第5話 不意打ちは困ります!

 しかも温もりを確かめ合うように、つないだ手をぎゅっと握り締めてくるではないか。


(もしや外がとても寒いので風邪でもひかれたのでは!? 病気の時は人恋しくなるものです。あ、でも、脈は正常……)


 オルテンシア自身もなんだか顔が熱い気がするので、一帯に流行り病が流行しているのかもしれない。そう思って確かめてみたが、脈にもマナにも異常は見られない。

 そうこうしているうちに、オルテンシアを見つめていたヴィルヘルムがふっと破顔した。


「ふ、……ははっ!」

「な、なぜ笑うのですか?」


 突然可笑しそうに噴出され、オルテンシアはがあんとショックを受ける。

 今までの会話の中で、笑われる要素があっただろうか。


「いや、相変わらず可愛いことを考えていそうだなって」

「へ」


 そう言うと、ヴィルヘルムはオルテンシアの指を口元へと掬い上げ、囁いたのだ。


「ね……君がなんと言おうと、俺は君がいる所ならどこへでも付いていくよ。たとえそこが地の果てでもね」

「——っ!」


 優しく、羽のように触れたのは唇だろうか、吐息だろうか。

 指先がじんと痺れるような感覚に、オルテンシアはぐっと息を止めてむず痒さを堪える。そしてあることを思い出す。


(そうでした……殿下は、スキンシップが多いのです!)


 儀礼に厳しい王族として育ったからだろうか。

 ヴィルヘルムはやたらとオルテンシアへ丁寧に接する。その一つがこの、スキンシップなのだ。


(たしか公爵様の教えによると、スキンシップは信頼の証。相手との距離を縮めて触れ合うことで、親愛や友情を示し仲を深めあう、ごくごく自然な行為……)


 そうわかっていても、赤子の頃から神殿で育てられ『触れてはならない神聖な存在』だと、遠巻きに崇められてきたオルテンシアには、いまだに慣れない感覚である。


(ノーチェ様には慣れたのですが、殿下はなにかが違います!?)


 だからドギマギして涙声になってしまうのも不可抗力だ。


「わ、私が行くのは地の果てではなく、森の奥ですよお……っ!」

「うん。知ってる」

「はぁ」


 そのとき、ようやく気力を取り戻したノーチェが苦い溜息を吐きだした。


「だからこそ殿下には、とくに魔物の目撃情報が多い西側を引き受けていただきたいのですが……」

「うん。残念だけど、あきらめて」

「……」

「……」


(ノーチェ様!)


 笑顔と無の表情で見つめあう二人には、先ほどとは違う意味でドキドキした。

 やがて無言の攻防の末に、勝利を手にしたのはヴィルヘルムだった。


「聖女様と殿下から目を離すわけにはいきませんので、私も同行します」と。

 疲れた様子で、哀れなノーチェは呟いたのだ。




 ***




 翌朝。いつもの習慣で朝を告げる鳥の声とともに目覚めたオルテンシアは、必要最低限の家具が揃えられた天幕で、一人身支度を整えていた。


 この旅が始まった頃は、同行した女性司祭が侍女の役割を担っていたが、ある諍いが起こって以降、手伝いは不要だと自分から申し出たのだ。

 もともと身の回りのことはアガタという世話係から叩き込まれているので、そのことで特に苦労はしていない。

 

(ただし、唯一難題があるとするならば。真鍮の水差しで一晩キンキンに冷えた、この水の冷たさでしょうか……)


「んんー、気合です! 心頭を滅却すれば氷水もお湯に——いざ!」 


 毎朝、氷のような冷水に縮み上がらないよう、こうして声に出して気合を入れてから顔を洗う。が、冷たい水はやはり冷たいのだった。


「つ~~っ!!」


 水中へ手を差し入れたとたん、血管がきゅっと締まり、息が止まりそうになる。

 それを一呼吸だけぐっと堪え、急いで顔を洗った後、用意しておいたタオルで顔をぬぐう。


「ぷはっ。うう、ただのタオルですら温かく感じます。それにふわふわ……」


 毎回、急激に冷えた手と顔へ、血が通ってジンジンするこの感覚が何とも言えない。

 思わず癒しをもたらすタオルに顔を埋めたままでいると、ふいに天幕の外で男性の怒鳴り声が響き渡った。


「——これはいったいどういうことです!」

「!?」


 朝の静寂を破る恫喝に、オルテンシアはビクッと体を飛び跳ねさせる。

 騒ぎは、どうやらこの天幕のすぐ外で起こっているようだ。


(いったい何事ですか……?)


「聖女様のお世話は、もっとも神聖な立場の者。つまり特別司祭であるわたしに与えられた使命なのです! それを護衛騎士のあなたが奪うというのですか!」

「静かにしてください、ジョルジュ司祭。聖女様はまだお休みになっているのです、もう少し声を抑えて」


(……この声は)


 キンキンと甲高い男性の声と、それを宥める落ち着いた威厳のある口調。両方とも聞き覚えのある声に、耳を澄ましていたオルテンシアはすぐさま状況を察する。

 自らを特別司祭と称したこの男。じつは巡察の旅の中で、たびたびオルテンシアたちを悩ませてきたのだ。


(これは、私が仲裁しなければ収まりませんね。着替えは……)


 自身の姿を見下ろして、オルテンシアはため息を噛み殺す。


(今着ているこのナイトドレス一枚では、少々心もとないでしょうか?)


 長袖のナイトドレスは綿素材でできていて、首元は息苦しくないよう大きく括れている。けれども開きすぎているわけではないので、全体的に素朴なワンピースに見えなくもない。


(ううん。着替えてからなんて悠長なことは言っていられない気がします。お隣の天幕にいらっしゃる殿下へ、ご迷惑をおかけするわけにもいきませんし……ローブを羽織れば……)


 そもそも天幕越しに会話するだけなので、心配は杞憂だろう。

 オルテンシアは純白の布に金の刺繍が施されたローブを羽織り、胸元を右手でかきあわせる。それから天幕の入り口にそっと指を差し込み、外の様子が確認できるだけの隙間を開けた。


「ガヴァリエーレ卿。なにか問題でも起こったのでしょうか?」


 寝ずの番で護衛をしていたノーチェへ隙間からそう声をかける。するとなぜか、「あ!」と慌てた声が返ってきた。

 かと思えば、入り口の布を跳ね上げて不躾にも中に乱入してきたのは、司祭服を身に纏った三十代の瘦躯な男だった。


「聖女様!」

「!!」


 咄嗟に横へよけなければ、男に激突されていたかもしれない。それほどためらいもなく男は中へ踏み込んだ。


「ジョルジュ司祭! 無礼ですよ!」


 許可もなく天幕内に踏み入れてきた人物に、ノーチェも慌てて入り口を閉ざしながら追ってきた。

 しかも普段冷静な彼が、珍しく声を荒げている。


 それも当然。

 司祭とはいえ、ジョルジュは男性だ。


(聖女に与えられた天幕は個室とはいえ小さく、寝室とその他の場所を仕切る余裕はないのです)


 綺麗に整えられてはいるが生活感漂うベッドはすぐに視界に入るし、そもそもそれ以前に、ここはプライベートが確立された空間だ。


(もしも私がしどけない格好だったなら、どうするつもりだったのでしょう)

 

「……司祭様、私は入っていいと許可した覚えはございませんが」


 オルテンシアは僅かにこみ上げる不快感を堪え、まるでこの部屋の主でもあるかのように部屋の中央に立つ司祭へと非難の視線を浴びせた。


「お話があるのなら後ほどお聞きいたします。ですのでどうぞ、罰を言い渡す前に速やかな退出を」


 入り口を指差し、言葉でも仕草でも「出ていけ」と告げるオルテンシアに、しかし司祭は従わなかった。


「ですがガヴァリエーレ卿は自由に出入りしているではありませんか。なぜこの者はよくて、わたしはだめなのです!」


 その場に踏みとどまり声を荒げる司祭は、いい歳をしてまるで駄々をこねる子供のようだ。


 栗色の髪の神経質そうなジョルジュ司祭は、確か三十代前半。年齢だけでいえばオルテンシアの倍も生きている。

 けれどどうやら積み上げた年月は、彼に人間的な成長を与えなかったらしい。


(しかもこの方は今『審判』の最中。それなのにこのような騒ぎを起こして。ご自分がどういう状況に置かれているのか、きちんと理解されているのか怪しいところです)


 実は巡察のメンバーが決まったとき、オルテンシアは神殿の最高責任者である教皇から、禍に関する任務とは別の仕事を任されていた。

 それが件の司祭への『審判』である。

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