第3話 わたしは空気

「さて、俺は貴殿をどうすればいいのだろうね。オルティを困らせる言葉を吐いた、その舌を切り落とす? それとも不埒な眼差しで見つめていた、その目でも潰そうか。ん?」

「あー……ははは。どちらにも愛着があるので、寛大な御心でご容赦いただけたらと……」


 どこか陰のある笑顔で腰の剣に手をかけるヴィルヘルムと、降参のしるしに両手を上げて青ざめた顔でじりっと後ずさるノーチェ。


「ふうん。じゃあとりあえず、気安く頭を撫でようとしたその手でも、切り落としてみようか」

「ッ!」

「あわわわ、殿下! ご冗談ですよね!? ノーチェ様も、真に受けないでくださいませ!?」


 不穏な二人の間に慌てて割り込み、オルテンシアは思ったのだ。


(なんだか移動魔法陣を通り抜ける前から、殿下は私たちのやり取りを見ていたようではありませんか!?)




 そんなやり取りがあった後、拠点として張った天幕へ移動してきた三人は同じテーブルについた。

 入り口付近に直立する琥珀色の髪の青年、ヴィルヘルムの従者であるルフトを除けば、他には誰もいない。


「ルフト様、ずっと立っていらっしゃるのは大変でしょう。どうぞ一緒に、こちらへお座りになりませんか?」


 さきほどルフトが手慣れた所作でお茶を淹れてくれた後、オルテンシアは彼に自分の向かい側の席を勧めた。

 ……勧めたのだが、なんだかよくわからない断り方をされてしまった。


「寛大なお心遣い痛み入ります。ですが主君の心を読み己の身を守ってこそ、優れた従者というもの。尊い聖女様の視界に映りでもしたならば、哀れなこの身はきっと天に召されてしまうでしょう」

「?」

「つまりわたしのようなものは、こうして壁の華でいるのが平和なのです」

「……」


(これは、王国流の断り方なのでしょうか?)


 あまりにもユニークすぎて、俗世から遠ざけられて育ったオルテンシアには難易度が高すぎる。

 オルテンシアが首を傾げる一方で、その両脇では意味を理解したノーチェが苦笑いし、ヴィルヘルムがにこっと微笑む。


「オルティ。彼のことは壁の華だなんておこがましい。鬱陶しい壁の染み、いや、空気だと思ってくれていいから」

「へ?」

「そうです。わたしは全人類にとってかけがえのない空気。殿下にとってはそこに存在するのが当たり前の——」

「ルフト」

「はい」

「空気は饒舌にしゃべらない」

「……」


 にっこりと発せられたヴィルヘルムの一言に、従者はすんと口を噤む。

 一方、打って響くような会話を交わす二人を、オルテンシアは興味深げな様子でじっと観察し、考察した。


(つまり、お二人は離れがたいくらい仲がよろしい、ということなのですね)


 この奇妙な主従の応酬を目の当たりにするのは、今回が初めてではない。

 いつ見ても聞いても、二人は繋がり合ったさくらんぼのように常にセットだ。息だってぴったりなのである。


(ふむふむ。空気のように、そこに存在するのが当たり前な関係——……それはもしや!)


 オルテンシアの脳裏に、ある単語がピンと閃く。


(これが噂に聞く「親友まぶだち」というもの!? ……ああ。なんだか羨ましいです)


 もしも心の声が聞こえたなら、ヴィルヘルムは全身に鳥肌をたてて全力で否定しただろう。

 けれどもあいにく読心術までは会得していないので、オルテンシアの曲解には気づかない。


「さて、冗談はここまでにして、本題に移ろうか」

「はい」


 ようやくヴィルヘルムに促され、オルテンシアは思考を切り替えた。


「経緯はすでにご存じだとは思いますが。禍の痕跡を捜索中、王国側から残滓というには濃すぎる瘴気を感知いたしまして。やはり禍の日にこの近辺へ飛来した核の欠片の一部が、またしてもジェルラの森に作用しているのかと」

「瘴気に核の欠片か……」


 ヴィルヘルムは呟くと思案気に長い睫毛を伏せる。


 ここジェルラの森には、かつての『禍』の心臓である核から分離した、ある結晶の欠片があった。

 その欠片は瘴気を生み、自然界の生き物を魔物へと変容させ、周辺地域の人々に被害をもたらしていたのだ。

 だが三年前。討伐隊として派遣されたヴィルヘルムが、ジェルラの森の裏側に続くガーネット鉱山で発見した欠片を消滅させて以降、状況は少しずつ改善していたはずである。


「二度も核の欠片が飛来するなんて、この森はよほど禍に好かれた土地なのだろうね」


 一度目は数百年前に聖剣によって倒された禍の。そして二度目は、この度オルテンシアたちが討伐した今世の禍の欠片である。


「もしかしたら、鉱山という場所も関係しているのかもしれません」


 オルテンシアのぽつりとした呟きに、ヴィルヘルムが返す。


「グラナト領は王国でも有数のガーネット産地だから?」

「ええ。上質な宝石は妖精が好む一方で、鉱山は彼らの吐き出す瘴気が溜まりやすい場所でもあります。禍の核は完全に消滅しない限り、周囲の瘴気を吸収して再び力を取り戻しますので」

「なるほど。失った力を取り戻すために、自然と瘴気の吹き溜まりを求めているのか」


 そもそも禍とは、ある瘴気の結晶を手にしたマジェド皇国の邪術師が、強大なマナを宿す器へこの結晶を埋め込み、破壊に支配された生き物を生み出したのが始まりだ。

 後に『禍』と名付けられたそれは、人でもなく、神でもない。

 闇のように黒く禍々しい結晶を心臓に抱き、本能のままにこの世のあらゆるものを破壊し尽くす存在。

 心臓である核の欠片さえあれば、何度でも復活できる存在——それが『禍』なのだ。


「最後の悪あがきで核を分裂させただけでも醜悪なのに、その欠片が各地に残っている限り禍は復活し続けるだなんてね。なんとも執念深く厄介なものだ」

「でも欠片さえ一掃することができれば、もう二度と禍が復活することはなくなります。先の戦いでそのことが分かっただけでも、大きな収穫です」

「ああ、そうだね」


 ヴィルヘルムは頷き、そこでふと何かを思い出したように「そういえば」と首を傾げた。


「決戦のあと、回収した欠片を皇帝陛下が直々に分析されたらしいと聞いたけれど」


 黒い瞳が答えを求めるように、オルテンシアからノーチェへと移る。


「欠片がお互いに共鳴し合う、というのは事実なのかな? ガヴァリエーレ卿」

「はい。分裂した欠片が瘴気を一定量吸収すると、やがて元の形に戻ろうとより成長の早い欠片に融合されます。陛下が魔法で解析されている際、その様子をこの目でも実際に確認いたしましたので、間違いないかと」

「ふむ、そうか。……この大陸に皇帝陛下以上の魔法師は存在しない。となれば、偶然の産物でもないのだろう」

「あの……」


 そのとき、これまでの宣言通り空気に徹していたルフトが、おずおずと手を挙げた。


「はい。なんでしょう、ルフト様」

「分裂した欠片が各地に点在しているいま、それぞれが器を見つけて禍が増殖する危険性はないのでしょうか? 禍を神と崇める組織『ラスール』が、もし禍を増やして世界に復讐しようとしたら……いま以上に、手に負えない事態となるのではと」

「それは……」

「皇帝陛下と神殿の見解では、『今のところ、可能性としてはありえない』ということです」


 ルフトの純粋な疑問に答えたのはノーチェだ。

 彼は神殿の代表として禍の調査を行う傍、禍の研究の第一人者である皇帝との連絡役も担っている。

 禍への見識は聖女であるオルテンシアより詳しいかもしれない。


「禍の復活には、莫大な瘴気を吸収して成長した『核』と、条件を満たす『器』の存在が不可欠です。そもそも禍の器になり得るのは、優れたマナを有する人物とされていますから、その確保も難しいでしょう」


 ノーチェから説明を受けて、ルフトが独白のように漏らす。


「禍の器……。マジェド皇国の第一王子、帝国の聖剣と名高い公爵閣下に、史上最高峰の大魔法師である皇帝陛下。それから……」


 ルフトが言葉を飲み込んで見つめたのは、自らの主君であるヴィルヘルムだ。

 莫大なマナを宿すヴィルヘルムもまた、器候補の筆頭に名があがっている。


「……」


 ヴィルヘルムはゆっくりと瞑目したあと、ルフトが飲み込んだ話の続きを引き継いだ。


「この大陸で可能性がある候補者は、各国の監視下にある。かつてラスールが精霊師を拉致して器にしたように、強硬な手段に出る可能性もあるが、まず一筋縄ではいかないだろう」

「たしかに。それもそうですね」

「……」

「いやあ、特に殿下を拉致するなんて、悪魔に首輪をつけようとするようなものですし! たしかに一筋縄ではいかないでしょう。うんうん。わたしが勘ぐりすぎたようで——」


 ルフトが神妙な顔で頷いた、と、そのときだった。


「お、ワアッ!!」


 急にルフトが叫び声をあげ、その手に魔法師の要である杖を出現させたのだ。 


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