第6話 強制退避です!

 ジャルディーノ帝国は、精霊に愛された初代聖女、ルーチェ・プエギエーラと時の皇帝によって興された魔法の国だ。

 精霊王ヴィータを最高神として崇め、精霊たちの加護と祝福により、国がより豊かになると考えている。


 そのため神殿の上層部——つまり、教皇や聖女、もしくは精霊によって特別な能力を付与された上級司祭が罪を犯した場合、帝国法ではなく神殿法によって裁く決まりがあった。


(精霊師はもれなく、各々を守護する精霊によって寵愛を受けています。もしも彼らを害したならば、守護精霊によって呪われてしまう。場合によっては、その国全体を報復対象とされることも)


 だからそれを回避するために、まず神殿の上位十名が同席のもと神聖裁判が開かれる。

 裁判では罪状が読み上げられ、守護する精霊へもどういった経緯で彼が罰せられるのか、懇切丁寧に説明が成される。


 そして被告人に救済の余地ありと判断された場合、六ヶ月の審判期間が儲けられるのだ。


(六ヶ月の間に、審査官へ任命された五名のうち三名から免罪符を引き出されば無罪。逆に救済の余地なしと認められれば、神殿からの永久追放……)


 つまり『破門』だ。

 神殿から破門されれば精霊王ヴィータの加護は失われる。

 精霊王の加護を失えば、必然的にヴィータの配下である守護精霊たちからの寵愛も、消え失せるのだ。


(だからこそ、『審判』を言い渡された司祭は、必死に悔い改めるのですが……)


「聖女様ともあろうお方が、みだりに教義を捻じ曲げてはなりません。あなたはまだ幼くその意義を理解出来ないのかもしれませんが——」


(ジョルジュ司祭に、反省の色は一切見られませんね)

 

 もしもジョルジュが少しでも反省しているのなら、皇帝に無礼を働き神聖裁判にかけられた身で、これほど大きな顔はしていられないだろう。

 ましてや聖女に説教など。


(この方が審判を恐れていないのはおそらく、罰せられることなく放免されるだろうと過信しているから)


 そうオルテンシアが判断する理由は、彼にはある切り札があると知っているからだ。


(本当に厄介なお方。……ならば攻める方向を変えるまでです。確かジョルジュ司祭の弱点は、権力と行き過ぎた精霊信仰でしたね)


 あらかじめ聞いていた情報を反芻し、オルテンシアは息を吸う。それから神殿の者であれば誰もが逆らえない名を口にした。


「お言葉ですが。そもそも卿には直々に、私に関するあらゆる権限が与えられております。ですから司祭様が仰るような、おかしなことは何一つございません」

「くっ。ですからそもそもそれがおかしいというのですよ。聖騎士の役目は警護のみ。それなのに身の回りのお世話までするとは、越権行為も甚だしい」

「……」

「教義では、聖女様のお世話のように名誉ある職は、女性の神徒、もしくは高位司祭の役目であると定められております。ですから彼が優遇され、わたしが冷遇されているこの状況は我慢がなりません! このままでは敬虔な精霊王の僕がその役職を奪われたなどと、王国の騎士たちに侮られる事態になりかねないのですから!」


(要するに、そこが面白くないのですね)


 とうとうと捲し立てるジョルジュの言葉を要約すると「王国の騎士たちに軽視されるのが許せない」と言うことだろう。


 精霊への信仰が深い司祭ほど、武を貴ぶ騎士を敵対視する傾向にある。

 ジョルジュは調査隊が合流したことで、ますます立場が危うくなったと焦っているのだ。


(はぁ……本当に困ったお方です。そもそも、ノーチェ様が私の護衛と身の回りのお世話を兼任してくださっているのは、あなたが女性司祭に圧力をかけ、その任から外れるよう脅したからではないですか)


 あれは旅が始まって間もなくのことである。

 オルテンシアのそば付きに任命された新米の女性司祭が、負傷して離脱する際に、怯えつつもそのことを打ち明けてくれたのは。

 オルテンシアの見立てでは、その怪我は精霊の力による火傷だった。

 

(けれど指摘したところで、聞く耳はありませんね)


 だからそのときノーチェが抑えた声で牽制しなければ、オルテンシアがこの司祭に忠告を与えていただろう。


「おい、いいかげんにしたまえ」


 ノーチェは公爵に似た威厳のある新緑色の瞳で司祭を睨みつけながら、さりげなくオルテンシアと司祭の間に大きな体を割りこませた。


「聖女様が寛大なのをいいことに好き勝手なことを。あなたは精霊王の敬虔なる僕であり、欲を捨てすべての生命の手本となるという司祭の本分をお忘れか」

(ノーチェ様……)


 護衛騎士としてこの司祭に危険を感じた、というのもあるのだろう。

 だが支度の整っていないこの姿をさりげなく隠そうとしてくれたことに、オルテンシアは心の中で感謝する。


(実は少しだけ……居心地が悪かったのです)


 無遠慮に自分を見つめるジョルジュの視線にも、権幕にも。

 オルテンシアがそう思っている間にも、ノーチェは司祭へ追求を始めた。


「それにあなたは、他にも重要なことをいくつかお忘れのようですね。まず、私と聖女様は聖剣であらせられる公爵閣下の被後見人であり、親族と言えます。つまり家族であるのですから——」

「は、ははは!」


 だが突然ノーチェの言葉を遮り声を上げて笑い出した司祭に、オルテンシアとノーチェは眉を顰める。


「ジョルジュ司祭?」

「何がおかしいのです」

「まったく、聖騎士団長ともあろう御方が……ふっ。馬鹿なことを仰らないでください」


 やがて男は歪めた笑みを浮かべたままこう言った。


「夢を見るのは結構ですが、聖女様に

「——ジョルジュ司祭!」

「なんです? 聖典にも書かれている事実でしょう。聖女はその名を冠した瞬間、人ではなく精霊王の娘となると。だからもしも家族を指すというのなら、それは精霊王ただお一人」

「……」

「あなたには分別と言うものが——」


 数々の暴言に耐えかねたノーチェが、今にも司祭の襟元を掴もうとしたときだった。


「おふたりとも!」


 オルテンシアがマナを込めた一喝で、空気を震わせる。

 けれどそれ以上に二人を驚愕させたのは、オルテンシアを包んだ薄緑色の魔力だ。


「!」

「聖女様!」

「え」

(これは、転移魔法……!)


 魔法の発動に気付いたノーチェが、背後を振り返ったときには遅かった。

 オルテンシアの姿は雲をかき消すように、ローブだけを残してその場から消えていたのだから。




***




 体中が薄緑色のやわらかな魔力に包まれた。

 かと思えば、ふわりと、オルテンシアはある人物の腕の中へと着地する。


「おはようオルティ、ずいぶんと騒がしい朝だね」

「ひゃ、わ……」


 着地の反動でよろけたオルテンシアを支えながら、ヴィルヘルムが少し眠たげな口調で朝の挨拶をする。

 それからぎゅっと抱きしめられ、鼻に触れたシャツからいつも彼から香る爽やかな匂いがした。


(……お花の香り。大好きな香りだからでしょうか。なんだか、ほっとします)


 自分でも意識していなかったのだが、話の通じないジョルジュ相手に緊張していたのかもしれない。

 深呼吸するようにその匂いを胸いっぱいに吸い込むと、背中に回された腕にぎゅっと力がこもった気がする。


「ちょっと驚かせちゃったかな?」

「……いいえ」


 オルテンシアは小さく首を振りながら顔を上げ、少しだけ眉を下げて微笑みを浮かべた。


「ルフト様の魔法だとすぐにわかりましたから」


 あのとき、オルテンシアを包んだ魔法は淡い緑色。

 そして少し離れた壁際で、樫の木の杖を手に立っているルフトのマナも、新緑のような美しい緑色をしているのだ。


「ジョルジュ司祭には一度冷静になっていただきたかったですし、私としても助かりました」


 ヴィルヘルムに向かって丁寧に礼を述べ、オルテンシアは彼の従者へと視線を移す。


「ルフト様も、こうして助けていただきありがとうございます」

「いえそんな、これくらい礼には及びませんよ聖女様。なにせこちらまで聞こえるほどの激しい応酬でしたから」

「ああ、やはり……」


 ヴィルヘルムが彼に転移魔法を使わせたくらいだから、そうだろうとは思っていた。

 だが改めて言葉にされると恥じ入るばかりだ。


「いままで司祭とは、絵に描いたように穏やかな性格の方が多いと思っておりましたが、あれほどまでに情熱的な方もいらっしゃるとは。意外な発見でしたね」

「うう。ほんとうにお恥ずかしい限りです」

「いえいえ、聖女様が謝られることではございません。きっとあの司祭が特別毛色の変わった方なのでしょう」


 まったくルフトの言うとおりである。

 神殿で育ったオルテンシアでさえ、ジョルジュのような苛烈な司祭は初めてだった。

 ときには信仰心がいきすぎて、盲目的で妄信的な司祭がいることにはいるが、彼らは『聖女』の言葉を蔑ろにすることはない。


「ジョルジュ司祭はもともと問題の多い方。とはいえ、普段は猊下のお言葉に忠実だと聞いております。聖女は威厳をもって司祭を統率するべきだというのに、私の力及ばずお二方にはとんだご迷惑を……っ」


 本当はスカートを摘まんで頭も深く下げたいところである。

 だがなぜかヴィルヘルムがぎゅっと腰を抱き寄せて離さないので、目だけで心からの謝意を訴える。

 それから件の司祭について話しているうちに、だんだんと不安になってきた。


(ああ、本当に……これからの合同調査、無事に行えるのでしょうか?)


 予定では、強い浄化の力を持つジョルジュは魔物が確認されている森の西側。王国騎士であるグラナト卿の部隊へ配属されることになっている。

 しかしその配置は、今朝の様子を思うとかなり不安要素がありすぎる気がしてきたのだ。


(かといって、監視のために私のそばへ置くのはもっと問題ですよね。なにせおそばには対抗心を燃やしているノーチェ様だけでなく、殿下もいらっしゃるのですから)


 もし万が一、ジョルジュが他国の王族であるヴィルヘルムへ無礼を働けば、国交に問題が生じかねない。……いや、それだけで済めば奇跡かもしれない。

 なにせ彼には前科があるのだ。


(ジョルジュ司祭がその点を考慮するほど思慮深い方には思えませんし。やはりもう一度、一対一できちんとお話を……)


「……」

「オルティ」

「はい?」


 オルテンシアがむむむと悩んでいると、突然名前を呼ばれた。

 顔を上げれば、夜空に散りばめられた星のように、金の光彩が美しい瞳と視線が交差する。


「不安になる気持ちはわかるけど、心配いらないよ。あの司祭のことはガヴァリエーレ卿が何とかするはずだ」

「そうでしょうか」 

「うん。君の護衛騎士なのだからそれくらいはしてくれないと。それに、君は他の心配よりも自分の心配」


 そういってヴィルヘルムがオルテンシアの肩にふわりとかけたのは、袖を通さず羽織っていた軍服の上着だ。


「あ……」

「そんな薄着では風邪をひいてしまいそうだ」


 彼が脱いだばかりだということもあって、肩から背中にかけてほのかな温もりが広がっていく。


(あたたかいです)


 王子の天幕は、清貧を基本とする聖女の天幕と違って様々な生活魔法がかけられている。それによって体感温度はそれほど低くはないのだが、それでも少しだけ肌寒かったのでありがたい。


 ほうっと息を吐いたオルテンシアを見下ろすと、ヴィルヘルムは不思議そうに首を傾げた。


「ちゃんと支度ができていなかったんだね」

「はい。身支度の前に騒ぎを収めなくてはと、急いでいたので」

(うう。そのせいで結果的に、殿下へものすごく迷惑をかけてしまっていますが……)


 そう思って視線を落としたところで、オルテンシアははたと気づいた。


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