた羽のような感触に、オルテンシアはぱちっと目を瞬く。

 突然の行為キスに理解が追い付かない彼女が茫然としている間にも、ヴィルヘルムは着々と手を回していく。


「ルフト」

「はい」

「俺が出ていったら目を閉じて、壁を向いているように」

「え?」

「その穢れた視界に少しでもオルティの姿を納めてみろ。抉りとった後で記憶を抹消してやる」

「……え」


(これは祝福、なのでしょうか?)


 自らの額に掌を当てて思考の渦に没頭するオルテンシアの耳に、もちろん物騒な会話は入っていない。


(額へのキスは一般的に、祝福や加護の意味。それは王国でもきっと同じはずです)


 オルテンシアも幼い頃より、教皇や養父である公爵、皇帝から、数えきれないほど受けてきた。

 だが、ヴィルヘルムからは初めてだったのでビックリした。


(そうですね! これは祝福です! なんだか触れられた部分が、いえ、全身が熱い気がしますが。もしかしたら殿下の祝福には、特別な力があるのかもしれません)


 だからこそ、柔らかな光を宿した夜色の瞳が、そんな彼女を微笑ましげに見守っていたことにも気付かない。

 オルテンシアがいまだ感じたことのないざわつきに悶々としている間、ヴィルヘルムは従者が差し出した外套を羽織り支度を整える。


「……」


 そして天幕の入り口をくぐりざま、ちらりと振り返り、囁くような声でそっと告げたのだ。


「君との約束だから手は出さない。でも——『償い』は、させないとね」


 隣の天幕へと向かうその腰には、ちゃっかり剣が下がっていた。




 ***




 時は少しだけ前に遡る。


「——ガヴァリエーレ卿!」

(お……)

「なんと卑劣な! いったい聖女様をどこへ隠したのです!」

(終わった……)


 厄介な司祭とふたり、天幕に残されたノーチェはこれから迫りくる事態を思い、絶望の淵に立っていた。


(さようなら、俺の首)


 もちろんそう思うのは目の前の司祭が原因ではない。

 オルテンシアが突如魔法によって転移させられたことと、その行き先のせいだ。


(あれはルフト殿の魔法。つまりヴィルヘルム殿下の御指示だということ。ああ、あの子を煩わせたことだけでも殿下の逆鱗に触れかねないのに、よりにもよって格好が……)


 ちらりとオルテンシアがいた場所を見れば、彼女が羽織っていたローブが落ちている。


(くっ、あの子がまだナイトドレス姿であることに気付いたとき、この高慢ちきを力づくで排除しておけばよかった。そうすれば殿下をどう宥めようかと悩むことも、あの子を傷つけることもなかったはずだ……)


 心の底から後悔しつつ、ノーチェはため息をつきながら身をかがめる。床から拾いあげたローブはまだほんのりと温かいような気がする。

 皺を払って近くの椅子に掛け、さてどうしたものかと考えあぐねた、その時だった。


「っ!」


 入り口の隙間から、ひやり、とした冷気が入り込んできて、ゾクッと首筋の毛が逆立った。

 それは外の湿気を帯びた冷たくも爽やかな空気ではなく、あきらかに人工的な気配を纏ったもの。マナと生命力を織り交ぜた、紛れもない、オーラだ。


(……階級の高い使い手ほど、周囲の環境に影響を及ぼすとはいうが。殿下が殺気を放つと、間違いなく気温が低下するんだよな)


 そこは気分的なものも含まれるのだろうが、オーラの影響もあるのだろう。

 身を削る体験を何度も重ねたノーチェには、断言できるのだ。

 ——間も無く、怒り心頭の破壊神ヴィルヘルムが降臨すると。


(ははは……この様子じゃあ、八つ裂きか?)


 ノーチェはだんだんと冷えていく室内に内心で乾いた笑いを浮かべ、さっとジョルジュを振り返る。


「——ジョルジュ司祭!」

「っ、何ですか急に? 突然大声を出されるなど、驚くではありませんか」

「死にたくなければ、いまからその軽率な口を閉じてください」

「な、わたしを脅迫しているのですか! 聖騎士団長ともあろうお方が、貴重な精霊師に死にたくなければなどと……」


 状況のわかっていないジョルジュは、いまだに喧しく吠えている。だが、ほんとうに黙った方がいい。

 個人的には痛い目を見てほしいところだが、ヴィルヘルムとの諍いは困るのだ。


(もし万が一、殿下がこの司祭を手にかけてしまったりしたら……)


 主に気性の激しい火の精霊フレイと、人知を超えた破壊神ヴィルヘルムのせいで地図から一つ、森が消え去るかもしれない。

 おまけに神殿側は面子を潰されたと猛抗議するだろう。

 たとえどれほど問題の多い司祭でも、精霊師というのはそれほどに貴重な存在なのだ。


(とにかく、殿下の機嫌を逆撫でしないことが最優先。そのためにもどうにか黙らせて……)


「聞いているのですか、ガヴァリエーレ卿! 国に豊穣をもたらす精霊師は国の宝。礼儀をもって接していただかねば——」


 だが、ノーチェの願いも虚しく、その人はやってきてしまった。

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